その12 宿舎団地にて
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはコノ村から馬車で約二時間。第一開拓地の開発に従事する作業員達が住む宿舎団地である。
正式な名称は”ドラゴン宿舎団地”。
その名は、ハヤテがポロリと漏らした”団地”という単語をティトゥが拾って名付けたものとなる。
後にハヤテは「団地というよりも、どっちかと言えば長屋っぽいなあ」と、少し居心地の悪い思いを味わっていた。
ちなみにハヤテは知らないようだが、日本の法律では団地に対する明確な定義はないそうだ。
つまり、集合住宅の事を「団地」と呼ぼうが、「長屋」あるいは「マンション」ないしは「アパート」と呼ぼうが、それはオーナーの自由であるらしい。
さて。そんな宿舎団地の一角。
比較的最近建てられた建物の中で、頬ヒゲの騎士が愚痴をこぼしていた。
「俺達はリーリア様の護衛のためにこの国までやって来たんだ! それなのに何でこの国のヤツらに従わなければならないんだ!」
騎士は、憤懣やるかたないといった様子で机に拳を叩きつけた。
その音に、周囲の騎士がビクリと身をすくませる。
ここにいる彼らはトマスの婚約者リーリアの実家、バルトニク家の騎士団員達である。
頬ヒゲの騎士は騎士団の隊長であった。
「しかし隊長。我々に謹慎するように命じたのは、ナカジマ家の者ではなく、オルサークの竜軍師殿でありますが」
頬ヒゲの隊長は差し出口を叩いた部下をジロリと睨み付けた。
「そんな事は言われなくても分かってる! この原因をつくったのがこの国のヤツら――ここの衛兵隊だと言っているんだ!」
そんな事は言っていなかったと思うが、部下の騎士は何も言わなかった。
触らぬ神に祟りなし。
先程、オルサークの竜軍師こと、トマスが去って以来、隊長はずっとこんな感じで不満を言い続けていたのである。
トマスがリーリアを連れて彼らの下に現れたのは、正午少し手前の頃だった。
実は、トマスはリーリアを同行させるのは、あまり気が進まなかった。しかし、まだ十歳の少女とはいえ、彼女がバルトニク家の娘である事は間違いない。
他家のトマスが当主の娘の頭越しにバルトニク騎士団を裁く訳にはいかなかった。
リーリアはこの場の険悪な空気に、怯えたようにトマスの腕に縋り付いた。
トマスは全員の視線を受けながら、なんら臆する様子も無く彼らに向き合った。
「ナカジマ家の家令のオットー殿とも相談した。今回の一件は双方共に負傷者も出なかったという事もあり、処罰は減俸と再訓練で済ませる事になった。リーリア」
「ひっ! あ、あの・・・ト、トマス様」
リーリアとは事前に打ち合わせをしていたが、この場の張り詰めた空気に頭の中が真っ白になってしまったようだ。
彼女は困り切って婚約者の少年を見つめた。
トマスは「仕方ない」と諦めて、彼女の言うべきことを代わって騎士団員達に告げた。
「とは言っても、ここはバルトニクから遠く離れた異国の地。リーリアの護衛を引き継げる騎士団員がいない以上、お前達だけを訓練のために先に返すわけにもいかない」
「当然です! 我々はご当主様から直々にリーリア様の護衛を任されたのです!」
胸を張って答える隊長。トマスはムッと眉間にしわを寄せた。
「その自覚があるなら、なぜ今回のような騒ぎを起こした?」
「先に剣を抜いたのはあちらの方です!」
「それは聞いている! だが、向こうがそうせざるを得ない原因を作ったのはお前達だろうが!」
トマスと隊長は互いに一歩も引かなかった。
しかし、バルトニク騎士団の者達は、密かにトマスの胆力に感心していた。
騎士団というのは、基本的には脳筋で血の気の多い者達の集まりである。
なめられてはやっていけない世界なのだ。
相手がオルサークの竜軍師だろうが何だろうが、隊長が自分の主張を譲らないのは当たり前。むしろ彼の立場では部下の前で迷いや弱みを見せるわけにはいかないのである。
しかし、トマスは貴族とはいえ、まだ十歳そこそこの子供である。
他家の、しかも騎士団の男達の中に乗り込んで、正面から彼らを怒鳴り付けるのは、余程肝が据わっていなければ出来る事ではない。
(流石はオルサークの竜軍師殿だ)
騎士団員達は改めてトマスという少年を見直していた。
「それに聞いたぞ! お前達、厩や宿泊施設に随分と文句を言っていたそうじゃないか!」
「――っ! それは・・・」
隊長は――そして騎士団員達も――この指摘にはバツが悪そうに目を反らした。
「お前達もコノ村の様子を見ただろう?! ナカジマ領では領主であるナカジマ様でさえ、そこらの農家と変わらない質素な家に住んでいるのだ! 私やお前達の主人、リーリアだって、ここではナカジマ様に倣って生活している!
それなのにお前達は自分達の寝床が狭いと文句を言うのか?! それとも何か?! バルトニクの騎士団は天蓋付きのベッドでなければ寝られないのか?!」
「ぐっ・・・!」
トマスの痛烈な皮肉に、流石に騎士団員達の顔色が変わった。
そんな彼らの姿を見かねたのだろう。リーリアがトマスの腕を引いた。
「トマス様。あの、そこまでおっしゃらなくとも・・・彼らも十分に分かってくれてますわ」
トマスは顔を歪めると舌打ちを堪えた。
(リーリア! ――リーリアは分かっていない。災いの芽を摘むためにも、ここは厳しく追及しなければいけない場面だというのに)
ここでなあなあで済ませてしまうと、いつかまた、彼らは今回と同じ過ちを繰り返すだろう。
実際、リーリアが同情を示した事で、バルトニク騎士団員達の間に緩みが生じている。
飼い犬の躾けでも人間相手でも、誰かを叱る時にはタイミングという物が存在する。
それを逃せば、こちらの怒りが相手の心に届かなくなり、逆に恨まれる事にもなりかねない。
今回は偶然、大きな問題にはならなかった。しかし次も無事で済むとは限らないのだ。
(全く、リーリアは余計な事をしてくれた――!)
トマスは自分の婚約者を怒鳴り付けたい気持ちをグッと堪えた。
そもそも、他家の騎士団相手にトマスが出来る事は何も無い。本来であれば、彼がやっている事はリーリアがやらなければならない事なのだ。
トマスは彼女の婚約者だから、騎士団員達から一目置かれているオルサークの竜軍師だから、越権行為と知りつつこんな事をしているのである。
トマスはバルトニク騎士団の男達を見回した。
(・・・俺に出来るのはここまでか。オルサーク騎士団の者達に、それとなく注意しておくように頼んでおくしかない。彼らの負担が増えてしまうな)
その後、トマスは騎士団員達から軽く事件の聞き取りをした後、「今日の所はこのまま謹慎しておくように」と命じると、リーリアを連れてこの場を去って行ったのであった。
それから半日後。
宿舎団地の空が秋の夕焼けに真っ赤に染まる頃、巡回をしていた衛兵達が詰め所に戻って来た。
部屋の奥に座った彼らの隊長が――元、傭兵団団長、ザイラーグが、衛兵達に声をかけた。
「ご苦労。バルトニク騎士団の者達の様子はどうだった?」
隊員達は白い歯を見せて笑うと「特に何も」と答えた。
「大人しいもんでしたよ。今朝隊長にやられたのがよっぽど堪えたんじゃないですかね」
「そうか。何事もなかったのならいい」
ザイラーグ隊長は「だが油断はするなよ」と部下に釘を刺した。
「バルトニク家は知らんが、彼らはピスカロヴァー領の騎士団だ。ピスカロヴァーには”大鷲”バルターク家がある。大鷲の騎士団には俺自身、若い頃に何度も痛い目を見ているからな。決して甘く見て良い相手ではないぞ」
ザイラーグは傭兵団の団長になる前はこの国の東の大貴族、メルトルナ家の騎士団に所属していた。
メルトルナ家はこの国の貴族にしては珍しく武人肌の貴族家で、ザイラーグも若い頃は何度も隣国ゾルタとの戦いに参加していた。
とはいえ、それも十年ちょっと前に国境に砦が出来るまで。
それ以降は大きな戦もめっきり減り、今の若い騎士団員や衛兵の中には、その頃の事を知らない者達も多くなっていた。
(大鷲の騎士団は、昨年、王都を巡る防衛戦で帝国軍に相当手ひどくやられたと聞いている。あるいはミロスラフとの大きな戦が減った中で、久しぶりに巡って来た武威を示せる機会に、功を焦ってしまったのかもしれんな)
ザイラーグ隊長がそんな事を考えていると、詰め所の前に一台の馬車が停まった。
一同が一体どこの誰だと見守る中、見慣れたコノ村の役人が書類を持って建物の中に入って来た。
「ザイラーグ隊長はおられますか?! 代官のオットー様からの命令書を持って参りました!」
「俺がザイラーグだ。おい、誰かお茶を用意しろ」
役人は「いえ、お気遣いなく」と断ると、その場で命令書を読み上げた。
「代官のオットー様よりの命令です。ご当主様は今週末に領内で収穫祭を行う事を決められました」
収穫祭、という言葉に、衛兵達の間にどよめきと喜びの笑顔が広がった。
誰もがご馳走への期待に心を躍らせている。
そんな中、ザイラーグだけは真顔で小さく頷いた。
「つまり、俺達に当日の警備を行えと言うんだな」
「その通りです。それと、ハヤテ様の主催で行われる”ドラゴン杯”の参加者の選定もお願いします」
「ドラゴン杯、だと?」
戸惑うザイラーグ隊長。
役人は「詳しい事はこちらに」と言って、彼に書類を手渡した。
ザイラーグ隊長の周りに隊員達が集まり、後ろから書類を覗き込んだ。
「――ふむ。人数は九人か。これは俺達も参加しないといけないのか?」
「ハヤテ様主催ですので」
つまりはナカジマ家所属の組織は強制参加という事だ。
「ハヤテ様は騎士団以外からも参加者を募集するおつもりのようです。バルトニクとオルサークの騎士団にも参加を要請するそうですよ」
「バルトニク騎士団にも?!」
ザイラーグは思わず目を見張った。
この一言に今まで興味本位で聞いていた隊員達の顔色がサッと変わる。
「隊長、バルトニク騎士団のヤツら、絶対に俺達を目の敵にして来ますよ」
「なあに構う事無いぜ。もう一度負けて恥を晒すだけだ」
「そうとも、返り討ちにしてやりましょう」
盛り上がる隊員達。ザイラーグ隊長は不敵な笑みを浮かべた。
彼も若い頃は騎士団で鍛えられた男。年齢を重ねて落ち着いたように見えても、ご多分に漏れずその本質は十分に脳筋なのである。
「いいだろう。衛兵隊が騎士団に劣らないという所を、衆目の前で――ドラゴン杯で優勝して見せてやろうじゃないか」
「「「「おおっ!!」」」」
詰め所に男達の歓声が上がった。
次回「ドラゴン杯」