その4 労働者の朝
早朝の港町ホマレ。
ヤラは妹のカタリナを連れて、宿泊先の木賃宿を後にした。
(はあ・・・せっかく元の体に戻れたと思ったのに。ヤラの目が覚めたらまたこんな事になるなんて。はあ・・・ティトゥ達、心配しているだろうな)
(うるせえ! 朝っぱらから人の頭の中でウジウジしてんじゃねえよ!)
ちぇっ。言ってくれるよ。
ヤラの苛立ちが僕の心にダイレクトに伝わって来る。
『お姉ちゃん? どうかしたの?』
『いや、何でもない。それにしても思ったよりもキレイでいい宿だったな。金が稼げたら今日もここに泊るか』
『うん』
二人はご機嫌な様子で笑みを浮かべた。
最低価格の木賃宿とはいえ、港町ホマレ自体がまだ出来て半年も経っていない。
当然、宿も建てられたばかりの新築で、ベッドだってまだ新しい。
僕の感覚だと「女の子二人が、労働者達と一緒に雑魚寝ってどうよ?」って感じだったけど、二人にとっては案外快適な寝床だったようだ。
(昨日は一日中、狭くて不潔な船の船倉に閉じ込められていたから、あんな木賃宿の雑魚寝でも満足出来たんだろうね)
(あんなとは言ってくれるぜ。テメエは余程いい家に住んでるんだろうな)
(僕? 僕が住んでいるのはテントかな。テントを手に入れるまでは基本、露天駐機だったけど)
四式戦闘機の機体に転生してからは、暑さ寒さもほとんど感じなくなったし、そもそも寝ない体なので、それで全然困っていない。
さすがに露天駐機は汚れが付くのでイヤだけど。
そういえばマチェイ家の裏庭に、僕用のガレージも作ってもらったけど、直後にティトゥが領地を貰って引っ越したから、ほとんど使わなかったな。
今では屋敷の倉庫になっているそうだ。
(おいおいテントって。それって外で寝てるって事じゃねえか。それで良くアタシらの事をバカに出来たもんだぜ)
ヤラから呆れとあざけりの感情が伝わって来た。
僕はちょっとムッとした。
(例えテントでも僕にとっては住み慣れた大事な家なんだよ。大体、誰のせいでこんな目に遭ってると思っているんだよ)
僕の苛立ちと軽い怒りを感じたのだろう。ヤラの心は一転、申し訳なさそうに重く沈んだ。
(ちっ・・・悪かったよ。アタシだって偉そうに人の事をバカに出来る立場じゃねえってのによ。――お前の事はいずれ何とかしてみせる。けど今は手持ちの金がねえ。今日は仕事を優先させてくれ)
反省するヤラに、僕の苛立ちはたちまち勢いを失ってしまった。
ちぇっ。なんだよ、もう。
ヤラは口調こそ乱暴だが、決して性格が悪い子ではないのだ。
(・・・分かったよ。僕だって君の妹がお腹を空かせているのを見るのはイヤだからね。我慢するよ)
ヤラは『すまねえ」と、僕に謝罪した。
こうしてお互いの感情がダイレクトに伝わるというのは、どうにもやり辛い。
自分の心には――感情にはウソが付けないのだ。
(それで今は何処に向かっているの? 仕事のあてはある訳?)
(ああ。宿に泊まってたヤツらが話してた。この先に仕事が貰える場所があるんだってよ)
ヤラは途中で朝からやってる出店に寄ってスープを買った。
野菜と大麦、それに魚のアラの入ったスープで、二人は出店の横に座り込んで、嬉しそうに温かいスープをすすった。
『具も結構入ってるし、コイツは当たりだな』
『うん。美味しいね』
(それって昨日の夕方も同じ物を食べてたよね? そんなに美味しい訳?)
僕の最もな質問に、ヤラが答えた。
(ん? ああ。確かにここの料理はちょっと値が張るが、アタシらのいたカルパレスの出店じゃ薄く溶いた粥みたいなモンしか出て来ねえからな。少しぐらい高くても、美味くて食いでのあるコッチの方が嬉しいぜ)
ふうん。そうなんだ。
ちなみにカルパレスは二人が住んでいた町の名前だ。小ゾルタのヘルザーム伯爵領の西にある港町だそうだ。
(ていうか、ハヤテはアタシが食べた料理の味が分からないのか?)
ヤラの不思議そうな感情が流れて来る。
どうやら、頭の中に同居しているんだから、味覚も共有しているんじゃないかと思っていたようだ。
(いいや、残念ながら。味も分からないし、満腹感もないかな。匂いや暑さ寒さ、それに痛みなんかも全く感じないみたい)
(ふうん。痛さを感じないのは羨ましいが、こんなに美味い食い物が味わえないのは残念だな)
多分、今の僕の感覚のベースになっているのは、元の体――四式戦闘機の機体の感覚に準拠しているんじゃないだろうか?
四式戦闘機の機体に転生してからこっち。僕は匂いや気温、痛みというモノをほとんど感じなくなっている。(※以前、ティトゥに操縦桿を引っこ抜かれた時には悶絶した覚えはあるけど)
食事もしないから、当然、味覚だって無いんだろう。
(味は分からなくても、ヤラの嬉しそうな感情は伝わって来るよ)
(そうか? まあ実際、美味いからな。ああ、もう無くなっちまった)
ヤラはスープを最後の一滴まで飲み干すと、器の内側を指で拭ってその指をしゃぶった。
(行儀が悪いよ。妹がマネしたらどうするのさ?)
『はんっ、構うもんかよ。オジサン、美味かったぜ』
ヤラは出店のオジサンに器を返すと、懐から数枚のコインを取り出した。
(? どうしたの)
(・・・何でもねえ)
ヤラは少しの間、手の中のコインをジッと見ていたが、振り返ると、そのお金を妹の手に握らせた。
『カタリナ。アタシは今から仕事に行って来るから。お前はゆっくり食べてな。腹が減ったら、コイツで適当に何か食って待ってるんだ。いいな?』
『・・・(コクリ)』
カタリナは不安そうな顔になったが、駄々をこねて姉を困らせたくはなかったのだろう。
気丈にも黙って頷いた。
ヤラは『いい子だ』と言って、妹の頭をポンポンと叩いた。
『夕方に大通りの広場で待ち合わせだ。それじゃあな』
ヤラから不安の感情が伝わって来る。
見ず知らずの町に幼い妹をたった一人で残して行くのだ。妹想いのヤラが平気でいられるはずはない。
しかし、小さな女の子連れで仕事に行けるはずもない。
やむを得ない決断とはいえ、彼女の心配は想像して余りある。
(・・・カタリナはしっかりした子だし、きっと大丈夫だよ)
(ふん。そんな事は分かってるっての)
こんな慰めの言葉をかける事しか出来ないなんて。
僕は無力な自分を少し情けなく思った。
妹と別れたヤラは、港の方へと向かった。
ふと気が付くと周囲は古びた服を着たヒゲ面の男達ばかりが歩いている。
いかにも「肉体労働者の集まり」といった感じだ。
(何だか、独特の雰囲気があるね)
(ふん。どうってことねえよ)
ヤラはバッサリ切ってのけたが、僕には彼女の不安が伝わっている。
虚勢を張っているのは丸わかりだ。
進行方向から、男の大声が聞こえて来た。
『港の倉庫工事に参加を希望する者は、この荷車に乗れ! 賃金は一日七十ベルク! それと昼飯付きだ!』
昼飯付きという言葉に反応した男達が、慌てて男の馬車に向けて走り出した。
『運河の石運びに行く者はこちらに集まれ! 条件は力のある男! 賃金は百ベルク出すぞ!』
こちらの声にはガタイのいい男達ばかりが集まっている。
ヤラは百ベルクという金額に反応したが、集まった顔ぶれを見て残念そうに顔を反らした。
ちなみに「ベルク」というのはこの国の通貨単位で、大体1ベルクが五十円に相当するらしい。
つまり石運びの日当は約五千円程という事になる。
一日働いて手取り五千円というのは、僕の感覚では随分と安い気もするが、食費自体が驚く程安いので、これでも全然困らないのだろう。
代わりに服や道具、家具なんかは元の世界のそれに比べると随分と割高だ。
これはこの世界が産業革命以前――まだ機械化による大量生産が行われていないためだと思われる。
(建設現場の作業員の募集ばかりか。ウエイトレスとかそういう、女性向けの仕事は無さそうだね)
(ウエイ――何だって? 女向けの仕事って、お針子とかか? そんなのこんな場所で集めてる訳ねえだろ)
ヤラから呆れた感情が伝わって来る。
まあ確かに。ちょっと女性には入り辛い雰囲気だよね。ここって。
どうやらこの場所はいわゆる「寄せ場」。日雇い労働の求人と、仕事を求める者達が集まる場所のようだ。
日本でも昔はこういった場所がいくつもあったと聞いている。
ヤラはキョロキョロと辺りを見回していたが、結局、最初に聞いた昼食付きの倉庫工事に参加する事にしたようだ。
彼女が荷車に乗り込むと、呼び込みをしていた男も彼女に続いて乗り込んだ。
『これで締め切りだ! 乗り遅れた者の中で参加を希望する者は荷車の後ろについて来い!』
御者が手綱を振ると、馬に引かれて荷車がゴトゴトと動き始めた。
出遅れた男達が数人。慌てて荷車を追いかけて来る。
今回、仕事に参加したメンバーの中で、女性はヤラ一人だけだった。
周囲からむき出しの好奇の視線が集中する。
何とも居心地の悪い雰囲気だ。
(・・・ねえ、ヤラ。明日は女性向けの求人を探した方がいいんじゃない?)
(うるせえ。この町には伝手がねえんだから仕方がねえだろ)
さしものヤラもこの状況には不安を隠せないようだ。いつものように僕を怒鳴り付ける声にも力がなかった。
その後、ヤラ達労働者を乗せた荷車は港の通りを進み、建設中の一角へと到着するのだった。
次回「ティトゥ・ナカジマの憂鬱」