その2 霊能力少女ヤラ
落ち着け。落ち着くんだ僕。一旦状況を整理しよう。
僕はいつものようにティトゥの屋敷の中庭で日向ぼっこをしていた。そこまではオーケー?
その時、不意に誰かに呼ばれたような気がして、ふとそちらに意識を向けた次の瞬間、今の状況に陥っていた、と。
うん。分からん。
変化は唐突だった。
何かに引っ張られた感覚があったかと思うと、急に目の前の景色が変わったのである。
ここはどこだろう? 暗いし、人が一杯で狭いし。どこかの倉庫?
そう思った途端、視界が大きく揺れて、ギシギシと何かが軋む音が響いた。
ひょっとして船の中?
僕の体――四式戦闘機の機体の感覚は失われている。
例えるなら夢を見ている時のような感じ? いやまあ、意識はハッキリしているんだけど。
次の瞬間、僕は知らない女の子に怒鳴られていた。
『テメエ! 何、人の頭の中に入って来てんだ! 何モンだテメエ!』
『お、お姉ちゃん、急にどうしたの?』
小さな女の子の驚いた声が聞こえた。と思ったら、視界が動いて小さな女の子の姿が見えた。
くたびれた服を着た髪の長い女の子だ。ティトゥのメイド少女カーチャと同じ歳か少し下くらいかな?
カーチャと違って随分と痩せて不健康そうに見える。
さっき僕を怒鳴った女の子の声が、『な、なんでもないさ』と慌てて誤魔化している。
髪の長い子が『お姉ちゃん』と言っていたし、この声の主は女の子のお姉ちゃんなんだろうか。
(う、うるせえ! それよりテメエは何モンだ! まさか幽霊とか言い出すんじゃねえだろうな! アタシを一体どうするつもりだ!)
今度は頭の中で女の子の――お姉ちゃんの声が鳴り響いた。
うるさっ! いやいや、どうするも何も、自分が置かれている状況すら全然分からないんだけど。
僕はお姉ちゃんに落ち着いて貰うため、一先ず名前を名乗る事にした。
(ええと、僕の名前はハヤテ。さっきまで屋敷の裏庭で日向ぼっこをしていたはずなんだけど・・・あの、僕の方こそ何が起きているのか教えて欲しいんだけど)
一瞬、ドラゴンである事も言おうかと思ったけど、今は状況が分からない。
ひょっとしたら、ここはティトゥ達のいる世界とは違う世界。別の異世界という可能性だってある。
一度あることは二度ある。
地球から惑星リサールに四式戦闘機の体で転生してしまったように、あるいは違う世界の違う惑星に別の体で転生してしまったのかもしれない。
状況から考えてもありえる話だ。
だとすれば、ドラゴンと名乗っても余計にお姉ちゃんを混乱させてしまうだけだろう。
そもそも僕は本当はドラゴンでも何でもない。ただの人間だ。
ドラゴンというのはティトゥが勝手に言い始めた事で、彼女の中の設定なのだ。
(はあ?! ハヤテだ?! そのハヤテがどうしてアタシの頭の中に入ってやがるんだ! いいからとっとと出て行きやがれ!)
お姉ちゃん激おこである。
いやまあ、突然、頭の中に知らない男の声が聞こえて来たら混乱するのも無理はないか。
(・・・・・・)
(何してやがる! 早く出て行け!)
(ええと、どうやって?)
(はあっ?!)
いや、申し訳ないとは思うし、出て行くのもやぶさかでないんだけど、そもそもどうすればここから離れられるのか分からないのだ。
(どうやってって! そんなのどうにかして出て行きやがれ! 入ったんなら出て行く事くらい出来るだろうが!)
(待って待って。本当に分からないんだって。入ったって、僕が? 気が付いたらこの状態だったんだけど)
入ったなら逆の手順を踏んで出て行く事だって出来るかもしれない。けど、入った記憶がないのだからどうしようもない。僕の感覚では、いつの間にか今の状態になっていたのだ。
ていうか、本当に僕はさっきから言われているようにお姉ちゃんの頭の中に入っている訳? 先ずはそこから確認しておきたい。
(という訳なんだ。出る方法さえ分かれば、必ず出て行くから。だから教えてくれないかな。僕に一体何が起きているのか)
(・・・ちっ。今の言葉忘れんなよ。アタシを騙すつもりならただじゃおかねえからな)
僕の懸命な思いが通じたのだろうか?
お姉ちゃんはそう言うと、渋々だが僕の言葉を受け入れてくれたのだった。
お姉ちゃんの名前はヤラ。年齢はティトゥの一つ下の十八歳。
この船は小ゾルタの貨物船「ウサギの耳」号。
ヤラは妹のカタリナと二人で、隣国ミロスラフ王国の港町ホマレを目指している所だそうだ。
てか、これって隣国ゾルタの船だったのかよ!
何が「違う世界の違う惑星に別の体で転生してしまったのかもしれない」だよ! 何が「状況から考えてもありえる話だ」だよ! 思いっきり同じ世界じゃん! 違う惑星どころか、むしろかなり近場じゃん! そろそろホマレに着く予定とか言ってるじゃん!
・・・はあ~、なんだよ。ドキドキして損した。
まさかの異世界転移からの異世界転移かと思って焦ってしまった。
もうティトゥには会えないかも。ファル子やハヤブサともお別れかも、とか覚悟を決めそうになっていたよ。心が押しつぶされそうになってたよ。
あ~、良かった。いやまあ、元の体に戻る方法はまだ分からないんだけどさ。
(テメエ、何だか嬉しそうだな・・・)
おっといけない。ヤラが不機嫌になった。
こんな事態を招いた張本人が、余裕を見せているのが気に入らないようだ。
(ごめんごめん。ええと、それで、なんでこんな事になったのか、思い当たる節は無いかな? あ、僕には全く無いから。さっきも言ったと思うけど、庭で日向ぼっこをしていた所だったから)
(日向ぼっこって・・・のんきなヤツだな)
ヤラは直前の事情をかいつまんで説明してくれた。
それはそうと、今の僕はヤラの頭の中に憑依? 同居? そんな感じの状態にあるみたいだけど、記憶や知識を共有している訳じゃないようだ。
ただ、不安や苛立ち、怒りなんかの感情はダイレクトに感じる。
そういう意味では互いに誤魔化したりウソを付いたりは出来なさそうだ。
(――でだ、何だか分からねえ気配を引っ張ってたら、そいつが急にアタシの中に飛び込んで来た。それがお前だったって訳だ)
ヤラの説明が終わった。
えっ? ちょっと待って。ていう事は・・・
(ヤラは霊感体質だって話だよね?)
(・・・まあな。どうせテメエも、信じられねえ、とか言うんだろ? バカにしたけりゃバカにすりゃいいさ)
(いやいや、そこは信じるよ。現に今、こうして不思議な経験をしている訳だし。それはいいとして、君は何かの気配を感じて、自分の能力を使ってその気配を引っ張ったと)
(まあ能力って言う程大袈裟なモンじゃねえがよ)
(で、だ。その結果、その気配が君の頭の中に飛び込んで来た、と。今の状況を考えると、その気配というのは多分僕でいいんだよね?)
(何だか理屈っぽい喋り方をするヤツだな、お前。まあそうなんだろうぜ)
(・・・あのさ、それって僕は何もしてないよね。君が僕を引っ張ったからこんな事になったんじゃない?)
(・・・あ)
そう。今の状態はヤラの力で起きた事だったのだ。
僕は庭で日向ぼっこをしていただけ。
その僕の意識――霊体?――を彼女が霊能力で引き寄せて、自分の頭に憑依? させたのだ。
原因が自分だったことが分かったからだろう。
ヤラから激しい焦りの感情を感じた。
(ええと。別に怒ったりしないから。悪気が無かったのは分かったし、事故みたいなもんだって事も分かったから。だから僕を元に戻してくれないかな? 今、僕の体がどうなってるのか分からないけど、ティトゥやみんなも心配してると思うし。早く帰りたいんだけど)
僕はヤラを刺激しないように優しく彼女に話しかけた。
状況を解決する方法がヤラの霊能力頼みである以上、もし彼女にへそを曲げられでもしたらどうしようもなくなってしまう。
いやまあ、ヤラもいつまでも知らない誰かを頭の中に住まわせておきたいとは思わないだろうけど。
(・・・分からねえ)
(えっ?)
(どうすればいいかなんて、アタシにも分からねえって言ったんだよ!)
どうすればいいか分からない?
いや、マジで?
(えええっ?! ちょ、君、本気で言ってるの?! やり方が分からないってマジ?!)
(し、仕方ねえだろ! こんな事になったのは、アタシだって初めてなんだからよ!)
(いやいや、逆ギレされても困るんだけど! てか、君さっき言ってたよね?! 入ったんなら出て行く事くらい出来るだろうがーって! 僕を引っ張り込んだんだから、逆に戻す事だって出来るよね?! 自分で言ったんだから自分で出来るよね?!)
(あーっ! うるせえ! うるせえ! 分かんねえから分かんねえって言ってんだろうが! 怒鳴ったって出来ねえモンは出来ねえんだよ!)
(それを君が言う訳?! 僕を散々怒鳴り付けてた君が?! ちょ、帰してくれよ! 困るんだよ! 戻らないとみんなが心配するんだよ!)
(アタシだって困ってらあ! クソがっ! 何だってこんな事! アタシが何をしたって言うんだよ!)
(いやいや、何をしたって、全部君の霊能力のせいだろ?!)
こうなると互いに感情が筒抜けなのは厄介だ。
売り言葉に買い言葉じゃないけど、感情の抑えが利かなくなってしまう。
僕達が焦りと怒りに駆られるまま、ヤラの頭の中で怒鳴り合っている中、小ゾルタの貨物船「ウサギの耳」は、静々とホマレの港に入港していったのであった。
次回「ハヤテの帰還」