その9 ジトニーク商会ホマレ支店
ヤラとカタリナの姉妹が店に入ると、周りの客が怪訝な表情で振り返った。
『お、お姉ちゃん』
『ちっ』
自分達が場違いな場所に来ている事を察したのだろう。
カタリナが怯えて姉の後ろに隠れた。
(おおっ。これがこの世界の店か。意外と殺風景なんだな)
僕は思わず興奮気味に店内を見回した。
広い店内はシンプルな作りだ。
店の中には横長のどっしりとしたテーブルが並び、その上に商品が置かれている。
家電量販店のサンプル展示をイメージして貰えれば近いかもしれない。
置かれているのはそれだけだ。
じゃあ商品が少ないのかと言えば、そんな事は無い。
すぐ奥には店員が何人も並んでいる大きなカウンターがあって、商品はその後ろに山と積まれている。
どうやらこの店は僕にとってなじみの深い、商品をカゴに入れてレジに持って行く方式ではなく、店員に頼んで後ろの棚から取って貰う方式のようだ。
(こっちの世界の方が治安が悪いから、商品を並べて置いておくと、手癖の悪い客に万引きされてしまうのかな?)
(なに言ってんだお前?)
僕が一人でウンウンと納得していると、ヤラが不機嫌そうにつっこんだ。
(それでハヤテ。アタシはどこで何を買えばいいんだ?)
(さあ?)
(さあって、テメエ!)
いや、そんなに怒られても。
僕は四式戦闘機の機体に転生して以来、一度も自分で買い物をした事がない。
と言うか、お店の中に入ったのもこれが初めてだ。
ヤラは木賃宿と出店、それと倉庫の建築現場にしか行かないからね。
石盤に使う石筆も、雑貨を並べてる露天商から買ってたぐらいだ。
「何かお探しですか?」
入り口で立ち止まったヤラに、若い男の店員が声をかけてきた。
明らかに場違いなヤラ達を邪険に扱わず、客として丁寧に接している。さすがはジトニーク商会。店員の教育が行き届いている。
僕は心の中でジトニークの株を少し上げた。
(丁度良かった。彼に「わら半紙を買いに来た」って言ってくれない?)
『わ、わらばんし! ・・・ってのを買いに来たんだが?』
『わら半紙ですね。この大きさの物が一枚一ベルクですが、何枚ご入用ですか?』
店員は焦って大声を出してしまったヤラを華麗にスルー。手で四~五十センチ四方の四角形を作った。
一枚一ベルク。大体五十円くらいか。まだまだ高いな。
『・・・一枚くれ』
『分かりました。ではカウンターへどうぞ』
僕の感覚では、わら半紙が一枚五十円というのはかなりのぼったくり価格なんだが、紙自体が高価なこの世界では、これでもありな値段のようだ。
後日知ったが、聖国から輸入された上質紙は、この十倍近い値段で売られているらしい。
ヤラは店員の後ろに続いてカウンターへと向かった。
『こちらがわら半紙一枚、一ベルクになります』
店員はわら半紙を一枚取り出すと、クルリと巻いて紐で結んだ。
『あ、ああ。ありがとう』
『ほう? なんだこの紙は』
ヤラは代金を払ってわら半紙を受け取ろうとしたが、横から伸びて来た手によって取り上げられた。
そこにいたのは、ちょび髭の商人風の中年男だ。
『一枚一ベルクとはまた随分と安い紙だ。ふむ。色もすすけているし、表面もゴワゴワだ。値段が安い分だけはある』
『ちょ、返せよ!』
ヤラは手を伸ばしてちょび髭からわら半紙をひったくった。
男は気にした様子もなく、カウンターの奥を覗き込んだ。
『ほう。随分と数を仕入れているようだが、コイツは売れているのか?』
店員はこの失礼な客にちょっと困った顔をしながらも頷いた。
『商品自体、出来たばかりでまだあまり知られていないのですが、良く売れていますよ』
『ほう・・・なる程』
知名度は低いのに良く売れている。つまりはリピーターが多い商品という事だ。
近くの客が立ち止まると、この会話に聞き耳を立てた。
『俺の目には値段が安いだけの粗悪品にしか見えないが、それでも売れていると?』
『はい。値段が安いですから』
ちょび髭はまだピンと来ていないようだ。
紙は舶来物の高級品、という先入観が足を引っ張っているのだろう。
値段が安くても、粗悪品では価値がない。そう考えているのが丸分かりである。
高級な紙にはそれ相応の使い道が。安いわら半紙にもそれ相応の使い道が。くくりとしては同じ”紙”でも、それぞれ別の用途が存在している。
その可能性に気付いていないのである。
『しかしだな――』
『ひょっとして、この品はナカジマ家のドラゴンが教えた物なんじゃないか?』
ここまでの会話を聞いていた別の男が、横から口を挟んで来た。
ナカジマ家のドラゴンという言葉に、この場の空気がサッと緊張をはらんだ。
えっ? 何その反応。
『確かに、店主がドラゴンから直々に教わったと聞いております』
『やはりか。どうりで見たことがない品だと思った』
『これをドラゴンが・・・』
ちょび髭は先程までのガラクタを見るような目から一転。高価な貴金属でも見るような目で、ヤラの手の中のわら半紙を見つめた。
ヤラはムッと男を睨み付けると、わら半紙を後ろに隠した。
このわら半紙。確かに僕が教えた物だ。
正確には代官のオットーに教えた物を、彼がジトニークに教えて制作を依頼したのだが。
前にも説明した事があると思うが、ホマレの港の施設には聖国の資本がかなり投入されている。
そのせいもあって、港町ホマレでは聖国の商会の力がどうしても大きくなっている。
これが前々からオットーの悩みの種だった。
聖国の商人が力を持つのは別に構わない。だが、彼らはあくまでも聖国の人間。つまりは外国人だ。
彼らの軸足がこの国ではなく、自分達の母国にある以上、ホマレの経済が彼らの手に牛耳られてしまうのはよろしくない。
後々のためにも、国内の商会には、聖国人商会に対抗出来るだけの力を付けて貰う必要があったのだ。
といった内容を僕はオットーから相談され、いくつかのアイデアを彼に提供した。
その一つがこのわら半紙だった、という訳だ。
わら半紙は、明治時代に日本で生まれた、木綿ウエスやわらを原料とした洋紙である。
とはいえ、本当にわらを使っていたのは最初の頃だけで、その後は木材パルプや回収した古紙を原料にしていると聞いている。
具体的な作り方までは知らないが、木綿ウエスやわら長時間煮込んで繊維だけを取り出し、紙すき用の簀桁ですく、という事だけは知っている。
そうそう、煮詰める時には灰汁や石灰なんかを混ぜて、アルカリの溶剤にしておくんだったっけ。
――などといった僕のうろ覚えの記憶を頼りに、ジトニークは試行錯誤を繰り返した。
そうして最近になってようやく、商品化にまでこぎ着けたのだった。
ティトゥの屋敷まで商品見本を持って来た時に、『いやあ、苦労しました』と、頭を掻きながら苦笑していた。
思い付きで言っちゃって悪い事をしたなあ、と反省したのは秘密である。
さて、このわら半紙。
作成に手間と時間はかかるが、原材料がウエスやわらといった、いわば廃材なので、材料費はかからない。
そして聖国の輸入紙とは狙っている層が違うので、客の取り合いも起きない。
あちらは高級品。こちらは普段使い品。
仮に聖国が何故か対抗意識を燃やして同じ商品を開発したとしても、この商品のキモの部分は薄利多売にある。
ナカジマ領で作って安い値段で売る事が出来る以上、少なくとも国内においてはこちらの優位性は動かないだろう。
『ほう。ドラゴンが作った品か。私にもちょっと見せてくれないか』
『おい、君。これを仕入れたいのだが、どのくらい用意出来る?』
『待て待て、先に目を付けたのは俺だ。横から入られては困るぞ』
僕が作った商品と聞いて、商人らしき客達が店員に殺到した。
ていうか、僕が作った商品じゃないんだけど。僕は作り方を教えただけで、実際に作ったのはジトニーク商会なんだけど。
あっと、忘れてた。
(ついでに鉛筆も買っておこうか。ここなら売ってるはずだし)
『わ、分かった。えんぴつだな。ええと、えっ。えんぴつも買いたいんだが』
ヤラは別の店員に声をかけると鉛筆を売って貰った。
鉛筆と言っても、僕らが想像するような六角形の鉛筆ではなく、むき出しの小さな細い黒鉛の棒に握り用の糸を巻いただけの物なんだけど。
ヤラは店から出ると、ふう、と大きなため息をついた。
『ハヤテのせいで酷い目に遭ったぜ・・・』
酷い目って何だよ。お店に入って紙と鉛筆を買っただけじゃん。
『それが大変だったんだっての。ほら、カタリナ。コイツはお前の物だ』
カタリナは、自分用に買ったものだと気付いていなかったようだ。
目を丸くして紙と鉛筆を眺めた。
『お姉ちゃん、これって・・・?』
『紙に描けば、石盤と違って消さずに済むだろ。その紙に描き終わったら、また新しい紙を買いに来ような。一枚一ベルクなら気にする程の値段じゃないし』
『!』
カタリナは、パッと笑みを浮かべると、姉から紙と鉛筆を受け取った。
『早速何か描いてみたい!』
どうやら本人も、毎回絵を消さなければならないのが寂しかったようだ。
紙に描けばずっと置いておけると知った途端、興奮に頬を赤く染めた。
『ダメだ。今日はお前の冬服を買いに来たんだからな。紙と鉛筆はそのついでだ』
『え~っ』
『文句をいうな。さあ、行くぞ』
ヤラは妹の手を引いて歩き始めた。
カタリナは残念そうにしながらも、その足取りは弾んでいた。
結局、ヤラは古着屋でカタリナの上着と、手袋を買った。
その後二人はいつもの出店で、魚のアラのスープを買って昼食にした。
その間、カタリナはずっと嬉しそうに姉と話し続けていたのだった。
次回「眠れる森の美女」