その22 奴隷船
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ヤラが転落すると共に、船の上は騒然となった。
「あの女、落ちやがった!」
「ヤバイぞ! 何やってんだ、オリパ!」
海賊仲間に怒鳴られたオリパは――ヤラ達の叔父は――「くそっ!」と吐き捨てると、義理の兄であるヤラ達の父親を蹴り飛ばした。
「テメエ、良くもやってくれたな!」
「ひっ! ひいいいっ!」
ヤラ達の父親は怯えた表情でうずくまる。
オリパはその顔面を蹴り付けた。
「ぎゃああっ!」
「同じ奴隷でも、若い娘と中年じゃ全く売値が違う! テメエよりヤラの方が価値が高いんだよ! それを良くも! 次に俺の機嫌を損ねたら、タダじゃおかねえ! その体を切り刻んでフカの群れの中に突き落としてやるからそう思え!」
「うっ、ううううっ」
ヤラの父親は鼻から血を流しながら、恐怖でガクガクと頷いた。
その卑屈な姿に、オリパは更なる怒りと苛立ちを覚えた。
(娘を説得する際に、何かの役に立つ事もあるかもしれないと思って、檻に入れずに手元に置いておいたんだが失敗だったぜ。・・・クソが! コイツ、どれだけ俺に祟れば気が済むんだ!)
オリパは再度、義兄に蹴りを叩き込んだ。
中規模海賊組織、サエラス一家の取り扱う商品は人間。つまりは奴隷である。
隣国ゾルタは、昨年の帝国軍の侵攻から続く内乱で、現在に至っても国土は荒れに荒れている。
特に地方の治安は大幅に悪化。生活が立ち行かなくなった農民達は村を捨て、安全な都市部へと流れ込んだ。
サエラス一家はそんな行き場を失くした者達に言葉巧みに近付き、奴隷として他国に売り飛ばしていたのである。
当然、領主としては、自領の領民が奴隷として他国に売り渡されるのを許しておけるはずはない。
しかし、現場の役人達は――特に町の統治を任されている代官等は、サエラス一家の行動を必要悪として黙認していた。
都市部に流れて来た農民の多くは、村で生まれ、村で一生を終えるような者達がほとんどである。
そんな彼らが町に来た所で、知り合いもいなければ伝手もない。
そして農業に関する技能しか持たない農民達に出来る仕事も、そう多くは無い。
結果、彼らのほとんどはロクに仕事にもありつけず、その日の食べ物にすら事かく有様になっていた。
そういった難民の増加は、町の統治者にとっても悩みの種だったのである。
間引いてくれるならむしろ助かる。
彼らとしてはそんな気持ちになっていた。
勿論、もっと直接的な実利が――サエラス一家からたっぷりと握らされた袖の下の重みが――そういう気分にさせてくれる、という理由もあるのだが。
オリパが生まれ育ったカルパレスの港町に戻って来たのは、この町で商品の仕入れを――奴隷の入手を――するためであった。
そこで彼は、町の盛り場の顔役から、義兄が彼に借金をしている事を知らされる事となった。
「借金のカタに娘を入れていたんだが、その娘に逃げられたとかで、返済の当てがなくなっちまってる。聞けばアイツはあんたの義理の兄だそうじゃないか。アンタの方からアイツを助けてやってくれねえかな」
「・・・分かりました」
「おおっ! 引き受けてくれるか?! いやあ、助かったぜ。ワシは焦げ付いていた金が戻ってきて嬉しい。アイツは借金が無くなって嬉しい。アンタは義理の兄を助けられて嬉しい。これぞ商売で言う所の三方良しというヤツだな」
顔役はそう言って機嫌良さそうにガハハハと笑った。
オリパとしては正直、何一つ嬉しくはなかったが、今後もこの町で商売を続けるつもりなら町の顔役との繋がりを失う訳にはいかなかった。
ちなみに商売における「三方良し」の本当の意味は、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し(社会貢献)」の三つの「良し」が商売の理想である、というものであって、顔役の言っているような意味ではない。
オリパは義兄の借金を肩代わりすると共に、証文を受け取った。
(くそっ、あの野郎! よくもこの俺に迷惑をかけやがって! せめて鉱山奴隷にでも売り飛ばして少しでも回収しなきゃ腹の虫が収まらねえ!)
こうしてヤラ達の父親は奴隷として船に乗ることになった。
そこでオリパは義兄の口から、娘が隣の国、ミロスラフ王国に渡った事。ナカジマ領にある港町ホマレにいる事を聞かされたのだった。
(港町ホマレ? ミロスラフ王国にそんな港が出来ていたのか。・・・ふむ。ここまで足を延ばしたついでだ。そこでも商売が出来ないか、調べておいてもいいかもしれねえな)
サエラス一家の拠点は聖国と西方諸国にある。
聖国の拠点が昨年の夏、マリエッタ王女の指揮する海軍騎士団によって壊滅させられた今、新たな拠点作りが必要となっていた。
(出来たばかりの港町なら、他の海賊組織との縄張り争いも楽に済む。コイツは思わぬチャンスかもしれねえぞ)
ついでに義兄の借金の証文を使って娘を――ヤラとカタリナを奴隷にすれば、肩代わりした金の元も取れるというものだ。
こうして彼は船長を説得し、港町ホマレまでやって来たのである。
ちなみにホマレには、既に入り込んでいた海賊組織があったが、小規模な組織だったため、排除するのに手間はかからなかった。
「海に何か落ちたぞ! 人だ!」
「見ろ、女だ! そこに浮かんでる! あの船から落ちた乗客なんじゃないか?!」
「全然動かないぞ! ショックで意識を失っているのかもしれない!」
騒ぎの声がここまで聞こえる。
どうやらヤラが転落した所を、港にいた者達に見られてしまったようだ。
「何があった! 一体何だこの騒ぎは!」
野太い声と共に、甲板に大柄な髭の男が現れた。この船の船長だ。
「船長! 実は――」
船長は船員から事情を聞くと、いかつい顔を大きく歪めた。
「バカ野郎! 何をボヤボヤしてやがる! 出航だ! 急げ!」
彼は迷わずこの場からの逃走を選んだ。
ヤラを回収しようとは考えない。これだけの騒ぎになっている以上、遅かれ早かれ役人か騎士団員がやって来る。
これがただの転落事故ならちょっとした聞き取り程度で済むだろう。だが、ヤラはナイフで刺されている。
傷害事件ともなれば詳しく調査が行われるのは間違いないし、そうなれば船倉の積み荷が――奴隷達の存在が見つかる可能性も高い。
「オリパ。テメエ、やらかしたな」
「・・・すいません」
元々、船長はこのホマレに来るという話に対して消極的だった。
海賊としては意外に思えるかもしれないが、彼は見かけによらず慎重な性格だった。
いや、そんな男だからこそ、組織のボスは彼に大事な外洋船を任せているのだろう。
船長は甲板の上を見回すと、オリパの足元でうずくまるヤラ達の父親と、真っ青な顔色で立ち尽くすカタリナに目を止めた。
「そいつらは船室にでも放り込んでおけ。オイ、そこのお前! 荷物の係留なんざ後回しにしろ! そんなのは沖に出た後でもいくらだって出来る! 今はそれよりも出航を急ぐんだ! 錨を上げろ! ボヤボヤすんな、走れ!」
船長は矢継ぎ早に指示を出しながらこの場を去って行った。
オリパは義兄の襟首を掴んで立ち上がらせると、船室へと続く入り口へと突き飛ばした。
「テメエは大人しく部屋に戻ってろ! カタリナ!」
オリパの声にカタリナはビクリと背筋を伸ばした。
その途端、「あっ!」と声を上げて、力無くその場にへたり込む。
「お、お姉ちゃん・・・」
「ちっ」
オリパはカタリナの腕を掴んで引っ張るが、ショックのあまり足腰に力が入らないようだ。
オリパは仕方なくカタリナの胴に手を回して小脇に抱えた。
「手間をかけさせやが――うおっ!」
オリパは一歩足を踏み出そうとして、ズルリと足を滑らせた。
危うく倒れそうになった彼は、舷側のロープを掴む事で辛うじて体を支えた。
「何だチクショウ! さっきの紙かよ! クソッ!」
オリパはうっかり足を乗せてしまった紙を――カタリナが絵を描いたわら半紙を、忌々しそうに蹴り飛ばした。
「お姉ちゃん・・・。お姉ちゃん・・・」
船員達が出港の準備を急ぐ中、オリパはグッタリとうなだれたカタリナを抱えたまま、船室へと姿を消したのであった。
港では船乗り達が騒いでいた。
「おい、あの船出て行くぞ。ひょっとして、自分達の船から女性客が落ちた事に気が付いていないんじゃないか?」
「本当だ。おおい、待てーっ! まだ出航するんじゃなーい!」
出航して行く外洋船に慌てて声を掛ける男達。
その時、海に浮かんだヤラを助けに、海に飛び込んでいた男が慌てて手を振った。
「おおい、誰かコッチに手を貸してくれ! この子、気を失っていて泳げないらしい!」
「待て! 今、ロープを投げる!」
「ありがとよ! ていうか、最初からロープを持って飛び込んでいれば良かったのか」
このうっかり者の言葉に、見守っていた者達の間から苦笑が漏れる。
「ほらよ、ロープだ! ちゃんと捕まえろよ!」
「任せとけって! ・・・って、おい! た、大変だ!」
男は投げられたロープを捕まえると、ヤラの体に手を回そうとしてギョッと目を剥いた。
「この子、腹をナイフで刺されている! これはただの転落事故じゃない! この子はあの船の人間に殺されかけたんだ!」
次回「激しい焦り」