その6 初仕事の終わり
夕方。
ヤラの港町ホマレ初仕事は無事に終了した。
現場監督が作業員を一列に並べると、一人一人に今日の日当を手渡している。
そこはむき出しは止めようよ。銀行振込みとは言わないけど、せめて封筒に入れて渡すとかさ。
しかしこんな事を気にしているのは僕ぐらいで、みんな嬉しそうにお金を受け取っていた。
『へへっ。昼飯付きで七十ベルクか。悪くねえな』
ヤラはコインを数えながら相好を崩した。
彼女が今日一日働いて手に入れたお金は七十ベルク――日本円にして大体三千五百円程。
危険な肉体労働だった割には安いような気もするが、そもそも食費が安いので、これでも全然困らないようだ。
ちなみに昨日、ヤラと妹のカタリナが泊った木賃宿は素泊まりで五ベルク。日本円で一人二百五十円というバカみたいに安いお値段だ。
その分、サービスは何も無い――ベッド以外は本当に何も無いのだが、ヤラ達は別料金で借りられる毛布をケチって、上着を羽織って眠っていた。
ヒゲの男の横顔が刻印されたこのお金は、実はこの国のものではない。ランピーニ聖国のお金である。
一応、この国でも自国の通貨は作られているそうだが、発行数が少ないのか、王都とその周辺以外ではあまり流通していないようだ。
この辺の事情は、話すと少しややこしいのだが、各領地では、領主が発行した有価証券がお金代わりに使われている。
しかし、それも一部で、不足分は他国のお金で賄われているそうだ。
それだけ国の発行するお金に信用が無いのだろう。
といった訳で、この国で主に使われているのは、ランピーニ聖国のお金、チェルヌィフ王朝のお金、そしてミュッリュニエミ帝国のお金。
中でもここ、ナカジマ領は特に聖国との繋がりが深いため、流通しているコインの大半は聖国のそれとなっている。
ちなみに、ヤラが最初から持っていたのは帝国のコインだった。
帝国と北に国境を接している小ゾルタでは、帝国経済の影響をダイレクトに受けているのだろう。
ヤラがご機嫌な理由は、懐が温まったというのもあるだろうが、この町で使いやすい聖国のお金を手に入れる事が出来た、というのもあるのかもしれない。
勿論、帝国のコインで物が買えない訳ではない。
しかし、この町ではあまり使われていない帝国コインばかりを使っていると、それだけで余所者という事がバレてしまう。
余計なトラブルを防ぐ為にも、その手の悪目立ちは避けたいのだろう。
(良かったね。思ったよりも仕事の終わりが遅くなったし、早く妹さんの所に戻ってあげようよ)
(おっ? なんだハヤテ。テメエ高い所から降りたせいか、急に元気が出やがったな)
ぐっ・・・い、いいだろう、別に。高い所は苦手なんだよ。
あ~あ。しばらくは昼間の事でからかわれ続けるんだろうなあ。きっと。
『まあ、ハヤテに言われるまでもねえがな。ええと、あっちがカタリナと待ち合わせをしていた大通りだったな』
どうやら帰りは行きと違って荷車での送り迎えはないようだ。
作業員達は三々五々、数人でグループを作りながらこの場を離れて行く。
ヤラも仲良くなった大工達から食事を誘われたが、約束があるからと断って、足早に作業現場を後にしたのだった。
『お姉ちゃん!』
ヤラの妹、カタリナはすぐに見付かった。
カタリナは不安そうに通りを見回していたが、姉の姿を見つけるとパッと笑顔になって駆け寄って来た。
『カタリナ、一人で大丈夫だったか? 何か困った事はなかったか?』
『ううん、大丈夫!』
話を聞いてみると、近くに川が流れていたので、その橋の下に一日中隠れていたのだと言う。
(ええ~っ、ずっと橋の下に隠れてたって、それってどうなの?)
(うるせえな。もし、アタシがいない間に、妹が誰かに絡まれたらどうするんだよ)
その時は巡回中の騎士団が助けてくれると思うけど――って、確かに、それをあてにするのも危ないか。
日本なら町のあちこちに交番があるけど、この町ではそうはいかない。
町の規模に対して、騎士団員の数が少な過ぎるのだ。
自衛の意識を強く持つようにしておいた方が間違いはないだろう。
実は騎士団員の不足はティトゥも頭を悩ませていた。
足りないのは分かっていながら手付かずなのは、そうホイホイと増やせるものでもないからだ。
この世界では、騎士団の権限が非常に強い。それは騎士団が警察官の役割と裁判官の役割を併せ持っているためである。
そのため、下手に採用基準を下げると、騎士団自体が犯罪の温床になりかねなかった。
(だからって、騎士団の役目を警察活動だけに限定すると、今度は裁判が大変になるだけだし。う~ん。どうにも痛し痒しといった所だね)
(何をゴチャゴチャ言ってんだ? お前)
ヤラの怪訝な感情が伝わって来る。
いかんいかん。つい、考え込んでしまった。
カタリナが少し心配そうに姉を見上げた。
『お姉ちゃん。お仕事はどうだった?』
ヤラは自信満々に頷くと、コインを何枚か取り出した。
『ああ。カタリナが待っててくれたおかげで、バッチリ稼いで来れたぜ。ホラ見て見ろ。聖国のお金だ』
『わあ、カルパレスのお金とは違うんだね』
カタリナは物珍しさに、渡されたコインをためつすがめつ眺めた。
ヤラは最初、そんな妹の様子を微笑ましそうに見つめていたが、何かに気付いたのか急に眉間にしわを寄せた。
『カタリナ。あんた、アタシが渡したお金でちゃんと昼メシを買ったんだろうね?』
『!』
カタリナはビクリと体を固くすると、顔を伏せた。
『・・・やっぱり』
『お姉ちゃん。でも・・・私』
カタリナはギュッと両手を握りしめた。
『私・・・何もしていないのに・・・それなのにご飯を食べるなんて・・・。これって最後のお金だったんでしょ? だったら大事に取っておかないと』
『カタリナ・・・バカだな、お前そんな事を気にしてたのかよ』
二人の様子に僕はハッとした。
今朝。ヤラは懐からお金を取り出すと、しばらくの間そのお金をジッと見つめていた。
僕はあの時、彼女が何を考えているのか分からなかった。
だが、あのたった数枚のコインが姉妹に残された最後のお金だったのだ。
その全財産を、ヤラはカタリナに昼食代として使うように言って渡した。
そしてカタリナはそれを知っていたのだろう。だから彼女はそのお金を使う事が出来なかったのである。
『アタシは働きに行って来るって言ったろ? 折角、アタシが稼いで来たって、お前がムリをして体を壊していたら元も子もないじゃないか』
『けど・・・お姉ちゃんもご飯を食べてないのに』
ヤラは『何を言ってんだ。アタシはちゃんと仕事場で腹いっぱい食って来たぞ』と言って笑顔を見せた。
『・・・本当?』
『ああ、本当だ。倉庫の建設現場の仕事でな。全員分の昼飯をこんな大きな鍋で作っていたんだ。中々美味かったんだぜ』
カタリナは疑うように姉を見上げていたが、ヤラが安心させるように抱き寄せると、ようやく安心したのか、小さな笑みを浮かべた。
『良かった』
『いいや、良くない。カタリナは昼飯を抜いてるんだろ? だったら昼の分も食べなきゃダメだ』
『うん。お腹空いた』
安心したらお腹が空いたのだろう。
カタリナは小さな手で自分のお腹を押さえた。
『そうか。何が食べたい?』
『今朝のスープがいい』
またかよ。
ていうか、君ら昨日からあの出店のスープ以外食べてないんじゃない?
そんなにあのスープって美味しいわけ? ちょっと気になって来たんだけど。
ヤラは『そうだな』と笑うと妹を連れて出店へと向かった。
ちなみに例の出店はやっていなかった。
どうやら今日の分は売り切れてしまったようだ。
カタリナはガッカリしたが、別の出店で買った料理――ナンに野菜や豆を混ぜたお好み焼きのような料理――を食べて、嬉しそうに笑顔を見せた。
『これも美味しい』
『ああ。ホマレのメシはどれも美味いな』
ヤラは食べ足りなかったのか、もう一枚頼み、半分に割って妹に渡した。
『お姉ちゃん。私はもう食べたから』
『ダメだ。お前は昼を抜いているんだ。しっかり食べないとな』
ちなみにこの国では、食事は一日二食だが、それとは別に昼にも何かを食べている。
つまり、ちゃんとした食事は朝夕の二食で、昼間は仕事の手が空いた時や休憩時間に何かを摘まむ、という感じなのだ。
昼の食事は時間も回数もその時、その人次第で、普通にお昼に食べる人もいれば、何回かに分けて少量ずつ食べる人もいる。
前者はティトゥ。後者はティトゥの屋敷で働いている使用人達――メイド少女カーチャなんかがそれにあたる。
カタリナは一枚半食べてお腹が一杯になったようだ。
ヤラはまだ食べ足りなかったのか、もう一枚頼もうとした。
カタリナは驚きに目を見張った。
『お姉ちゃん。そんなに食べて大丈夫?』
『ん? ああ、少し節約するか』
カタリナは足を止めると周囲を軽く見回した。
『そこのパン屋で一ベルクパンを買って来るから、ちょっと待っててくれ』
『・・・そういう意味で言ったんじゃないんだけど』
ちなみにお好み焼き一枚の値段は三ベルク。(※約150円)
ヤラが買ったパンは一番安い一ベルクのパンだった。(※約50円)
『この国にも一ベルクパンがあるんだね』
『そういや、まともなコイツを見るのも久しぶりだな』
一ベルクパンは国民の主食として補償されたパンで、値段と大きさが国の法律でちゃんと決められているという。
これに違反したパン屋は、厳しい罰金が課せられるか、最悪、営業停止処分を受ける事となる。
後でヤラから聞いた話だが、内乱中で物資が不足している小ゾルタでは、最近ではこのルールを守らない――守れない?――パン屋が増えているそうだ。
小麦の量を減らして小さくしたり、それを誤魔化すために平らに押しつぶしたパンなんかが平気で売られていたそうだ。
『うん、そうそう。これが一ベルクパンの味だ』
パンの味に国の違いは無いようだ。
ヤラはパンを一口サイズにちぎると、嬉しそうに頬張った。
お腹が一杯カタリナも、姉の姿を見ているうちに食べてみたくなったようだ。
少し分けて貰うと、こちらも嬉しそうに食べていた。
『一ベルクパンの味。でも、パンだけだと喉が渇くね』
『違いない。そろそろ宿に向かうか』
二人は昨日泊った木賃宿で宿を取ると、備え付けの共同井戸で水を汲んで喉を潤したのだった。
次回「カメニツキー伯爵領の戦い」