その24 バルトニクへ
そうと決まれば善は急げ。
僕達は早速、リーリアの実家のあるバルトニクに向けて飛び立つ事にした。
『リーリア義姉様、これを』
トマスの妹アネタがリーリアに平たい箱を渡している。
『ベアータに作って貰ったナカジマ銘菓です。お空の上で食べて下さい。こっちはご両親へのお土産です』
『そ、そう・・・ありがとう』
アネタの気遣いにリーリアはなんだか微妙な表情を浮かべた。
あれは『遊びに行く訳じゃないんだけど』『アネタはまだ小さいから良く分かっていないのかな?』とか思っている感じかな。
いや、多分あの顔は分かってると思うけど。
『リーリア。ペツカ山脈の上空は冷え込みますわ。厚着をしておいて頂戴』
『わ、分かりましたわ』
リーリアは、キリっとした感じの侍女にコートを持ってくるように頼んだ。
「ギャウー! ギャウー!(パパ! ママ!)」
『ダメですよファルコ様。今日は一緒に行けないって言われていたじゃないですか』
僕がテントの外に出て来たのを見て、リトルドラゴンのファル子が興奮。突撃しようとした所をメイド少女カーチャに止められている。
またあの鳥頭娘はティトゥに言われた事を忘れて。
逆にファル子の弟、ハヤブサの方は、リーリアのおっとりした侍女に抱きかかえられたまま大人しくしている。
「ギャーウー(行ってらっしゃーい)」
う~ん。ファル子のように落ち着きが無いのも困るけど、ハヤブサはハヤブサで少しのんびりし過ぎな気がするなあ。
悪い人間に騙されたりしなきゃいいけど。僕は二人の将来が心配だよ。
今回、僕と一緒に行くのはティトゥとリーリアの二人だけ。
名目上は「リーリアがホームシックにかかったから、一度両親の顔を見せに行く」という事になっている。
もしもその際に、僕らがあちらで何かやったとしても――例えば戦場で何かやったとしても――それはそれ。
きっとそれはリーリアの身の安全を守るために、仕方なくやった事なのである。
ミロスラフ王家にはそういう理屈で押し通す予定だ。
代官のオットーが、ナカジマ家のご意見番のユリウスさんに尋ねた。
『そんな屁理屈を王城が信じてくれるでしょうか?』
『信じはせんだろう。・・・が、どうあれ勝手に他国の戦争に介入する以上、建前というものは必要だ』
ユリウスさんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
僕達の言っている事がムリ筋だと分かっているのだろう。
『ワシの息子辺りがうるさく言って来るかもしれんが、カミルバルト国王陛下になら分かってもらえるじゃろう。陛下が周囲の反発を抑えてくれるのを期待しよう』
ユリウスさんの息子はこの国の現宰相だ。
生真面目で融通の利かない人だと聞いている。
聖国メイドのモニカさんが木箱を持ってやって来た。
中にはワラ束を緩衝材として陶器の壺がいくつも入っている。
ナカジマ家の秘密兵器”火壺”――僕が提供したガソリンで作られた火炎瓶――だ。
『こちらが必要になるんじゃないでしょうか?』
『そうですわね。持って行きましょうか』
使うかな? まあ、大は小を兼ねると言うし、武器はいくらあっても困らないか。
ティトゥはモニカさんから木箱を受け取ると、僕の翼の上にドスンと乗せた。
「ちょっとティトゥ! そんな所に乱暴に置かないでよ! 塗装にキズが付いたらどうしてくれるんだよ!」
『大丈夫、大丈夫。別に何ともなってませんわ』
全く。調子いいんだから。
ティトゥは自分も翼の上に登ると、木箱を操縦席の中に詰め込んだ。
『リーリア! 乗り込んで頂戴! 出発しますわよ!』
ティトゥの呼びかけに、リーリアは可愛らしいコート姿で慌てて僕のそばに駆け寄った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
近くで見るドラゴンの姿は流石に大きかった。
リーリアは侍女に手を貸して貰いながら、ハヤテの翼の上によじ登った。
ハヤテの表面は冷たいツルツルとした金属のような手触りで、リーリアは「本当にこんな物が空を飛ぶのだろうか?」と、今更ながら不安を感じた。
「あなたは後ろの席に座って頂戴」
「は、はいっ!」
そのツルリとした外観とは異なり、ハヤテの背中の中は驚く程複雑な代物で占められていた。
リーリアには、それらが何に使われる物かは全く分からなかったが(※ちなみに当然ティトゥにも分かっていない)、全てが整然と纏まっており、独特の機能美を感じさせた。
「準備よーしですわ! 前離れー! ですわ」
『発動機始動準備完了! 点火!』
グオン! バババババ・・・
ハヤテが一声吠えると、大きなうなり声と共に機首の羽根が勢い良く回転を始めた。
(何て力強い・・・まるでハヤテ様が目を覚ましたみたいだわ)
大きな音。イスを伝わる振動。それはまさしく、ハヤテが目覚めたという言葉がしっくり来る光景だった。
ハヤテのエンジンが徐々にうなりを上げると、リーリアは自分が巨大な生き物の中にいる事を益々実感した。
『試運転異常なし! 離陸準備よーし!』
「離陸! ですわ!」
グオオオオオオオ
ハヤテはブーストをかけると滑走路代わりの街道を疾走。
激しい轟音と大きな振動。そして一度も体験した事の無い加速感。
リーリアは全く生きた心地がしなかった。
彼女は体を締め付ける安全バンドを強く握りしめると、懸命に悲鳴を押し殺した。
やがてフッと振動が消えると、ハヤテの体が大きく傾いた。
お尻の下がフワフワと頼りなく感じる。
(これって今、私は空を飛んでる?)
ハヤテはいつものように旋回しながら徐々に高度を上げて行った。
やがてハヤテはエンジンを絞ると、『安全バンドを外していいよ』と言った。
「もう安全バンドを外して構いませんわ」
「あ、は、はい」
リーリアは震える手であたふたとバンドを外した。
「ほら、あちらの方向に海が見えますわ。ハヤテ。良く見えるように少し傾けてあげて頂戴」
『了解』
ハヤテがティトゥに言われて機体を傾けると――
(えっ?)
バルトニク領には海は無い。リーリアはコノ村に来るまで海という物を見た事が無かった。
そして、リーリアはコノ村に来ても港に行った事も、ましてや船に乗ったなど無かった。
それは彼女が生まれて初めて目にした、見渡す限りの青い大海原だった。
「向こうにはコノ村が、向こうには港町ホマレが見えますわ」
「えっ?! すごく小さい!」
空の上から見下ろすコノ村は、まるで小さな積み木細工のように見えた。
リーリアは眼下に広がる一大パノラマにすっかり心を奪われてしまった。
「あそこに伸びているのが新街道。その先に見えるのが宿舎団地ですわ」
「宿舎団地・・・空から見るとこんなに近くにあるんだ」
数日前、婚約者のトマスと一緒に訪れた宿舎団地。
あの時は馬車で一時(※約二時間)程かかったが、空から見るとすぐ近所にあるように見えた。
(スゴイ・・・これがハヤテ様とナカジマ様がいつも見ている世界)
世界は広く、そして小さかった。
大きな家も指でつまめるようなサイズだし、コノ村全体を見てもまるで箱庭のようだった。
リーリアは風防に額を押し付けて、飽きることなく眼下の景色を眺めていた。
『そろそろ行くよ』
「リーリア。そろそろバルトニクへ向かいますわ」
「は、はい!」
リーリアは今更のようにハヤテの風防の透明さに驚いた。
彼女は冷たい風防にペタリと手を当てた。
「これはガラスでしょうか? すごく透明。空気の粒も入っていないし、まるで何も無いみたい」
この世界もガラスはあるが、あまり質が良いものではない。
そのため主に器や壺等に使用されていて、窓に使われるような事は無かった。
リーリアの呟きにハヤテが反応した。
『ん? 気になる? ガラスって普通のシリカガラスの事だよね? 四式戦闘機の風防はヒシライト――あ、ヒシライトっていうのは商品名で、プレキシガラスの事ね。アクリル樹脂のガラスって言った方が分かりやすいかな? アクリル樹脂は長く航空機の風防に使われていた素材だったんだけど、今ではポリカーボネート製の物に置き代わっているそうだね。
ねえティトゥ。今の言葉をリーリアに伝えてくれないかな。もっと聞きたいなら更に詳しく話すけど――』
「はいはい。リーリア、アネタから預かった銘菓を開けましょうか」
「あ。分かりました」
『ちょ、何だよティトゥ! 何でリーリアに言ってくれない訳?! せっかくリーリアが僕の話を聞きたがっていたっていうのに!』
ティトゥはハヤテの言葉をバッサリ無視。
リーリアと二人でナカジマ銘菓を食べ始めた。
ティトゥはリーリアの「ハヤテ様はさっきから何を言っているんですか?」の問いかけにも、「さあ。けど、こういう時のハヤテは放っておけばいいんですわ」と取り合わなかった。
ハヤテは自分の扱いの悪さにブツブツと文句を呟きながらも、隣国のピスカロヴァー王国を――今も戦火の中にあるバルトニクを目指して飛ぶのだった。
次回「フォルタ砦の戦い」