その21 サエラス一家
オリパ叔父さんは、ヤラの腕をギリギリとねじり上げた。
ヤラから苦痛と怒りの感情が伝わって来る。
カタリナは優しかった叔父さんの突然の豹変。そして暴力の匂いに怯えてガクガクと震えている。
『テ、テメエ・・・アタシらを裏切りやがったな』
『違うね。裏切ってはいない。俺はな、最初からお前達をハメるつもりで近付いたんだよ』
そんな。今までの人の良さそうな親戚の姿が、全部ヤラ達を騙すための演技だったなんて。
僕はショックのあまり愕然とした。
――いや、今思えば気付けるチャンスは何度かあった。
いくら親戚とはいえ、何年か前に一度会ったきりの姪を、わざわざ遠い外国の港町まで探しに来るだろうか?
それに軽薄そうなファッションセンス――は、個人の好みかもしれないので置いておくとして、ヤラが言っていたじゃないか。『叔父さんはオヤジに近い印象だった』って。
彼女は霊能力を――鋭い直感を持っている。自分に迫った危険を事前に感じ取れる力を持っている。
そんな彼女が、ギャンブル狂いの大嫌いな父親と近い印象を叔父さんに感じたのだ。
つまりは、彼女は叔父さんの事を、「信用出来ない男」「真っ当じゃない人物」と感じていたのだ。僕はその事に気付くべきだったのである。
最悪なのは、オリパ叔父さんを警戒していたはずのヤラが、最終的に彼の言葉を信じてしまった理由だ。
ひょっとしてその原因は僕にあるのかもしれない。
僕は叔父さんの演技にまんまと引っかかってしまった。彼の事を信じ込んでしまった。
その気持ちが彼女にも伝わり、彼女の直感を鈍らせてしまったのではないだろうか?
もしも、を言っても仕方がない。しかし、もしも僕さえいなければ、ひょっとしたら彼女は自分の直感に従い、オリパ叔父さんを警戒し、彼を信じなかったかもしれない。
だとすれば、この事態を招いてしまったのは僕のせいだ。
オリパ叔父さんに騙され、ヤラの邪魔をしてしまった僕のミスだ。
ダメだ。今は過去を振り返って、あれこれ後悔している場合じゃない。
原因探しは後回し。今やるべきはそんな事ではない。
ヤラ達を守らなくては。
僕は助けを求めて周囲を見回した。
しかし、船員達は揉めるヤラ達を無視して出航の準備を進めている。
いや。何人かは作業の手を止めてこちらを見ているが、その表情は面白半分といった感じで止めに入るつもりは全く無さそうだ。
なんだコイツら。まさか全員、叔父さんとグルなのか?
いや。この騒ぎを聞きつけた男が一人だけいた。
船の奥から出て来た、みすぼらしい姿をした中年男性。ヤラの父親である。
『ヤラ! お前、ヤラじゃないか! カタリナもいるのか!』
ヤラの父親は叫びながらこちらに走って来た。
オリパ叔父さんは面倒くさそうに舌打ちをすると、ヤラの父親の前に飛び出した。
そのまま勢い良く足を蹴り上げる。
『ヤラ! 今までどこに――ぐほっ!』
『おい義兄貴。俺は出航するまで船室にいろって言っといただろうが。なんで命令を守れない』
ヤラの父親はカウンターでまともに前蹴りを食らって甲板に転がった。
彼は悶えながら、『す、済まなかった。約束を破るつもりじゃなかったんだ。ただちょっと、外の空気が吸いたくなって』と、懸命に言い訳をした。
『ちっ。親戚だからって下手な情けをかけるもんじゃねえな。他の商品と一緒に檻にぶち込んでおけば良かったぜ』
『檻?』
叔父さんの手から解放されたヤラが、不穏な言葉に反応する。
商品。檻。そしてこの騒ぎを止めようともしない船員達。
そうか! 分かったぞ! そういう事だったのか!
(どうしたハヤテ?! 何か知っているのか?!)
僕の心が伝わったのだろう。ヤラが慌てて尋ねた。
(くそっ! 最悪だ! ヤラ、気を付けて! コイツらは海賊だ! オリパ叔父さんは海賊の一味だったんだ!)
確かティトゥが言っていた。最近、港町ホマレに流れて来た海賊の一味があると。
元々は聖国を拠点にしていたが、昨年の夏、マリエッタ王女率いる海軍によって居場所を失い、西方諸国に逃げ出した中規模海賊組織。
彼らは船は襲わない。その代わり、密輸や禁輸品の取り扱いなど、非合法な経済活動を生業にしている。
(多分、コイツらはサエラス一家とかいう海賊だ! サエラス一家は奴隷を扱っている! この船は奴隷船だったんだ!)
『奴隷船だって?!』
思わず叫んだヤラの声に、こちらを無視していた船員達の手が初めて止まった。
『おい、今、あの女何て言った?』
『一体何を知っている?』
『おい、オリパ。これ以上そいつに騒がれると面倒だ。今すぐ静かにさせろ』
『ああ、分かった』
ヤラは怯えるカタリナを抱きしめると、オリパ叔父さんから後ずさった。
その際に足元の荷物を蹴飛ばしてしまい、中身が甲板にこぼれた。
『ん? 何だコレは』
『あっ! それは!』
こぼれ出たのは紙の束。
カタリナが書いた絵である。
オリパ叔父さんはチラリとそちらを見ると、『何だ、子供の描いた絵か』と紙を蹴散らした。
強い海風にカタリナの絵が飛ばされていく。
ヤラから強い怒りの感情が伝わって来る。
しかし、彼女が怒鳴るより先に、男の声が辺りに響いた。
『止めろ! それは俺のだ!』
オリパ叔父さんの足元に飛び出したのは、ヤラ達の父親だった。
彼はヤラ達の荷物を掴むと、素早く後ずさった。
『こ、これは俺のものだ! 娘の物は俺のものだ! だから俺の物だ!』
『テメエ! 何言ってやがる!』
ヤラは手を伸ばして荷物を掴むが、父親は荷物を抱きかかえたまま離さない。
『返せ、この野郎!』
『い、いやだ! 俺はもう三日も水しか飲んでいないんだ! 子供なら親を助けろ!』
ヤラの父親は荷物に手を突っ込むと、『くそっ! 金だ! 何か金目の物は入ってないのか?!』と乱暴に引っ張り出す。
二人の服や下着類、日用品の小物が床にぶちまけられる。
『テメエ・・・』
羞恥と怒りにヤラの頭にカッと血が上った。
彼女は荷物の中から転がり落ちたナイフを握ると、鞘から抜き放った。
『いい加減にしやがれ! このクズ野郎!』
『ひっ! ひいいっ!』
ナイフと言っても、刃渡り十センチ程。果物の皮を剥いたり、紐を切ったりと、日常の用途に使う物だ。
しかし、娘の目に本気の怒りを見たのだろう。父親は慌てて荷物を放り出した。
一瞬、僕はヤラが本気で父親を刺すつもりなのかと緊張した。
しかし、いくら怒っていても、流石に家族にそこまでの憎しみは持てなかったようだ。
ヤラは舌打ちをすると、空いた手で荷物袋を引き寄せた。
『おっと、ナイフを放しな』
『なっ! くそっ!』
横から男の手が伸びて来ると、ナイフを持ったヤラの手を掴んだ。
いつの間にかオリパ叔父さんが彼女の横に立っていたのだ。
『ぐっ! 痛ててっ! は、放せ!』
ヤラは必死に抵抗するが、そこは大人と子供。
オリパ叔父さんに腕をねじり上げられると、彼女はナイフを取り落とした。
『その荷物もこっちで預かっておこうか。他にも危険な物が入っているかもしれないしな』
オリパ叔父さんはヤラの腕を捻ったまま、荷物のそばから離した。
するとその隙を突いて、再びヤラの父親が荷物に飛びついた。
『義兄貴! いい加減にしないとタダじゃ――』
『ヤラ! お前、子供のくせに親に歯向かいやがって!』
ヤラの父親はヤラ達の荷物に飛びついたのではなかった。
彼は甲板に落ちたナイフを拾うと、怒りに任せて娘に――ヤラに突き刺した。
『お姉ちゃん!』
カタリナが悲鳴を上げる。
『バカ野郎!』
いくらなんでも、実の子供を刺すとは思わなかったのだろう。
オリパ叔父さんはヤラの手を放すと、ヤラの父親を殴りつけた。
『テメエ、勝手に何してやがる! コイツはもうウチの商品なんだぞ!』
(ヤラ! ヤラ! 大丈夫?! しっかりして!)
『ハ、ハヤテ・・・ア、アタシは・・・う、嘘だろ?』
ナイフはヤラのお腹に突き刺さっていた。
彼女から激しい焦りと混乱、そして不安と絶望感が押し寄せて来る。
しみ出した血で彼女の服が赤黒く染まる。
痛みという感覚をほとんど持たない今の僕にすら、彼女の感じている痛みが伝わって来るようだ。
この予想外の事態に、周囲で成り行きを見守っていた海賊達も、流石に騒然としている。
ヤラは力無くフラフラと後ずさるとロープに背中を預けた。
甲板の上には手すりは作られていない。一定間隔でポールが立てられ、そこに手すり代わりのロープが渡されているのだ。
ボクシングのリングを想像して貰えば分かるかもしれない。
(ヤラ! ヤラ! しっかり!)
励ます事しか出来ない無力な自分がもどかしい。
こういう場合、刃物は抜いた方がいいんだっけ? 抜かない方がいいんだっけ?
ダメだ。焦ってばかりで考えが纏まらない。
そんな中、ヤラの体はグニャリと崩れると――
そのままロープの下の隙間から船の外に滑り落ちた。
『キャアアアアアア! お姉ちゃああああん!』
最後に見えたのは一面の青空。
そして最後に聞こえたのはカタリナの悲鳴。
落下していく体。
パシッと目の前でフラッシュが焚かれたような感覚の直後、僕の視界は見慣れたテントの中に切り替わっていた。
そう。僕の意識はヤラの体を離れ、元の四式戦闘機の機体に戻っていたのだ。
次回「奴隷船」