その28 燃えるフォルタ砦
『今ので最後ですわ』
ティトゥはそう言うと、すっかり軽くなった木箱を足元に下ろした。
ナカジマ家の秘密兵器、火壺こと火炎瓶の入っていた箱だ。
「お疲れ様。いい感じに燃え広がっているよ」
僕の言葉に、ティトゥは満足そうに纏めていた髪をほどいた。
『リーリア。戦いは終わったので、もう安全バンドを外しても大丈夫ですわ』
『は、はい!』
ティトゥの背後。胴体内補助席でまだ幼い少女が固い声で答えた。
トマスの婚約者のリーリアだ。
ティトゥはイスから身を乗り出して、眼下の光景を――戦果を確認した。
『どのくらいの被害を与えられたかしら?』
そうだね。まずまず、といった所なんじゃない?
橋のたもとに作られた敵の陣地からは、黒々とした煙が上がっている。
少なくとも、ここに集められていた物資の大半はダメにする事が出来たはずだ。
最初の攻撃で、僕は橋の真ん中に250kg爆弾を一発ブチ込んだ。
二発同時に使わなかったのは外れた時に備えての事だ。
爆弾は橋桁の一部を吹き飛ばしたものの、橋を完全に破壊するには至らなかった。
どうやら僕が思っていたよりもかなり頑丈な橋だったらしい。
とはいえ、そもそも爆発のエネルギーは障害物の無い上空に伝わる。
そのため、爆弾では硬い物――例えば戦艦や空母などの硬い装甲など――を破壊する事は出来ないのだ。
そんなはずはないだろうって? 映画や記録映像で、戦艦や空母を相手に急降下爆撃を行っているのを見た事があるって?
あれは対艦艇用に貫通能力を持たせた特別な爆弾なのだ。
ちなみに昔の日本海軍では爆弾は基本、艦艇に対して使う事から、こちらの方を”通常”爆弾。貫通力の無い安価な鋳鋼製爆弾の方を、”陸用”爆弾と呼んでいたそうだ。
四式戦闘機・疾風は陸軍機なので、僕の爆弾は海軍式に言えば陸用爆弾という事になる。
おっと、話が逸れてしまった。
といった訳で、僕は爆撃で橋を破壊するのを断念。
ティトゥに頼んで、火壺こと火炎瓶で焼き落とす事にした。
しかし、これも失敗。
余程丈夫な木材で作られているのか、それともこの数日の雨で木が水を吸っていたのか、火はボヤ程度でなかなか燃え広がらなかった。
僕はまたまた断念すると、今度は標的を川の両端に作られた二箇所の物資集積場に変更した。
こちらは多くの兵士が生活している場所だけに、燃えやすい物も多かったらしい。
どうにか火壺が無くなる前に敵の物資を焼く事に成功したのであった。
橋のたもとの陣地は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。
リーリアは眼下の光景を見下ろして呟いた。
『これをハヤテ様とナカジマ様だけでやったんですか・・・』
やったと言っても、火壺で火を付けて回っただけだから、それほど大きな火災じゃないけどね。
そもそもこれほどの規模の部隊だ。このくらいの火事など落ち着いて対処さえすれば、人海戦術であっという間に消し止める事が出来るだろう。
ならばなぜ、敵はそれをしないのか? それは彼らが僕の姿にパニックになっているからである。
逃げ惑う兵士達。ここまで彼らの悲鳴が聞こえて来るようである。
・・・こんな風に怖がられるってのは、やっぱりあまり気分のいいものじゃないな。
そんな僕の気持ちを察したのだろう。ティトゥは僕の計器盤に優しく手を当てた。
『だったらもうここに用はないですわね。バルトニクに向かいましょうか』
「・・・そうだね。まだ戦いは終わってないんだし」
ティトゥは『無理をしなくてもいいんですわよ』と言ってくれた。僕は一瞬だけ弱い心に流されそうになったが、ここで彼女の優しさに甘える訳にはいかない。
「いや、やるよ。リーリアの故郷を守らないと」
そう。そのために僕はここまで来たんだから。
僕は迷いを振り切ると一路西へ。
戦場のフォルタ砦を目指すのだった。
フォルタ砦までは十分もかからなかったのではないだろうか?
丘の上から立ち上る黒い煙。
フォルタ砦は既に火に包まれていた。
僕達は間に合わなかったのである。
「そんな!」
リーリアが小さく息を呑んだ。
丘の周囲は十重二十重、無数の敵兵に取り囲まれていた。
この高さから見ると、まるで砂糖の山に群がるアリのようだ。
僕には軍隊の布陣とか隊列とかは分からないが、敵の軍が砦を隙なく取り囲んでいるのは分かる。
ヘルザーム伯爵軍には優秀な指揮官がいるようだ。
砦の丘の北には東西に街道が通っていて、その先には小さな町が見える。
あれがフォルタの町だろう。
そちらからは煙は出ていない。敵はまだ町には攻撃を仕掛けていないようだ。
とはいえ、砦が落ちた以上、敵が町に攻め込むのも時間の問題に違いない。
残された時間はそれ程多くは無い。
覚悟を決めるんだ。やらないと、町が焼かれる。
焦る僕に、ティトゥが心配そうに声をかけた。
『ハヤテ』
「・・・大丈夫。今、どうすればいいか考えているから」
そもそも戦闘機一機で倒せる敵の数なんてたかが知れている。
250kg爆弾は残り一発。火壺はもうない。20mm機関砲の弾はそれぞれ四門×150発。闇雲に攻撃してもすぐに弾切れを起こしてしまうだろう。
「――何度かに分けて攻撃しよう」
悩んだ末、僕が考えた作戦はヒット・アンド・アウェイによる反復攻撃だった。
「”ハンカチ落とし”って遊びを知っているかな? あんな感じで、丘を取り囲んだ敵の上空をグルグルと回りながら、敵が油断していそうな所を見つけたら一撃を入れるんだ。そうしたらすぐに離れてまたグルグルと回る。それを弾丸が切れるまで繰り返す。この作戦でどうかな?」
つまりは、嫌がらせと攻撃の合わせ技だ。
この世界には――少なくとも現時点では――空を飛んでいる僕を攻撃できる手段が存在しない。
だったら僕が彼らの上空で待機。牽制している限り、敵は僕の攻撃を恐れて自由な行動が取れなくなる。という寸法だ。
ティトゥは大きく頷いた。
『ハンカチ落としは知りませんが、ハヤテがいいと思うならその方法で行きましょう』
オーケー。
でもその前に。
「ティトゥ。リーリアに言っておいて。これから――」
『――そうですわね。分かりましたわ。リーリア』
『は、はい!』
リーリアの顔色はすっかり青ざめていた。
『リーリア。これからハヤテは敵軍に対して攻撃を仕掛けますわ。人間の武器ではハヤテを傷付ける事は出来ないけど、怖いようでしたら親御さんの所にお送りするので、そちらで待っています?』
別にリーリアが僕らと一緒に戦う必要はない。・・・というか、僕としてはティトゥもリーリアと一緒に安全な後方で待っていて欲しい所だ。絶対に反対されるに決まっているから言わないけど。
ティトゥの提案にリーリアはギョッと目を見開いた。
『こ、この軍隊と戦うんですか?!』
『ええ。私達はそのために来たんですもの』
『でも、そんな! 砦はもう落とされてしまってますわ! それに敵にはまだこんなに大勢の兵隊がいるんですのよ?! あんな大きな丘がグルリと取り囲まれているじゃないですか!』
『ええ。でもまだ町は無事だし、ハヤテと私はこれよりも大軍の帝国軍とだって戦った事がありますわ』
いやまあそうなんだけど、あの時は君は乗ってなかったからね。何だか一緒に戦った風に言ってるけど。
でも、リーリアが怖気づいてしまうのも分かる。
数というのはそれだけで威圧されてしまうものなのだ。
僕やティトゥは、帝国軍との戦いやチェルヌィフ王朝の内乱なんかで、大軍自体を見慣れているけど、多分、リーリアはこんな大軍を見たのは生まれて始めて。しかも戦場で敵として相対したのだ。
「あんな大人数とどう戦えばいいか分からない」「かなう訳ない」と、絶望しているんじゃないだろうか?
『だからあなたはムリしないでいいんですわよ。戦いは私とハヤテがやりますわ』
ああ、うん。やっぱり君は僕に付いて来る気だったのね。知ってたから驚かないけど。
リーリアは「信じられない」といった顔でジッとティトゥを見つめている。
やがてティトゥが本気だと分かったのだろう。顔を伏せると『私にはムリですわ』と小さく呟いた。
『そう。だったらご実家にお送りしますわ。お屋敷はどちらの方向――』
「待った、ティトゥ! あれを見て!」
砦の広場に敵兵が集まっている。
中央にスペースが出来ると、兵士達が乱暴に縛られた兵士達を連れ込んだ。
砦の生き残りだろうか? 全員、後ろ手に縛られていて兜も被っていない。
鎧もあちこちが壊れ、中にはシャツ一枚の者すらいた。
人数はざっと二十人程。
中には抵抗を試みる者もいたが、敵兵に蹴り飛ばされ、地面に倒れている。
全員が広場に引き出されると、大きな戦斧を持った男が進み出た。
集まった敵兵達が囃し立てているのが分かる。
彼らの興奮が伝わって来るようだ。
ティトゥはハッと息を呑んだ。
『まさか、生き残りのピスカロヴァー兵を処刑しようとしているんですの?!』
『そ、そんな!』
リーリアはショッキングな光景に絶句した。恐怖に顔面も蒼白になっている。
ティトゥは手早く安全バンドを締めると、凍り付いたように動かないリーリアを怒鳴りつけた。
『何をしているんですのリーリア! あの人達を助けますわ! 早く安全バンドを締めて!』
『えっ? 助ける? ど、どうやって?』
『いいから早く!』
ティトゥの必死の形相に、リーリアは慌てて震える手で安全バンドを掴んだ。
『・・・し、締めました!』
『ハヤテ!』
「了解!」
僕は翼を翻すと砦の広場へと急降下を開始した。
次回「暴力の嵐」