その26 偏屈な医者
僕達は負傷したヤラを乗せると急いで港を後にした。
ヤラは意識を失っているのか、出血で意識が朦朧としているのか、操縦室に運び込まれた後も、荒い息を吐くばかりで目を覚ます様子はない。
最も、意識が戻ればこうして彼女を乗せて運ぶ事も出来なくなるかもしれない。
そういう理由では、ある意味助かっているとも言えるのだが、僕はそんな事よりも彼女の体の方が心配でならなかった。
ホマレ港からティトゥの屋敷まで。
徒歩や馬車で移動するならばそこそこの距離があるが、僕の飛行速度をもってすればどうという事もない。
僕はあっという間に屋敷の上空へと到達した。
『ハヤテ。ケガ人を乗せているんだから、さっきみたいな乱暴な着陸はダメですわよ』
「わ、分かってるって」
そう言えばそうだ。
さっきはつい気が焦って、僕の飛行史上初めてとも言える乱暴な着陸をしてしまった。
しかし今はケガ人が――重症のヤラが乗っている。
ティトゥが指摘してくれなければ、また同じ降り方をしてしまう所だった。危ない危ない。
「バ、バース副隊長の所の軍医が屋敷にいてくれればいいんだけど」
『? そうですわね』
僕は話を誤魔化しながらも慎重にタッチダウン。
教科書に載せて貰いたい程の、見事な海軍式三点着陸で屋敷の裏庭に降り立ったのであった。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! ママ!)」
エンジンを止めると、サクラ色のリトルドラゴンが勢い良くこちらに走って来た。
ファル子だ。
どこかに行っていた僕達が直ぐに戻って来たので興奮しているのだろう。
ファル子は翼をはためかせると僕の主翼の上に飛び乗った。
そのまま操縦席に飛び込もうとした所を、ティトゥが立ち上がると素早くキャッチ。
ナイスだティトゥ。ここには重傷のケガ人がいるからね。
ティトゥは集まって来た使用人達を見下ろした。
その中にはファル子の弟、ハヤブサを抱いたメイド少女カーチャがいた。
『カーチャ! バース副隊長の所のお医者はまだ屋敷にいますの?!』
『えっ?! さ、さあ? 待っていて下さい、直ぐに呼びに行って来ます!』
カーチャはハヤブサをその場に下ろすと、急いで屋敷に駆け込んだ。
ティトゥはジタバタと暴れるファル子を抱きかかえたまま、ヒラリと機体から飛び降りた。
『他の者達はこの場で待機。お医者が来たら彼の指示に従って、ヤラを――ケガ人をハヤテから降ろして頂戴』
『『『はいっ!』』』
やがてカーチャが男を連れて戻って来た。
あの男が軍医なのだろうか? まだ若い痩せた根暗そうな男だ。
『あなたがお医者ですの? ケガ人なんですの。治療をお願いしますわ』
『・・・ふん。医者が呼び出されたんだ。言われなくても治療以外に理由なんてあるはずもないだろう』
男はつまらなさそうに切り捨てると、うろんな目で僕を見上げた。
『・・・こ、これは驚いた。まさかドラゴンのケガの治療を頼まれるとは。ふむ。僕の知識と腕が試される日が来たようだな。それで治療を必要としているのはそっちの小さなドラゴンかい? それともこっちの大きなドラゴンなのかい?』
「ギャーウー(なに?)」
『いえ、ケガ人は人間の女の子ですわ。ハヤテは――大きなドラゴンはその子を乗せて運んで来たのですわ』
『・・・なんだ、期待外れだな。患者が人間なら人間と先に言っておいてくれないか』
ガッカリする根暗男。
ええと、何というか、随分と個性的な医者だな。
貴族の当主のティトゥ相手にここまで言いたい放題なんて。
こんな人にヤラの治療を任せて大丈夫なんだろうか?
『ではドラゴン君。ケガ人をここに降ろしてくれたまえ』
『みんな、ハヤテの背中からケガ人を降ろして頂戴』
『なんだ、君達がやるのか。一度ドラゴンが動く所を見て見たかったんだが』
男の自由過ぎる態度に、さすがにティトゥも呆れ気味だ。
しかし、使用人達がヤラを抱きあげようとしているのを見ると、男の態度は一変。
突然、目を怒らせると、使用人達を怒鳴り付けた。
『バカ者! 何をやっている! そんな風にケガ人を抱きかかえるヤツがあるか! もういい、僕に任せたまえ!』
男は苦労して僕の上によじ登ると、ヤラを背中から抱き上げた。
『こうするんだよ。良く覚えておきたまえ。おい、そこの君。君は患者の足を抱えたまえ。違う違う。もっと高く持ち上げるんだ。そうそう、それでいい。そこの君。君は戸板か何かを持って来るように。そいつに患者を乗せて運ぶんだ。ほら急げ』
男は使用人達に指示を出しながら、ヤラの体を下へと降ろした。
ていうか、華奢な見た目によらず、意外と力があるんだな。
『見た目によらず、意外と力があるんですわね』
『当たり前だよ。僕は医者だぞ? 動けない患者を運んだり、暴れる患者を押さえつけるのに、どれだけの力がいるか知らないのかね』
いや、知らないし。ていうか、さも知っているのが当たり前のように言われても困るし。
男は運ばれて来た戸板にヤラを横たえると、彼女のお腹をあちこち押したり、口元の匂いを嗅いだりした。
『ふむ。刺さったナイフを抜かなかったのは正解だ。抜いていたら出血で危なかったかもしれないな』
『この子は助かるんですの?』
男はつまらなさそうにフンと鼻を鳴らした。
『患者を運び込んだ者達はみんなそう言うがね。医者は詐欺師じゃないのだよ。軽々に「私にお任せ下されば万事大丈夫」なんてお決まりの台詞を言うとでも思ったのかね? けどまあ、ザッと触診した限りでは、腹に血が貯まっている様子もないし、吐息にも死臭が感じられない。大きな問題はなさそうだね』
『つまりは、助かりそう、という訳ですわね?』
ティトゥはホッと安堵のため息をついた。
男は使用人達に命じてヤラを屋敷に運ばせた。
『処置室は出来るだけ屋敷の奥の部屋を用意してくれたまえ。洗ったばかりのシーツと布を数枚用意しておくように。それと沸かした湯と、湯冷ましした水をそれぞれ大桶に一杯ずつ。後、助手として力のある男を二人。そうそう、処置室には他の部屋の倍の明かりを頼むよ』
男はテキパキと指示を出すと、こちらを振り返りもせずに屋敷に戻って行った。
どうやら患者の治療以外の事にはあまり興味がないようだ。
あの男、偏屈な上にかなりの変わり者だけど、実は医者としては意外と頼りになるのかもしれない。
『変わり者ですが、あの人に任せておけば大丈夫そうですわね』
どうやらティトゥも僕と同じ感想を抱いたようだ。
「・・・・・・」
このままヤラの手術が終わるまで、ここで待っていたい気持ちはある。
けど、この場に僕が留まっていても出来る事は何も無い。
ならばヤラの事はさっきの医者に任せて、僕達は僕達で出来る事をやるべきだろう。
「行こうティトゥ。カタリナを乗せた船を探すんだ」
『りょーかい、ですわ』
ティトゥはメイド少女カーチャに、代官のオットーへの伝言を――カタリナを乗せた船は既に港を出航しているので、船で後を追うように――頼んだ。
オットーの姿を見ないと思ったら、屋敷にいなかったのか。
どうやら彼は、バース副隊長と一緒に、ナカジマ騎士団を率いて港に向かったらしい。
余談だが、日頃の印象では文官然としたオットーだが、実は若い頃は親に反発して家を飛び出し、傭兵として過ごしていた時期があるそうだ。
今の奥さんともその時に出会ったんだとか。
『共同相手が聖国の海軍騎士団の副隊長なので、自分が行かないと格が釣り合わない、とか言ってました』
『はあ~。これだから貴族の社会は面倒なのですわ』
カーチャの説明にティトゥが心底面倒くさそうにため息をついた。
いやいや、ティトゥ。君の気持ちも分からないではないけど、これって別に貴族社会に限った事じゃないと思うよ?
今回の作戦は会社で例えれば、聖国という一流企業の花形部門と、ミロスラフ王国というローカル企業のそのまた地方支社のナカジマ家との、合同プロジェクトのようなようなものだ。
形の上では合同とはいっても、両社の格も規模も全く違うのである。
ならばオットーとしては、せめて自分が現場に立って陣頭指揮を執らなければ示しが付かないのだろう。
「う~ん。貴族とか平民とか関係なく、人間が集まって社会を形成する以上、格の違いはどこにでも生まれるものだし、それは自然な事であって仕方のない事でもあると思うよ。むしろそれをないがしろにする方が、円滑な社会活動の妨げになるんじゃないかな」
『それは・・・そうなんですが、なんで私はドラゴンのハヤテに、人間社会の事を言われなければいけないんですの? 何だか納得いきませんわ』
『ハヤテ様は何て言ったんですか?』
鼻に皺を寄せて憮然とするティトゥ。
なんでも何も、それは僕がドラゴンなんかではなく、人間だからなんだけど。
ティトゥから説明を受けたカーチャは、感心した様子で頷いた。
『ハヤテ様がまるで常識人みたいです』
いや、君、その感想は酷くない?
僕ほど小市民的な人間はそうそういないと思うけど? 自分で言っててちょっと心が痛むけど。
『そんな事よりも出発ですわ! 行きますわよハヤテ!』
ティトゥは操縦席に乗り込むと安全バンドを締めた。
『前離れー! ですわ』
「ギャウー! ギャウー!(私も! 私も行く!)」
『ファルコ様、危ないですよ! ジャマしちゃいけません!』
全く、ファル子は。留守番しているように言っておいたのに。
鳥頭のファル子が僕の前に飛び出そうとした所を、カーチャが慌てて捕まえた。
その際に彼女が抱きかかえていたハヤブサが地面に落ちて、「ギュウ!(酷い!)」と不満の声を上げた。
「発動機始動準備完了! 点火! 離陸準備よーし!」
『離陸! ですわ!』
アイアイマム。
僕はエンジンをブースト。屋敷の裏庭を疾走すると、フワリと宙に浮きあがった。
「カタリナの乗った奴隷船は三角の帆の中型外洋船。ホマレの港に何隻も停まっていたのと似たような感じの船だから。それらしい船を見つけたら僕に教えてね」
『似たような船って・・・。何か特徴はないんですの?』
特徴か。特徴が無い所がある意味特徴とも言えるんだけど、今はそういう話をしているんじゃないよね。
『それでカタリナを乗せた船かどうか分かるんですの?』
どうだろう。
多分、実物を見れば分かるんじゃないか、とは思う。自信はないけど。
「出来るかどうかは分からない。でも、今は出来ると信じるしかないんだ」
『そう・・・ですわね。こうしている今も、船はどんどんホマレから離れて行っているんですわ』
そう。僕達には時間がない。
カタリナを乗せた船はどんどん遠ざかっている。
それにヤラだ。
医者の治療が上手くいって、彼女の意識が戻ったら、僕の意識は再び彼女の頭の中に引き寄せられるかもしれない。
そうなれば最悪だ。機体は墜落。僕とティトゥは一巻の終わりとなる。
そうなる前に、僕達はカタリナを乗せた船を見つけ出さなければならないのである。
次回「奴隷船を空襲せよ」