その5 ナカジマ饅頭
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コノ村を訪れたトマスの婚約者リーリアは、到着早々、色々と度肝を抜かれていた。
「これって! トマス様がお土産に持ってきて下さったお菓子ですわね?! ――うん! やっぱり甘くて美味しいですわ!」
お茶菓子として出された、銘菓・ナカジマ饅頭を食べて目を丸くし。
「良い香りのするお茶ですわ。えっ?! 聖国のお茶?! そんな高価なものをありがとうございますわ」
メイド少女カーチャの淹れたお茶を飲んでは驚き。
「ところでこの小屋は何に使っている小屋なんですの? 家具は揃っているみたいですが。ナ、ナカジマ様が住んでいる屋敷だったんですの?! し、失礼いたしました!」
案内された小屋を見回して、あまりの質素さに驚愕していた。
お茶のお替りが注がれ、すっかり退屈してしまったファル子とハヤブサが、ティトゥの足元で丸くなった頃。
ティトゥはトマス達に今後の予定を尋ねた。
「それで、リーリアさんはどうされるおつもりなんですの?」
「それなんですが――」
トマスはカップを置いてかしこまった。
「私とアネタと一緒に、コノ村でお世話になりたいと考えております」
「分かりましたわ。後でカーチャに部屋に案内させましょう。トマスとアネタのご予定は?」
「先程のリーリアの話にも関わりますが、リーリアの両親が家族で新年を迎えたいとの事なので、私達もその時に――年末にはピスカロヴァーに帰る予定でいます」
トマスはそう言って隣に座ったアネタの頭を撫でた。
ちなみにアネタはまだお菓子を食べ足りないのか、空のお皿を残念そうにジッと見つめていた。
「そのくらいにしておけ。夕食が食べられなくなるぞ」
「はぁい。兄様」
ティトゥは、「そうですわね。例年通りなら、まだ街道が雪で覆われていない時期ですし、丁度いいんじゃないかしら」と頷いた。
その時、ノックの音と共に、ナカジマ家の代官のオットーが顔を出した。
「ちょっとよろしいですか? そちらの護衛の騎士なんですが」
トマス達の護衛の騎士は二十騎。トマスの実家のオルサーク家と、リーリアの実家のバルトニク家から、それぞれ十人ずつ連れて来ている。
オットーの説明によると、現在コノ村では、彼らの乗馬二十頭が入るような大きな厩は無いのだそうだ。
「それは困ったわね。どうにかならないんですの? オットー」
「ハヤテ様の天幕を使えば――あ、いや、そこでですね。彼らには宿舎団地に泊ってもらう訳にはいかないでしょうか?」
「しゅくしゃ、だんち? ですか?」
トマスはオットーからドラゴン宿舎団地の説明を受けて、「ああ、あそこの事ですか」と納得した。
「第一次開拓地の作業員達が宿泊している建物の事ですね。構いませんよ。確か馬で行けば一時間とかからない距離だったはずですし。え? ああ、街道も開通したんですか。ならもっと短い時間で往復出来そうですね」
トマスは「後で私から言っておきます」と請け負った。
「ではトマス様。よろしくお願いします」
「いえ。ご迷惑をおかけします」
この時、トマスは騎士団が宿舎団地で宿泊する事を気軽に了承した。
しかし、彼は現在、宿舎団地の住人が増えて治安も悪化している事を知らなかった。
そんな中に二十人もの、勝手を知らない外国の騎士が入れば、一体どうなるか?
後にトマスは「この時にもっと良く話を聞いておくべきだった」と後悔する事になるのだった。
ティトゥ達がお茶を飲んでいる間に、リーリアの二人の侍女――ミラエナとゾラは、ナカジマ家の使用人達に手伝って貰いながら、馬車から荷物を降ろしていた。
「ああ~。一口でいいから食べてみたかったなあ」
おっとりした印象の侍女――ゾラが家のドアに振り返った。
そばかすの侍女、ミラエナが、既に何度目かの同僚のボヤキにうんざりした顔になった。
「あなたまだそんな事を言っているの?」
「だって、だって! あれって絶対美味しいお菓子だったんだもの! お屋敷で見たお菓子と同じ形をしていたもの!」
ゾラが言っているのは、先程お茶請けに出されていた、銘菓・ナカジマ饅頭の事である。
トマスは以前、バルトニク家にお土産として”ナカジマ銘菓”を持参した。あの日、ナカジマ饅頭をお皿に取り分け、お茶請けとして出したのはゾラだったのである。
「あのお菓子を食べた途端、奥様達は目の色を変えていたじゃない。ミラエナも私と一緒に見てたわよね」
「それはそうだけど」
バルトニク家の者達は、ナカジマ饅頭を一口食べた途端、興奮した顔を見合わせた。
「ウソ、甘い! なんなのこの甘さ!」
「何これ、美味しい!」
リーリアの兄、ドミノは、トマスに縋り付くと「もっと持って来てないのか? えっ、もうないの? そんなぁ・・・」と、しょげ返っていた。
ゾラは立ち止まると、遠くを見る目になった。
「あの後、コッソリお土産の箱の底を舐めたけど、ほんのり甘かったんです。箱に付いた餡でああだったんだから、丸ごと一つ食べたら一体どんな味がしたのかしら」
「箱を舐めたって・・・。あなた何をしているのよ」
ミラエナは同僚のはしたない告白に、何とも言えない情けない表情になった。
お菓子の箱に顔を突っ込んでペロペロ舐めるお年頃のメイド。
決して人には見せられない姿である。
いつの間にか話し込んでいた二人に、ナカジマ家の使用人が声をかけた。
「お二人さん。もう運ぶ物はないのかね?」
「あっ! ごめんなさい! ほら、ミラエナ! 急いで!」
「ゾラ、あなたねえ・・・。少し待って下さい」
ミラエナは同僚にせかされながら馬車から大きな鞄を取り出した。
「これで最後ね。私達の私物なので、さっきの荷物と同じ部屋に運んで下さい」
「分かったよ。よっと、意外と重いな」
使用人は家から顔を出した同僚に、「これで最後だ」と声をかけた。
声を掛けられた使用人は、「じゃあ馬車は俺達が動かしておくよ」と言うと、ミラエナとゾラを手招きした。
「おおい、アンタ達! 長旅で疲れただろう、こっちで休んでくれ!」
「お気遣いありがとうございます。でも、私達はリーリア様のお世話がありますので」
ミラエナは使用人の誘いを丁寧に断った。
一見、ゆるそうなゾラも、同僚と同意見のようだ。神妙な顔つきで頷いている。
使用人は二人の職業意識の高さに感心した様子だった。
「そうか。さっき厨房のそばを通ったら、丁度メイド達の休憩時間だったらしくて、みんなでお菓子を食べていたんだ。アンタ達も一緒にどうか「ミラエナ! 私、ちょっと行って来ます!」」
お菓子と聞いてダッシュで駆け出したゾラの腕を、ミラエナは慌てて掴んだ。
「放して下さい、ミラエナ! お菓子が! お菓子がなくなってしまいますーっ!」
ミラエナを引きずりながら、ジリジリと厨房を目指すゾラ。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
さっきの真面目な表情から一転、驚きの変わり身の早さである。
「あんな美味しいお菓子を作るナカジマ家の食事です! きっとメイドの食べるものだって美味しいに決まってます!」
筋が通っているような、そうとも言えないような、何とも微妙な理屈である。
しかし、言った本人は相当な自信がある様子である。
ミラエナは「このままじゃ納まりそうにないわね」と、諦めの表情を浮かべた。
「――分かった。お菓子を貰うだけだからね。食べたら直ぐにリーリア様の所に行くわよ。いいわね?」
「別にミラエナは先にリーリア様の所に行ってもいいですよ?」
「何でよ! 私も食べたいわよ!」
何だかんだと言いながら、ミラエナも気にはなっていたらしい。
ナカジマ家の使用人は二人の少女のやり取りに笑い声を上げると、隣の建物を指差した。
「そっちが厨房だ。アンタ達はツイてるぞ。今日は料理長のベアータ殿がまかないの当番だ。ナカジマ銘菓が出ているかもしれないぞ」
「ナカジマ・メイカ! 何でしょう、その美味しそうな響き!」
「また適当な事を言って・・・。どうもありがとうございます」
ミラエナは使用人に礼を言うと、ゾラに背中を押されながら隣の建物に入って行ったのだった。
ちなみに今日のまかないはナカジマ饅頭だった。
奇しくもトマス達のお茶請けに出された物と同じ――と言うよりも、トマス達がやって来る事を知らなかったベアータは、まかない用に作っていたナカジマ饅頭を彼らに出したのである。
夢にまで見たナカジマ饅頭を目の前にして、ゾラのテンションはアゲアゲだった。
「こ、これは! これがナカジマ・メイカなんですね!」
興奮するゾラに、ナカジマ家のメイドは「違う違う、これはナカジマ饅頭よ」と訂正した。
ミラエナは「ウチのメイドがお騒がせしてスミマセン」と、ペコペコと頭を下げる。
ナカジマ家のメイドは若い二人のメイドを微笑ましそうに眺めた。
ナカジマ家のメイドはカーチャを除けばベテラン揃い――ぶっちゃけ、おばちゃんばかりである。
こうしていると、若いミラエナとゾラは、パートのおばちゃんに混じった女子高生のアルバイトのようにも見えた。
ゾラはゴクリと喉を鳴らすと、小さな丸い甘味に手を伸ばした。
「ナカジマまんじゅう・・・い、頂きます。――パクッ。んんっ! ミ、ミラエナ! コレ甘いです! 超美味しいです!」
柔らかな食感の皮と、しっとりとしたお芋の餡の生み出す絶妙なハーモニー。
ナカジマ饅頭はゾラの想像を超えた――いや、想像すらしていなかった味わいだった。
「ミラエナもほら、食べて! 食べてみて下さい!」
「う、うん。――モグモグ。んなっ! なんやコレ! めちゃくちゃ美味いやん!」
ミラエナは驚きのあまり、普段は出さないようにしている素の言葉が――出身地の地元訛りが――出てしまったようである。
「何コレ! 信じられへん! めっちゃ美味しい! あかん、手が止まらへん、パクパクパク」
「ああっ! そんなにパクパク食べたら私の分が! 私のお饅頭がなくなっちゃう!」
慌てて自分の分を確保しようとするゾラ。
ナカジマ家のメイド達はそんな二人の様子に笑いながら、「まだまだあるから、心配しないで好きなだけお食べなさい」と、若いメイド達にナカジマ饅頭を勧めるのだった。
次回「砦からの訃報」