その7 カメニツキー伯爵領の戦い
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ミロスラフ王国の新王カミルバルト。
彼の即位式は大きな波乱によって幕を開けた。
北には国境の砦に隣国ゾルタのヘルザーム伯爵軍が。
東にはカミルバルトの正統性に異を唱える、メルトルナ軍が。
西にはネライ分家の軍が。
南には、都市国家連合から差し向けられた傭兵団が。
それぞれ、まるで示し合わせたかのように、同時にこの国の王都へと迫りつつあったのである。
実はこれこそが、カミルバルト新国王を亡き者にしようと企む、都市国家連合の評議会議長、エム・ハヴリーンによる陰謀であった。
しかしこの企みは、ハヤテ達竜 騎 士の活躍もあり、大きな被害を出す前に収束を迎えたのだった。
それから数か月後。小ゾルタのヘルザーム伯爵軍は、今度はミロスラフ王国と同盟関係にあるピスカロヴァー伯爵領(※現・王国)へと攻め込んだ。
ハヤテ達は、たまたまナカジマ領に戻って来ていたトマスの婚約者、リーリアの頼みを受け入れてこの争いに介入。
ヘルザーム伯爵軍を追い返す事に成功したのだった。
目的を果たしたハヤテ達はそのままナカジマ領へと引き返した。
しかし、同盟国から援軍の要請を受けていたミロスラフ王国王城――新国王カミルバルトは、小ゾルタへと軍を進める事を決定。
これを機に邪魔なヘルザーム伯爵を叩き、ひいては大陸への足掛かりを築くべく、進軍を開始したのであった。
ここはかつてのカメニツキー伯爵領。
ミロスラフ王国軍二万は、国境でピスカロヴァー軍と合流した後、この地へと軍を進めていた。
「陛下。アレッサとバジルド、それにベルトーヤから、降伏の使者がやってまいりました」
「――いずれも進軍先にある町だな。分かった、使者を通せ。まとめて会おう」
短く切られた黄色味の強い金髪。凛々しい顔立ちに良く鍛えられた大柄な体。
この美丈夫こそ、ミロスラフ王国の新国王。後に”英雄王”と呼ばれる事になる国王、カミルバルト・ミロスラフであった。
ここはミロスラフ軍の本陣天幕。
カミルバルトは、文官風の神経質そうな中年男性に振り返った。
「今度は三つの都市が降伏して来たか。このままでは、一戦もしないまま、我々はこのカメニツキー伯爵領を平定してしまいそうだ。優秀な息子に恵まれて羨ましい限りだ」
中年男性はピスカロヴァー王国国王、アスモレイ。
彼はミロスラフ王国軍の進軍に先立って、各地の領主や代官達に降伏勧告を行わせて欲しいと要請していた。
そしてカミルバルトに要請が受け入れられると、息子を――王子ダンナをその使者とし、各地に派遣したのである。
「いえ。息子の力だけではとてもとても。カミルバルト陛下のご威光と、昨年帝国軍をも退けたミロスラフ王国軍の勇名があっての事でございます」
見え透いたあからさまなお追従に、カミルバルトの表情に一瞬、苛立ちが見えた。
カミルバルトのピスカロヴァー国王アスモレイの印象は、「平凡な文官」。
そこそこ有能だが、覇気も野心も感じられない男。性格は文官寄り。先祖代々受け継いだ領地を無難に運営し、子孫に渡す事だけに人生を捧げて来た男。
(今の宰相、バラート・ノーシスから角が取れれば、こんな男になるのだろうな)
カミルバルトは脳裏に口うるさい宰相の顔を思い浮かべた。
逆に、アスモレイのカミルバルトに対する評価は、「人の上に立つべく生まれた男」。この一言に尽きた。
堂々たる体躯。人の目を引き付けて止まない存在感。強い意志を感じさせる鋭い瞳。
なる程、英雄というのはこういう人間の事を言うのだろう。
カミルバルトはそう思わせるだけの威風堂々たる風格を備えていた。
(正に乱世の英雄。これも時代の流れ――いや、大陸全土が時代の節目に来ているのかもしれん)
今までこの国を支え続けて来た、ゾルタ王家という古い巨木。
しかし、昨年の帝国軍五万の南征という大災害に、この大木は倒れ、朽ち果ててしまった。
今までずっと大木の下で守られて来た者達は、突然、冬の厳しい寒空の下に放り出され、今も苦しみに喘いでいる。
(それに比べてミロスラフ王国はどうだ。竜 騎 士にカミルバルト国王。ミロスラフ王国には新たな力が――国の未来を切り開く大きな力が生まれている。ゾルタとミロスラフ。隣り合った国同士でこの差はどこから生まれたのか。なんとも羨ましい限りではないか)
アスモレイはこの数日で、すっかりカミルバルトに逆らう気力を失っていた。
自分や息子のダンナでは決して敵わない、明確な格の違いというものを思い知らされていたからである。
(ダンナがカミルバルト国王に対して、妙な対抗意識を持たなければいいのだが・・・。まあ大丈夫か。アレも最近では己の立場を自覚したのか、以前よりも落ち着きが出て来たようだし)
以前のダンナは劣等感からくる苛立ち故にか、腹違いの優秀な兄グスタフに食って掛かったり、”英雄の三兄弟”と呼ばれたオルサーク家の当主マクミランをライバル視したりと、攻撃的な性格が目に付く所があった。
しかし、王家の王子となった事で心に余裕が生まれたのだろうか。
最近ではめっきり、他人に対してそのような刺々しい態度を見せる事がなくなっていた。
(いや待て。そう言えば、アイツには英雄の三兄弟の一人を付けていたな。・・・妙なプライドを出して仲たがいをしていなければ良いが)
不意に思い付いた考えに焦りを覚えるアスモレイ。
父親の心配は続く。
アスモレイが心配している頃、当の本人――アスモレイの息子ダンナ王子は、街道を馬車に揺られながらご機嫌な様子だった。
「全く、”オルサークの竜軍師”の名はスゴイものだな。どいつもこいつもお前の名を出すだけで、あっさりとこちらの言う事を聞いてくれるじゃないか」
ダンナ王子は「これならお前だけで良かったんじゃないか?」と、同乗者に笑いかけた。
王子の前のイスに座っているのは、明るいオレンジの髪の十歳程の利発そうな少年。
オルサークの竜軍師こと、トマス・オルサークである。
「そのような事はございません。殿下がいらしてくれているからこそ、彼らも私のような子供の言葉に耳を傾けてくれたのです」
トマスは幼い見た目に似合わない、大人びた所作で慇懃に頭を下げた。
「相変わらず堅苦しいヤツだ。まあ、何日も一緒の馬車に揺られているんだ。その態度にもいい加減慣れたがな」
ダンナは文句をいいつつも、まんざらでも様子だ。
トマスはダンナが「楽にしろ」と言っても、決して緩んだ部分を見せない。
常にダンナを王子として敬い、彼を立てる事を忘れない。
父も、そして優秀な兄もが認めるオルサークの竜軍師。
そんな少年にこれだけ敬われているのだ。ダンナの機嫌が良くなるのも当然であった。
「この調子だと、俺達のおかげで、ミロスラフ軍は一度も戦う事無く、このカメニツキー領を平らげてしまいそうだな」
「ヘルザーム伯爵軍が戦わずに撤退したおかげでしょう。領民の犠牲が出なければ、それに勝る物はありません」
父親から命じられた仕事は、何一つ問題無く順調に進んでいる。
嬉しそうなダンナに対して、しかし、トマスの表情はどこか曇っていた。
(降伏したからと言って、単純に喜んでばかりはいられない。彼らを支配下に置くという事は、同時に彼らを養う義務も負ってしまうという事だ。これはヘルザーム伯爵にしてやられたかもしれない)
この地を占拠していたヘルザーム伯爵軍は、ミロスラフ王国軍が攻め込んで来ると知るや、あっさりと自領まで撤退してしまった。
元々ヘルザーム伯爵は、昨年、帝国軍に奪われたために不足していた食料を調達するため、隣接するカメニツキー伯爵領へと侵攻したのである。
略奪した食料や物資は、既に街道を使ってヘルザーム伯爵領へと運び込まれている。
欲しかった物を手に入れた以上、この土地の支配にこだわる必要は無い。
というよりも、貯えを失った貧乏領地になど何の魅力も無い。
彼らは渡りに船とばかりに、ヘルザーム伯爵領へと逃げ帰ってしまったのだった。
(まるで野盗だな。それはさておき、俺が気付くような事だ。ミロスラフ国王も気が付いているのは間違いない。ならばなぜ対策を打たない? いや、分かっていても打てないのか?)
ミロスラフ王国は例年にない豊作だったと聞く。夏の内乱の被害もほとんどなかったようだし、経済も安定しているようだ。
それに聖国の王女との成婚が発表されたばかりだ。いざとなれば聖国からの援助も期待出来るだろう。
ならばカメニツキー伯爵領の領民を養う程度、問題も無い。そう判断しているのかもしれないが・・・
(それでもカメニツキー伯爵領の領民という、厄介者を押し付けられた事には変わりはない。それにそろそろ冬が来る)
支援が遅れれば、カメニツキー伯爵領では大量の死者が出る事になるだろう。
各地の領主や代官があっさり降伏を受け入れているのには、この機会を逃せばもう後がない、といった切羽詰まった事情もあったのである。
(これからも降伏の申し入れは増えるだろう。そうなればミロスラフ王国軍は、支配地域の領民の保護のため身動きが取れなくなる。進軍に手間取っている間に雪が降れば、最悪、全軍の撤退も考えられる・・・)
雪の中、二万の軍を野営させ続けるのは危険だ。
いや。出来る出来ないで言えば出来るのだが、聡明なカミルバルトは部隊を消耗させるような選択を選ばないだろう。
だからと言って二万もの数の兵士を受け入れられる町が、この領地にあるなどとは聞いた事が無い。
そして、ミロスラフ王国軍が撤退すれば、彼らが領民のために残した支援物資を狙って、再びヘルザーム伯爵軍が襲って来るのは間違いない。
(それを防ぐためには、予想されるヘルザーム伯爵軍の進軍経路――大川に架かった橋をこちらで押さえてしまう必要がある。が、それはヘルザーム伯爵側も予想しているだろう。激戦になるな)
ヘルザーム伯爵軍が戻って来られないように橋を落とす事は可能だ。しかしそれをやれば、今度はこちらからヘルザーム伯爵領に攻め込む時に難しくなる。
問題はそれだけではない。
仮に行動に移すにしても、トマス自身は一兵も率いる立場にない。
どうにか説得して軍を動かそうにも、今回の遠征軍の中心はミロスラフ王国軍。
ピスカロヴァー軍は同盟国として参加しているに過ぎない。
オルサークの竜軍師の名が持つ威光も、ピスカロヴァー軍の将校には通じても、ミロスラフ王国軍には通じない。
トマスにどんなに優れたアイデアがあっても、それだけでは軍を動かす事は出来ないのである。
(せめてオルサークから軍を連れて来ていれば。いや、あるいは俺の代わりに国王に意見を述べてくれる者――例えばパトリク兄さんがいてくれれば。
今の俺に許されているのは、ダンナ殿下の後ろにくっついて回って、貧困にあえぐ領主達に降伏するように説得する事ぐらい。
しかし、降伏した領地が増えれば増える程、ミロスラフ王国軍の進軍は妨げられてしまう。
だからと言って、問答無用で攻め込むわけにもいかない。これじゃ益々ヘルザーム伯爵の思う壺――いや、待てよ)
自分が出来るのは領主達を説得する事くらい。
そしてオルサークの竜軍師の名は、ミロスラフ王国相手には通じなくても、ここ、小ゾルタではかなり大きな影響力を持っている。
そう。ならば・・・
「――そう。ならばこのまま黙って、ヘルザーム伯爵の思い通りにさせる必要は無い。幸いここには次期国王、ダンナ殿下もいらっしゃる」
「ん? どうした、トマスよ」
トマスは顔を上げると、ダンナの目を正面から見据えた。
「殿下。少々思い付いた事があります。上手くいけば殿下にとって大きな手柄となるでしょう。多少足を延ばす事になりますが、よろしいでしょうか?」
「お、おう。少しくらいなら構わんぞ」
ダンナはトマスの少年らしからぬ力強い視線に思わずたじろいだ。
しかし、辛うじて体面を保つと、慌てて頷いたのだった。
次回「姉妹の買い物」