プロローグ 招宴会への案内状
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「招宴会ですか?」
「はい。姫様の名で開きたいと思います」
ここはミロスラフ王国王城の迎賓館。
ランピーニ聖国からこの度の戦勝式典に参加するためにやってきた友好使節団の代表、マリエッタ・ランピーニ第八王女は、その幼い体をソファーに沈めていた。
その前に立つのは使節団の副代表、メザメ伯爵だ。
王女と打って変わってヒョロリと背の高い青白い顔の男だ。
「姫様がこの使節団の代表ですからね。よもや私の名前で招待状を送るわけにもいかないでしょう」
どうもいちいち言い方が不躾で癇に障る男だ。マリエッタ王女の後ろに立つ王女の侍女ビビアナは伯爵を睨んだ。
小男爵令嬢でしかないビビアナが伯爵であるメザメを睨んだだけで、本来であれば問題のある行為だ。
だが、彼女は敬愛する王女のためにわが身を盾にする覚悟でいた。
メザメ伯爵から渡された招待状に目を通し、マリエッタ王女が顔を上げた。
内容は友好使節団が主催するこの国の貴族を集めた招宴会である。
それなりの規模だが、外国の使節団がこういった催しを開くという話は割と良く聞く。
開催日は10日後、場所は貴族街の上士位の屋敷を借り受けて行われることになっている。
ランピーニ聖国と親交の深い大物上士で、マリエッタ王女も良く名前を知っている相手だ。
「分かりました。ランピーニ王家の名でこの招宴会を認めます」
マリエッタ王女は手の中の招待状を丸めた。
王女付きのメイドが火のついた小さな燭台と封蝋の入った小箱を差し出した。
王女は燭台の火で封蝋を落とすと、指輪印章で捺印をする。
封印された案内状はメイドが受け取り、メザメ伯爵へと渡された。
メザメ伯爵は手の中の案内状を確認すると、背後に控えた部下の男に目くばせをした。
「印章をお預かりしましょう」
もちろん招待状はこれ一通ではない。
要は後は自分達がやると言っているのである。
王女の前に出る伯爵の部下。
王女は指輪に手をかけるが、ビビアナが一歩前に出て伯爵に声をかけた。
「いえ、こちらで致しますので」
その瞬間、この場に緊張が走った。伯爵の部下の顔にさっと朱がさす。
王女と伯爵の会話に小男爵令嬢が許可なく口を挟んだのだ。
いくら正式な場ではないとはいえ、その無礼は咎められてしかるべき行為だ。
「そうですか。仕事が減って助かりますな」
メザメ伯爵は鷹揚に手を振って男を下がらせた。
ビビアナに鋭い視線を向け、下がる部下。
「残りの案内状は後で部屋まで運ばせます。では私はこれで」
そう言うと伯爵は部下を連れ王女の部屋を出た。
厳かな音をたて、扉が閉まる。
部屋にはホッとした空気が流れた。
「ビビアナ・・・」
「姫様、あの男に印章を渡してはなりません。あいつは信用ならないわ」
マリエッタ王女は侍女の懸命な訴えに肩を落とした。
「それでもあの態度は良くありません。後で私から伯爵に詫びておきますね」
「そんな・・・姫様」
ビビアナもようやく、自分の行動が主に不利益をもたらしたことを察したのだろう。悔しそうな表情を浮かべた。
彼女は最近、忠誠心がやや暴走気味だ。
周囲にマリエッタ王女の味方のいない状況に、心の余裕を失っているのだろう。
もちろんその気持ちは嬉しいのだが、背負いきれない重荷にいずれ押しつぶされる未来が容易に想像できる。
それは王女にとって悲しい未来だ。
マリエッタ王女は彼女の侍女を救うため、秘密を打ち明ける決意をした。
「ビビアナ。私はもう聖国を出た時の私ではありません」
「姫様?」
王女が何を言い出したのか分からずに眉をひそめるビビアナ。
「明日、あなたにそのことを証明します。このことは絶対に他言無用です。良いですね?」
主人からそう言われては逆らうことは出来ない。
侍女とメイドは揃って頭を下げたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
メザメ伯爵は自室に向かって廊下を歩いていた。
贅を尽くして飾り立てられた迎賓館だが、ランピーニ聖国の王城を知るメザメ伯爵にはさほど感銘を与えない。
まるで自分の屋敷であるかのように我が物顔で闊歩していた。
「よろしかったので?」
後ろに控えた部下の男が伯爵に問いかけた。
「何がだ?」
「ペンスゲン小男爵令嬢のことです。主の会話に口を挟むなど無礼な!」
ペンスゲン小男爵令嬢とは、マリエッタ王女の侍女ビビアナのことだ。
部下の男は先程のビビアナの態度を腹に据えかねていたのだ。
「放っておけ。所詮忠誠心だけの無能だ。忠誠心の薄い優秀な者より、忠誠心の厚い無能の方がこちらとしては御しやすい」
「・・・はっ」
部下は納得しかねているようだった。
コイツも忠誠心の厚い無能だな。
優秀な敵より無能な味方の方がたちが悪い。
メザメ伯爵は男の評価を下げた。
メザメ伯爵は周囲に誰もいないことを確認すると、声をひそめて部下に問いかけた。
「それよりも人選の方はどうなっている」
「はっ・・・。 こちらの思惑に乗るような浅慮な人物で、かつそれなりの権力を持つ者となるとやはりあの男が適任かと」
ふむ。メザメ伯爵は整えられた口髭をしごいた。
「パンチラ・ネライ元第四王子か。確か今はネライ領の分家の当主だったか?」
「はい領地と言ってもロクに領民もいない毒虫のはびこる湿地帯だそうですが」
元第四王子はネライ領の中でも価値のない土地を与えられていた。
もちろん彼にそんな困難な領地を開発する力などはない。
広大な湿地帯の端に、へばりつくように作られたわずかばかりの集落が彼の支配する領地であった。
ネライ元第四王子の虚栄心は現状への不満もあることは間違いないだろう。
「愛国心に訴えれば動くかと」
「そんな男に大層な志などあろうはずもないわ。せいぜいヤツにとって耳当たりの良い妄想を吹き込んでやれば良い」
メザメ伯爵は自室の扉を開けると吐き捨てるように言い放った。
はっ。部下の男が頭を下げる。
部下の目の前で扉が閉められた。
残された男は踵を返すと、足早に迎賓館を出ていくのであった。
次回「驚愕する侍女」