閑話17-2 二人の商人
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ミロスラフ王国の北。ナカジマ領の西に建設中の大型湾口。
建設途中の港湾には、連日、聖国製の大型船が訪れ、それらの船から降ろされた資材によって開発は急ピッチで進められている。
そんな港湾を中心とする港町、ホマレ。
ホマレは、少し前までは作業員の住む宿舎や、彼らの利用する施設がポツポツと立ち並ぶだけの、空き地だらけの閑散とした場所だった。
しかし、大通り沿いの一等地に、港町ボハーチェクのセイコラ商会がデンと大きな支店を構えたのを皮切りに、通りを挟んだ正面に、これまたボハーチェクの大商会、ジトニーク商会が大きな支店を建設。
それに遅れて周辺領地の大商会が競い合うように参入、現在は、すっかり出遅れてしまった王都の商人達が慌てて店を建設している状態である。
一度聖国に戻った船乗りが、次の船で訪れた時には、あまりに変わった町並みにすっかり迷子になってしまった。
そんな笑い話があるほど、港町ホマレは急成長の途上にあるのだった。
港町ホマレの宿屋。
庶民が利用するにはやや予算が厳しい。しかし、高級旅館と呼ぶにはリーズナブル。
そんな宿屋の食堂で、身なりの良い二人の宿泊客が酒を酌み交わしていた。
「そうですか。あなたのお目当てもドラゴンメニュー」
「ええ。つい先日、王都で行われたナカジマ家の招宴会。あれにウチの主人も家族で参加しまして。それ以来、奥様がすっかり夢中になってしまったらしく、最近では毎日のように、『もう一度ドラゴンメニューが食べたい』と呟いているそうですよ」
二人は王都からやって来た旅人達。酒に強そうな赤ら顔の男と、人の良さそうなのっぽの男。
それぞれ異なる大手商会の商人である。
今から四ヶ月ほど前、王都で行われた新国王カミルバルトの即位式典。
国中の貴族家が集まったその時に、ナカジマ家当主、ティトゥ・ナカジマが屋敷で開いた招宴会。
その席で振る舞われたドラゴンメニューは、参加した者達全員に忘れられない衝撃を刻み込んでいた。(※第十四章 ティトゥの招宴会編より)
「ウチも似たようなものですよ。何でも、あれこそが本物のドラゴンメニュー。見た目といい味といい、一度食べたら絶対に忘れられない。との事で。遂には、あの味を是非もう一度味わいたい。そのためならいくら金を積んでもいい。などとおっしゃって」
「ウチもそうです。料理人を引き抜いて来い。金には糸目を付けない。ダメならレシピだけでもいい。ですよ。全く、無茶を言ってくれますよ」
赤ら顔の男は苦笑しながらつまみを口に運んだ。
姫 竜 騎 士ティトゥ・ナカジマが契約したドラゴン・ハヤテ。
噂によると、そのハヤテが伝えたという、ドラゴンメニュー。
その存在は名前でのみ伝わり、王都ではその名前を勝手に使った料理がいくつも作られていた。
それら”なんちゃってドラゴンメニュー”は、竜 騎 士の芝居の人気もあって、ちょっとしたブームとなっていた。
しかし、ティトゥの開いた招宴会で、参加者達は本物のドラゴンメニューを目の当たりにした。
いや。してしまった。
「これが本物のドラゴンメニュー?!」
「確かに! この味に比べれば、王都のドラゴンメニューはまるで偽物だ!」
「これは何の肉かしら? ホロリと口の中でほどけるようで美味しいわ」
「むうっ! 手が止まらん!」
彼らはドラゴンメニューに酔いしれ、夢のようなひと時を過ごした。
あれから数か月。
招宴会の参加者達の中には、あの時の料理をもう一度食べたい。あの味をもう一度堪能したい。と、強く願う者も出ていた。
二人の主人も、そんなドラゴンメニューの虜になった者達だったのである。
「それ程までに美味い料理なら、一度でいいから私も食べてみたいものですなあ」
「違いない。きっと目の玉の飛び出るような高価な食材が使われているんでしょうなあ」
「ああ、確かに。なにせドラゴンが伝えた料理ですからね。ドラゴンしか行けないような場所で採れた食材が使われているのかもしれませんよ」
「それはスゴイ。私などでは想像も出来ませんな」
勝手に妄想を膨らませる二人。
のっぽの男は笑いながらつまみを口に入れた。
赤ら顔の男は相槌を打つと、こちらもつまみに手を伸ばした。
「おっと、つまみがなくなってしまった。素朴な味ながらついつい手が止まらなくなってしまう品だな」
「そうですね。追加を頼みますか。おおい、女将」
二人はテーブルにやって来た女将に、今、食べていたつまみの事を尋ねた。
「それはカマボコですね」
「カマボコ? 王都では聞いた事が無い料理名だな。この辺では良く食べられている物なのか?」
「ここの海で獲れた小魚をすり身にして練ったものです。この宿屋のオーナーの夫人が料理人の弟から教えて貰ったと聞いております」
「ほほう」
のっぽの男は感心しながらも、「材料が小魚なら、近くで川魚の獲れる王都でも作れそうだな。ウチの商会で扱えないだろうか?」などと考えていた。
(これは商売になるかもしれない。王都に戻ったら知り合いの料理人に相談してみよう)
それから二人は酒とカマボコ。そして女将のおすすめのつまみを追加で注文した。
「それでどうでしたか? そちらは上手くいきそうですか?」
「えっ? あ、いやあ、難しいですよ。ナカジマ家の料理人に会うどころか、未だにナカジマ様のお屋敷に入る事すら出来ない有様で」
のっぽの男は頭を掻くと、出されたつまみを口に入れた。
赤ら顔の男は「でしょうなぁ」と相槌を打つと、こちらもつまみを食べた。
現在、港町ホマレでは、水面下で三つの勢力による激しい利権争いが繰り広げられている。
一歩リードしているのは、港湾開発に大量の資本と人材を投入しているランピーニ聖国。聖国を後ろ盾とするセイコラ商会もこの勢力に含まれる。
次いでチェルヌィフ商人達による勢力。チェルヌィフ商人シーロが所属するネットワークや、ドワーフ親方の所属する水運商ギルドなどがこれに含まれる。
そして最後にこの国の商人達。港町ボハーチェクのジトニーク商会を中心とする、オルドラーチェク領商人とネライ領商人の勢力である。
王都の各大商会は、完全にこの流れに乗り損ねた形となっている。
「特にセイコラ商会からの当たりがキツくて」
「ああ、確かに。同じミロスラフの商人なんだから、あそこももう少し融通を利かせて欲しいですよねえ」
もしもこの場にナカジマ家の代官オットーがいれば、二人の愚痴を聞いて眉間に深くしわを寄せたに違いない。
彼は聖国から――外国から、強引に資本が投入されている現状に不安を抱えている。
ドラゴン・ハヤテからも、「地球でも今、支援という形で途上国の開発に資本を投入して、その後、債務の担保として港などを差し押さえるってやり方が問題になっているからね」などと、分かるような分からないような忠告を受けていた。
そんなオットーが、セイコラが王都の商会の参入を阻んでいる、と聞けば、彼に対して強い不快感を抱いたのは間違いないだろう。
「こんな事では、仕事を終えて王都に帰れるのはいつの日になるのか」
「夢のドラゴンメニュー、といった所ですか」
二人は乾いた笑いを浮かべた。
「しかし、こっちのつまみも美味いですね」
「ええ。ウチでも豆は取り扱っていますが、この緑色の豆は見覚えがありませんな。丁度なくなったので追加を頼むついでに聞いてみましょう。おおい、女将」
赤ら顔の男は手を上げて女将を呼んだ。
「この豆をもう一皿頼む。それと見慣れない豆だが、これは一体何という豆だ?」
「それは枝豆です。硬くなる前の若い大豆を塩ゆでした物になります」
「大豆?! これが大豆だって?!」
赤ら顔の男は驚きに目を見張った。
のっぽの男は名前に心当たりがなかったらしく、不思議そうに尋ねた。
「そんなに驚いているという事は、今まで食べた事がなかったのですか?」
「そりゃあまあ。大豆は家畜の餌として取引されていますから。確か貧乏人は食べていると聞いた事はありますが、まさかその大豆にこんな美味い料理方法があったなんて」
赤ら顔の男は真剣な顔で考え込んだ。
無理もない。家畜の餌として捨て値で取引されている品に、新たな商売の可能性を発見したのである。
「うむむ・・・ドラゴンメニューを探しに来て、まさかこんな料理に出会ってしまうとは」
のっぽの男は、赤ら顔の男の姿に苦笑しながらつまみを口に放り込んだ。
「我々には、手の届かないドラゴンメニューより、こういった料理を扱っている方が向いているんでしょうね」
「ああ、確かに。もし、首尾よくドラゴンメニューを作れる料理人を雇えたとしても、ドラゴンしか獲って来れない材料が必要だとしたら、結局作れない訳ですからね」
「そうそう。正におっしゃる通り」
何も知らない二人は、笑い合いながら、美味しそうにつまみに舌鼓を打つのだった。
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「姉さん久しぶり」
ナカジマ家の料理人。ベアータの弟子のハムサスは、久しぶりの休暇にポルペツカの町に住む姉夫婦の家を訪ねていた。
「いらっしゃいハムサス。あなたも元気にやっている? そうそう、以前あなたに教えて貰ったドラゴンメニュー。ウチの商会がホマレに出した宿屋で凄く好評なんだって。良ければ今回も何か教えてくれないかしら?」
上機嫌な姉の言葉に、ハムサスはハンサムな顔をギョッと歪めた。
「ちょ、姉さん、何やってるの! 旦那さんに作ってあげるおつまみって言われたから教えたんだよ! なに商売に使っているんだよ!」
ハムサスの姉は、しまった、と笑顔を固まらせた。
「だって、だって。ウチの夫が、これは商売に使える、って、乗り気になっちゃって」
「だってじゃないよ、姉さん!」
少し前、ハムサスはこの家を訪れた時、姉に強くせがまれて、仕方なく軽いおつまみ用のメニューを教えていた。
それがカマボコと枝豆である。
その際ハムサスは、「これはベアータ料理長がハヤテ様から教わったメニューなんだから、家で作るだけにしておいてね」と強く念を押していた。
しかし、あまりの美味さと手軽さに、姉の夫がつい商売っ気を出してしまったようである。
「あの時言ったよね! 貴族の料理人にとってメニューは門外不出なんだって! 僕は料理長にどう説明すればいいんだよ! いや、それよりもハヤテ様にどう謝れば――」
「ハムサスじゃないか。良く来たね。何を玄関先で騒いでいるのかね?」
その時、姉の夫が家の奥からヒョッコリと顔を出した。
――が、だしぬけにハムサスにジロリと睨まれて鼻白んだ。
「・・・お話があります。大事な話です」
「お、おう。そんな所ではなんだ。入ってくれたまえ」
「ハムサス。あの、ごめんね」
ハムサスは日頃大人しいだけに、本気で怒った時にはかなり凄みがある。
姉夫婦はハムサスの怒りにタジタジになりながら彼を家に招き入れた。
こうしてこの日、二人はハムサスからコッテリ絞られる事になるのだった。
翌日、この話をハムサスから聞かされたベアータは、平謝りをする彼に対して「別に構わないよ」と笑って手を振った。
「けど、貴族の料理人にとってメニューは門外不出で――」
「えっ? そうなの? アタシそんな話初めて聞いたんだけど」
驚いたベアータは、ティトゥに確認したが、ティトゥも「そんな話は知りませんわ」とキョトンとしていた。
「まあ、確かに貴族の料理人の中にはそういう人もいそうだけど、アタシはそういうのじゃないから。あっ、でも一応、ハヤテ様には言っといた方がいいんじゃない?」
「そ、そうですね」
ハムサスは、「確かに。ハヤテ様も自分が教えた料理が勝手に商売に使われたと知れば、気分を害するかもしれない」と考えた。
「いや、何を考えているのか大体分かるけど、多分、そんな事ないと思うから」
「そうですか? じゃあ行ってきます」
こうしてハムサスはハヤテに謝りに行く事になった。
しかし、ハムサスから事情を聞いたハヤテは機嫌を損ねるどころか、なぜそんなことで謝られているのか分からない、といった感じだった。
ハヤテは仕方なく「サヨウデゴザイマスカ」と答えて、その場を誤魔化したのだった。