その19 聖国海軍騎士団
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「失礼いたします」
ここはナカジマ家の屋敷。オットー達の執務室に入って来たのは、年若いメイドの女性。
その声にティトゥが手元の書類から顔を上げた。
「モニカさん、何だか随分と久しぶりですわね」
「ええ。最近、少々立て込んでおりましたので」
ティトゥの言葉に一部の隙も無い慇懃な礼を返すこの女性こそ、聖国からやって来た押しかけメイド、モニカ・カシーヤスである。
ナカジマ家代官のオットーが彼女の背後に視線を送った。
「それでモニカさん、後ろの方は?」
「お初にお目にかかります。私は聖国海軍騎士団・ハイドラド隊副隊長サライ・バースと申します」
モニカに続いて執務室に入って来たのは、実直な印象を受ける三十代前半の明るいブラウンの髪の騎士だった。
引き締まった体に、頬に走った一筋の傷跡。いかにも実戦経験豊富な騎士、といった出で立ちである。
「海軍騎士団ですか」
オットーが「ほう」と感心した。
この国では上士位貴族のネライ家と、ボハーチェクというこの国有数の港を持つオルドラーチェク家くらいしか、まともな海軍を保有していない。
それも日本で例えれば、海上自衛隊と言うよりも海上保安庁の方に近い。
この大陸で強力な海軍を持っていると言えるのは、四方を海で囲まれた島国のランピーニ聖国。
次点で大陸随一の強国であり、東の魔大陸から渡って来る新生物、ネドマ防衛の防人でもあるチェルヌィフ王朝。
そして先に述べた二国からはかなり劣るが、ミュッリュニエミ帝国。この三国ぐらいではないだろうか?
海軍力だけで言えば、ランピーニ聖国は大陸屈指の強国。その海軍騎士団ともなれば、聖国でもエリート達が就く職業なのである。
「ナカジマ様とドラゴン殿には、昨年、随分とお世話になりました」
バース副隊長の言葉に、オットーはティトゥの方へと振り返った。
ティトゥは勿論、彼の事など覚えていなかった。
「さようでございますか」
ハヤテのような返事で誤魔化すティトゥ。
呆れるオットーに、バース副隊長は苦笑した。
「いや、覚えていらっしゃらなくても当然です。マリエッタ王女殿下が指揮を執られた海賊退治。あの時、殿下に従ったのが我々ハイドラド隊だったのですよ」
ティトゥは「ああ、あの時の」と、得心がいった様子で頷いた。
当然、思い出してなどいない。空気を読んだだけである。
彼女と付き合いの長いオットーとモニカは騙されなかったが、バース副隊長は真に受けて「思い出してくれましたか」と嬉しそうにほほ笑んだ。
「あ、あの、それで聖国の海軍騎士団の方が一体どうしてこの国に?」
オットーは、これ以上話して主人がボロを出す前にすかさず口を挟んだ。
モニカも小さく頷くとオットーの話に乗った。
「以前にそちらから頼まれていた件ですが、本国にその話をした所、アレリャーノ夫人が彼をよこしたのです」
「アレリャーノ夫人――聖国の宰相夫人が、ですか?」
宰相夫人カサンドラ・アレリャーノは、燃えるような赤髪が印象的な聖国の元第一王女である。
昔から才女との誉れ高い美女だが、大の可愛いもの好きで、末の妹のマリエッタ王女を溺愛するあまり、彼女がお姉様と慕うティトゥを敵視しているという少々困った人でもある。
「はい。こちらの港町――ホマレでしたか? 大変素晴らしい港町ですね。このホマレで最近、海賊らしき組織の活動が見受けられているとの事ですが」
「それは!」
確かに、しばらく前にそういう報告は上がっていた。丁度、ハヤテの精神がヤラという少女の霊能力で囚われとなった頃だっただろうか?
モニカに尋ねた所、「なる程。こちらでも調べておきます」と言われていたのだ。
どうやら彼女は、直ぐに聖国王城に連絡を取り、この辺りの事情を確認して貰っていたようだ。
「そうだったんですの? お手数をおかけしましたわね」
「いえ、お気になさらず。海賊とあればこちらも無関係ではいられませんから」
聖国から港町ホマレまで、船で約四日。足の速い船ならもっと短い日数で着くだろう。
そんな距離にある大型港に、有力な海賊組織が根を張ってしまえば聖国の受ける被害もバカにならない。
海の上には国境線はないのだ。
オットーは少し考え込むと、バース副隊長に確認した。
「・・・それで、副隊長自らが来たという事は、海賊の組織について海軍騎士団は何らかの情報を得ている。もしくはそれらしい組織に心当たりがある。そう考えてよろしいのでしょうか?」
「えっ?!」
ティトゥが驚いて振り返ると、モニカは「流石ですね」と頷いていた。
「バース副隊長。お二人に説明を」
「はっ。残念ながら、何らかの情報を得ているという訳ではありません。ただ、我々が目を光らせていた、とある海賊組織。最近、そこに動きがありました」
昨年の夏、聖国第六王女パロマが海賊に誘拐されるという大事件があった。
たまたま聖国に訪れていたハヤテとティトゥ、二人の竜 騎 士の活躍もあって、王女は無事に救出されたのだった。(第四章 ティトゥの海賊退治編より)
この時、マリエッタ王女の指揮する聖国海軍によって、海賊組織の拠点の多くは潰された。
後に、マリエッタ王女は海賊狩りの王女、もしくは吊るし首の姫と呼ばれるようになり、その名を聞くだけで海賊達は震え上がるようになったのであった。
「あの時、主だった海賊組織の壊滅には成功しましたが、中小の組織の者達は散り散りになって地下に潜伏しました。この一年、大きな動きは無かったのですが・・・」
「この港町ホマレの急成長を見て、動き出した組織が出て来たという事なんですのね?」
ティトゥの問いかけに、バース副隊長は大きく頷いた。
オットーは真剣な面持ちで身を乗り出した。
「聖国海軍騎士団が乗り出して来るとは・・・危険な組織なんでしょうか?」
オットーが顔色を変えたのには理由がある。
ナカジマ家は海軍を保有していない。
加えて、新たに海軍を組織するような余裕もない。騎士団自体が慢性的な人員不足に悩まされている程なのだ。
そもそもナカジマ騎士団の中核を成しているのは、元は王都騎士団だった者達であり、船での戦いは何も知らない。
あるいは海の上だけに限れば、腕自慢の漁師達の方がまだ強いかもしれなかった。
バース副隊長は少し言葉を探しつつ、オットーの問いかけに答えた。
「危険の意味にもよりますが・・・。もし、ここに現れた海賊組織が私が思っているものであれば、荒事に――商船が襲われたり、船を沈められるといった事に――なる可能性はあまりないと思います」
バース副隊長の説明によると、海賊組織は主に二派に分けられるという。
一つは先程言った荒事を得意とする組織。
航行中の商船を襲い、商品を奪い、女を攫い、金持ちは人質として捕らえ、船は沈める。
いわゆる海賊らしい海賊だ。
もう一つはやや毛色が異なり、経済海賊とでも言うべき組織。
こちらは船は襲わない。なぜなら彼らが収入源としているのは密輸だからである。
塩などの専売品や盗品類。あるいは禁輸品。時には金を貰って指名手配されている犯罪者などを、闇夜に紛れてコッソリと港から港へと運ぶのである。
「どちらが危険かは一概には言えませんが、潜在的な脅威を考えれば後者の組織の方が危険だと言えます」
港の使用料を払わない――つまりは脱税しているだけでも、統治者にとっては損失だ。
そして彼らは不正な行為で得た利益を使い、土地の役人を買収する。
役人としても、船が沈み、人が死ぬような海賊行為であれば当然受け入れる事は出来ないが、自分が黙っていればバレない脱税であれば心理的な抵抗は低い。
人によっては、むしろ彼らがいれば他の海賊組織が入って来ない、と、必要悪のように考えるかもしれない。
この辺は暴力団にみかじめ料を払う感覚に近いとも言える。
こうして海賊組織は港町の中に静かに根を張り、最初は裏社会に、やがては表の社会にまで進出し、いずれは町を完全に支配していくのである。
「わが国でも、かつてはレブロンの港町が海賊組織の被害に遭っていました。あまりにも海賊による汚職の根が深過ぎて、我々海軍騎士団ですら手が出せずにいた程です」
「ラダ様の領地のお話ですわね」
聖国の東。レブロンの港町は、かつては大手経済海賊組織の手によって完全に支配されていた。
海軍騎士団が動こうとしても、その度に海賊と繋がっている貴族達から横やりが入り、思うようにはいかなかった。
また、それらを排したとしても、騎士団が到着した時には既に海賊達の姿はどこにも無かった。
事前にこちらの情報が海賊達にリークされていたのである。
そんなレブロンの港町から海賊を一掃したのは、レブロン伯爵夫人、ラダ・レブロンであった。
ミロスラフ国王の落とし胤という異色の出自を持つ彼女は、レブロンを訪問中、海賊に領主が攫われるという事件に遭遇。これを解決した。
助け出されたレブロン伯爵は彼女に求婚。こうしてミロスラフ王国のラディスラヴァ王女は、ラダ・レブロン伯爵夫人となったのである。
それからというもの、彼女は長い年月の間、町を牛耳る海賊と戦い続けた。
その甲斐あって、ようやくレブロンの港町はかつての繁栄を取り戻す事が出来たのであった。
「あのラダ様ですら、大変なご苦労と長い年月をかけて、ようやく町から海賊を追い出す事が出来たのですわ。もしそれがホマレだったら・・・。考えただけでもゾッとしますわ」
流石のティトゥも、「もしそうなってもハヤテがいれば大丈夫」とは思わなかった。
彼女のハヤテに対する信頼は、ともすれば宗教のレベルに達しているのではないかと疑いたくなるものだったが、そもそもハヤテは人を傷付ける行為を嫌っている。
ティトゥとしては、この国に攻め込んで来た敵国の兵士や、人殺しの海賊くらい、やっつけた所で特にどうとも思わないのだが、ハヤテはそんな相手の命を奪う事にすら抵抗があるのである。
ハヤテは優し過ぎる。ティトゥは常々そう思っているのだが、それが強大な力を持つドラゴンだからこその悩みなのだろうとも理解している。
ドラゴンが少し力を振るっただけで、脆い人間はバタバタと容易く死んでしまう。
優しいハヤテの心はそれが耐えられないのだ。
この世界の何者よりも強い力を持ちながら、その力が人を傷付けてしまうのを恐れる。
そんな優しいドラゴンだからこそ、ティトゥはハヤテの事がたまらなく好ましいのである。
「それで、その海賊組織というのは、密輸や禁輸品を取り扱う組織なんですね?」
オットーの言葉に、ティトゥはハッと我に返った。
バース副隊長は、「そうです」と頷いた。
「そうです。サエラス一家は――ああ、サエラス一家というのが、その海賊組織の名前なんですが、彼らは我が国を逃げ出した後、西方諸国のどこかに潜んでいたようです。その後の足取りは掴めていませんでしたが、最近になってデンプションの港町にヤツらの手先の商人が現れました。たまたま特殊な商品を取り扱う商人だったので、我々の捜査網に引っかかったという訳です」
「特殊な商品? その商人は一体何の商品を取り扱っているんですか?」
オットーの問いかけに、バース副隊長は静かに答えた。
「人間です。サエラス一家は奴隷を扱っているんですよ」
次回「裏切り」