その30 夕刻の里帰り
◇◇◇◇◇◇◇◇
「来た! また来たぞ!」
「くそっ! 一体何なんだあの化け物は!」
グオオオオオ
大きな低い音と共に、巨大な飛行物体が高速で通り過ぎて行く。
進路上の兵士達が悲鳴をあげて逃げ惑う。
追い払いたくとも、憎たらしい事に、こちらの攻撃は全く通じない。というよりも当たらない。
すぐ真上を飛んでいるようでも、化け物が飛んでいるのは地上約三十メートル。
十階建てのビル程の高さを通過する時速380キロの物体に、彼らはなすすべもなかった。
算を乱して逃げ惑うヘルザーム兵達。
仲間に押されて倒れる兵士。倒れた仲間に躓いて倒れる兵士。
ヘルザーム伯爵軍は混乱の最中にあった。
バババババ!
翼の先端に光が瞬くと、ドッと地面に土煙が上がった。
兵士達の悲鳴――いや、絶叫が響き渡った。
「またやられた!」
「なんなんだアイツは! 執拗にまとわりつきやがって! 俺達に何か恨みでもあるのかよ!」
誰かが怒鳴り声を上げるが、もちろん飛行物体には――四式戦闘機・ハヤテには――届かない。
ハヤテは別の相手を探して悠々と飛び去っていった。
ハヤテがヘルザーム伯爵軍に対して攻撃を開始したのは今から三十分程前。
最初の一撃は、捕らえられた砦の兵士達を助けるためのものだった。
ハヤテは郭の広場に集まったヘルザーム兵達に一掃射。そのまま反転すると、今度は砦の正門の辺りに250kg爆弾を投下した。
ズドーン!
大きな音と共に、正門が吹き飛んだ。
ハヤテに恐れをなしたヘルザーム兵達は、算を乱して逃げ出した。
「何だ?! 砦で何があった?!」
「砦の上を飛び回っているアレは一体何だ?!」
この頃になると丘を取り囲むヘルザーム伯爵軍もハヤテの存在に気付いている。
とはいえ、彼らは何も出来なかった――いや、ハヤテがその時間を与えなかった。
ハヤテは砦への攻撃はこれで十分、と判断したのだろう。次は丘の周囲のヘルザーム伯爵軍本隊に狙いを定めたのである。
ハヤテの攻撃は執拗を極めた。
彼は限界ギリギリの高度を飛び、延々、ヘルザーム軍を威嚇して回った。
そして時折、思い出したかのように20mm機関砲を発砲して、敵に被害を与えていく。
いかに勇敢なヘルザーム伯爵軍とはいえ、手も足も出ない相手から一方的に蹂躙される恐怖には耐えられなかった。
彼らはハヤテの姿が見えただけで悲鳴をあげて逃げ出し、自分が狙われない事を強く祈った。
この日、ハヤテが与えた被害は、負傷者も合わせれば百人を超えているが、その数倍の兵士がこの混乱によって負傷ないしは命を落としている。
ヘルザーム伯爵軍はハヤテたった一人によってガタガタにされていた。
それから更に十分後。指揮官は後退を決意した。
混乱したまま夜を迎えれば、フォルタの町に展開しているオルサーク騎士団から奇襲を受ける危険があったためである。
オルサーク騎士団を率いているのは、この冬、五万の帝国軍を相手に一騎当千の活躍を見せた(と言われている)”万夫不当の勇者”パトリク・オルサーク。
ヘルザーム伯爵軍はパトリクという英雄の存在を警戒していたのである。
実際、もしもヘルザーム伯爵軍の指揮官が、先ずはフォルタの町を落とし、後方の安全と補給を確保してから砦の攻略に取り掛かろうとしていたら、パトリクは部隊を撤退させるしかなかっただろう。
英雄という虚像がパトリクとオルサーク騎士団、そしてフォルタの町を救う事になったのである。
パトリクを過剰に警戒したヘルザーム軍の指揮官は、安全な後方で――旧カメニツキー伯爵領で――部隊を立て直す事を決意する。
幸い、化け物は(この頃にはその正体がミロスラフ王国のドラゴンではないかと推測されていた)逃げる彼らを追わなかった。
追撃をかけようにも、20mm機関砲の残弾が尽きていたのだが、当然彼らがそんな事を知るはずはなかった。
軍の再編成を急がせる指揮官の下に、ブシダハ橋を守る守備部隊からの急報がもたらされた。
「橋がドラゴンに落とされただと?!」
空を飛ぶ巨大な化け物が、橋の中央を破壊。更には橋のたもとに集積された物資を焼き払ったと言うのだ。
状況とタイミングから、ドラゴンによる攻撃と見て間違いはなかった。
「どうしましょう。指揮官殿」
「くそっ! 後退だ! ブシダハ橋は我が軍の生命線。どうあっても守らなければならない。これ以上、化け物に破壊されると最悪、俺達はカメニツキー領に取り残されてしまうぞ!」
二~三日続いた激しい雨で、川の水位が増している。
泳いで渡るのはおろか、舟で渡るのも危険が大きい。
橋を失えば、本当に孤立するおそれがあった。
「しかし、我々であの化け物から――ドラゴンから橋を守れるでしょうか?」
「・・・分からん。が、やるしかない。例えドラゴンだろうと、相手はたった一匹。数の力で対抗するのだ」
本当にそんな事でドラゴンに対抗出来るのだろうか? その答えを持つ者はここにはいなかった。
そしてドラゴンがなぜ、自分達を攻撃してくるのか?
考えられるとすれば、つい先日、ヘルザーム伯爵軍はミロスラフ王国の砦に攻め込んだ。その時の報復かもしれない。
「だから俺はあの時、ミロスラフに攻め込むのは反対だったんだ! ミロスラフ王国と戦うには時期が早すぎたのだ! それを強引に行ったものだから、結局ピスカロヴァーに裏切られて(※ヘルザーム側はそのように捉えている)敗走するハメになってしまった!」
指揮官は怒りに任せて机に拳を叩きつけた。
しかし、今更何を言っても後の祭り。不満を口にしても事態は好転しない。
指揮官は大きく息を吐いて苛立ちを飲み込むと、部隊に命令を出した。
「ブシダハ橋まで後退! 橋を死守する!」
こうしてヘルザーム伯爵軍はブシダハ橋のたもとに布陣。不退転の決意で橋の防衛と修理に取りかかった。
決死の覚悟で橋を守るヘルザーム伯爵軍。
しかしハヤテはその日以来、ぷっつりと姿を現さなかった。
やがて川の水量が元に戻り、橋の工事も終わったため、ヘルザーム伯爵軍は進軍を一時諦め、一旦領地に戻る事になったのであった。
時間は戻って、ハヤテが攻撃を仕掛けた当日。
日が西に傾き、そろそろ夕刻が迫ろうとする頃。
大きな翼が、バルトニクの領主、グスタフ・バルトニクの屋敷へと舞い降りた。
バババババ・・・
大きな翼の――ハヤテの起こすプロペラ風が、庭の落ち葉を巻き散らす。
ハヤテの心臓、ハ四五”誉”エンジンが停止すると、機体上面の風防が後方にスライド。レッドピンクの髪の美貌の少女が立ち上がった。
その端正な佇まい。そしてこの世界ではまだ存在しない異質な服装(※飛行服)に、ハヤテを取り囲む騎士団員達から小さなどよめきがあがった。
しかし彼らの声は、ティトゥに次いで現れた幼い少女の姿に、今度は驚きの声へと変わった。
「お父様! お母様!」
「「リーリア?!」」
幼い少女――リーリアは、ティトゥに手を借りてハヤテの翼から降りると、両親のもとへと駆け寄った。
「お会いしとうございました!」
「私もよ。リーリア」
「あ、ああ。無事で何よりだった。それでリーリア。なんでお前、ミロスラフ王国のドラゴンに乗って帰って来たんだ?」
リーリアの父、バルトニク男爵家当主グスタフの言葉に、周囲の者達はギョッと目を剥いた。
「「「「ド、ドラゴン?!」」」」
『どうも。ドラゴンです』
「「「「しゃ、喋った!」」」」
ティトゥは苦笑するとリーリアに声をかけた。
「それじゃあリーリア。明日になったら迎えに来ますわ。今夜はご両親と一緒にお過ごしなさい」
「ありがとうございます! ナカジマ様!」
どうやら二人の間では既に話が付いているようだ。
ティトゥは「用事は済んだ」とばかりにハヤテの翼に飛び乗った。
リーリアの母、バルトニク夫人が慌ててティトゥを呼び止めた。
「お、お待ち下さい、ナカジマ様! 姫 竜 騎 士のナカジマ様ですよね?! もう日が落ちますわ。今夜は是非当屋敷にお泊り下さい」
「結構ですわ」
「ええっ?!」
驚きのバッサリ感に言葉を失う夫人。
妻に代わって夫のグスタフが前に出た。
「――ナカジマ様。リーリアの父、バルトニク当主のグスタフ・バルトニクです。
大変言い辛いのですが、聞いて頂きたい話がありまして。屋敷の物々しい様子からもお分かり頂けるかもしれませんが、実は現在、ここより近くの国境の砦が、ヘルザーム伯爵軍によって攻撃を受けております。
この冬の戦争では、そちらのドラゴンが帝国軍を相手に大変な活躍をされたと娘の婚約者から聞いております。もし、よろしければ、我々にそのお力を――」
「それならさっき引き上げましたわ」
「引き上げた? それは何が? えっ? まさかヘルザーム伯爵軍が?」
「詳しい話はリーリアに聞いて頂戴。リーリアも私達と一緒に戦ったんですから」
ティトゥの言葉に、グスタフは驚いて娘に振り返った。
リーリアはちょっとはにかむと、ティトゥとハヤテ、二人の竜 騎 士に向けて大きく手を振った。
「ナカジマ様! ハヤテ様! ありがとうございました!」
その笑顔は晴れやかで喜びに満ちていた。
ハヤテはその笑顔に、「人を傷付けるのはイヤだけど、戦う事を決意して良かった」と、自分の行動が報われた思いがした。
「さあ、ハヤテ。日が落ちる前に帰りますわよ。前離れー! ですわ」
ハヤテはエンジンを始動。
屋敷の人間のどよめきを背に受けながら、大空に舞い上がったのであった。
次回「英雄王への最初の一歩」