その25 初遭遇
僕はティトゥを乗せてナカジマ家の屋敷の裏庭を飛び立った。
ヤラが意識を取り戻したら、僕の精神は再び彼女の頭の中に引き込まれるかもしれない。
あるいはそうじゃないかもしれない。
どちらにしろ、時は一刻を争う。
リスクを背負ってでも、僕は行くと決めたのだ。
だったら、今はヤラとカタリナ、二人を助ける事に集中するしかない。
などと思っているうちに、僕達はあっという間にホマレの港の上空に到着した。
そもそも、ホマレの港町はティトゥの屋敷の目と鼻の先にあるのだ。
本来であれば、飛んで行くような距離ではないのである。
『カタリナが乗った船はどこにあるんですの?』
「ちょっと待って。ええと、ええと・・・」
地上から見た景色と、空から見下ろした景色とでは全然印象が違う。
くそっ。似たような船が何隻も停まっていてややこしいな。
いや、違う。木の葉を隠すなら森の中。
海賊のサエラス一家は、自分達の船が目立たないように、わざと良くあるタイプの船を選んでいるのだ。
『あっ! あそこ! 人が集まってますわ!』
ティトゥの声にハッと見下ろすと、波止場の一角に人が集まっているのが見えた。
人だかりの中心には、倒れた女の子の姿が――ヤラだ! 間違いない!
だとすれば、すぐ近くにカタリナを攫った海賊達の船があるはずだ。
「――って、船がいない?! どうして?!」
『きっと出航してしまったんですわ』
出航? そうか、ヤラか!
ヤラはナイフで刺されている。つまりは傷害事件だ。
騎士団の捜査を受けてしまうと、この船が奴隷を積んでいるのがバレてしまうかもしれない。
海賊達はそれを嫌って、慌てて港から逃げ出したに違いない。
「だとすれば、まだそう遠くへは行っていないはずだ。港の周囲を探せば――」
『ヤラはどうするんですの? ナイフで刺されているんですのよね?』
それは・・・いや、確かに、今はカタリナよりもヤラの方が危険だ。
けど――
「けど、僕には彼女のケガを治す事は出来ないし・・・」
『聖国海軍騎士団ですわ』
「海軍騎士団?」
聖国海軍騎士団とは、ランピーニ聖国の騎士団のエリート達によって編成された海軍の事で、海賊のサエラス一家を追ってここホマレまでやって来ていた。
『彼らの船にはお医者も乗っていたはずですわ』
「そうか! 軍医か!」
彼らは小型の外洋船で来ている。船には軍医が乗っている。
そして軍隊に随伴している医者なら、負傷兵の治療経験だって豊富なはずだ。
ナイフで刺されたヤラのケガだって治療してくれるに違いない。
「バース副隊長の部隊は、普段、どこにいる訳?」
『私の屋敷ですわ。何人かは町に出ているかもしれないけど』
ティトゥの屋敷にいるって? それは願っても無い。
だったら急いでヤラを屋敷まで連れて行かなければ。
後はたまたま運悪く、医者が町まで行っているとかでなければいいんだけど・・・
「しまった! さっきバース副隊長はサエラス一家を捕まえるため、港に向かうって言ってたよね?!」
『あっ! 行き違いになってしまいますわ!』
聖国海軍騎士団の人達がここに来るなら、むしろヤラは動かさない方がいい。
だが、海賊との戦闘が予想される危険な場所に、戦闘要員ではない軍医が同行するだろうか?
いや、ケガ人が出た時にその場で治療するために同行しているという可能性もある。のか?
・・・ダメだ。分からない。どっちの理由もありそうだ。
最悪なのは前者の時だ。もし、軍医が屋敷に残ったままなら、呼び寄せるのに時間がかかる。
治療が遅れれば、それだけヤラの命が危険に晒される。
どっちだ。どっちを選ぶのが正しい。
迷った僕が港を見下ろすと、こちらを見つけた船乗り達があちこち走り回っているのが見えた。
どうやら僕が降りる場所を空けてくれようとしているようだ。
その光景を見て僕は心を決めた。
「降りるよ、ティトゥ。安全バンドを締めて」
ヤラを屋敷まで連れて行く。もし、軍医とすれ違いになったとしてもその時はその時。
もう一度港に戻って来ればいいだけのことだ。
今は迷っている時間すら惜しい。
僕は翼を翻すと急旋回。
急激に増加した空気抵抗でギリギリまで速度を落とすと、一気に着陸態勢に入ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ドスン! バリバリバリ!
ハヤテのいつもにない乱暴な着陸に、ティトゥは悲鳴を噛み殺した。
最も、悲鳴を上げようにも激しい衝撃に息が詰まり、呼吸すら出来なかったというのが正しいのだが。
ハヤテの翼で薙ぎ払われた木箱や樽の破片が飛び散り、派手に辺りにまき散らされる。
『ティトゥ! 急いで!』
「分かりましたわ!」
ハヤテは機体が停止するのももどかしく、ティトゥに叫んだ。
風防がスライドすると、プロペラ風が操縦室に吹き荒れ、ティトゥの髪を巻き上げた。
「せっかくカーチャに整えて貰ったのに、また髪が乱れてしまいましたわね」
ティトゥは呟きながら、安全バンドを外すと、ヒラリと機体から飛び降りた。
ババババババ・・・
ティトゥが降りると同時に、ハヤテはゆるゆると地上走行。
ヤラを乗せ次第、直ぐに飛び立てるように滑走路を確保した。
「領主様! 何でここに?!」
ティトゥの事を知っている船乗りがいたようだ。男は驚きに目を丸くしている。
いや。ドラゴンから降りて来た少女を見て、ナカジマ領の領主と結び付けただけかもしれない。
ティトゥは男の言葉を遮った。
「ここにお腹をナイフで刺された女の子がいるはずですわ! 治療のために屋敷まで運ぶのでハヤテに乗せて頂戴! 急いで!」
「えっ?! は、はいっ!」
男は慌てて踵を返すと、野次馬をかき分けながらヤラの下へと向かった。
「領主様の命令だ! この子をドラゴンまで運ぶぞ!」
「よし、だったら俺が背負っていくぜ!」
「バカ野郎! この子は腹を刺されているんだ! 何でもいいからこの子を乗せられる物を持って来い!」
やがて大きな布を担架代わりにして、ヤラが運ばれて来た。
ティトゥは初めて見たヤラの姿に、衝撃を覚えた。
(この子がヤラ・・・?)
本当にこの少女がヤラなのだろうか?
ティトゥが知っているヤラは、あの温厚なハヤテが「口ケンカが絶えない」と言う程、口が悪く、勝ち気な少女であり、大人の男達に混じって肉体労働者をこなすという男勝りな少女。
年の離れた妹と、たった二人だけで外国の港町へとやって来た、怖いもの知らずの勇敢な少女。
そう。ティトゥの中では、ヤラのイメージは「いかにも女傑」といった特別な存在であり、逞しい女性そのものだったのである。
(それがまさかこんなに頼りなさそうな女の子だったなんて)
ヤラは海から引き上げられたばかりなのだろう。濡れた服は肌に張り付き、華奢な手足を浮き彫りにしている。
顔は血の気を失い、紙のように真っ白で、荒い吐息がなければ水死体ではないかと疑っていただろう。
そう。目の前の少女は、女傑などではなかった。
特別とは程遠い、どこにでもいそうな年相応の少女でしかなかったのであった。
(この子がこの一ヶ月間、不思議な力でずっとハヤテの意識を捕まえていた少女なんですのね)
船乗り達は慎重にヤラを抱え上げると、ハヤテの操縦席へと運び込んだ。
ボンヤリとしていたティトゥは、慌てて彼らに指示を出した。
「そこじゃないですわ! 胴体内補助席――後ろに付いているイスに乗せて頂戴!」
「分かりました! おい、後ろに移すぞ。ゆっくりだ。狭いから気を付けろ」
「おうよ! よいしょっと!」
ヤラを乗せ終えると、男達は飛び退くようにハヤテの上から降りた。
入れ替わりでティトゥが翼の上に乗ると、翼の表面は男達の靴から落ちた砂でザラザラになっていた。
(いつものハヤテなら、きっと『塗膜が痛む』とかブツブツ言っていたんでしょうね)
キレイ好きのハヤテは、機体表面の塗装が汚れる事を嫌う。
特にキズに対しては神経質なタチで、ティトゥも何度か彼に文句を言われた事があった。
(そんな事が気にならない程、ヤラの事が心配なんですわね)
ティトゥは心にチクリとした痛みと、モヤモヤとしたイヤな感情が芽生えそうになったが、頭を振って気持ちを切り替えると叫んだ。
「前離れ! ですわ! ハヤテ、行って頂戴!」
『了解! 離陸準備よーし!』
「「「「喋った?!」」」」
突然喋ったハヤテに船乗り達がギョッと目を剥いた。
ティトゥはヤラの体を安全バンドで固定すると、自分も素早く安全バンドを締めた。
『離陸!』
ハヤテはエンジンをブースト。空へと舞い上がるとナカジマ家の屋敷を目指すのであった。
次回「偏屈な医者」




