その23 激しい焦り
一瞬、自分に何が起きたのか分からなかった。
ヤラが船の上から転落した。
そう思った途端、僕は強い力で彼女の頭の中からはじき出されていた。
「ギュウ?(パパ?)」
『どうしたんですか? ハヤブサ様』
僕の翼の上で昼寝をしていたらしいハヤブサが、不思議そうに頭を上げた。
テントの中を掃除していたメイド少女カーチャが、こちらに振り返る。
「ハヤブサ?! カーチャ?! ここは僕のテント?! 元の体に戻って来たのか?!」
間違いない。これは僕の体――四式戦闘機・疾風の機体だ。しかし一体どうして?
「そうか、ヤラが気を失ったんだ。って、こうしちゃいられない!」
ヤラはナイフでお腹を刺されていた。どのくらい深いケガなのかは分からないけど、早く治療をしないと危ない。
「そこをどいて、カーチャ! 急いでヤラを助けに行かないと!」
『えっ?! ハヤテ様、目を覚ましたんですか?』
カーチャは驚くだけで動いてくれない。
だから前をどいてって言っているのに・・・って、ああ、そうか。日本語で言ってもカーチャには通じないんだった。
『ドイテ。トブ』
『ええっ?! どこかに行くんですか?! ちょ、ちょっと待って下さい! すぐにティトゥ様を呼んできますから!』
カーチャはそう言うと慌ててテントを飛び出して行った。
いや、今はそんな事をしている場合じゃないんだって。
もういいや、勝手に行かせて貰おう。
「ギャーウー?(パパ、どこかに行くの?)」
翼の上でハヤブサが大きなあくびをした。
そういえばハヤブサもいたんだった。
「緊急事態なんだ。急いで行かないといけない所があるんだよ。だから直ぐにパパの翼の上から降りなさい」
ハヤブサは小さく小首を傾げると、テントの入り口に目を向けた。
「ギャウー(でも、閉まってるよ)」
「あっ・・・」
そう。テントの入り口は閉まったままになっていた。
この状態でエンジンをかけて地上走行を行っても、回転するプロペラがテントの入り口に接触。テント生地を巻き込んでプロペラブレードを破損してしまうだろう。
「ええと、ハヤブサ。テントの入り口を開けて来てくれないかな?」
「ギャーウー(う~ん、無理)」
だろうね。
ああ、もう。急いでいるっていうのに。
僕はカーチャがティトゥを呼んで来てくれるのをヤキモキしながら待つのだった。
直ぐにでもヤラの所に飛んで行きたい。でも、テントの入り口が開いていない。
こんな時、自由に動けないこの体がもどかしい。
僕にとっては長い時間。しかし、実際はおそらくほんの数分後に、ティトゥはこの場にやって来た。
『ハヤテ。どこに行くんですの?』
ティトゥは単刀直入。前置き抜きにそう尋ねて来た。
「ヤラを助けに行かないと! ナイフで刺されて海に落ちたんだよ!」
『刺された?! 一体、何があったんですの?!』
ヤラ達がオリパ叔父さんの誘いを受けて西方諸国の彼の家に向かう事に決まった、という説明は、昨日までにしてある。
僕はその船にヤラ達の父親が乗っていた事。実はその船は奴隷船で、叔父さんは海賊の一味だった事。ヤラが父親と揉めた際、ナイフでお腹を刺されて海に落ちてしまった事等を説明した。
『そうですの・・・』
ティトゥは少し考え込んだ。
一体、何を考える事があるのだろうか? 僕はこの彼女の反応にイライラした。
ここで代官のオットー達が騒ぎを聞きつけて駆け込んで来た。
『ご当主様! 一体、何があったんですか?!』
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
ファル子は庭で遊んでいたようだ。泥だらけの姿で跳ね回っている。
『丁度いいですわ。オットー、聖国海軍騎士団のバース副隊長を呼んで来て頂戴』
「ティトゥ!」
僕は思わずカッとなって怒鳴った。
「そんな事をしているヒマはないんだよ! 早くヤラを助けに行かないと!」
『ハヤテ。あなたが行ってどうするんですの?』
「何っ?!」
僕は怒りで頭の中が真っ白になってしまった。
ガオン! ババババババ
僕の感情の高ぶりに機体が反応。
エンジンが唸りを上げると、プロペラが回転。
異常燃焼を起こしたガスが排気官で熱せられて火を噴いた。アフターファイヤーだ。
『うわっ!』
『きゃああああっ!』
オットーとカーチャ、それにテントの外で覗き込んでいた使用人達が悲鳴を上げる。
ティトゥも至近距離で大きな炎で煽られて、思わず顔をこわばらせた。しかし、彼女は全く怯む事無く僕を見上げた。
『ハヤテ。あなたが行った所でどうする事も出来ませんわ。ヤラが落ちたのは海の上。あなたは海の中の彼女を助ける事が出来ますの?』
「そ、それは・・・」
彼女の言う通りだ。
ヤラが落ちたのは海の上。戦闘機の僕は水の上には降りられない。
あるいは僕が陸軍機ではなく、フロート付きの水上機なら・・・いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
「けど、ヤラが大変なんだよ!」
『港には大勢人がいますわ。だったら、ヤラが落ちた事に気付いた人だっているはず。今頃はきっと誰かに助けられていると思いますわ』
それは・・・確かに。
もし、今回の事件が航海の途中に起きたものだったなら、海に落ちた彼女の体は誰にも見つからないまま、海流に流されて行方不明になっていただろう。
しかし、ヤラが落ちたのは港の中。周囲には人の目も多いし、遠浅の海には海流どころか大きな波すらない。
既に誰かに助けられているというティトゥの予想は、おそらく間違ってはいないだろう。
『それに、ヤラの妹が海賊に捕われたままですわ。そちらも何とかしませんと』
そうだ、カタリナ!
ヤラが刺された事で頭が一杯になって、妹のカタリナの事を忘れていた。
カタリナは未だに海賊の奴隷船の中にいる。彼女を助けないと。
再び慌てる僕に、ティトゥは言い聞かせるように言葉を続けた。
『ハヤテ。あなたが心配する気持ちも分かりますわ。けど、全部一人でやる必要はないんですのよ。あなたには私達がついていますのよ』
「僕が、一人で? そんなつもりは――」
ティトゥの言葉に僕はハッとなった。
言われてみればその通りだ。
僕は身動きの出来ないヤラの頭の中から、自分の機体に戻った事で――動けるようになった事で、「どうにかしなきゃ」と激しい焦りを感じていたようだ。
だが、ここで慌てて飛び出した所で、僕に一体何が出来るだろうか?
空の上からヤラが助けられるのを、ハラハラしながら見守っている?
あるいは、カタリナを乗せた船が沖に向かうのを、指をくわえて見ている?
未来兵器の四式戦闘機も決して万能ではない。
そんな事は、誰に言われるまでもない。この世界の誰よりも僕が一番良く知っているはずなのに。
僕は一人じゃ何もできない。
けど、今の僕は一人じゃない。
僕にはパートナーが――ティトゥがいる。
そしてここにはオットーやカーチャ。ナカジマ家のみんなだっている。
僕一人では出来ない事でも、みんながいれば出来る。
僕は焦りのあまり視野狭窄に陥り、そんな当たり前の事すら忘れていたのだ。
エンジンが止まると、テントの中はシンと静まり返った。
動力を失ったプロペラがゆっくりと回転を止める。
「・・・ティトゥ、君の言う通りだよ。僕は焦りで自分を見失っていたみたいだ」
『ハヤテ』
ティトゥに、そして固唾をのんで見守っていた使用人達の間に、ホッと安堵の空気が流れる。
僕は気まずさにコホンと咳をした。
「こ、コホン。あ~、それよりもゴメンね。髪の毛がボサボサになっちゃったね」
『本当ですわ。急にぷろぺら?を回すんですもの。カーチャ! 髪を整えるからブラシを持って来て頂戴!』
『わ、分かりました!』
カーチャは慌ててテントを飛び出して行った。
そんな彼女と入れ替わるように、立派な鎧を着た見覚えの無い騎士がやって来た。
『これは・・・ここで一体何があったんでしょうか?』
騎士は散らかったテントの中と、ティトゥのボサボサになった髪を見て、目を白黒させたのだった。
『ドラゴン殿にはお初にお目にかかる。私は聖国海軍騎士団・ハイドラド隊副隊長サライ・バースです』
見覚えの無い騎士は、ランピーニ聖国海軍所属の騎士団員だったようだ。
『サヨウデゴザイマスカ』
『えっ? 何で婦人言葉? ――あ、いえ。さ、左様です』
バース副隊長は僕がオネエ言葉を使う事に驚きながらも、慌てて返事を返した。
というか、本人に会ったのは今日が初めてだが、彼の話はティトゥから聞いている。
奴隷商を収入源にしている海賊組織、サエラス一家を追ってこのナカジマ領にやって来た、対海賊部隊の副隊長だ。
『それでバース副隊長。ついさっき、ハヤテから聞いた話なんですけど――』
ティトゥがカーチャに髪にブラシを入れて貰いながら、事情の説明をした。
『なる程。それはおそらくサエラス一家で間違いはないでしょう。オリパという叔父も、我々が知っている奴隷商人の特徴と一致しています』
――やっぱりか。
失敗した。僕が前もってバース副隊長から奴隷商人の特徴を良く聞いておけば、ヤラに警告する事が出来たのに・・・いや、今は過去を悔やんでいても仕方がない。出来る事をしないと。
バース副隊長はオットーに振り返った。
『時間がありません。我々は至急、港に向かいます。打ち合わせ通り、そちらの騎士団にも協力して頂いてもよろしいでしょうか?』
『勿論です。こちらから連絡しておきます』
どうやら事前に二人の間で、海賊捜査に関してのすり合わせが出来ているようだ。
僕は今更ながら、暴走して勝手に先走らなくて良かった、とホッとした。
これでもう大丈夫。彼らに任せておけばヤラの命は助かり、カタリナも海賊船から救出される。海賊達も聖国海軍に引き渡されて万事解決。
だったら彼らに任せておくだけで――ここで報告を待っているだけでいいんだろうか。
本当に?
僕に出来る事は何一つ無いのだろうか。
次回「あれが竜騎士」