その31 英雄王への最初の一歩
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ヘルザーム伯爵軍、ピスカロヴァー王国に侵攻を開始す。
その知らせはミロスラフ王国の王城にもたらされた。
新国王カミルバルトは、ピスカロヴァー国王からの救援要請を即座に了承。
軍の編成を命じた。
「幸いだったな。後、ヘルザーム軍の動きが半月早ければ、面倒な事になっていた所だった」
この夏。ミロスラフ王国は内乱が勃発した。
権力者の代替わりの際の混乱――いわゆるお家騒動は、古今東西のお約束とも言えるが、カミルバルトの場合は少々事情が異なっていた。
お家騒動とは普通、反対勢力が対立候補を立てて争うものだが、東の大貴族メルトルナ家当主ブローリーは、”二列侯への勅諚”という、前国王の作った書状を錦の御旗に反旗を翻したのである。
本人には勝算があったのかもしれないが、結果としては失敗。彼に追随する者は誰も現われなかった。
ミロスラフ王家率いる貴族連合はメルトルナに進軍。首謀者のブローリーを討ち取ったのだった。
それら戦後処理が全て終わり、報奨の連絡を終えたのが丁度半月前だったのである。
カミルバルト国王の呟きに、神経質そうな中年の文官が応じた。
この国の宰相、バラート・ノーシスである。
「ピスカロヴァーに攻め込んだヘルザーム軍は三千と聞いています。援軍には二千も送れば十分でしょう」
「いや。それでは足りんな」
カミルバルトは机の上の報告書を指で叩いた。
「ヘルザーム伯爵は何も思い付きで進軍を開始した訳ではない。長年に渡りピスカロヴァー王国を守って来た将軍、ベルハルクの事故死を知って、急遽、軍を進めたのだ」
ベルハルクは”隻眼将軍”の異名を持つ、ピスカロヴァーの守護神とも言える名将である。
将軍の死は国防に大きな穴が開いた事を意味する。
ヘルザーム伯爵はその穴が塞がれる前に攻め入る事を決めたのである。
「そのようでございますな」
それが何か? と言わんばかりの宰相の態度にカミルバルトは苛立ちと物足りなさを覚えた。
「・・・三千がヘルザーム伯爵軍の全てと考えるのは早計だ、と言っているのだ」
おそらくこれは将軍の死を知って急遽編成された部隊。
そうと考えなければ動きが早すぎる。
ならば今頃、ヘルザーム伯爵領では次の部隊の編成が進んでいるのではないだろうか。
「あるいはそちらが本隊で、こちらは先遣隊かもしれん」
「なっ! 三千もの軍が先遣隊ですか? 流石にそれは考え過ぎなのではないでしょうか?」
宰相は目を見張った。
ヘルザーム伯爵領の規模なら、三千でも十分な戦力である。それが先遣隊――それ以上の規模となる本隊を編成しているという話が信じられないようだ。
「いや。単に編成するだけなら可能だ」
宰相は眉間にしわを寄せた。
この世界の兵隊は、基本的には村の男達を徴兵して武器を貸し与えたものである。
極論すれば、領内の男の数だけ兵士を増やす事も不可能ではない。
もちろん、その場合は翌年の農作物の収穫は絶望的になる。
まともな為政者なら行う判断ではなかった。
宰相の表情から彼の考えを察したのだろう。カミルバルトは小さくかぶりを振った。
「お前が考えているような事が言いたい訳ではない。傭兵だよ」
「傭兵、ですか?」
つい先月、半島の南、都市国家連合から大量の傭兵が離脱したとの情報が入った。
彼らがどこに向かったかは分からないが、混乱の続く旧ゾルタ領に入った者達も少なくはないだろう。
「金に物を言わせて――そうだな。例えば、ピスカロヴァー王国を手に入れた暁には代官に取り立ててやる、とでも言えば、乗って来る輩も大勢いるのではないか?」
「傭兵ですか・・・。私は好みませんな」
真面目で狭量な宰相は、国への忠誠心の欠片も無い傭兵に嫌悪感を抱いているようだ。
逆にカミルバルトはそこまでの偏見は無いようだ。
あるいは彼の立場上、忠誠心が高いだけの無能にうんざりさせられる事が多いせいかもしれない。
「しかし、傭兵と兵士だけで軍が編成出来るでしょうか? 私にはとても――」
「いや、可能だ。帝国南征軍という前例がある」
昨年冬、半島を襲った五万の帝国南征軍。
その中核を担っていたのは帝国騎士による”白銀竜兵団”。しかし、それ以外の兵士の大半は、兵とも呼べない槍を持っただけの農村の男達だった。
実際に彼らと戦ったカミルバルトは、帝国軍の士気の低さと練度の低さに驚きを感じていた。
「ヘルザーム伯爵の正規軍三千を、南征軍における白銀竜兵団と置き換えれば不可能ではない。つまりは本隊はあくまでも張子の虎。三千の正規軍が敵の抵抗を食い破った所を、本隊がイナゴの群れのように襲い掛かり、食らいつくすという訳だ」
「それは・・・そんなことが」
宰相はなおも信じられない様子だ。
彼は優秀な男だが、それはあくまでも繰り返しの多い事務的な仕事に関してのみ。
前例のない計画や予想外の出来事には想像力が及ばないのである。
「まあ、そういう可能性もある、というだけの事だ。ヘルザーム伯爵が追加の軍を用意していようがしていまいが、俺はただの援軍で済ませるつもりはない」
「それは・・・でしたら、どういったお考えで?」
カミルバルトはイスの背もたれに背を預けると腕を組んだ。
「先日、即位式の隙を突いてこちらの砦に攻めて来た件といい、今回の件といい、ヘルザームは色々と目障りだ。大陸への道を確保するためにも邪魔になる。早めに取り除いておくべきだろう」
カミルバルトの痛烈な言葉に宰相は驚きを隠せなかった。
「これはピスカロヴァー王国に対する援軍ではない。ヘルザーム伯爵に対する討伐軍だ」
カミルバルトの狙いはヘルザーム伯爵の討伐。
――否。彼の視線はその先にあった。
それはペニソラ半島の統一。
半島を一つの国にまとめ上げ、ランピーニ聖国の力も借りて、強大なミュッリュニエミ帝国に立ち向かう。
後に”英雄王”と呼ばれる事になるカミルバルト。
彼はその最初の一歩を踏み出したのである。
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てなわけで翌日。
僕はリーリアを迎えに彼女の実家、バルトニク男爵のお屋敷に着陸していた。
『ナカジマ様! ハヤテ様!』
うおおおおっ! って感じで駆け寄って来たのは騎士団の青年。
ええと、誰? 僕達の知り合いっぽい感じだけど?
『どなたかしら?』
『パトリクです! トマスの兄の! この度は俺からの援軍の要請をお聞き届け頂き、ありがとうございます! 感謝の言葉もありません!』
ああ、トマスのお兄さん。そういえば、元々僕らは彼からの知らせでバルトニクの窮状を知ったんだっけ。
パトリクが興奮気味にグイグイ来る中、僕とティトゥは気まずい感じで目を反らした。
なにせ最初は、国の外交に忖度して、彼の要請を断るつもりでいたのだ。
そのせいもあって、こうも正面から手放しに感謝されると良心が痛んで仕方がない。
いや、結果としては助けに来た訳だし、彼が感謝する気持ちも分かるんだけど。
僕達は何とも言えない、微妙な気分になっていた。
『パトリク殿、そのくらいで』
僕達が困っているのを察したのだろう。リーリアのお父さんから助け舟が出された。
彼は改めてティトゥに頭を下げた。
『リーリアから聞きました。この度は我々の窮状を救って頂き、感謝いたします』
リーリアのお父さんの後ろでは、リーリアと彼女のお母さんも頭を下げていた。
リーリアのお兄さんと思われる子供だけが、興奮に頬を染めて僕を見上げていたが、お母さんに頭を叩かれて慌てて頭を下げた。
『私とハヤテはリーリアをご両親のもとにお送りしただけですわ。その道中で争いがあったので、リーリアの安全のために追い払っただけに過ぎませんわ』
これはミロスラフの王城に対しての――将ちゃんこと、カミルバルト新国王に向けての――苦しい言い訳だ。
しかし、その辺の事情も娘から聞かされていたのだろう。
リーリアのお父さんは小さく笑みを浮かべた。
『承知しております。しかし、こちらが助けられたのは事実ですので』
後で知った話だが、砦が落とされて結構危ない状況だったらしい。
僕らの到着が後一日遅れていたら、パトリクの守っていたフォルタの町も無事では済まなかったそうだ。
そしてフォルタの町が奪われると、次はここ、バルトニクの町が襲われていたのは間違いない。
リーリアのお父さんの感謝の言葉は、かなり実感のこもった物だったのである。
『何もございませんが、是非、当家のもてなしを受けて下さい。私の父、ピスカロヴァー国王もナカジマ様から戦場の話を聞きたいでしょうし、王城に知らせを送りますので――』
『結構ですわ』
ティトゥはいつものごとくバッサリと切ってのけた。
『今はドラゴン杯決勝大会の準備で手が離せませんの』
『ドラゴン杯? ですか?』
謎の単語にリーリアパパは怪訝な表情を浮かべた。
想定よりもヘルザーム伯爵軍があっさり撤退したため、ドラゴン杯の決勝大会は予定通り今週末に開催される事になった。
ちなみにティトゥはさっき、「準備で手が離せない」と言ったが、準備で忙しいのはドラゴン杯運営委員会のみなさんであって、僕とティトゥは基本的には見ているだけである。
つまりティトゥは大会を言い訳に使ってお屋敷の招待から逃げたのだ。
リーリアママが夫に声をかけた。
『あなた。今は屋敷も戦争のせいで落ち着きがないし、無理にお招きしてもナカジマ様に不自由な思いをさせてしまうのではないかしら?』
『そうか? だったら直接、ハヤテ殿で王城に向かって貰えば――』
『結構ですわ!』
食い気味に断るティトゥ。面倒を避けたら、より大きな面倒が降って湧いた感じか。
そんなこんなのやり取りを終え、僕達はリーリアを連れてコノ村に戻る事になった。
『お父様、お母様。お兄様。それでは行ってまいりますわ』
『うむ。気を付けて』
『トマス様によろしくね』
リーリアの兄が自分も乗せて貰いたそうに僕を見上げる中、リーリアは両親と抱擁を交わした。
『ハヤテ殿! いつか! いつか俺をあなたの背に乗せて下さい!』
そして鼻息も荒く僕に詰め寄るトマスの兄のパトリク。
う~ん。ヘルザーム伯爵軍のように恐れられるのも心にくるものがあったけど、目をギラギラさせて前のめりに来られるのも抵抗があるなあ。
というか、ぶっちゃけイヤ。
彼には何と言うか、ナカジマ領のオタク職人――じゃなかった、家具職人オバロに通じるオタク気質を感じる。
ちなみに後でトマスに確認したら、「兄は趣味らしい趣味は持っていませんが、武器や馬に関しては並々ならぬこだわりを見せますね」だそうだ。
なる程。僕の勘は間違っていなかったようだ。彼は馬オタクだったのだ。
う〇ぴょい、う〇ぴょい。
いやいや、僕は馬じゃないから。戦闘機だから。
『前離れー! ですわ』
おっと、いけない。いつの間にかティトゥ達が出発の準備を終えて操縦席に乗り込んでいた。
「出発準備よーし! 離陸!」
僕は慌ててエンジンをかけるとブースト。
屋敷のみんなの歓声を背に受けながら、コノ村への帰路についたのだった。
次回「おとぎの国」