その3 ハヤテの帰還
フッと意識が遠のいたかと思うと、何かに引き寄せられるような感覚が僕を襲った。
あれ? これって昼間に感じたあの感覚なんじゃ・・・
そして気付いた時には僕は自分のテントの中にいた。
ここは・・・
僕は一瞬、自分の置かれている状況が理解出来なかった。
薄暗いテントの中には小さな明かりが灯され、若い男が一人。退屈そうに机の上にカードを並べている。
この世界にも元の世界のトランプのような物があり、どうやら彼はソリティアで遊んでいるようだ。
遊びと言えば、僕は以前、リバーシをナカジマ領発祥のゲームとして流行らせようと画策した事があった。
この世界にもバックギャモンに似たすごろくや、神経衰弱のような絵合わせ。あるいは昔、紹介した事のあるジェンガなんかがある。だったらリバーシもイケるんじゃないかな? と思ったのである。
ていうか、ぶっちゃけリバーシは異世界転生モノのお約束みたいなものだし。
僕は試作品を家具職人のオレクに作ってもらい、みんなの前で意気揚々とリバーシを発表した。
・・・が、残念ながら僕が期待していた程、周囲の反応は良くなかった。
どうやら「完全に実力勝負」である点が、受けが悪かった原因らしい。
みんなは気軽に遊べる”運ゲー”を求めていたのである。
しかし、逆にその点が刺さった人達も少数ながらいたらしく、リバーシは極一部で熱狂的なファンを獲得。有志の方々が集まって勉強会なんかも行われている様子である。
といった話はさておき。
どうやら僕は元の四式戦闘機ボディーに戻ったようである。
そしてこの人は、なんで僕のテントで遊んでいるんだろうね?
『エエト・・・ダレ?』
『うえっ?! は、ハヤテ様?! ハヤテ様、目を覚ましたんですか?!』
男はビクリと体をすくめると、慌てて僕を見上げた。
目を覚ました? どういう事?
僕の四式戦闘機ボディーは睡眠を必要としない。というか、寝ようと思っても寝る事すら出来ない。
眠れるなら毎晩一人で退屈する事もなくなるんだろうけどさ。
『ネテナイ』
『ちょっと待ってください! 今、誰か呼んで来ますから!』
男は机の上にカードを投げ出すと、一目散にテントを飛び出して行った。
なんなんだろうね、一体。
僕は訳も分からないまま、ボンヤリと彼の帰りを待つのだった。
どうやらさっきの彼はナカジマ家の使用人だったようだ。そういや見覚えがあったような・・・。
しばらくするとティトゥに代官のオットー、それにメイド少女カーチャを含めたナカジマ家の使用人達が僕のテントに勢ぞろいした。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
それと二人のリトルドラゴンズ。ファル子とハヤブサ。
『ハヤテ! あなた目が覚めたんですの?!』
ティトゥの吐く息が薄っすらと白い。外は結構気温が低いようだ。
「ええと、ティトゥ。心配かけてゴメン。ちょっと一言では説明出来ない状況になってて。それと僕は寝てた訳じゃないから。僕は寝ないって前に何度か説明したよね?」
『ええ。ええ。聞いていますわ』
僕が喋ると、みんなから「おお~っ!」と大きなどよめきが上がった。
ティトゥは興奮に頬を赤く染めて、何度も大きく頷いている。
ナカジマ家の料理長、ベアータがティトゥに尋ねた。
『あの、ご当主様。ハヤテ様は何て言ってるんでしょうか? アタシらが話しかけてもずっと返事が無かったのはどうしてだったんでしょうか?』
『その理由はまだ聞いていませんわ。ハヤテ。あなたどうして昼間からずっと黙ったままだったんですの?』
その前に。
僕は計器の時計で時間を確認した。
今は午後八時。ティトゥは夕食を終え、一日の最後をのんびりと過ごしている時間だ。
なる程。つまりはそういう事か。
「どうやらヤラが寝た事で、元の体に戻れたみたいだね」
『ヤラ? 何の事ですの?』
僕はティトゥに、今日、僕が経験した不思議な出来事を説明したのだった。
「――という訳で、どうやら彼女は自分の能力を使いこなせないらしいんだ。僕の精神を引き寄せたのはいいけど、元に戻す方法が分からなかったんだよ。で、どうする事も出来ずに、仕方なくずっと彼女の頭の中にいたって訳。けどついさっき、彼女が寝て意識が消えたと思った途端、なぜか急に元の体に戻っていたんだよね」
『そんな事になっていたんですのね』
『ティトゥ様、ハヤテ様は何とおっしゃったのですか?』
ティトゥはメイド少女カーチャに振り返ると、僕から聞いた話を、苦労しながらみんなに伝えた。
とはいえ、彼女にも理解し難い話だったらしく、何度も僕に振り返っては確認するという作業を挟んでいた。
いやまあ巻き込まれた僕にだって、何が起きたか正確には分かっていないんだから、話を聞いただけのティトゥがちゃんと理解出来るはずもないんだけどね。
『そんな不思議な事があったんですね』
『へえ。ハヤテ様は寝ていた訳じゃなかったんですか』
「そういや、みんながさっきから言ってる僕が寝てたって話は、一体どこから出て来た訳?」
ティトゥは緑色のリトルドラゴン、ハヤブサに振り返った。
『ハヤブサがそう言ったんですわ』
「ギャウー?(違ったの?)」
詳しい話を聞いてみると、ハヤブサやファル子の目には、眠っている人は心と体が離れた状態に映るらしい。
で、ハヤブサが言うには、さっきまでの僕は、丁度それに似たような姿に見えていたんだそうだ。
何それ。人の心(精神?)が見えるとか、ちょっとワクワクするんだけど。
なんちゃってドラゴンの僕と違って、ファル子達本物のドラゴンは世界の見え方からして違うようだ。
何だか神秘的でカッコいいね。
「なる程。だからみんな僕が寝ていると思ったのか」
「ギャーウー(ゴメンね、パパ)」
いや、別に謝るような事じゃないから。
「精神が無いから、多分死んでる」とか言ったなら、困った事になってたかもしれないけど。
代官のオットーがコホンと咳ばらいをした。
『とにかく、ハヤテ様に何事も無くて良かったです。今日はもう遅いので、話の続きは明日にしませんか? ハヤテ様もゆっくりと落ち着いて考える時間が必要でしょうし』
『・・・そうですわね』
ティトゥは名残惜しそうに僕に振り返ったが、僕の気持ちを推し量ってか何も言い返す事は無かった。
実際、僕もやっと元の体に戻れてホッとしていたし、ゆっくり落ち着ける時間が貰えるのは嬉しかった。
メイド少女カーチャがハヤブサを抱き上げた。
『それじゃハヤブサ様、お部屋に戻りましょうね』
「ギャーウー(パパ、おやすみ)」
『ほら、ファルコも行きますわよ』
「ギャウー! ギャウー!(イヤー! ママ放してー!)」
夜にみんなが集まった事で、ファル子はすっかりテンションが上がってしまったらしい。
興奮して走り回っていた所をティトゥに捕まえられてジタバタと暴れた。
『ハイハイ、騒がないの。じゃあハヤテ。また明日』
「うん。おやすみ」
ティトゥにオットー、そして使用人達がゾロゾロと出て行くと、最初に僕を見張っていた使用人が、カードと明かりを持ってテントから出て行った。
僕は一人、真っ暗になった自室で、大きなため息をついた。
(はあ・・・とにかく、こうして無事に元の体に戻れて良かったよ)
終わってしまえば「あれは一体何だったんだろう?」と思うような経験だった。
あるいはハヤブサの言う通り、僕は本当は眠っていて、昼間の事はリアルな夢だったのかもしれない。
ヤラ達は夢の内容に整合性を持たせるために、僕が生み出した架空の人物で、実在はしないのかもしれない。
(う~ん。考えれば考える程、僕の夢だった気がしてきたんだけど。霊感体質とか、いかにもティトゥが考えそうな空想的設定だもんな。あっ、そうだ。明日になったらオットーに話をして、港町ホマレにヤラとカタリナという姉妹がいないか、調べて貰おうか)
もし、本当にいるならヤラに今日の話を聞いてみたい。
普通に「えっ? そんな事、アタシは知らないけど?」とか言われそうだけど。
(まあ、何事もなく終わって良かったよ。ティトゥ達にも心配をかけてしまったし、明日はみんなに謝っておかないとな)
こうしてこの不思議な事件は、始まった時と同様、唐突に解決してしまったのだった。
全てはハヤブサの言ったように僕の夢だったのか。あるいは本当にヤラという霊能力少女が起こした現象だったのか。
とにかく今はただ、こうして無事に元の体に戻れた事に、僕は心の底から安堵するのであった。
・・・などと、思っていた時期がありました。
(なんでまた、ヤラの頭の中に戻っているんだよ!)
(うるせえな! 朝っぱらから人の頭の中で大声出してんじゃねえ!)
ここは港の労働者達が泊る安い木賃宿。
細長い大部屋には、ベッドがズラリと一列に並んで、今も何人もの客がいびきをかいている。
テントの中で、「そろそろ夜明けかな」とか思っていたら、急にまた引き寄せられる感覚と同時に、僕の意識は再びヤラの頭の中に飛び込んでしまったのだ。
(いい加減、僕の事は放っといてくれよ! もう十分だろ?! 僕の体に帰してくれよ!)
(だから、自分でもどうしようもねえって言ってんだろうが! アタシだって出来るもんならどうにかしたいっての!)
「お姉ちゃん。どうしたの?」
ヤラが眉間にしわを寄せて唸っていたからだろう。ヤラの妹のカタリナが心配そうに姉の顔を覗き込んだ。
「いや。何でもねえよ。それより顔を洗って飯にしようぜ」
(おい、ハヤテ。妹には心配かけたくねえ。カタリナがいる時は喋るんじゃねえぞ)
(・・・ちぇっ)
僕だって小さな女の子を不安にさせたくはない。
言われた通り、カタリナの前ではヤラの邪魔はしないでおくことにした。
ヤラは桶の水で顔を洗うと、手ぬぐいを水に浸した。
「背中を拭いてやるからそこに座りな(おい、ハヤテ。テメエは目をつぶってろ。絶対、妹の裸を見るんじゃねえぞ)」
(裸って、背中じゃん。それに部屋には他にも宿泊客がいるし・・って、わ、分かったって)
ヤラから強い怒りの感情を感じて、僕は慌てて頷いた。
そもそも僕には幼女趣味はないので、無理をしてまで見るつもりもない。
・・・不本意ながら、一部では処女厨ドラゴンの疑惑がもたれているみたいだけど。
そして目をつぶる事は出来ないが、別の方向を見ている事は出来る。
目に頼らずに物を見る。この辺は四式戦闘機の機体の時と同じ要領だ。
(あ~あ。みんなまた僕が喋らなくなって、心配しているんだろうな。はあ・・・どうしてこうなっちゃったんだろう。はあ・・・)
(はあはあ、うるせえ! だから喋るなって言ってんだろうが! さっきの言葉を聞いてなかったのかよ!)
残念ながら、この不思議な事件はまだ解決していなかったようである。
こうして僕とヤラとの奇妙な同居生活。その二日目が始まったのであった。
次回「労働者の朝」