その10 眠れる森の美女
カタリナは紙を買ってもらったのが余程嬉しかったのだろう。
翌日、仕事を終えて戻って来たヤラに、彼女は早速、昼間描いた絵を披露した。
『なんだもう描き上げたのか?』
『うん。眠れる森の美女』
なんと! この世界にも眠れる森の美女の童話があったのか!
――って、いやまあ、僕が教えたんだけどね。
夜、カタリナが寝るまで、二人はいつも話をしている。
ある時、カタリナがヤラに『何かお話をして』と、お願いをしたのだ。
『て言われてもなあ。まさか仕事場で男共がしているような話をする訳にもいかねえし』
ああ、アレね。酒のつまみと思って口に入れたら、子供が外で拾って来た蛇の抜け殻だったとか、畑の水路に水を流したら、たまたま父親が水路の掃除中にぎっくり腰をやって動けなくなっていたらしくて、危うく溺れ死ぬ所だったとか、そういうアレ。
さすがのヤラも、幼い女の子にするような話じゃないと分かるだけの分別はあったようだ。
(言ってくれるじゃねえか、ハヤテ。だったらお前はカタリナが喜びそうな話が出来るのかよ)
(うん? 僕?)
幼い女の子の喜びそうな話ねえ。
ふむ。僕の知ってる幼い女の子と言えば、お隣りの国、オルサーク男爵家のアネタだ。
彼女は兄のトマスとコノ村にいた頃は、良く僕のテントに来ては、子供向けの物語を読んでくれていた。
まあ、ファル子達が生まれてからは、二人と遊んでばかりでそんな事もすっかりなくなってしまったんだけどね。
いや、別に寂しいとかじゃないよ。ファル子達も遊んで貰えて喜んでるし。
そんな訳で、実は僕はこの世界のお話もいくつかは知っているのだ。
(そういえば、ヤラ達もアネタと同じ隣国ゾルタの生まれだったっけ。ひょっとして知ってる話と被っちゃうかもしれないかも。――う~ん。だったら僕の世界の童話なんてどう? これなら絶対にカタリナも知らないと思うけど?)
(何でもいいから早くしてくれ。カタリナが待ってるんだ)
(了解。じゃあアレにするか。始めるから僕の後に続いて。昔々のお話。ある国で――)
『ええと、昔々のお話。ある国で子供のない王様に可愛い女の子が生まれました。王様は念願の跡継ぎの誕生に大そう喜び、国中の妖精たちをお城に招いて、お姫様のための誕生パーティーを開きました』
『何で妖精なの? 人じゃないの?』
『えっ? 何でって、それは――ゴホン。妖精から祝福を貰うためだってさ。ええと、集まった妖精たちは、それぞれお姫様に贈り物を授けました。バラの美しさ。ウグイスの歌声。希望の光。お姫様はこの世で望める限りの全ての物を授かり、その身に備わらない物は何一つなかったということです。つまりはちーとという訳だねって、ん? ちーと?(おい、ハヤテ! 訳の分からない妙な言葉を使うな!)』
(ゴメン、ゴメン。つい。でも、チートだと思わない?)
などとまあ、そんな事があった訳だ。
で、その時話したお話が「眠れる森の美女」だったのである。
地球で長年に渡って世界中の子供達に愛され続けて来たお話は、こっちの世界の子供の心にも響いたらしい。
カタリナはすっかりこのお話が気に入って、繰り返し何度もヤラにせがむようになっていた。
今ではヤラよりもストーリーを覚えているくらいである。
ヤラは覚えてないかって? 彼女は僕の言葉を繰り返しているだけだからね。
(この絵は主役のオーロラ姫を助けてくれる妖精達かな。うん。上手く描けてると思うよ)
『オーロラ姫を助けてくれる妖精達だな。上手く描けてるぞ』
『ありがとう』
僕の言葉の丸パクりかよ。
いやまあ、ヤラは妹が描いた猫の絵をネズミの絵と間違った事もあるくらいだし。自信が無いのも分かるけど。
カタリナが喜んでるから別にいいけど。
けど、本当に良く描けているな。決して上手い絵って訳じゃないけど、味があるというか、個性的というか。
そうそう。絵本の挿絵みたいな絵、って感じかな。
(ふ~む、絵本か。ねえ、ヤラ。ちょっといいかな?)
(ん? なんだよ、薄気味悪ィな。ハヤテがそういう声を出す時は、大抵ロクな事がねえんだよなぁ)
ヤラのイヤそうな感情が伝わって来る。
人聞きが悪いな。何だよロクな事がないって。
(試しにちょっとだけ、ちょっとだけだから、君の体を僕に使わせてくれないかな?)
(はあっ?! テメエ何言ってんだよ!)
改めて言うまでもない事だが、現在、僕の意識はヤラの中で、彼女の意識と同化している。
ヤラが眠ると元の四式戦闘機ボディーに戻るのも、ヤラの意識が失われると同時に、僕の意識が主導権を取り戻せるからだろう。
僕が四式戦闘機の機体に戻っている間も、ヤラの意識は眠っているだけで、昼間と同じく同化しているものだと思われる。
それで、僕が何を言いたいかと言うと、僕とヤラの意識は一体化している――つまりは、僕がヤラの体を動かそうとすれば、動かせるのではないか、という事だ。
勿論、さっきも言ったが、今の状態の主導権はヤラの方にある。
これはこうなった最初のきっかけ――僕の意識がヤラの霊能力に引っ張られて同化した事――と無関係ではないだろう。
引っ張った方と引っ張られた方。
どっちが主でどっちが従であるかは考えるまでもない。
(ヤラさえ協力してくれれば、僕の意志で君の体を動かす事だって出来ると思うんだよね。実際、前に僕が本気でイヤがった時、体が動かなくなったって言ってたよね)
(ああ、あの時か。危なく転落するところだったな)
いつもの建築現場に初めて入った時の事。
ヤラは高い所を怖がる僕を面白がって、ふざけて建物の縁ギリギリの所を歩いてみたり、時々わざと下を覗き込んだりした。
僕が恐怖のあまり、ぷちパニックになってしまうと、ヤラは急にフラフラと体を揺らし始めたのだ。
『うわっ! 何だコレ! 体が動かねえ・・・危ない! 落ちる! 落ちるって!』
(ギャアアアアア! 落ちる! 落ちるううう!)
ヤラの本気で焦った感情が伝わって来た。
幸い、この時は事なきを得たが、今のは決してヤラの悪ふざけではなかった。
彼女の話によると、急に体の自由が利かなくなったのだという。
おそらく、僕が恐怖のあまりパニックになった事で、その強い意識に引っ張られて、彼女の体が動かなくなったのではないだろうか?
(もうふざけるような事はしないから。頼むから大人しくしていてくれ)
ヤラの本気の反省の気持ちが伝わって来る。
僕だって別に彼女を危険に晒したかった訳じゃない。
これ以降、僕は高所作業中はなるべく意識を下に向けないようにして、心の平静に努めるようになったのだった。
(――とまあ、あの時は体の動きが止まっただけだったけど、ヤラが協力してくれれば、もっと自由に動かせるんじゃないかと思うんだよね)
(ええ~っ。何でアタシがハヤテに体を好きにさせなきゃいけないんだよ。お前、アタシの体で何か変な事をしようってんじゃないだろうな?)
(変な事って何だよ。カタリナのために、ちょっと手を使わせて貰うだけだって。どうせ主導権はヤラにあるんだ。イヤならすぐに体を取り戻せばいいだけだろ?)
僕は続けて、「それともビビってるの?」と挑発してみた。
ヤラはちょっとムッとした。
(お前・・・それを言えばアタシが言う事を聞くと思ってないか? ちっ。本当にカタリナのためだろうな? 上手くいかなくても保証はしないぜ)
ヤラがチョロいのか、「妹のため」という言葉が効いたのか。彼女は渋りながらも、僕の提案を受け入れてくれた。
(それでどうすりゃいいんだ?)
(僕に聞かれてもなあ。リラックスして、ボ~っとしてればいいんじゃない? 僕が日向ぼっこをしてる時みたいに)
(いや、そんなの知らねえっての。こ、こうか?)
ん? 意外といけそうな感じ? かも?
意識を前に。手の先へと押し出すような感じで。こう、ずずっと。
・・・おおっ。動く。動くぞ。僕の意志でヤラの手が動くぞ。
何と言うか、自分の手というよりも(いやまあ、実際に他人の手なんだけど)コントローラーを使ってマジックハンドを操作している感覚が近いかもしれない。
『お姉ちゃん、急にどうしたの?』
ヤラが急に黙り込んでしまったからだろう。カタリナが不安そうな表情になった。
ゴメンね。でも今はちょっと返事をしている余裕ないから。
ていうか、僕の意志で言葉とか話せるんだろうか? 今度試してみたいかも。
僕は自分が人間だった頃を思い出しながらヤラの腕を操り、たどたどしい動きで鉛筆を握りしめた。
そのままカタリナの描いた絵を手繰り寄せると、裏側にひっくり返した。
(ええと、『妖精たちは、お姫様に、贈り物を、与えました。バラの、美しさ。ウグイスの・・・』)
『えっ? 文字? ――あっ! この文字ってひょっとして、眠れる森のお話?!』
察しがいいね。
そう。僕はヤラの手を操作して、紙に描かれていたシーンのテキストを書いてみたのだ。
お前、字が読めるのかって? そりゃまあ、難しい単語や専門用語はムリだけど、絵本に使われるような一般的な単語だったら一応は。
片言とはいえ言葉は喋れる訳だしね。実際に書いたのは今日が初めてだけど。
(――希望の、光、っと。・・・ああ疲れた。細かい作業は神経使うね。ヤラ、ありがとう。もういいよ)
『お姉ちゃん、文字が書けたの?! スゴイ!』
カタリナは目を丸くして姉を見上げている。
やっぱり二人共、文字が読めなかったのか。
カタリナが愛用の学習用の石盤に絵を描くばかりで、文字の練習をしようともしなかった。そしてヤラもその事を何とも思っていない様子だった。
この二点から、「ひょっとして二人は文字を読めないのかも?」と思っていたけど、どうやら正しかったようだ。
ヤラは妹から驚きと尊敬のまなざしで見つめられ、困り果てた様子で頭を掻いた。
『あ、いや、こ、これには理由があってだな。書いたのはアタシだけどそうじゃないっていうか・・・』
『それで、コレって何て書いてあるの?! 眠れる森の美女のお話なんだよね?!』
ヤラの困惑と戸惑い。そして妹をガッカリさせたくないという、焦りの気持ちが伝わって来た。
(ヤラ。これはね――)
『あっ、と。・・・ええと、これはな、「妖精たちは、お姫様に、贈り物を、与えました」って書いてあるんだ。ここが「バラの」でここが「美しさ」。これが「ウグイスの」で「歌声」。最後が――』
ヤラは単語を指差しながら、僕に言われるまま読み上げていった。
『これが「希望」。これが「光」・・・』
カタリナは一つ一つの文字を指でなぞりながら、姉の言葉を繰り返した。
余程、興奮しているのだろう。カタリナの顔からはいつもの気弱な表情が消え去り、食い入るように文字を見つめていた。
ヤラは若干、バツが悪そうに立ち上がった。
『ほら、もういいだろ? そろそろ宿に行くぞ。遅くなってベッドが全部埋まってしまったらマズイからな』
『う、うん』
カタリナは紙を丸めると、大事そうに胸に抱えた。
そして姉に手を引かれるまま。いつも二人が泊っている木賃宿へと向かったのだった。
次回「ハロー、ハロー」