その4 大きなうねり
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「文律派の若手貴族に動きがあるだと?」
ミロスラフ王国ユリウス宰相は王城の執務室で部下からの報告を受けていた。
なんだってこの忙しい時に。
今は来月に控えた戦勝式典の準備に目も回る忙しさだ。
宰相もここのところ何日も屋敷に戻っていない。
手配が全て終わって実務作業に移れば少しは彼の手から仕事も離れるだろうが、今は多くの決済と調整が彼を待っている。
ユリウス宰相にとっては目の離せない時期だと言えた。
そんな最中に届いた厄介事に、ユリウス宰相は報告をしてきた部下に思わず文句を言いたい気持ちを抑えた。
部下の責任ではないし、そもそも彼は他人に自分の弱みは見せない主義だ。
その姿勢は徹底しており、酒の席でも彼が愚痴をこぼしたのを聞いた事のある者は一人としていない。
「ネライ卿の屋敷に何名か集まっています」
文律派はパンチラ・ネライ元第四王子に接触しているという。
今度こそ宰相は天を仰ぎたくなる気持ちを抑えきれなかった。
「あのお方は・・・ 文律派との関係は?」
「恐らくは文律派と知らずに会っておられるだけかと。文律派若手貴族の集まるサロンに出向かれてもいませんし」
まあそうだろうな・・・。
最悪の予想が外れたことにわずかだが安堵するユリウス宰相。
元王族が文律派に担ぎ上げられることだけは避けられたようだ。
文律派とは昨今若手貴族の間で生まれたある種の尊王運動だ。
王を敬い王の強権の下に強い国を作ることを命題としている。
元々は作物の不作からくる国力の低下を憂いたある識者によって唱えられた思想が元になっている。
古の王の力が強い時代に立ち戻ることにより、現状の内憂外患を振り払おう。
――という、さほど身の無い現状を無視した思想だ。
しかし、ユリウス宰相はその対応を誤った。
いや、実際は彼の部下が勝手に行ったことだが、その識者を現王家に対する批判として安易に罰してしまったのだ。
これによって逆にその思想に正当性があるという印象を与えてしまった。
宰相は王家を私物化している。利権に染まった古い貴族はあてにならない。我々志ある若手貴族が今こそ王家に忠義を尽くすのだ。
文律派の理念はざっと言えばこんな内容だ。
具体的には、王家の権威を取り戻す。
先ずは姦物であり、長年王家をないがしろにして権力を欲しいままにしているユリウス宰相派の追放。
次に複雑化、形骸化している貴族位を一旦解体して再整理。
消耗した国庫には、大手商会を国営として国に吸収することで補填。
それによって強化された国力を背景に、今まで弱腰の外交で他国と結んできた条約を破棄。強いミロスラフ王国に相応しい内容の条約を結び直す。
彼らの考えはそんなところだ。
言うまでも無く狂人の戯言に過ぎない。
どれ一つとっても上手くいくはずがない。
そもそもユリウス宰相派なくしてこの国は立ち行かない。
ユリウス宰相自身の人間性は置いておくとして、彼の官僚的能力はミロスラフ王国が今の倍あっても賄える能力を持っている。
そんな彼を追放して彼よりも劣る者をトップに据え、数々の改革を遅滞なく進められるはずもない。
そもそもユリウス宰相の能力をもってしても貴族位を一旦解体して再整理するなど不可能だ。
不満分子による内乱状態になるのが目に見えている。
大手商会の国営化などもっての他だ。一時的に国庫は潤うかもしれないが、鶏を割いて卵を取り出すようなものだ。
一度信用を失った国家から次々と資本は流出して行くだろう。
当然そんな国家と他国がまともに条約を結ぶはずもない。国際的に孤立することは間違いないだろう。
つまりユリウス宰相にとって文律派とは過激なロマン主義者であり、テロリスト予備軍のような扱いなのだ。
とはいうものの、多くの若手貴族が秘密裏に賛同しているため表立っては取り締まれない。
有力な上士位の息子の参加も噂されている。
今は手の者を諜者として潜り込ませて監視を続けることしか出来なかった。
そうして手をこまねいているうちに、不味い事に先ほど隣国ゾルタの軍の国内への侵略を許してしまった。
実はあの時は、現王家の力が疑問視され文律派に決起の口実を与えかねない、正に一触即発の事態だったのである。
しかし、幸いなことにわずか一ヶ月ほどで圧倒的勝利のうちにこの戦闘は終わった。
ユリウス宰相としては、文律派に担ぎ上げられかねないカミル将軍の活躍は問題だったが、結果としてこの戦いで文律派の蠢動するスキは無かったのである。
この度の戦勝式典は強い現王家の力を内外に誇示する意図もあるのだ。
「ネライ卿の屋敷に監視を張り付かせろ。バレてもかまわん。監視されているという事実が逆に牽制になる」
「・・・ネライ卿が気付かれれば気を悪くされるのでは?」
ユリウス宰相は少し考えたが――
「それでもかまわん。その時は私自らが足を運んで釈明しよう」
「はっ」
音も無く部下が立ち去った。彼も一流の諜者なのだ。
ユリウス宰相は大きく息を吐くと気持ちを切り替え、再び目の前の書類へと取り組んだ。
まだまだ彼が休めるような状態では無いのだ。
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ミロスラフ王国王城、その最奥にある王族の居住区。
その中で最も大きく豪華な一室で一組の男女が向かい合っていた。
ミロスラフ王国国王ノルベルサンド・ミロスラフとその王妃ペラゲーヤ・ソトニコフである。
ちなみにミロスラフ王国では輿入れした女性が男性の姓を名乗る習慣はない。
それは王妃であっても変わらない。
王妃ペラゲーヤ・ソトニコフは三代遡ればチェルヌィフ王朝の王家の血を継ぐ名家の出である。
チェルヌィフ王朝は大陸の東に覇を唱える大国だ。
国土に大きな砂漠を抱えた国で、砂漠を横断する多くのキャラバンを抱えている。
そのため他国との交易が盛んで商業国家の面を強く持つ。
「弟はどうしている」
国王が尋ねた。痩せた暗い雰囲気を持つ小男だ。立派に装っていなければ彼が国王と信じる者はいないだろう。
「文律派の若手貴族と会っているようですね」
王妃が答えた。大柄でふくよかな女性だ。夫が妻より小さな夫婦を蚤の夫婦というが、正にその言葉が相応しい。
そんな対照的な二人であった。
「ランピーニ聖国のメザメ伯爵の手引きによるものですね」
サラリと衝撃的な事実が告げられた。
日頃から文律派に諜者を忍ばせている宰相でさえも掴んでいない事実を、さも当然のように語るこの女性は一体何者なのだろうか?
「ふん。妄言を吹き込まれただけにとどまらず、過激派まで押し付けられたか。弟もどこまでも甘く見られたものよ」
国王の淀みない広長舌に、もしこの場に宰相がいれば目をむいて驚いたことだろう。
実は国王は王妃の前では意外と喋るのだ。
彼は自分の容姿や声に魅力が無いことを知っているため、人前に出ることや他人と話すことを避けているだけであった。
「弟は行動力はあるが思慮と手足が無い。マコフスキー家と文律派か。メザメ伯爵は上手く仕向けたものだ」
「成功するとお思いですか?」
「・・・王妃はどう考える」
国王は判断を避けた。
というより、この質問は王妃が自分の意見を聞いて欲しいというサインである。
国王は王妃の言葉を促した。
世間的には仮面夫婦のように思われることも多い二人だが、実は仲睦まじいおしどり夫婦なのである。
国王の外への露出が少ない事、二人に子が無い事、それらが相まって世間から誤った認識を受けているのだ。
「ネライ卿の襲撃は失敗するでしょうね」
「弟がいるからな」
それは国王にも予想済みだ。ちなみにこの弟は元第二王子カミル将軍のことである。
「ですがメザメ伯爵の計画は成功します」
この言葉には国王も少し考える。
元々ノルベルサンド国王は周囲に思われていたように、国王に据えるには物足りない平凡な人物であった。
だが、今の王妃と結ばれたことで彼女の薫陶を受け、今は国王として十分な政治的判断を取る能力を得ていた。
もっともその能力は優れた宰相が存在することで振るわれたことはないのだが。
「メザメ伯爵の目的が分からない」
国王は降参した。分からないことは素直に分からないと言う。
彼の持つ美徳である。かつてはその長所が周囲に注目されることは無かった。
すぐそばに一を聞いて十を知る天才肌の弟がいたからである。
「メザメ伯爵の狙いはミロスラフ王国が乱れる事です。彼はその混乱に乗じて利益を得ようとしているにすぎません」
「何だそれは・・・ 本当に一国の外交官の考える事か? 我が国では無法者でも屋敷に火を放って強盗を行うようなマネはせんぞ」
国王は呆れ、憤慨したが、その一方で王妃の言った事が真実であることを疑ってはいなかった。
王妃はこの王城最奥の居住区から一歩も出ることは無いが、大陸中に張り巡らされたチェルヌィフ王朝商人の情報網で居ながらにして国の内外の情報を得ているのだ。
その中には当然ランピーニ聖国の情報も含まれる。
メザメ伯爵がその心根を聖国の貴族達から危険視されていることも、今回の友好使節団にメザメ伯爵が代表に決まった時、それを危ぶんだ彼らが、メザメ伯爵の政敵でもあるノールデルメール伯爵を後押しして、マリエッタ第八王女を代表にねじ込んだことも知っている。
メザメ伯爵の目にはマリエッタ第八王女は何の力もないお飾りと映っているが、実はそんなことはないのだ。
確かにマリエッタ第八王女自身は何の権力も持たないが、その愛らしい容姿と素直で朗らかな人柄で彼女の姉達にこの上なく愛されている。
中でも第一王女はこの可愛い末っ子にベタ惚れで、今回の使節団代表としての海外への派遣に最後まで反対していた。
つまり本来ならマリエッタ第八王女に何かあれば、メザメ伯爵はただでは済まないのだ。
だが、全てを自分の物差しでしか計ることのできないメザメ伯爵の目には、何の政治力もない第八王女は単に無力な小娘としか映らなかったのである。
まさかマリエッタ王女を推した者達も、第八王女がメザメ伯爵に対して何の牽制にもならないという事態は想像も出来なかったのだ。
「・・・メザメ伯爵は自身の手で王女を害すると?」
「恐らくは。もちろん本当に自身の手で行うのではなく、文律派の一部を屋敷内に手引きするという形になるでしょう」
「跳ねっ返りの弟では出来た弟にはかなわん。弟達が屋敷の外で争う間に、屋敷の中では第八王女が害される。それを防ぐ者はない・・・か」
国王はしばらく考えると王妃に自分の考えを明かした。
王妃はその考えに賛同した。
こうして一つの命令がカミル将軍へと下るのだが・・・。
カミル将軍は命令書を手に唸っていた。
「この時期に、俺直々に国境警備を視察しろだと?! 兄王は正気か?!」
それは信じられない命令だった。
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