その13 ヤラの霊能力
今日もいつもの仕事帰り。
夕日に赤く染まるホマレの町を、ヤラは妹との待ち合わせ場所へと向かっていた。
(あのさ、ヤラ。前から気になってたんだけど)
『ん? 何だよハヤテ』
ヤラはぼんやり考え事でもしながら歩いていたのだろう。僕の呼びかけに思わず口に出して返事をした。
その声に反応して、たまたま近くを歩いていた通行人がヤラに振り返った。
(おっと、いけねえ。で、何だよ急に)
(いやね。前から思ってたんだけど、ヤラって今日みたいにたまに道順を変えるよね? それって何か理由でもある訳?)
そう。ヤラは時々、仕事場の行き帰りの道を変える事があるのだ。
最初は「単なる気分転換か、あるいは町の探索、ないしは観光気分なのかな?」などと思っていたが、その割には今日のように周囲の景色に注意を払っている様子もない。
だったら一体、何のために道を変えているのか気になるよね。
(ああ、その事か。前にアタシは霊感体質だって説明したよな)
ヤラは霊能力を持っている。
とはいえ、幽霊が見える、などといったオカルト的なものではないらしい。
どちらかと言えば第六感と言うか、虫の知らせ的なモノを感じ取る類の能力のようだ。
過去にも、いつもの道にイヤな予感を感じて違う道を通ったら、後でその道で事件が起きていたという事を知った、とか、妙な焦りを感じて外出先から急いで戻ったら、かまどの火の不始末で、あわや火事になる所だった、などといった経験をしているそうだ。
(ふうん。つまり、ヤラが道順を変えた時には、その予感を感じてると)
(・・・ハヤテ。テメエ信じてねえな?)
(いや、信じていない訳じゃないよ? ただ、君が言うような霊能力じゃないんじゃないかな? と思っているだけで)
ヤラに不思議な力があるのは間違いない。なにせ実際、こうして僕の意識は彼女の中に囚われているのだ。
ただし、僕はこの現象を彼女の言う”霊感”によるものではなく、”魔法”によるものではないかと考えているのである。
実はこちらの世界には魔法という力が存在している。
まだ誰も知らない、存在すら確認されていない未知の力だが、それは間違いなくこの世界に存在している。
この辺の話は以前、長々と語った事があるので割愛するが(※第十一章 王朝内乱編を参照)、この世界の大気中には魔法伝達物質マナが存在しているという事、そしてチェルヌィフの小叡智の姉弟や、ティトゥが僕の喋る日本語を理解出来るのは、このマナを介した翻訳の魔法によるものである、という事だけは分かっておいて欲しい。
おそらくヤラは、他の人達よりも、脳内に存在する魔法を司る器官が発達しているのだろう。
彼女が霊能力と思っているものの正体は、何らかの魔法現象で、僕の意識が彼女の脳内に囚われているのも、彼女が無意識のうちに発動した魔法――いわば魔法のお漏らしによるものではないか、と、僕は睨んでいるのだ。
(魔法ねえ・・・)
(ちょ、何だよそれ。感じ悪いな。霊能力は良くて魔法だったらダメな訳?)
ヤラから、胡散臭い話を聞かされた時のような、怪しむ気持ちが伝わって来る。
(でもまあ分かったよ。ヤラが道を変えた時は虫の知らせを感じた時なんだね。うん、了解)
(――おい、ちょっと待て。ハヤテ、てめえやっぱりアタシの言葉を信じてないだろ?)
どうやら僕の、胡散臭い話を聞かされた時のような、怪しむ気持ちが彼女に伝わってしまったようである。
今更だけど、互いの気持ちがダイレクトに伝わるのは、こういう時に不便で仕方が無い。
言葉では誤魔化せても、心に浮かんだ気持ちには――自分の心には――ウソは付けないのだ。
ヤラは『よし、だったら分かった』と足を止めると、元来た道を引き返し始めた。
(どうするつもり?)
(アタシの霊感を証明してやる)
彼女は寄せ場の近くまで戻ると、いつもの道を歩き始めた。
(ちょっと待って。こっちって、何か良くない事が起きるって感じた道なんだよね? 危なくない?)
(うるせえ! テメエも男だったら覚悟を決めな!)
ヤラは周囲を警戒しながら通りを歩いて行く。
マジか。
いつもと変わらない夕方の喧噪が、平和な町が、いつこちらに牙を剥くか分からない、トラップだらけの危険なエリアのように感じられる。
何が起きる? 何が出て来る?
ヤラの霊能力は、危険の有無は感じ取る事が出来ても、それが何なのかまでは分からない。
当たってみるまで分からない罰ゲームのようなものだ。
まさかこの港町ホマレで、命にかかわるような事故や事件なんて、早々起きはしないと思うけど・・・
(ね、ねえ。やっぱり止めない? そこの角から別の道に入ろうよ。危ない事があると分かっている通りをわざわざ行く必要はないって)
(ふん。アタシの霊能力を信じてないんじゃなかったのかよ?)
いや、ヤラが特殊な力を持ってる事は疑ってないんだって。ただ、その力は魔法じゃないかと思っているだけで。
(信じているよ)
(いいや、信じてないね)
くそっ。憎い。自分の気持ちが相手に筒抜けという、このクソ仕様が憎い。
こうして神経をすり減らす緊張の時間は続いた。
見慣れた通りが、まるで恐ろしい地雷原か何かのように感じる。
いつ、どこで何が起きるか分からない、長い長い時間。
しかし、何にでも始まりがあれば終わりはある。
(何事もなく着いちゃったね)
(・・・ああ)
姉の姿を見つけたカタリナが、嬉しそうに走って来た。
『お姉ちゃん、お疲れ様。どうしたの? 顔色が良くないよ?』
『いや、何でもない』
いや、本当に何でもなかったよ。
一体何が起きるかと、緊張しながらここまで歩いて来た僕達だったが、町は平和そのもの。
結局、何一つおかしなことは起こらなかったのである。
(・・・・・・)
(・・・何が言いたいんだ? ハヤテ)
いや、何も。
『・・・よし、分かった。だったら証明してやる』
『お姉ちゃん?』
ああ、もう。僕のバカ。気持ちが筒抜けだって分かってるのに。
あれだけ大袈裟に言っといて何もなかったじゃん、とか、言うだけ番長、とか思っちゃうから。
でもね、心にウソはつけないんだよ。気持ちって自分の意思ではコントロール出来ないんだよ。
ヤラは怪訝な表情を浮かべる妹をそっちのけで、決意も新たに盛り上がるのであった。
(ねえ、早く行こうよ。仕事に遅れちゃうよ)
(うるせえ! ええと、こっちだ!)
翌日からヤラの証明作業は始まった。
彼女は仕事の行き帰りに意識を集中させると、直感で一番危ないと感じた道を通るようになった。
『よっ! 嬢ちゃん、待ってたぞ! 今日は遅かったな! さあ荷車に乗った、乗った!』
『・・・ああ』
ヤラは仏頂面でいつもの荷車に乗り込んだ。
本当にヤラが来るのを待っていたのだろう。彼女が乗り込むと直ぐに荷車は動き出した。
(今朝も何も無かったね)
(・・・・・・うるせえ)
あれから三日。毎回こうして彼女が危険と感じた道を通っているものの、危険どころか、道の段差につまづいて転んだ事すらない有様である。
港町ホマレの治安、恐るべし。
ティトゥの契約者としては、喜んでいいいのか、ヤラに対して申し訳なく思えばいいのか。
こうしてこの日も仕事が終わって夕方。
ヤラは今度こそはと、精神集中を始めた。
(ねえ、もう諦めようよ。何も無いのが一番。自分からわざわざ危ない目に遭いに行く必要はないって)
(いいや。こうなりゃ意地だ。何かあるまで絶対に止めねえぞ)
ヤラはパッと顔を上げると『こっちだ!』と歩き出した。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか。いやまあ、単に引き時を失っているだけなんだろうけど。
全く、変に意地っ張りなんだから。
ヤラが通りの角を曲がったその瞬間だった。
『あっと!』
ドシン。ヤラは大きな駕籠を持った太ったオバサンと正面衝突した。
オバサンは川へ洗濯をしに向かっていた所だったのだろう。
大量の洗い物が尻餅をついたヤラの頭からぶちまけられた。
『ああっ! 本当にゴメンね! こんなに汚れちゃって!』
落ち着いてよく見れば、どこかで見覚えのある人だ。確か通りの肉屋のオバサンだっけ?
オバサンの洗い物は、旦那さんが仕事で使ったものだったのだろう。どれも血でベットリと赤黒く汚れていた。
そんな汚れ物を頭から被ったヤラは、全身酷い有様になっている。
僕は匂いを感じない体なので分からないが、匂いもスゴイ事になっていそうだ。
『その服も洗わないと。良ければウチに寄って頂戴。替えの服を用意するわ』
オバサンは慌てて散らばった汚れ物をかき集めた。
しかし、ヤラはオバサンに返事もせずに、ジッと座り込んだままだった。
(・・・おい、見ているかハヤテ)
(あ、うん。随分と酷い事になってるね。大丈夫?)
(だろ? 酷い事になってるよな? なっ? なっ? アタシの言った通りだったろ?)
(えっ? 今、それを言うの? ああ、うん。そ、そうだね)
『ちょっと、アンタ大丈夫? 何ブツブツ言ってるの?』
肉屋のオバサンは心配そうにヤラに声をかけたが、ヤラの嬉しそうな顔にドン引きした。
『あの、本当に大丈夫? ウチはすぐそこだから――って、ちょっとどこ行くの?! お待ちなさい!』
(ヤラ? ちょっとヤラ? オバサンが呼んでるよ。止まったら? ねえ、止まってよヤラ)
『ふふっ・・・ふふふっ。ふふふふふ』
ヤラは笑いを堪えながらスックと立ち上がると、その場を走り去った。
どうやらすっかり変な方向にテンションが上がってしまったらしく、ヤラは周囲の驚きの目も気にならない様子で、通りを走り抜けた。
そしてそのままの、いつもの妹との待ち合わせ場所へと到着した。
『お姉ちゃん――って、キャアアア!』
カタリナは血で汚れた姉の姿に悲鳴を上げたのだった。
姉から事情を聞いたカタリナは、呆れると共に怒り始めた。
『そんな恰好で帰って来るなんて! お姉ちゃんに何かあったのかと心配しちゃったじゃない!』
うん。ごもっとも。
姉が血で汚れた姿で帰って来たら、普通、心配するよね。
それはそうと、本気で怒ったカタリナを見たのは始めてだった。
こんな風に大きな声も出せるんだね。
そしてすっかり興奮の冷めたヤラは、妹の剣幕を前に何も言い返せなかった。
彼女は替えの服に着替えると、まだ説教を続けている妹と一緒に川へ洗濯に向かったのだった。
こうしてヤラに無事(?)不幸が訪れた事で、彼女の霊能力は証明されたのであった。
次回「炎の戦乙女」




