その8 姉妹の買い物
夜。僕はヤラが眠ったと同時に、いつものように四式戦闘機の機体へと戻っていた。
知らせを受けたティトゥが、ファル子達を連れて僕のテントにやって来る。
僕とヤラの奇妙な同居生活が始まって数日が過ぎていた。
昼間はヤラの頭の中。ヤラが寝た後は四式戦闘機のボディーへと戻る。そんなある意味では、規則正しいとも言える生活。
最初、ティトゥは僕の事を心配して、昼間の事を根掘り葉掘り聞いて来た。
しかし、何日かするうちに、どうやら危険が無い事が分かったらしい。今では割と落ち着いている様子だ。
『それで、ハヤテはいつその子から解放されるんですの?』
「う~ん。ヤラも色々試してはくれているんだけど、まだ未定かなあ」
このやり取りもいつものお約束のようなものである。
昼間に僕がいない――空を飛ぶ事が出来ない――生活は、ティトゥにとっては不満があるらしく、仕事の忙しさもあってかストレスをため込んでいるようだった。
「ギャウー、ギャウー(パパ! パパ!)」
それとファル子達。僕が相手が出来るのが夜だけなので、二人が夜更かしをするようになったらしく、その点も彼女を不機嫌にさせていると思われた。
『屋敷にその子を呼んではダメなんですの? ハヤテから話をしてくれたんですわよね?』
「ああ、うん。言ってはみたけど、残念ながら信じて貰えなかったよ」
ティトゥから「ヤラを呼んで直接話をしたい」というお願いは、割と早いうちからされていた。
しかし、僕はどうにも気が乗らなかった。
ティトゥの必死の様子を見て、「ヤラは口も悪いし、今のティトゥに会わせるとケンカになるんじゃないかな?」と心配したからである。
この所、ティトゥも落ち着いて来た様子だし、僕は「そろそろいいかな?」と判断。
そこで今日の昼間、満を持してヤラに打ち明けたのだが、彼女は警戒している様子だった。
『・・・そうは言うがよ。この土地の領主様に、アタシらみたいなモンが会える訳ないだろ。大体、屋敷に近付いただけで門番に追い払われるのが関の山だってーの』
(いや、だから僕が話を付けてるから大丈夫なんだって。ていうか、向こうの方が会いたいって言っているんだから)
『話を付けるってどうやって? ハヤテはアタシの頭ん中にいるんだぜ。門番の前で頭を開いて見せる訳にはいかねえだろうが。んな事より今は仕事中だ。この話は終わり。ちょっと黙っててくれ』
とまあ、このように取り付く島もない有様だった。
ちなみにヤラは初日にやった倉庫の仕事を今も続けている。
少しは財布に余裕も出来たようだが、贅沢できる程ではないらしく、相変わらずの木賃宿生活である。
「――といった訳で、話を信じて貰うにはもう少し時間がかかりそうかな。何か信用して貰える物でも見せられればいいけど、意識だけが彼女の所に行くからそれも出来ないし」
一番いいのは、この四式戦闘機の機体で飛んで行く事だが、それが出来ないから困っているのだ。
見て貰うには彼女が起きていなければならないのだが、彼女が目覚めたら僕の意識は彼女の頭の中に入ってしまう。そうなると機体を飛ばす事は出来ない。堂々巡りである。
『だったら誰かに頼んで彼女を迎えに行って貰う訳には――』
「それだけはやめて」
この数日、ヤラと一緒に過ごして分かった事だが、この世界では貴族は一般市民から恐れられている。
ヤラが貴族の使いに連れて行かれたなんて噂が広まったら、彼女は周囲から敬遠されるようになるだろう。
せっかく、仕事場の大工や、木賃宿の近くの出店のオジサン達と良い人間関係が築けているんだ。それを壊したくはない。
あるいはヤラもそれを恐れているのかもしれない。
「それにティトゥが話をしたって、無理なものは無理だよ。ヤラだって僕をどうにか戻したい、そう思って努力してくれてるんだからさ」
『そうなのかしら。彼女は毎日忙しく働いているのでしょう? 本気でハヤテの事をどうにかしたいと思っているとは思えませんわ』
「そんな事は無いよ。前にも言ったけど、僕とヤラはお互いの気持ちが分かるんだ。だから彼女が僕に対して申し訳ないと感じている事も、どうにかして元の体に戻したいと感じている事も分かるんだよ」
言葉ではウソをつけても、自分の気持ちにウソはつけない。
互いの感情がダイレクトに伝わる僕とヤラは、相手を騙すどころか誤魔化す事すら出来ないのだ。
「ホント厄介な状況だよね。怒ったりイライラしたりするのも伝わっちゃうし。おかげでケンカも絶えなくてさ。またヤラって口が悪いから、今日だって――」
『・・・・・・』
僕がティトゥに愚痴をこぼしていると、彼女の機嫌が目に見えて悪くなっていった。
えっ? 何で?
「あの、ティトゥ?」
『何でもありませんわ。ファルコ、ハヤブサ。そろそろ寝る時間ですわよ』
「ギャウー! ギャウー!(イヤー! ママ放してー!)」
「ギャーウー(おやすみ、パパ)」
ティトゥはジタバタと暴れるファル子とハヤブサを連れて、僕のテントから出て行った。
「えっ? 何で? 今の話に怒る所なんてあったっけ? あ。つまらなかったとか?」
あれか? プライベートで会社の話をして嫌われる男、みたいな?
けど、ヤラの話を振って来たのはティトゥだよね? それでへそを曲げるってどういう事?
僕はティトゥの理不尽な反応にモヤモヤとした感情を抱えたまま、その日の夜を過ごしたのだった。
(――という事があったんだよ。納得いかないと思わない?)
翌日。僕の釈然としない気持ちがヤラに伝わったのだろう。
何があったか尋ねられた僕は、彼女に昨夜の話をしていた。
(細かい所は理解出来ねえが、アレじゃねえか? ハヤテがアタシの話を――他の女の話をしているのが面白くねえって。そういう事なんじゃねえの?)
(いや、でも、この話題を振って来たのはティトゥなんだよ? それで話をしたら不満って、おかしくない? だったら僕はどうしたら良かった訳?)
ちなみに、ヤラには僕がこの国のドラゴンである事も教えている。
彼女は――そして彼女の妹のカタリナも、ミロスラフ王国のドラゴンの噂については知っていた。
しかし、彼女は僕がドラゴンであるという話は信じなかった。
より正確に言えば、ドラゴンという生き物ではなく、自称なりあだ名なりがドラゴンで、周りからもそう呼ばれている、ないしはそう呼ばせている。と、思ったようだ。
何、その痛いヤツ。
けど、あながち間違いとも言い切れないのが困る。
実際、ドラゴンというのはあくまでもティトゥが言い出した設定で、僕の機体は大戦中の陸軍戦闘機。そして心は極普通の人間なのだ。
『アタシが知るかよ。そんな事は自分で考えな。カタリナ。そろそろ行くよ』
姉に呼ばれたカタリナは、小さな板を――石盤を大事そうに抱えて立ち上がった。
二人の荷物は驚く程少なく、ヤラの背負い袋の中にほとんどが収まってしまう。
この角が少し欠けた石盤は、カタリナの唯一の私物であり、彼女の宝物である。
石盤の大きさは縦横30センチ程。大体、B4のノートくらいの大きさだ。
ちなみに石盤とは小さな黒板のようなもので、材質は板状の粘板岩。この粘板岩に石筆(ろう石をペン状に細長く加工したもの)を使って文字を書き、書き取りや計算の勉強をするのである。
この石盤は、ヤラが昔、両親から買ってもらった物らしい。
今は姉のお下がりで妹のカタリナの物になっている。
カタリナは先日、姉から「お金にも少し余裕が出来て来たから、何か好きな物を買ってやろう」と言われた時、石筆を希望して買って貰った。
それ以来、彼女はこの石盤を肌身離さず持ち歩いている。
ヤラは妹が抱えた石盤を覗き込んだ。
『これは何を描いてるんだ? ネズミかな?』
(いや、どう見ても猫だろ)
『・・・猫ちゃん』
カタリナはちょっと恥ずかしそうに絵を隠した。
(いや、この絵を見てネズミって。ヤラって猫を見た事ないの?)
(う、うっせえ! ちょ、ちょっと勘違いしただけだろうが!)
ちなみに今日はカタリナの上着を買いに行く予定になっている。
ヤラの仕事が終わるのを待っている間、いつもカタリナは一人、外で絵を描きながら待っている。
僕には分からないが、そろそろ日中でも気温が肌寒くなって来たので、奮発して中古の冬着を買う事にしたようだ。
『やっぱりお姉ちゃんの服は買わないの?』
『ああ。アタシはまだ大丈夫だ。昼間は体を動かして働いているからな。今日はカタリナの分だけにしよう』
ヤラの言葉はウソではないが、古着でも冬服はそこそこ値段が張る。
二人分の服を買える程のお金はまだ貯まっていないのだろう。
その辺の事情はカタリナも察しているようだ。彼女は申し訳なさそうに姉を見上げた。
『いいから、ホラ、行くぞ』
『・・・うん』
二人は連れ立って大通りに出た。
カタリナが歩く度、肩紐でブラ下げられた石盤が大きく揺れる。
(昨日は確か花と蝶の絵を描いていたんだっけ。何か勿体ないよね)
(・・・ケチ臭え事を言うヤツだな。別に石筆くらいどうって事ないだろうが)
ヤラがムッと不機嫌になる。
いや、誰も石筆がちびて勿体ないとか、そんな事は言ってないから。
(違うよ。せっかく上手に描けても、新しい絵を描こうと思ったら、全部消さなきゃいけないだろ? どうせなら残しておきたいと思わない?)
ヤラから今度は、『石盤ってそういうモンだろうが』と、呆れた感情が伝わって来た。
いや、石盤に描くから消す事になるんだって。
(紙に描けばいいじゃん)
(はあっ?! バカ言え。貴族じゃあるまいし。紙に絵を描くとか、そんな贅沢が出来るはずがねえだろうが)
そう? そりゃあ少し失敗する度に紙を捨てて書きなぐってたら贅沢だとは思うけど、カタリナは一枚の絵を丁寧に描くタイプだよね。
だったらそれ程の贅沢とは思えないけど。
(だから紙自体が高級品だろうが。紙は聖国からの輸入モノだって事ぐらい、アタシだって知ってるっての)
ん? ああ、そういう事か。
ヤラは輸入品の聖国紙しか知らないんだな。
(大丈夫。ヤラ達にも買える紙があるから。ジトニーク商会に行ってみようよ)
(ジトニーク商会? おいおい、それって、大通りにある、あのやたらとデッカイ店の事か? いや、ムリムリ。アタシらが入っていいような店じゃねえって)
まあまあ、そう言わずに。別に店に入るだけでお金が取られるって訳じゃないしさ。
一度試しに行ってみようよ。ほらほら。
(ハヤテ・・・お前。アタシが日頃、お前が高い所が苦手なのをからかってる事への、仕返しのつもりなのか?)
どうやら面白がっているのがバレてしまったようだ。
まあ、お互いに感情が筒抜けだからね。仕方ないね。
(そんな事無いって。カタリナのためを思っての事だって。ほらほら。怖がってないで早く行こうよ)
(だから全部筒抜けだっての! 分かった、分かった! 行けばいいんだろ、行けば!)
日頃からかっている僕から「ビビってる」と言われては、後に引けなかったのだろう。
あるいは、カタリナのため、と言ったのが効いたのかもしれない。
『カタリナ。ちょっと寄り道するぞ』
『お、お姉ちゃん?』
ヤラは妹の手を掴むと、ジトニーク商会の建物を目指して歩き始めたのだった。
次回「ジトニーク商会ホマレ支店」