その18 父と娘
叔父さんは食事を終えると、そのままヤラと別れた。
今日中に人と会う約束があるそうだ。
彼はヤラに、『妹さんの事も良く考えた上で決めて欲しい』と言い残して去って行った。
(ヤラ、これからどうするの?)
寄せ場の朝は早い。今からでは良い仕事は残っていないかもしれない。
(分からねえ・・・。歩きながら考える)
ヤラは完全にいつもの元気を失っていた。
妹と二人、外国の知らない町でどうにか生活していた。生活出来ていると思っていた。
しかし、叔父さんに指摘された事で――ちゃんとした商会で働いている、結婚もしていれば家も持っている人に指摘された事で――自分達の生活がいかにあやふやで頼りなく、不安定な物であるかを思い知らされてしまったのだ。
(もし、アタシがケガや病気にでもなっちまったら、カタリナはどうなる。それにもしもカタリナが病気になった時、あの子はどうなる? アタシが働いている間、冬の橋の下で震えながらアタシの帰りを待つ事になるんじゃないのか?)
カタリナは体が弱い。というか、最初の頃はヤラも結構痩せていて酷いものだった。
この港町ホマレに来てからは、ちゃんとした食事を食べているおかげか、大分マシになっているが、それでもこれから冬の寒さが厳しくなって来る。
寒さによる体調不良に体力の低下、空気の乾燥によるウイルスの増加によって、病気にかかる危険性も増えて来るだろう。
(ねえ、ヤラ)
僕は前から彼女に言って来た事を、再度彼女に提案してみた。
(だったらティトゥのお屋敷で雇って貰おうよ。僕が口を利くからさ。少しは文字も読めるようになったし、計算だって出来るようになってるから、割と重宝されると思うよ? そりゃあ他にも覚えなければならない事や、ヤラにとって面倒だと思える事も多いだろうけど、住み込みで働けるし、君らにとっても十分にメリットがあると思うよ)
(・・・それは、ダメだ)
ヤラから強い拒絶と恐怖の感情が伝わって来る。
まただ。
この話をするといつも彼女から同じ反応が返って来る。
それほど貴族という存在が怖いのか、あるいは過去に余程イヤな目に遭わされた事があるのか。
いくら僕が、「ティトゥは酷い貴族じゃない」と説明しても、彼女は一向に聞き入れてくれない。
隣国ゾルタでは、一年前の帝国の侵攻で随分と国土が荒らされてしまった。
日頃、高い税を取って威張り散らしていたくせに、自分達を守れなかった貴族達に、怒りと不信感を抱いていても何らおかしくはない。とは思うんだけど・・・
寄せ場に戻ると、案の定、ほとんどの仕事の募集は締め切られていた。
ヤラは残った仕事を物色してはいたものの、心ここにあらずといった感じでどこか上の空だった。
やがて最後の募集が締め切られると、ヤラはポツポツと残った人達と一緒にその場を後にした。
(仕事、見つからなかったね。どうする? 今日はカタリナと一緒にいる?)
(・・・そうだな。そうするか)
ヤラはカタリナから聞いていた橋の下へと向かった。
――が、その足取りは次第に重くなり、やがてピタリと止まってしまった。
(なあハヤテ。アタシはどうすればいいんだろうな? どうするのがアタシ達の――カタリナのためになると思う?)
(叔父さんの話だよね? う~ん、僕は悪い話じゃないと思うけどなあ)
叔父さんは一見チャラそうな見た目とは違い、本気でヤラ達の事を考えてくれているように思えた。
倉庫の仕事で少しはお金に余裕も出来て来たし、このままの生活を続けて行く事も出来るとは思うけど、安定や安全を考えるなら、彼を頼りにするのも十分ありだと思う。
けど、ヤラはどうにも踏ん切りが付かないようだ。
(ねえ、ヤラ)
この機会に、僕は彼女に尋ねてみる事にした。
(お父さんとの間に何があったの? 僕に言えない事なら無理に言わなくてもいいけど)
ヤラは父親を嫌っている。思春期の娘が家族を疎ましく思うなんてレベルじゃなく、本気で嫌悪し、憎んでいる感じだ。
彼女の気持ちがダイレクトに伝わって来る僕には、その事が良く分かっている。
二人が家を出て、外国の港町まで来た理由は、父親との間に何かあったからに違いない。
一体どんな事があれば、実の父親をそれほどまでに嫌えるのだろうか?
(・・・ハヤテには言ってもいいだろうな。なにせ今のお前とアタシは一心同体なんだからな)
ヤラは適当な場所に腰かけると、ボツボツと事情を語り始めた。
ヤラの家は四人家族だった。早くに祖父母を失くし、父親と母親、そしてヤラとカタリナ。
母親は職人だった祖父の一人娘で、父親は妻の両親の仕事場で働いていた職人――つまりは入り婿だった。
働き者でしっかり者の母。妻の尻に敷かれている少し頼りない父。生意気で男勝りな長女。可憐で引っ込み思案な妹。
それがヤラの家族で、数年前まで、彼らは極普通の家族だった。
しかし、病を拗らせて母親が死んでしまってから状況は一変した。
『オヤジが賭博場に入り浸るようになっちまったんだよ』
ヤラは苦々しそうに吐き捨てた。
元々だらしない所のある男だったそうだ。しかし、妻が生きている間は、夫の手綱は彼女がしっかりと握っていた。
妻というブレーキを失った父親は、仕事もそっちのけでドップリとギャンブルの世界にのめり込んでしまった。いわゆるギャンブル依存症というヤツである。
そこからはあっという間だった。
父親は仕事をしなくなり、家の貯えはどんどんギャンブルに溶けていき、その日の食事にさえ事欠く有様。
『あの頃はマジで酷いもんだったよ』
この一年程は、ヤラが知り合いの伝手で日雇いの仕事を始めたため、どうにか生活が出来るようになっていたそうだが、父親は少し目を放すとそのお金さえギャンブルにつぎ込もうとしていたという。
『アタシが金を管理してたからな。絶対にオヤジの自由にはさせなかった。勿論、借金も許さなかった。もし、借金なんてしようもんならアタシらはこの家を出て行く。そうなればアンタとは他人だ。金輪際かかわりを持たねえ。そうキッチリ言っておいたからな』
ヤラは口酸っぱく何度も父親に言い聞かせていたという。
その度に父親は約束してくれていたんだそうだ。
『だからだろうな。アタシはアイツの言葉を信じちまった。アイツに甘い顔を見せちまった。あの男が信用なんてこれっぽっちも出来ないクズだって思い知らされていたはずなのによ』
仕事もせず、家の貯えを失い、娘に養ってもらっている男が何をするか。
賭けるお金が無いから、もうギャンブルを止める? いやいや、依存症というのは、そう簡単に克服出来るようなシロモノではない。
『アイツは借金をしちまった。しかもそれだけじゃねえ。借金を返すためにカタリナも働かせようとしやがったんだ』
父親が見つけて来たカタリナの働き先。それは色街での仕事だった。つまりは売春婦だ。
まだ幼く、体も弱いカタリナは、ヤラのようなガテン系の仕事は出来ない。
というよりも、父親が借金をした相手が売春宿のオーナーだったのだ。
全ては最初から織り込まれていた事。
そう。彼は娘を金で売ったのである。
それを知ったヤラは激怒。父親と大喧嘩となった。
『ふざけんな! テメエ、実の娘を何だと思ってやがる! アタシは何度も言ったよな、借金をしたらアタシとカタリナは家を出る、今後は他人だって! 約束通り出て行くぜ!』
『家を出るだって?! 俺の借金はどうなるんだ?! アイツを店で働かせる約束で借りた金なんだぞ!』
『アタシが知るか! そんなもん、自分でどうにかしやがれ!』
ヤラは宣言通り、妹を連れて家を出ると、知り合いの家を点々とした。
しかし、父親は執拗に二人の後をつけ回して来た。
その熱意を元の仕事や依存症の治療に向ければ良さそうなものだけど、きっとそれが出来ない人なんだろう。
ヤラは最後に残ったお金で舟券を買うと、生まれ育った町を飛び出した。そうして遠い外国の、この港町ホマレまでやって来たのだった。
『そんな訳だからアイツはもう、アタシらの父親でもなければ知り合いでもない。赤の他人だ。だから今更ヤツが何を言って来ようが、二度と家に戻るつもりはねえ。これはカタリナも同じだ』
ヤラはギャンブル依存症の父親に長い間苦しめられていた。
それにも関わらず、彼女は父親に最後のチャンスを与えた。
しかし、彼は娘との約束を破り、借金をしてその金でギャンブルをした。
それどころか、まだ幼いカタリナを売春宿に売り飛ばそうとまでしたのだ。
ヤラが父親に対して強い憤りと侮蔑、それに諦めを感じているのも無理はないだろう。
(ヤラ達が家を出て、このホマレまで来た理由は分かったよ。君がお父さんを嫌っている理由もね。君が怒ったのもすごく最もだと思う。それでどうする? 叔父さんの誘いを受けるの?)
二人の事情は分かった。
けど、父親を嫌っているからといって、あの叔父さんまで嫌う理由にはならない。
嫌いな相手の兄弟だから嫌い。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。とかいうならまだ分かるが、彼は父親の妹の旦那さん。つまりヤラ達の父親とは血のつながりは何もないのだ。
(あ。それとも、お父さんの妹さんの家にお世話になることに抵抗があるとか? お父さんとよく似たタイプだったりした?)
『いや、そんな事はねえ。叔母さんはオヤジと違ってしっかりした人だった。ただ――』
ヤラの父親の妹、彼女にとっては叔母に当たる人は、ギャンブル依存症の父親とは違い、しっかりとした、どちらかと言えばヤラ達の死んだ母親に近い感じの人だったらしい。
依存症どころか、幼い頃からずっと兄を尻に敷いていたそうだ。
どうやらヤラの父親は、自分を引っ張ってくれる女性がそばにいないとダメになるタイプの人らしい。
そうそう、まるで僕とティトゥのような――って違うから。僕はティトゥの尻に敷かれてなんてないから。僕達はパートナーだから。お互いがお互いの個性を尊重し合っている関係だから。
『ただ――昔会った時、どっちかと言えば、叔父さんの方がオヤジに近い印象だったんだよな』
おっと、ヤラの話が続いていた。
けどあの叔父さんが? 僕には誠実そうな人に思えたけどね。
まあ確かに、外見はチャラそうだったけど。
『まあ、昔の話だし。あの頃はアタシもまだガキだったからな。叔母さんの印象も母さんに似てると思ったぐらいだし、親戚ってだけで無意識にオヤジと重ねて見ちまったのかもしれねえ。――さてと』
ヤラは立ち上がるとお尻に付いた砂を払った。
『ハヤテに話を聞いて貰ってるうちに頭ン中が整理出来たぜ。カタリナとも相談するが、あの子がいいって言うならアタシは叔父さんの世話になろうと思う』
(それでいいの?)
『ああ。これから冬になるってのに、いつまでもあの子を外で待たせる訳にはいかねえからな。突然誘われたからつい混乱しちまったが、落ち着いて考えてみりゃあ、何も断る理由はねえよな』
それならティトゥの屋敷で仕事をしても――って、折角気持ちを切り替えてスッキリしているのに、ここで困らせる事はないよね。
(そうなんだ。叔父さんの家って西方諸国にあるんだよね。随分と遠くまで行く事になるね)
『確かにそうだな。カルパレスからミロスラフ王国。そして次は西方諸国か。少し前までだったら、自分がこんな旅をする事になるなんて想像すらしなかっただろうな』
ヤラが西方諸国に行ってしまったら、今の僕の状態はどうなってしまうんだろうか?
距離も関係なくこのまま続く?
それとも、ある程度離れた所で元の四式戦闘機の機体に戻る?
(この世界には魔法が存在している。つまりは、魔法も自然現象の一部――物理に縛られるという事だ。だったら、今の状態が魔法によるものである以上、一定以上の距離が開くと多分、無効化される可能性が高いんじゃないかな)
『何をブツブツ言ってるんだ?』
ヤラから怪訝な感情が伝わって来る。
まあいいか。やってみなけりゃ分からない。けど多分、悪い様にはならないだろう。何となくそんな予感がする。
(何でもない。それよりも早くカタリナの所に戻ってあげよう)
『そうだな』
ヤラは本当に心を決めたようだ。それからは足取りも軽く、妹の待つ橋の下へと向かったのだった。
次回「聖国海軍騎士団」