その33 引っ越し
ドラゴン杯も無事に終わり、僕達に平穏な日常が戻って来た。
トマスの婚約者、リーリアの実家を救うためにヘルザーム伯爵軍を追い払った件については、今の所、ミロスラフ王城からは何の音沙汰もない。
後で知った事だが、この時、将ちゃんことカミルバルト国王は、自ら軍を率いてヘルザーム伯爵領への出兵を決定。その準備で忙しかったようである。
なぜそんな大事な事を知らないんだって? この頃の僕達は王家からのお叱りを恐れて大人しく領地に引きこもっていたからね。そのため、一時的に王都の情報に疎くなっていたのだ。
といったわけで、良く晴れたとある秋の朝。
この日は僕達にとって節目の日――大きな環境の変化となる、記念すべき日となった。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! パパ!)」
『ファルコ様! 今、乗せますから暴れないで下さい!』
ティトゥのメイド少女カーチャは、相変わらず落ち着きのないリトルドラゴンのファル子に手を焼きながら、彼女を僕の操縦席に乗せた。
『あれ? ハヤブサ様は?』
「ギャウー?(呼んだ?)」
『きゃっ! もう、ハヤブサ様、驚かさないで下さい!』
カーチャは翼の上からハヤブサの姿を探していたが、いつの間にか足元にいたハヤブサにビックリした。
ハヤブサは最近、ちょっとした高さなら普通に飛び乗るようになっている。
本人にその気はなくとも、不意に高い場所から姿を現すのでみんな驚いているようだ。
「ギャウー! ギャウー!(ママ! ママ!)」
『ちょ、ファルコ様!』
ティトゥを見つけたファル子が、操縦席から飛び出してティトゥの下へと飛んで行った。
せっかく乗せたファル子に脱走されて、カーチャが怒りの声を上げる。
ティトゥは足元をウロチョロするファル子を素早く捕らえると、カーチャに手渡した。
『カーチャ。この腕白娘を連れてハヤテの背中に乗っておいて頂戴』
『分かりました』
「ギャーウー!(イーヤー!)」
カーチャはジタバタと暴れるファル子を抱っこしたまま僕の操縦席に乗り込んだ。
今朝はファル子のテンションがいつになく高い。
その理由は僕達の背後――コノ村にある。
コノ村の中央。いつも僕のテントがデンと居座っている場所には、薄汚れた布の塊が横たわっていた。
解体された僕のテントである。
「せーの! よいしょ」
ナカジマ家の使用人が集まってテントが折りたたまれている。
そう。長かったコノ村での暮らしも今日限り。
今日は僕達の引っ越しの日なのだ。
『新しいお屋敷はどんな所なんでしょうね?』
僕の操縦席でカーチャが興奮気味に呟いた。
あれ? 君は見た事ないんだっけ?
まあ、僕もいつも空の上から見下ろしているだけで、間近で見た事は無いんだけど。
ティトゥの新しい屋敷は港町ホマレの北東。小高い丘の上を平らに削って作られている。
丘一つが屋敷の敷地という、現代日本では考えられない大豪邸だが、この世界の貴族では割と良く見る感じである。
昨年秋のハヤテ作戦以降、ずっと工事が続けられていたが、先日、ようやく母屋が完成したので、今日、そちらに移る事になったのだ。
「結局、一年もの間、コノ村で生活していたんだなあ」
住めば都、とは言うが、村での生活はやはり不便だったらしい。
特に冬の寒さは厳しかったらしく、ティトゥですら屋敷の完成を聞いて、『これで今年の冬は暖かく過ごせそうですわ』なんて喜んでいた。
それに最近は人も物も増えて、僕が飛び立つ時には、毎回、村の外まで運んで貰わなければならなくなっていた。
そろそろコノ村での生活にも限界が来ていたのだ。
使用人も含め、ナカジマ家の全員の引っ越しとあって、結構な大騒ぎだ。
ていうか、いつの間にかこんなに人が増えていたんだな。
最近、代官のオットーがマチェイから奥さんを呼んだように、ナカジマ領に家族や親類、知り合いを呼ぶ使用人も増えているらしい。
今のナカジマ領はいくらでも働き口があるからね。
こっちで一旗揚げよう、と考える人達も、彼らの伝手を辿ってやって来ているようだ。
おっと、噂をすれば影が差す。
代官のオットーが僕の所にやって来た。
『ハヤテ様の荷馬車はまだか? カーチャはどこにいる?』
『あ、はい! ここにいます!』
『ああ、そこにファルコ様とハヤブサ様もいたのか。お二人がどこにいるか尋ねたかっただけだ。そのままお二人の世話を頼む。――ご当主様』
『分かっていますわ。私は馬車で行けばいいんですわよね』
ティトゥは仏頂面で返事をした。
どうやら彼女は僕に乗って行こうとした所をオットーに止められたようである。
『ええ。すぐに馬車に乗って下さい。そろそろ出発します』
ティトゥは精一杯の抵抗のつもりか、だらだらと不貞腐れた態度で豪華な馬車に乗り込んだ。
う~ん。同情はするけど、ファル子達がマネするといけないので母親のそんな姿は見せないで欲しいなあ。
使用人達の手でティトゥの馬車に、ナカジマ家のお宝が積み込まれていく。
聖国の宰相夫人から海賊退治のお礼に送られて来た品々だ。
あれ? こんなに多かったっけ? 積めない分が別の馬車に乗せられているんだけど。
僕の疑問を察したのだろう。代官のオットーが説明してくれた。
『商人達から当家に――というよりもユリウス様に送られた品々です。自分には必要ない品なのでナカジマ家で使って欲しいと預けられまして』
ナカジマ家のご意見番、ユリウスさんは今は現役を引退したとはいえ、ついこの間までは長きにわたってこの国を切り盛りして来た宰相――官僚のトップだった。
言ってみれば、これって霞が関の事務次官(※キャリア官僚の出世のゴール)が地方に天下りして来たようなものだ。
そしてユリウスさんの息子は今の宰相である。
目端の利く商人達がこぞって取り入ろうとするのも当然だろう。
ユリウスさんがポルペツカの町に詰めている事が多いのも、そういった人間の相手をするためかもしれない。
『ご当主様は「くれると言うなら貰っておけばいいのですわ」などとおっしゃっていましたが・・・勝手に手を付ける事も出来ないし、一体どうすればいいものやら』
どうやら真面目なオットーは、これらの高価な贈答品を持て余しているようだ。
眉間にしわを寄せてブツブツと文句を言っている。
なんだか『私にもご当主様のような懐の広さがあればいいんですが』などと呟いているけど、ティトゥは懐が広いんじゃなくて、考えるのが面倒だから君に丸投げしているだけだと思うよ?
そんなオットーは部下に呼ばれて僕の前から去って行った。
入れ替わるように荷馬車がやって来ると、使用人達が僕を荷台に押し上げた。
「ギャウー! ギャウー!(※興奮している)」
『ファルコ様! 狭い場所で暴れないで下さい!』
僕の操縦席が狭くてゴメン。これでも四式戦闘機の操縦席は一式戦闘機・隼のものよりも広いはずなんだけど。
それはそうと、ファル子達がこれ以上大きくなったら、二人一緒には乗せられなくなりそうだ。特に落ち着きのないファル子はね。
『あっ。出発するみたいですよ』
ティトゥの馬車が動き始めた。大きな荷物を背負った使用人達が後に続く。
やがてガタンと機体が揺れると、僕達の荷馬車もゆっくりと進み始めた。
『これでコノ村の生活も終わりなんですね』
カーチャがしみじみと呟いた。
そうだね。
僕も感慨深いよ。
ちなみに元々コノ村はナカジマ家がロマ爺さん達アノ村の漁師達から借りていた場所だったので、このまま彼らに返す事になる。
ロマ爺さん達は村の建物が立派になって大喜び。
アノ村から全員でコノ村に引っ越すそうである。
「ファル子、ハヤブサ。最後にコノ村にお別れの挨拶をしようか。さよーならー」
「「ギャウーギャウー(さよーならー)」」
こうして僕らは、すっかり住み慣れてしまったコノ村を後にしたのだった。
新街道を馬車に揺られる事数時間。
すっかり日が高くなって、そろそろお昼になる頃。
前方に僕達の目的地が見えて来た。
『あっ! ファルコ様、ハヤブサ様! あの丘の上を見て下さい! あそこがティトゥ様のお屋敷、お二人の新しいお家ですよ!』
「ギャーウー?(ママのお屋敷?)」
「ギャウギャウ(どこどこ? 見えない)」
のっぺりと大きな丘の上に乗ったポツンと一軒家。
丘が広いので相対的に小さく見えてしまうけど、かなりの大きさの屋敷のはずだ。
先行しているティトゥの馬車は、既に街道を外れて丘へと向かっている。
カーチャは少し不安そうに周囲の景色を見回した。
『港町からは大分離れていますね。不便じゃないでしょうか?』
確かに港に立ち並ぶ建物は遥か遠くに見える。だが、あれはほとんどが港の倉庫だったはずだ。
今後港町ホマレはどんどん発展していく予定だし、じきにティトゥの屋敷の丘まで到達するんじゃない?
ガタン。
荷馬車が街道を外れて丘へと登る坂道に入った。
ファル子達は風防に額を押し付けて外の景色を――屋敷の屋根を見つめている。
やがて丘の頂上が近付くにつれ、屋根から二階、二階から一階が姿を現していった。
「・・・キュウ(・・・大きい)」
「ギャウギャウ! ギャウギャウ!(ママの屋敷、大きい! スゴイ!)」
興奮するファル子達。
そういえばファル子達は生まれてまだほんの四~五ヶ月。
二人にとってはティトゥの屋敷と言えばコノ村の漁村の家になる訳だ。
何だろう。段々自分の事が子供に苦労を掛けるダメな親みたいに思えて来たんだけど。
「フウーッ! フウーッ!」
『ファルコ様落ち着いて下さい! そんなにハヤテ様を引っ掻いてはダメですよ!』
鼻息も荒く前足で風防に爪を立てるファル子。
一刻も早く飛び出して屋敷の探検に行きたいようだ。
ハヤブサも一見大人しくしているように見えて、その目はキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回している。
彼の好奇心も爆発寸前。風防を開けた途端、どこかに飛んで行ってしまいそうだ。
ティトゥは馬車を降りて僕達の到着を待っていた。
荷馬車が停まると同時にティトゥはヒラリと僕の翼に飛び乗り、風防を開いた。
「「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ!)」」
『二人共、今日からここが私達の家ですわよ』
ティトゥがファル子を抱き上げると、カーチャがハヤブサを抱きかかえた。
ここがティトゥの新しい屋敷か。
僕は目の前の屋敷を見上げた。
この異世界に四式戦闘機・疾風の体に転生してから一年と半年。
最初はティトゥの実家、マチェイのお屋敷で。
次はナカジマ領のコノ村の漁村で。
そしてこれからはここ、ティトゥの屋敷で生活する事になる。
これまでにも多くの経験、そして多くの人との出会いがあった。
心ならずも戦争にも参加し、兵器として戦った事だってある。
海を越えて聖国にも行ったし、半島を縦断して大陸の大国、チェルヌィフ王朝にも行った。
タクラマカン砂漠よりも大きな砂漠を横断したし、僕以外のもう一人の異世界転生者(?)、バラクにも出会った。
巨大な怪物とだって戦ったし、二人の子供まで出来てしまった。いや、なんでだよ。
今までも色々な事が起きたし、これからも色々な事が起きるだろう。
この屋敷で――ティトゥの屋敷で、僕の冒険は続くのだ。
僕は衝動的にティトゥに声をかけた。
「ティトゥ」
『何かしら? ハヤテ』
「これからもよろしくね」
『もちろんですわ』
私達は魂の契約者。永遠のパートナーですもの。ティトゥはそう言って僕に向かってほほ笑んだのだった。
次の話でこの章も終わりとなります。
次回「エピローグ 竜軍師と婚約者」