その29 暴力の嵐
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炎に包まれるフォルタ砦の天守。
その天守の前に作られた広場――いわゆる二の丸と呼ばれる郭に、ヘルザーム兵達が集まっていた。
「「「うおおおおお! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」
戦の興奮が冷めやらない兵士達は、更なる血を欲していた。
彼らが望むのは生贄の――敵の命。
抑えきれない情動は天をも震わす叫び声となり、その声によって自らも興奮する。
理性を失った狂気の集団。
血に飢えた獰猛な野獣達。
陥落したフォルタ砦で、狂乱の宴が開催されようとしていた。
「ひっ、ひいいいいっ」
「バカ者! 怖気づくな、みっともない!」
砦の隊長は腰を抜かして尻餅をついた部下を怒鳴り付けた。
彼らは武器庫に立てこもって最後まで抵抗を続けていた部隊だった。
武器庫には入り口が一ヶ所しかない上、壁も頑丈に作られていたため、ヘルザーム兵も攻めあぐねていた。
しかし、天守に火がつけられると、状況が変わった。
いかに勇敢な兵士達とはいえ、煙には敵わない。
彼らは煙に巻かれて身動きが取れなくなった所を、捕らえられてしまったのである。
隊長は怯える部下達を睨んだ。
「覚悟を決めろ! 胸を張れ! それでもピスカロヴァー騎士団か! 見苦しく泣きわめいてもヘルザームのヤツらを喜ばせるだけだぞ!」
「「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」
ヘルザーム兵達の怒号で頭がおかしくなりそうだ。
部下は隊長に叱咤され、恐怖に足を震わせながらも、懸命に立ち上がった。
「そうだ。それでいい。ピスカロヴァー騎士団の心意気を見せてやるんだ」
ひと際大きな歓声が上がると、巨大な戦斧を持った大男が現れた。
禍々しい凶悪な武器に、部下の誰かがゴクリと喉を鳴らした。
ヘルザーム兵が、尻餅から立ち上がったばかりの男を引っ張った。
「先ずはお前からだ! 前に出ろ!」
「ひっ!」
「待て!」
隊長は咄嗟に身を乗り出していた。
「殺すなら俺からにしろ!」
「黙れ!」
ガツン!
目の前に火花が散った気がした。鼻の奥がツンと痛む。
隊長は後頭部を剣の柄で殴られ、膝を付いていた。
舌を噛んだのか、口の中に血の味がした。
「グッ・・・止めろ! お、俺が代わりに「・・・隊長」」
彼が痛みを堪えながら顔を上げると、さっきの部下が引きつった笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「隊長。お、お先に失礼します。今までお世話になりました」
「くっ!」
部下は隊長に言われた通り、潔く死ぬつもりなのだろう。彼は恐怖を噛み殺し、大人しくヘルザーム兵に従った。
隊長はその姿を見て何も言えなかった。
さっきは咄嗟に叫んでしまったが、遅かれ早かれ、自分も部下と同じ道をたどる。
ならば部下の死に様を――部下の覚悟を見届けた上で堂々と散ってみせる事こそが、部下の忠義に報いる道ではないだろうか。
ヘルザーム兵は男を跪かせると、背中を押して首を前に突き出させた。
先程の大男が彼の前に立つと、巨大な戦斧を大きく振り上げる。
ヘルザーム兵達の熱狂はピークを迎え、血に飢えた男達は武器を打ち鳴らして絶叫した。
「「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」
隊長は頭の芯が熱くなる程の憤りを覚えた。
(この野獣共め! そんなに血が見たいのなら自分達で勝手に殺し合うがいい!)
彼は呪い殺す勢いで彼らを睨み付けたが、興奮に沸く観客達には何の痛痒も与えられなかった。
(誰か・・・誰でもいい! 俺の命なんてどうなってもいい! そうだ! 俺の命を捧げる! コイツらを、この畜生共を殺してくれ! 頼む!)
もし、ここに部下がいなければ――先程自分が「見苦しく泣きわめくな」と命じていなければ。隊長は声の限りに絶叫していただろう。
哀れな部下の頭上に、命を刈り取る凶器が振り下ろされそうになったその瞬間――
ドドドドドドドドド
腹に響く銃撃音と共に、周囲に大きな土煙が上がった。
それと同時にヴーンという大きなうなり声。
一体何が?! と思った刹那――
ゴウウウウウ
空気を切り裂いて巨大な影が彼らの頭上を通過した。
「「「ウワアアアアアアア!」」」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出すヘルザーム兵達。
一体何だ? 何が起った?
「隊長!」
目端の利く部下が、敵が落とした武器を使って彼のロープを切ってくれた。
彼は両手が自由になると部下から武器を奪って走り出した。
彼が目指したのは、殺されそうになっていた部下。さっきまでヘルザーム兵に押さえつけられていたあの男の所である。
巨大な戦斧は、持ち主を失い、地面に転がっている。
どうやら大男は真っ先に逃げ出したようだ。
「大丈夫か?! 今、自由にしてやる!」
部下は何が起きたか分かっていない様子だった。
キョトンとした顔で隊長を見上げた。
「た、隊長。俺はどうなったんですか? 死んだにしては全然実感がないんですが?」
「しっかりしろ。首はまだ繋がっているぞ。動くな・・・よし。立てるか?」
隊長は男を縛っていたロープを切ると、手を貸して立たせてやった。
「こ、これは・・・!」
ようやく落ち着いて周囲を見回す余裕が出来ると、辺りは惨憺たる有様だった。
何人ものヘルザーム兵が倒れ、苦痛のうめき声を上げている。
地面には胴体の一部を吹き飛ばされた死体がゴロゴロと転がり、千切れた手足が無造作に散らばっている。
一体何が起きれば――いや、どんな暴力の嵐が吹き荒れれば、このような凄惨な景色が広がるというのだろうか?
ポカンと立ち尽くしていたのはほんの数秒の事だった。
縛めを解き、体の自由を取り戻した部下達が、すぐに彼らの下に集まって来た。
「隊長! 全員無事です!」
「今のは一体何だったんでしょうか?」
もし、彼らがピスカロヴァー騎士団ではなく、トマスの実家のオルサーク騎士団だったら、今のがミロスラフ王国のドラゴンだと察した事だろう。
しかし、彼らはドラゴンの存在は知っていても、あくまでも知識上のものであって、実感が伴っていなかった。
そもそも、ドラゴンが住んでいるのは隣の国で、そんなものが自分達を助けに飛んで来るとは想像すらしていなかったのである。
「――分からん。が、今はそんな詮索をしている場合ではない。ヘルザーム兵共は逃げ出したが、すぐに戻って来るぞ」
隊長は壊れた鎧を脱ぐと思い切り放り投げた。
「すぐに死体や負傷者から無事な装備を奪え! ヘルザーム兵に成りすましてこの場を脱出する! 急げ!」
「は、はい!」
隊長は死体から鎧を脱がせながら、先程の攻撃の正体について考えていた。
(まさか俺の願いが天に届いた、なんて事は無いよな?)
隊長はあの瞬間「自分の命を捧げるから、誰かヘルザーム兵達を殺してくれ!」と強く願った。
実際にその願いは叶った訳だが、人間と言うのは現金な物で、あの時は「死んでもいい」と考えていたが、今は手に入れたこのチャンスを生かしてどうにか生き延びたいと思うようになっていた。
(もし、さっきのヤツが約束通り俺の命を取りに来たら、何か代わりの物で許してくれないか相談してみる事にしよう)
彼は本気でそんな事を考えながら、死体からはぎ取った鎧を着込んだ。その直後に部下達も変装を済ませた。
「よし。敵に紛れてこの場を逃げ出すぞ。出来るだけ大声で騒ぐんだ。――化け物だ! 化け物が出たぞ!」
「助けてくれ! 殺される!」
彼らは口々に叫びながら走り出した。
その後、彼らは生き残りの砦の兵士達と合流。全員で砦から脱出する。
その頃にはハヤテの攻撃目標は、丘を取り囲むヘルザーム軍に変更されており、敵の隊列はガタガタに乱れていた。
彼らは右往左往するヘルザーム軍を上手くやり過ごし、日が暮れる頃にはフォルタの町まで逃げ込む事に成功した。
そこで彼らは自分達を救ってくれたのがミロスラフ王国の竜 騎 士。ドラゴン・ハヤテだという事を知らされるのだった。
次回「夕刻の里帰り」