その15 緑の竜
何の因果かヤラの嫌がらせか、僕は僕とティトゥをモチーフにした人形劇を観る羽目になったのだった。
ホント、どうしてこうなったし。
という訳で、「炎の戦乙女と緑の竜」の人形劇、始まり始まり。
物語の最初の場面は、お城で開かれている舞踏会。
その日、参加者達の間では、とある噂で持ち切りだった。
『北のペツカ山脈で緑の竜が出たそうだぞ』
『誰もその姿を見た者はいないらしい。だが、毎夜山から響く恐ろしい叫び声に、麓の村ではすっかり家畜が怯えてしまい、子を産まなくなっているという話だ』
『緑の竜は天高く空を飛び、口から火を噴いて湿地帯を焼き払ったそうだぞ』
なる程。迷惑なドラゴンがいるって訳ね。ていうか、誰も姿を見た事がないのに、なんでそのドラゴンが湿地帯を焼き払ったって分かったのだろう。
ひょっとしたら、自然に起きた火事を、ドラゴンのせいだと思い込んでるだけかもよ?
家畜が子供を産まないのも、病気か何かのせいかもしれないよ?
原因を決めつける前に、もっとちゃんと調べた方がいいんじゃない?
別にドラゴンの肩を持つわけじゃないけれど。
その時、ラッパの音が鳴り響いた。
『炎の姫だ!』
『炎の姫がお見えになったぞ!』
ここで炎の姫ことティトゥの登場である。
姫は周囲の視線を集めながら舞台の中央まで進み出ると、舞踏会の会場を睥睨した。
その堂々たる態度。パーティー嫌いの現実のティトゥに見せてやりたいくらいである。
『話は聞きました! 我が国の者達を苦しめる緑の竜! 私が退治してみせましょう!』
いや、どこで聞いてたんだよティトゥ――じゃなかった、炎の姫。
炎の姫の宣言に、来客達は『おおっ! さすがは炎の姫!』と、感銘を受けている。誰も彼女を止めるつもりはないらしい。これでいいのかミロスラフ王国。
(さっきからブツブツうるせえぞ、ハヤテ!)
ヤラから苛立ちの感情が伝わって来る。
一応、言っておくと、僕はさっきから一言も喋っていない。
ただ、このどう見てもツッコミ待ちとしか思えないシナリオに対して、モヤモヤとした感情を抱いただけである。
その強い感情がヤラに伝わり、彼女をイラつかせてしまったようだ。
ヤラの妹、カタリナはと言うと、こちらはすっかり劇に夢中になっているようだ。
彼女には僕の声は聞こえないからね。当たり前だ。
(・・・仕方ないだろ。僕の知ってる話と全然違うんだから。文句ならこのシナリオを書いた人に言って欲しいんだけど)
(何言ってんだ、お前? いいから黙って観てろよ)
だから僕は一言も喋ってないって・・・はいはい。
映画館で隣に座った客がブツブツ言っていたら不愉快な気持ちになるのは僕にも分かる。
ヤラはちゃんと入場料(?)を払って、この人形劇を観ているのだ。
いくら僕にとってB級映画並みのシナリオとはいえ、こうして楽しんでいる人の邪魔をするのはマナー違反というものだろう。
僕は可能な限り心を無にすると、この何とも言えない時間が過ぎ去ってくれる事だけを願うのだった。
ああ。ようやく場面が変わったか。
ここはペツカ山脈の山頂。ドラゴンの住む洞窟である。
ゴロゴロと骸骨が転がる不気味な洞窟の中を、炎の姫ことティトゥは、騎士風の髭の従者を連れて進んでいく。
髭の騎士団員か。さしずめ髭の騎士団長、アダム・イタガキ特務官といった所かな。
あの人は王城のティトゥ当番であって、ナカジマ騎士団じゃないんだけど。
『勝手に俺様のねぐらに入って来たヤツは誰だ!』
『ひっ、ひひひ姫様! みみみみ緑の竜ですぞ! うひゃあああっ、お助けーっ!』
大袈裟な動きで腰を抜かすアダム特務官。客席からドッと笑い声が上がる。
アダム特務官・・・
僕は少しだけ彼に同情した。
いや、僕が勝手にアダム特務官に重ねているだけで、これはあくまでもフィクション。髭の従者も別に彼がモチーフって訳じゃないんだけど。
ここで緑の竜こと、ドラゴンの登場。
ようやく姿を現した緑色の大きな怪物に、客席から歓声が上がった。
ヤラとカタリナも大喜びだ。いや、君らはさっき広場の外から彼の姿を見てたよね?
『お前がみんなを困らせている悪い竜ね!』
『何っ?! 女か! ・・・むうっ。しかも俺好みの美しい女だ』
美女を前に、フシュー、フシューと鼻息を荒くするドラゴン氏。
いや、何だよコレ。ドラゴンがエッチなオッサンみたいにされているんだけど。
ひょっとして、僕って周囲からこんな風に見られている訳?
そしてみんなが喜んでいる中、ヤラだけが軽く引いていた。これってアレか? 僕がヤラの事もそんな風に見ているんじゃないか、って思ったとか。
いやいや、何それ。酷い流れ弾なんだけど。
(ええと、ヤラ。これは作り話だからね。あのドラゴンは創作上のキャラクターだから)
(・・・分かってるっての)
いや、絶対に分かってないよね。僕には伝わってるから。君が僕に対して警戒心を抱いている事くらい丸分かりだから。
炎の姫は剣を抜くとドラゴンに切りかかった。
しかし、ドラゴンは『痛っ!』『あ痛たた!』と悲鳴を上げるばかりで、全く反撃しない。
例え攻撃されても女性には手をあげないのか。紳士だな、ドラゴン氏。
しかし子供達は「大きくて恐ろしいドラゴンを相手に、炎の姫ってスゴイ! カッコイイ!」と思っているのだろう。実際、カタリナも嬉しそうに見入っているし。
結局、ドラゴンは負けを認めて、姫の軍門に下ったのだった。
お城に戻った炎の姫(今更だけど、この子ってティトゥのくせにお城に住んでる訳?)。
しかし、城の中はシンと鎮まり返っていて誰もいない。
彼女はたった一人だけ残っていた王様から、敵国の軍がこの国に迫っていると聞かされる。
ガタガタと震える王様。そして大袈裟に腰を抜かす髭の従者。
『ひっ、ひひひ姫様! ててて敵国の軍勢ですぞ! お、お助けえええーっ!』
客席からドッと笑いが上がる。
アダム特務官・・・
いや、違う人だった。
姫はスラリと剣を抜き放つと、高々と頭上に掲げた。
『敵の軍勢何するものぞ! 私が撃退してみせましょう!』
何だろう。段々、この子がティトゥに見えて来たよ。
という訳で、いよいよと言うか、ようやくと言うか、やって来ましたクライマックス。
最後の舞台は戦場である。
炎の姫は馬に乗って登場すると、次々と現れる敵兵をバッタバッタと切り倒していく。
その姿はさながら一騎当千の英雄のようであり、さながらベルトコンベアーで流れて来る品を手際よく捌いていくベテラン工員のようでもあった。
切られた兵士が後ろに運ばれ、舞台袖から再登場してはまた切られ、を繰り返している所も、そんな流れ作業感を強く感じさせる点なのかもしれない。
『姫様! キリがありませんぞ!』
髭の従者が最もな事を言う。繰り返しだからね。
ある意味メタな発言なのだが、ここって笑う所なんだろうか?
最初は元気一杯に戦っていた姫だったが、次第に剣を振る姿に力が無くなり、やがては数の力に押し込まれていく。
遂には敵兵が姫を取り囲み、絶体絶命。彼らの槍が一斉に突き出されると、姫の体が貫かれた――と思いきや、やられたのは姫が乗っていた馬だった。
倒れた馬からスックと立ち上がる炎の姫。
いや、何本かは姫にも刺さってたんじゃ? というツッコミは野暮だろう。
しかし、状況は何も変わらない。いや、むしろ悪化している。馬という機動力を失い、疲労困憊の炎の姫。
たった一人の味方は何の役にも立たない髭の従者だけ。
ていうか、姫はなんでコイツを連れ歩いてるんだろう?
『もはやこれまで・・・くっ、殺せ』
おおっ! ここでよもやの「くっころ」が出るとは!
よく聞くセリフも、ティトゥ似の姫の口から出ると、なんだか趣があるね。
炎の姫、危機一髪。
しかし、天は彼女を見放してはいなかった。
『な、なんだアレは!』
『竜だ! 竜がやって来たぞ!』
『ひいいいいっ!』
そこにやって来たのは緑色の大きな姿。姫の舎弟になったばかりの緑の竜ことドラゴン氏であった。
『やった! ドラゴンだ!』
『ドラゴンだ! ドラゴンだ!』
観客の子供達は大喜びである。
カタリナも興奮に頬を染めてはしゃいでいる。
ドラゴンが大きく翼を振る度に、敵兵は一人ずつ吹き飛ばされていく。
姫にはやられたい放題だったくせに、男相手には、なかなか容赦のないドラゴン氏である。
『姫、俺様の背に乗るがいい! お前の敵は俺様の敵! ヤツらに目にものみせてやるぞ!』
『おおっ! さすがは緑の竜殿! なんとも頼もしい言葉ですな!』
『お前は乗るな!』
真っ先にその背に乗った髭の従者が、ドラゴンに振り払われ、『あ~れ~』と転がり落ちた。
客席がドッと沸く。アダム特務官、滑り知らずだな。
『さあ! やりなさい!』
炎の姫はドラゴンの背にまたがると、「焼き払え!」のク〇ャナ殿下のごとく右手を大きく突き出した。
『グオオオオオッ!』
ドラゴンが一声吼えると、舞台の上が火の背景に代わる。
敵兵達は『ひいいいっ!』『助けてくれ~!』と悲鳴を上げながら逃げて行く。
ドラゴンの圧倒的な強さに、客席では子供ばかりか大人達も大喜びだ。
(・・・・・・)
(ん? どうしたんだハヤテ。急に静かになったじゃねえか)
(・・・別に)
ウソだ。
この時、僕は不覚にもジンと来たのだ。
勿論、お芝居の内容に感動した訳じゃない。
こんなのはウソばかり。全然僕とティトゥの話じゃない。
けど、お客さんが・・・港町ホマレの人達が、ドラゴンの事を――僕の事を当たり前のように味方だと思っている。頼もしいと思っている。その事実を知って感動したのである。
みんなドラゴンの事を、恐ろしい怪物とは思っていない。得体のしれない巨大な化け物だとも思っていない。
ここにいるみんなは、本当の僕を知らない。僕の姿を見た事が無いという人だっていっぱいいるだろう。
基本的には話を聞いた事があるだけ。それもせいぜい噂話程度の物だろう。
そんな人達が、僕を――ドラゴンを、疑う事無く、自分達の味方だと思っている。自分達の姫を守る守護者だと思っている。
そんな彼らの正直な反応を目の当たりにした時、僕は「みんなに受け入れられている」と感じ、「今まで僕がして来た事は間違いじゃなかったんだ」と感じて、喜びが溢れ出してたまらなくなったのである。
(ハヤテ・・・)
僕の気持ちはダイレクトにヤラと繋がっている。
当然、彼女は僕の心の震えを感じているはずである。
ヤラは僕に何と言葉をかければ良いか分からず、黙り込んでしまった。
激しい感情の奔流に振り回されているうちに、気が付くと人形劇は終わっていた。
良くは覚えていないが、最後の方はすごく盛り上がっていたように思う。
「王都で大人気」のうたい文句も、あながちウソではなかったのかもしれない。
カタリナは満足しきった顔で姉に振り返った。
『面白かったね! お姉ちゃん!』
『あ、ああ。そうだな』
ヤラは慌てて笑顔を取り繕った。
(なあ、ハヤテ。やっぱりお前は・・・いや、何でもねえ)
ヤラは小さくかぶりを振ると、妹の手を取って立ち上がったのだった。
次回「ヤラの勉強」