その1 ハヤテの異変
◇◇◇◇◇◇◇◇
最初にハヤテの様子がおかしい事に気付いたのは、屋敷の使用人達だった。
ティトゥ達、ナカジマ家の者達がコノ村から港町ホマレのこの屋敷に移ってから、一ヶ月と少々。
冬の近付きと共に、日は短くなっていき、風も肌寒くなっていった。
彼らは当主の契約ドラゴンを――ハヤテを彼のテントに戻すために、屋敷の裏庭へと向かっていた所だった。
ハヤテはいつものように大きな翼を目一杯に広げ、庭で日向ぼっこをしていた。
「ハヤテ様。テントにお戻ししますね」
「? あの、ハヤテ様? どうしたんですか? おかしいな? 返事がないぞ」
ハヤテは人間の言葉が理解出来るだけでなく、片言で会話も出来る。
使用人達はハヤテの返事がない事を訝しみ、どうしたものかと顔を見合わせた。
「機嫌でも悪いのかな? どうする? 勝手に動かしたら怒ったりしないかな?」
「俺に分かるもんか。弱ったな・・・」
ハヤテは非常に温厚で、彼が怒った所を見た者はいない。
とはいえ、さすがに返事も無いのに勝手に体を押すのはためらわれた。
その時、屋敷の北にある林の方からギャウギャウと賑やかな声が近付いて来た。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
「ギャウ?(あれ? 何か違うよ?)」
ピンク色と薄緑色の二匹のドラゴン。ハヤテの子供のファル子とハヤブサだ。
二人は元気よく走って来ると、ハヤテの主脚にまとわりついた。
今まで二人を散歩させていたメイド少女カーチャは、ハヤテのそばで立ち尽くしている使用人達に気付くと怪訝な表情を浮かべた。
「あの。みなさん、どうしたんですか?」
「カーチャ、実は――」
カーチャは彼らから事情を聞くと、大きな四式戦闘機の機体を見上げた。
「ハヤテ様。ハヤテ様。聞こえてますか? どうかしたんですか? ハヤテ様」
しかしハヤテはカーチャの呼びかけにも答えなかった。
「本当に返事がないですね・・・一体どうしたんでしょうか?」
カーチャは「ティトゥ様を呼んで来ますね」と言って屋敷に走って行った。
使用人達はかまって欲しくて足元に絡みついて来るファル子の扱いに困りながら、ティトゥの到着を待つのだった。
「ハヤテ! ハヤテ! ――本当ですわ。駄目ですわね」
「ご当主様の呼びかけにも答えないなんて・・・ハヤテ様は一体どうしたんでしょうか」
メイド少女カーチャが去ってから数分後。
使用人達やメイド達がハヤテを取り囲む中、ティトゥと代官のオットーが現れた。
既にカーチャからハヤテの異変を聞かされていたティトゥは、早速彼に呼びかけたが、何の返事も得られなかった。
「今朝はいつもの通り、何も変わらない様子でしたのに・・・」
ティトゥは使用人達に振り返った。
彼らは困った顔で一斉に首を振った。
「わ、我々も、特におかしな事は感じませんでした」
「はい。昼に『庭に出ますか?』と尋ねた時にも、いつものように『ヨロシク』と言われただけですし」
メイド達の何人かもハヤテと簡単な挨拶を交わしたらしいが、その際に異常を感じた者は誰もいなかったという。
「何かの病気じゃないのかしら?」
「だとしても、ハヤテ様はご当主様と話が出来るんだから、相談ぐらいすると思うけど?」
「ギャウー! ギャウー!(ママ! ママ!)」
「ギャーウー(うーん。いくら呼んでも無駄じゃないかなあ)」
「? ハヤブサは何か思い当たる事でもあるんですの?」
ティトゥはかまって欲しがるファル子を適当にあしらいながら、ハヤブサに尋ねた。
「ギャウ。ギャウギャウ(多分。今のパパは半分だけだと思う)」
「半分?」
「ギャウギャウ?(うん、半分。薄いって言うのかな?)」
ハヤブサの言葉は感覚的で掴み辛かった。
しかし、辛抱強く話を聞いているうちに、どうにか言いたい事は理解出来た。
「つまりハヤテは病気で喋れなくなったとか、意識を失っているとかじゃなくて、ただ寝てるだけなんですのね?」
「ギャウ? ギャウギャウ(違うけど、似たような感じ? 体と心が離れているから)」
ハヤブサの目には、睡眠と言うのは心と体が離れた状態に映るらしい。
あるいは繋がりが弱くなる、か。
ハヤブサによると今のハヤテも丁度そんな感じで、体から意識が離れて、自分の意思で体をコントロールする事が出来なくなっている状態に見えるのだそうだ。
「なら、起こせば目を覚ますんですのね?」
「ギャーウー(うーん。多分)」
「でもハヤテ様は寝ないんじゃなかったんですか? 以前自分でそう言っていたとか」
カーチャの指摘に、オットーは「いや待て」と口を挟んだ。
「私もその点は前々から疑問に思っていたんだ。そもそも寝ない生き物なんているだろうか? 実際、ハヤテ様の子供のファルコ様達は夜に寝ているじゃないか。
ひょっとしてハヤテ様は、”人間のように毎日は寝ない”というつもりで言ったんじゃないだろうか?
毎日は寝ないけど、寝る時にはまとめて寝る、とか。それを我々が勘違いしているだけなんじゃないか?」
「そうなのかしら? それならいいんだけど」
もし、オットーの言う通りだとするなら、ハヤテは普通に寝ているだけ。
無理に起こすのも良くない気がする。
自然に目が覚めるのを待つべきだろう。
ティトゥは不安そうな顔でハヤテを見上げた。
「どうなのかしら? ハヤブサ」
「ギャーウー(分からない)」
詳しい事はハヤブサにも分からないようだ。
しかしハヤブサは人間には無いドラゴンの超感覚で、ハヤテが深い睡眠に似た状態にある事を察しているようである。
いや、ハヤブサだけではなく、ファル子も同様だ。
その証拠に、ファル子は喋らなくなった父親に不安を感じる様子もなく、いつものように元気に遊んでいた。むしろ元気過ぎる程だ。
ティトゥはジッとハヤテを見上げた。
その姿は、まるでそうしていればハヤテが話しかけて来ると信じているかのようであった。
オットーはそんなティトゥの背中に声をかけた。
「――丁度去年も、似たような時期にハヤテ様の色が灰色に変わって驚かされた事がありました。案外、今回の事もそれと似たようなものかもしれませんね」
「そういえばそんな事もありましたわね・・・」
ドラゴンの生態は誰にも分からない。
ハヤテ本人も、良く知らない様子だった。
ならば今回の件も、実は大した事ではないのかもしれない。
ドラゴンにとっては極当たり前の事。それを自分達が勝手に騒いでいるだけ。
(ファルコ達も全く心配していない様子だし、大丈夫ですわよね?)
ティトゥは一先ずはそう納得する事にした。
「このまま庭に置いておく訳にはいきませんわ。ハヤテをテントまで運んで頂戴」
「「「は、はい!」」」
使用人達は慌ててハヤテに取り付くと、テントまで押し始めた。
明日になれば、何事もなかったかのようにいつもの声を聞かせてくれるかもしれない。
ティトゥはハヤブサを抱き上げると、ジッとハヤテの姿を見送っていた。
次回「霊能力少女ヤラ」