その25 フォルタ砦の戦い
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはピスカロヴァー王国の北に位置するバルトニク領。
ヘルザーム伯爵軍の進軍を受けて今日で六日。
フォルタ砦に最後の時が迫りつつあった。
元々、この地にゾルタ王国が誕生するよりも以前、百年以上も前に作られた古い砦である。
縄張りの広さや作り、堀の大きさにその深さ。砦自体のデザインに使い勝手。
今となればその全てが時代遅れの遺物でしかない。
ヘルザーム伯爵軍に備えて急遽、補強はされては来たものの、元の設計の古さだけはどうする事も出来なかった。
それでも砦の守備軍は敵の猛攻に良く耐えた。
本来であれば一蹴されていてもおかしくはなかった。
あるいは相手が本来想定されていたカメニツキー伯爵軍であれば、持ち堪えられたかもしれない。
彼らにとって不運だったのは、敵はカメニツキー伯爵軍ではなく、強力なヘルザーム伯爵軍だった事にある。
フォルタ砦を幾重にも取り囲むヘルザーム伯爵軍。
その隊列は整い、一見、余程名のある将軍に率いられている物と思われる。
――だが、違う。ヘルザーム伯爵軍には優秀な将はいても名将はいない。
ヘルザーム伯爵軍は強力な個性というものを持っていない。
例えば攻撃に関しては、”大鷲”の名で知られるバルターク騎士団には到底敵わない。
また、帝国で”二虎”と呼ばれる、ウルバン将軍とカルヴァーレ将軍のような名将と呼ばれる指揮官も存在しない。
しかし、無難に強い。
それはかつて、長年に渡ってヘルザーム伯爵軍を率いて来た”塩将軍”の影響力によるものである。
彼本人の実力は、”帝国の二虎”、あるいは”チェルヌィフの双獅子”とは比べるべくもない。
しかし、小ゾルタという小国においては十分に優秀な能力ではあったし、彼の真骨頂はその優れた人材育成能力にあった。
彼の育てた騎士団は精強を誇り、対ミロスラフ王国との戦いで敵軍を大いに苦しめ、数多くの戦果を上げた。
もし、あの頃に彼を使いこなす将が現れていたら、今頃ミロスラフ王国は小ゾルタに併呑されていたかもしれない。
こうした”塩将軍”の教え子達――彼の戦闘教義を叩きこまれた将兵達が、将軍本人が亡き今もヘルザーム伯爵軍の中核を担い、組織を強固に保ち続けているのである。
やがて砦の最奥――そびえ立つ天守から黒々とした煙が立ち昇った。
「わあああああああああっ!」
ひと際大きな歓声が上がる。
フォルタ砦が陥落した瞬間だった。
その歓声はフォルタ砦から離れた丘の上まで響き渡った。
黒々とした煙を噴き上げる味方の砦。
それを沈鬱な表情で見守る複数の騎影。
先頭に立つのは、ひと際立派な馬に跨った凛々しい若武者。
オルサークの三英傑の一人。”万夫不当の勇者”パトリク・オルサークである。
「最後の最後まで戦って散ったか。さすが”隻眼”ベルハルク将軍の薫陶を受けた者達だけのことはあるぜ」
パトリクは拳を胸に当て、激戦の中で死んでいった勇敢な兵士達に哀悼の意を表した。
「パトリク様」
「ああ、分かっている。すぐに町に戻るぞ」
彼らの守るフォルタの町は砦のすぐ目と鼻の先。
敵が砦を落とした以上、敵軍はすぐにでも攻めて来るのは目に見えている。
砦の戦況を知るために、部下を引き連れて近くの丘に登っていたが、まさかその最後を見届ける事になろうとは。
こうなれば一刻も早く部隊と合流し、対応策を練らなければならなかった。
パトリク達は馬に拍車を入れると丘を駆け降りた。
(対応策――とは言え、今更出来る事なんざ限られるよな)
パトリクがオルサークから率いて来たのは騎士団約二百。
彼が移動速度を重視したため、騎士団員以外は一人も連れて来ていない。兵士は最初から現地で集める予定だった。
少ないようだがこれは現在、オルサーク男爵家が出せるギリギリの戦力となる。
仮にこの二百が全滅したら、今後オルサークは野盗から身を守る事すらままならなくなるだろう。
パトリクは何があっても彼らを全員、生きてオルサークに連れ戻らなければならなかった。
(ウチの騎士団員に、フォルタの町と近隣の村から集められるだけ集めた男達が千と少々。くそっ。これじゃ戦いにもなりゃしねえ)
とにかく敵の動きが早すぎた。
フォルタ砦の守備隊は勇敢に戦ったが、よもや一週間も持ちこたえられないとは。
完全に予想外だった。
まだ迎撃のための準備は整っていない。
パトリクはフォルタの町に戦力を集めている最中だし、バルトニク騎士団の方も本拠地となるバルトニクの町の要塞化の工事に着手したばかりだった。
あまりに絶望的な状況に吐き気すらこみ上げてくる。
今回、ピスカロヴァー王国軍がフォルタ砦に送った戦力は約千五百。
その戦力がつい今しがた、自分達の目の前で無残にも敗れてしまった。
決して堅牢な作りとは言えないとはいえ、防衛拠点を守っていた千五百の正規軍が一週間と持たなかったのだ。
防衛に適さない町で戦って勝てる見込みなど、万に一つもありはしないだろう。
ましてやパトリクの指揮下に入っているのは、二百の騎士団員以外は、今まで槍さえ握った事の無い民間人の寄せ集めである。
唯一の希望はピスカロヴァー王家からの援軍である――が。
(まだ影も形も見えやがらねえ)
ヘルザーム伯爵軍に攻め込まれてからそろそろ一週間。
タイミング的にはもう援軍が到着してもおかしくはない頃合いである。
しかし現実には、援軍の到着どころか、知らせすら届いてはいなかった。
編成に手間取っているのか、あるいは行軍が遅れているのか。
(一昨日までの雨のせいかもな)
この数日、半島は激しい雨にさらされた。
雨は兵士の疲労を蓄積させ、物資を満載して重量を増した荷車は、ぬかるんだ道に車輪を取られて思うように進めないのではないだろうか。
(くそっ! これじゃ運もヘルザームのヤツらに味方しているって事じゃねえかよ!)
勝ち負けという物は人間の力だけではどうにもならない。
勝敗は時の運。
どれだけ勝つために条件を積み重ねても――有利になるように努力しても――勝率というものは絶対に百パーセントにはならないのである。
逆に言えば運さえ良ければ、戦力差を覆す事も不可能ではない、とも言える。
しかし現時点ではそのツキさえもヘルザーム伯爵軍にあるように思える。
つまりは、どうあがいても勝ちようがない。
勝ち筋が見えない。
この困難な盤面をひっくり返そうと思ったら、当たり前の力ではダメだ。
それこそ常識外の力。
必要なのは、戦力差をものともしない絶対的な暴力と、ツキを強引に引き寄せる問答無用のエネルギー。
そんな理不尽極まる存在を、パトリクは一つだけ知っている。
不可能を可能とする行動力。理不尽コンビ。空飛ぶ常識クラッシャー。
竜 騎 士。
パトリクは、初日の攻防戦を見た時点で「これはマズい」と直感した。
彼は自分の勘を信じて、独断で兄、オルサーク家当主マクミランに使いを送り、大至急ナカジマ領に援軍の依頼を行うように要請していた。
(兄貴は山越えのルートで依頼を送ると言ったらしいが、よもやここまですぐに戦況がヤバくなるとは思わなかったぜ)
正直言ってこれほどまでにヘルザーム伯爵軍が強いとは、完全にパトリクの予想外だった。
小ゾルタはミロスラフ王国との戦いはあっても、国内での大きな戦はもう何十年も起こっていない。
パトリクはヘルザーム伯爵軍が敵に回した場合、これほど恐ろしい存在になるとは知らなかったのである。
(幸い今はトマスとアネタがナカジマ家で厄介になっている。頼むぜトマス。俺と違って頭のいいお前なら出来る。ナカジマ様とハヤテ様を説得してくれ。俺達オルサーク騎士団の命は、お前があの二人を動かせるかどうかにかかってるんだ)
その時、こちらに向かって来る騎馬の一団があった。
オルサーク騎士団の者達である。
「パトリク様! さっきの声を聞きましたか?! よもやフォルタ砦に何か?!」
どうやらヘルザーム伯爵軍の勝ち鬨は、フォルタの町まで届いていたようだ。
彼らは戦場の異変を察し、急遽、指揮官を呼び戻しに来たのである。
「砦は落ちた! 早ければ今夜中にも敵の攻撃があるぞ! 急げ! 大至急、散っている部隊を呼び戻せ! それにバルトニクの本家にも使いを出せ! 総力戦だ! バラバラに守っていたら、ヘルザーム軍にいいようにやられちまう! 全軍を集中してフォルタの町で防衛線を引くぞ!」
「! は、はいっ!」
パトリクの部下達は血相を変えると手綱を引いて馬首をめぐらせた。
慌てて駆け出す部下達を見ながら、パトリクは独り言ちていた。
(フォルタの町を第一防衛線、バルトニクの町を第二防衛線、バルトニクの屋敷を最終防衛線に設定する。味方の士気を上げるためにも、出来れば当主のグスタフ様は前線に出て欲しいが、バルトニク家の長子はまだ若い。もし戦場でグスタフ様がやられるような事にでもなれば、息子ではバルトニク騎士団を纏められないだろう。ならば流石に危険は冒せないか)
ちなみにこの時のパトリクの予想は当たり、バルトニク家の当主グスタフは後方のバルトニクの町に残る事になる。
消極的な安全策とも言えるが、それもあって前線の指揮はパトリクが一任、指揮系統の一本化がされたため、この決定はあながちデメリットばかりとも言えなかった。
この後もパトリクはあちこち駆け回り、日が落ちる前にはどうにか陣形を整える事に成功する。
こうしてヘルザーム伯爵軍との戦いは、国境の砦で敵軍を迎え撃つ迎撃戦から、領地に侵入して来た敵軍から身を守るための防衛戦――絶望的な抵抗戦へと移ろうとしていた。
次回「罪悪感」