エピローグ 竜軍師と婚約者
今回で第十七章が終了します。
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一日だけ時間は巻き戻る。
ティトゥ達、ナカジマ家の人間が、新築された屋敷へと引っ越しを開始する前日。
コノ村から出発する一団があった。
隣国ピスカロヴァー王国の貴族の子女。
トマスとその妹アネタ。それとトマスの婚約者のリーリアである。
ヘルザーム伯爵軍がハヤテの攻撃によって後退してから半月。
先日、ようやく彼らが旧カメニツキー伯爵領から自領に引き上げた事が確認された。
丁度、ナカジマ家がコノ村から屋敷に引っ越すタイミングも重なったため、リーリアは一度この地を離れて実家に戻る事にしたのである。
トマスとアネタの実家、オルサークは戦場にならなかったとはいえ、家族は心配しているだろう。
そこで二人もリーリアに合わせてオルサークに戻る事を決めたのだった。
リーリアの二人の侍女、ゾラとミラエナは、荷馬車の上から遠ざかっていくコノ村を眺めていた。
おっとりした侍女ゾラが悲しそうに呟いた。
「ああ。ハヤブサ様が遠ざかっていく」
「あなたまだそんな事を言ってるの?」
そばかすの侍女ミラエナは、同僚の言葉に呆れ顔になった。
二人が乗っているのはナカジマ家が用意してくれた荷馬車――戦争で色々と品が不足しているだろうと、トマスがオットーに頼んで調達して貰った荷物を積んだ荷馬車――である。
「だって、ハヤブサ様は凄く可愛いじゃないですか! 私が構ってもイヤな顔をするだけで逃げないし!」
「はいはい。主に後半の理由ね」
ゾラは重度の可愛い物好きで、特に小動物――犬や猫などが大好きだ。
しかし彼女の愛情はいささか行き過ぎるきらいがあって、いつも興奮し過ぎて動物に妙に警戒されたり、構い過ぎのせいで逃げられていた。
ハヤブサも彼女の構いっぷりにはうんざりしていたのだが、さりとて逃げるのも面倒だったらしく、「まあいいや」といつもゾラの好きにさせていた。
そんなハヤブサはゾラにとって、自分の愛情を受け止めてくれるまたとない相手だったのである。
「まあ、あんたにとっては大切な事かもね。ていうか、いつも思ってたけど、相手にイヤがられているのが分かっているなら、放っておいてあげればいいのに」
「それが出来れば苦労しません! ミラエナだって、太ると分かっていても美味しいナカジマ銘菓を食べてたじゃないですか!」
「なっ! だ、誰がデブよ!」
図星を刺されたミラエナは、怒りと羞恥で顔を真っ赤にした。
ゾラはそんな同僚を煽るようにニヤリと笑った。
「そのメイド服。お腹周りがパッツンパッツンになってますよね? 知ってますよ~。料理人のベアータさんに頼んでマシュマロを作って貰ってたんですよね。ズルいなあ~、ズルいなあ~」
「な、なぜその事を?!」
すっかりナカジマ銘菓にハマってしまったミラエナは、保存のきくマシュマロを作って貰っては、部屋に隠して夜にこっそり食べていたのである。
そんな生活を一月あまりも続けた結果、彼女のウエストは意中の男性には見せられない姿になりつつあった。
「ハヤブサ様に教えて貰いました!」
「ウソでしょ?! あんたドラゴンの言葉が分かるようになったの?!」
好きこそもののなんとやら。ゾラはその過ぎた愛情で、ティトゥのメイド少女カーチャの域までリトルドラゴンズの言葉が分かるようになっていた。
「ミラエナのウエストと同じように、私も日々成長しているんです」
「何、そのしてやったりな顔! 全然上手く言えてないから! ていうか、私のウエストはそんなに酷くないから!」
若い女性のはしたないやり取りに、荷馬車の御者(※男)は居心地が悪そうに首をすくめるのだった。
荷馬車で侍女二人が騒いでいた頃。別の馬車では彼女達の主人――リーリアが、婚約者のトマスと彼の妹アネタと、ナカジマ領での思い出話に花を咲かせていた。
「正直言って最初はどうなるかと思っていた。いきなりバルトニク騎士団の者達がナカジマ騎士団と問題を起こしたんだからな」
「ナカジマ様の所の騎士団とケンカしたのよね? ハヤテ様ともケンカするつもりだったのかしら? バルトニクの人達って随分と恐れ知らずなのね」
アネタは以前、ハヤテが引き起こした土砂崩れで、峠道が押しつぶされた光景を見ている。
そんな彼女にとって、ハヤテやティトゥと対立するなど信じられない話なのだろう。
妹の素直な感想に、兄のトマスは「違いない」と苦笑した。
「か、彼らにそんなつもりはなかったはずですわ! 実際にあの後は反省して仲良くしていましたし!」
リーリアも先日、ハヤテがたった一人でヘルザーム伯爵軍を翻弄するのを直接その目で見ている。
ハヤテと敵対するなど冗談ではない。考えただけでもゾッとする話である。
トマスは笑みを消すと真面目な表情になってリーリアに尋ねた。
「本当に? リーリアの目から見て彼らはナカジマ騎士団を――ナカジマ様とハヤテ様を侮っている様子は無かった?」
「それは・・・」
リーリアは自信が無さそうに一瞬言葉を詰まらせた。
「――いえ。仮にそうだったとしても私が言い聞かせます」
「リーリアが?」
意外そうなトマスにリーリアは「はい」と言い切った。
「私は戦場でハヤテ様の力を見ましたわ。そしてハヤテ様は――ドラゴンは絶対に敵に回してはいけないと思い知らされました」
あの日の光景は今もリーリアの脳裏に強く焼き付いている。
唐突に戦闘が始まったせいで、リーリアはハヤテから降り損ねてしまった。
しかし、今思えばそれで良かったと言える。なぜならそのおかげでリーリアは特等席でハヤテの力を――その圧倒的な戦闘力を――知る事が出来たのである。
ヘルザーム伯爵軍四千はハヤテに対して、なすすべもなかった。
ハヤテはヘルザーム伯爵軍の上空をグルグルと飛び回り、時折気が向いたように敵に攻撃を与えていった。
敵に攻撃? いや違う。ハヤテにとってヘルザーム伯爵軍は敵ではない。
ヘルザーム伯爵軍は、いや、人間は空を飛ぶドラゴンを攻撃する手段を持たない。
一方的に殺せる存在を敵とは言わない。
敵とは何かしらの脅威を与えうる存在の事を言う。
ハヤテにとって人間は脅威たりえない。
ただの”動く的”。”生きている的”なのだ。
それは戦いではなく、ただの殺戮であった。
「ハヤテ様は気まぐれにしか攻撃をしませんでした。けど、もしハヤテ様が本気でヘルザーム伯爵軍を攻撃していたら・・・ヘルザーム伯爵軍は全滅していたと思いますわ」
これはリーリアの思い違い。彼女が四式戦闘機の性能を知らないためにおきた勘違いである。
実際はハヤテはリーリアが思っているように気まぐれに攻撃をしていた訳ではない。
四式戦闘機の二式20mm機関砲の弾数は四門×150発。発射速度は毎分750発。
つまり四門全ての発射ボタンを押しっぱなしだと、十秒少々で弾切れになってしまうのだ。
ハヤテが時々しか攻撃をしなかったのは、気まぐれではなく、弾丸を節約するためだったのである。
「お父様とお兄様にもちゃんと説明するつもりです。バルトニク家は絶対にドラゴンとは敵対しない。ナカジマ様とは仲良くしないといけないと」
リーリアの決意に満ちた顔を見て、トマスは安心したように表情を緩めた。
「是非そうしてくれ。俺も理解者が増えて助かるよ」
二人の間の空気が緩んだのを感じてホッとしたのだろう。アネタが兄の婚約者に打ち明けた。
「トマス兄様ったら、こんな事を言ってるけど、リーリア義姉様がハヤテ様に乗って行った時には、心配してずっとイライラしていたのよ」
「ア、アネタ!」
「トマス様が?!」
リーリアは予想外の言葉に驚きを隠せなかった。
「でも、トマス様はハヤテ様の力を良くご存じなんですよね? だったら心配する事なんて何もないって、分かっていたはずなんじゃないですの?」
トマスはバツが悪そうに視線をそらすと、ぶっきらぼうに答えた。
「もちろん知っている。なんならハヤテ様と一緒にいる方が、騎士団に囲まれてバルトニクの屋敷にいるよりも安全だとすら思っている」
「だったらどうしてですの?」
「どうしてなの? 兄様」
トマスはニヤニヤ笑いを浮かべる妹をイヤそうに睨み付けた。
「安全とか安全じゃないとか・・・そんなのは理屈だ。心配するってのはそういうもんじゃないだろう。心の問題というか、心配だから心配なんだよ。理屈や理性でコントロール出来るようなものじゃないんだ」
「兄様はリーリア義姉様が好きだから心配だったのよね」
「えっ?!」
驚きの声をあげるリーリア。
トマスは妹の頭を押さえつけた。
「リ、リーリア! 兄貴をからかうんじゃない!」
「トマス様! 今の言葉は本当なんですか?! 私の事が好きだから心配だったって?!」
トマスはリーリアに詰め寄られて言葉を詰まらせた。
彼の顔は耳まで真っ赤になっている。この顔色が何よりも雄弁に彼の気持ちを物語っていた。
リーリアはそんなトマスの顔を見ているうちに、自分まで頬が火照って来た。
「こ、婚約者を心配して何がおかしい」
「そ、そうですわね。何もおかしくないですわ」
「二人共顔が赤くなってる」
「「アネタ!」」
トマスとリーリアは同時に叫んだ事で互いに顔を見合わせ、また気まずそうに目を反らした。
リーリアがトマスを盗み見ると、彼は仏頂面で窓の外に顔を向けていた。
(こんなトマス様を見るなんて)
リーリアにとってトマスは”オルサークの竜軍師”様。
自分と変わらない年齢なのに大人びていて、正に英雄と呼ぶにふさわしい存在。
しかし、この旅で彼女はトマスの色々な面を見る事が出来た。
今でもリーリアにとってトマスは英雄だ。しかし、その英雄は自分達を超越した存在などではない。
身の丈を超えた虚名に思い悩み、戦場に向かった婚約者を心配する。そんな当たり前の少年の顔も持っていた。
リーリアはトマスとの距離を今までよりもずっと近くに感じるようになっていた。
その時、リーリアはふと思いついた。
(案外、ハヤテ様もトマス様と同じかもしれないわね)
人間を超えた力を持つ超越者。ドラゴン・ハヤテ。
リーリアは、ひょっとしたらあのドラゴンでさえ、良く知ってみればトマスのように人間らしい存在なのかもしれない、などと思ったのである。
するとハヤテとティトゥの関係は、丁度トマスと自分の関係と同じものとなる。
その想像は不思議とリーリアの胸にストンと落ちる物があった。
「これから私はナカジマ様を目指そうかしら」
「それだけは止めてくれ」
リーリアがポツリとこぼした一言を、トマスは間髪入れずに否定した。
そのイヤそうな顔にリーリアは笑いを堪える事が出来なくなってしまうのだった。
リーリア達が去っていった所で第十七章も終わりとなります。
前章と同じく少々長めの章になってしまいましたが、楽しんで頂けたでしょうか?
この後はいつも通り閑話を挟みつつ。次の章に取り掛かる予定です。
他作品の執筆がひと区切りつき次第戻って来ますので、それまでは気長にお待ちいただくか、私の他作品を読みながら待っていて頂ければと思います。
最後になりますが、いつもこの小説を読んで頂きありがとうございます。
まだブックマークと評価をされていない方がいましたら、是非よろしくお願いします。
総合評価を上げてもっともっと多くの人に読んでもらいたいので。
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