その4 ミロスラフのドラゴン達
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リーリアは目の前の光景に愕然としていた。
「ここがコノ村?! ただの村じゃないですの!」
隣国ピスカロヴァー王国を出発して約二週間。彼女がようやくたどり着いた目的地は、どこからどう見てもただの小さな村でしかなかった。
トマスは、愕然とする婚約者の少女に、逆に「えっ?」と驚いた。
「何を言っているんだリーリア。私は最初からコノ村と言っていただろう? コノ村が村でどこがおかしいんだ?」
「それは・・・それは確かに、トマス様のおっしゃる通りなのですが」
もしもここが町ならコノ町と呼ばれていただろう。
コノ村は村。そんなのは言われるまでもなく当たり前の事である。
しかし、リーリアの常識では領主が村に住むなどあり得ない話だった。
ましてやナカジマ領の領主は、あの姫 竜 騎 士。
美貌の女当主。ドラゴンに乗り、戦場の空を駆ける戦乙女。
リーリアは心の中で言い訳をした。
(ナカジマ様は、オルサークの竜軍師・トマス様がお認めしている竜 騎 士なのよ! そんな人が、よもやこんな小さな村に住んでいるなんて、想像出来る訳がないじゃないの!
ナカジマ家って、ウチの国で言えば準伯爵に当たるって聞いているけど、そんな偉い人が村に住んでるって、おかしくない?
ナカジマ様って一体何を考えているの?
それにしても、さっきのキョトンとされたトマス様は新鮮だったわ! 日頃の凛々しいお顔も好ましいけど、年齢相応のあどけない表情も、親しみやすさを感じて素敵だわ!)
最後は言い訳でもなんでもないただの惚気だった気がするが、それはさておき。
リーリアが感じた疑問も最もだ。
というか、ティトゥも最初は領内で唯一の町、ポルペツカを本拠地とする予定だった。
しかし、早々に町の商業ギルドと揉めた彼女は、直ぐに町を去る事になってしまったのである。(※詳しい経緯は『第五章 領地運営編』を参照)
もちろん今はギルドとの関係も改善しているし、町に戻ってもいいはずなのだが、ティトゥは気軽にハヤテに乗れる今の環境が気に入ってしまい、すっかりコノ村に居ついてしまったのである。
リーリアがコノ村の景色に驚いたり、婚約者の少年にキュンキュンしたりしていると、取り次ぎを頼んだナカジマ家の騎士が戻って来た。
「お待たせしましたオルサーク様。ご当主様はハヤテ様の天幕でお待ちしております」
「分かった。そちらに向かおう」
馬車は村に入って少し進むと、大きなテントの前で停まった。
これが先程の騎士が言っていた”ハヤテ様の天幕”だろうか?
年季の入ったテントは良く見るとあちこちに繕った跡があり、大変に見栄えが悪いものであった。
(何でこんな所に案内されなければならないのかしら? それに外に出迎えにも出て来ないなんてどういう事? いくらトマス様がナカジマ様よりも格下の男爵家の三男とはいえ、客を出迎えないホストなんて聞いた事もないわ)
リーリアはみすぼらしいテントを不満に感じると共に、ひょっとしてナカジマ家の当主はトマスを軽く見ているのではないか、優しいトマスは女性が相手なので強く言えないだけなのではないか、等と勘繰った。
(トマス様が言わないのなら、妻である私が言わないと)
リーリアは密かに決意を固めると、トマスに見えない所でフンスと気合を入れた。
そんなリーリアを含めたトマス達一行は、大きく開かれた入り口からテントの中に入った。
トマス達を出迎えたのはピンクの髪の美貌の少女であった。
「トマス、アネタ、久しぶりですわね」
「ナカジマ様。またお世話に「なっ! ト、トマス様! ななな、何なんですのアレは!!」」
ナカジマ家当主、ティトゥ・ナカジマ。リーリアにとっては、婚約者の心を奪う憎き恋敵(※リーリア視点)である。
しかし、リーリアは目の前の恋敵よりも、彼女の背後にそびえ立つ巨大な存在に意識を奪われていた。
リーリアの背後で彼女の侍女たちが「ヒッ」と息を呑んだ声が聞こえた。
それは見た事も無い巨大な怪物だった。
大きなテントが狭く感じるような圧倒的な存在感。
冷たい光沢を放つ滑らかなボディー。
その巨大な翼は、見る者を威圧するかのように大きく広げられ、鎌首をもたげて小さな人間達を見下ろしている。
ティトゥは怯えてトマスの腕に縋り付く少女を不思議そうに見た。
「そちらはどなたですの?」
「こちらはリーリア・バルトニク男爵令嬢。私の婚約者になります」
「トマスの婚約者ですの?」
トマスの年齢は婚約者を決めるにはまだ若すぎる。
しかし、仲の良い貴族家等では、子供が生まれた時に親同士が婚約を決める場合も無くはない。
ティトゥはトマスとリーリアもそのケースだと思ったようだ。
しかし、この場にはそんな貴族家の事情を知らない、異世界転生者がいた。
『ええっ?! トマスって婚約してたの?! その若さで?! 初耳なんだけど!』
「ひいっ!」
リーリアにとっては、突然、目の前の怪物が大きな声で吠えた形となる。
彼女はビクリと体をこわばらせた。
トマスは怯える婚約者に振り返った。
「リーリア。こちらがナカジマ様。そしてナカジマ様の後ろにいるのが――」
「ドラゴンのハヤテですわ」
「ゴキゲンヨウ」
「「「しゃ、喋った!」」」
テントの中にリーリアと彼女の侍女の叫び声が響いたのだった。
テントの中に大きな翼を広げる巨大な姿。
リーリアはハヤテの存在に圧倒されてしまった。
「「ギャウー! ギャウー!(アネタ! アネタ!)」」
「ファルコ様! ハヤブサ様! お久しぶりです!」
「おや? ファルコ様達は一回り大きくなっていませんか?」
「そうなんですわ。つい先月、脱皮したんですの。丁度お二人がオルサークに戻った後くらいだったかしら?」
机の後ろから二匹のリトルドラゴンが――ファル子とハヤブサが駆け寄った。
ギャウギャウとアネタにまとわりつく二匹に、リーリア達は目を丸くして驚いている。
「ト、トマス様! この生き物は一体?!」
「ハヤテの子供ですわ」
「ええっ?! 似てない!」
火の玉直球どストレートな感想に、ティトゥとトマスは苦笑いを浮かべた。
ハヤテは『そうだよね~。これが素直な反応だよね~』などとブツブツ呟いている。
「リーリア・・・」
「ご、ごめんなさい! きっと子供は母ドラゴン似なんですわね?!」
ワタワタと慌てるリーリアは、言い訳のつもりで勝手に墓穴を掘っている。
その時、彼女の後ろでおっとりした感じの侍女が「はふっ」と変な声を上げた。
「ヒソヒソ(な、何あの可愛い生き物。私もだっこしたい――あ痛っ)」
「ヒソヒソ(ゾラ。黙ってなさい)」
そばかすの侍女は、おっとりした侍女――ゾラに肘鉄をした。
「ヒソヒソ(でもミラエナ。ドラゴンよ。ドラゴンの子供なのよ)」
「ヒソヒソ(いや、分かってるけど)」
「どうしたの?」
侍女二人のヒソヒソ声をアネタが聞きとがめた。
アネタはファル子達を撫で回しながら、彼女達に振り返った。
「だっこしてみる?」
「い、いいんですか?! な、ならそちらの可愛いピンク色の子の方を!」
「ちょっと、ゾラ!」
興奮のあまり、前のめりになってワキワキと指を動かす侍女を見て、可愛いピンク色の子――ファル子は慌ててティトゥの後ろに隠れた。
「・・・ギャウー(この人、何かイヤ)」
「ああっ・・・そんなぁ」
「(苦笑)ハヤブサ。ファルコの代わりにその方にだっこされてあげなさい」
「ギャーウー(ええ~っ。まあいいよ)」
まあいいよの一言で済ませたハヤブサに、ファル子は「いいんだ」と驚いた。
そして、感極まって不審者のごとく鼻息を荒くするゾラに大人しく抱かれている弟の姿を見て、「この子は大物かもしれない」などと謎の敗北感を感じるのだった。
自分の侍女の暴走に、リーリアは慌てた。
「ちょっと、ゾラ! あなた失礼ですわよ!」
ハヤテが『いや、君も大概失礼な事を言ってたよね』とツッコミを入れたが、ここには彼の言語が分かる人間はティトゥしかいなかった。
「・・・ハッ。た、確かにそうですね。リーリア様もだっこしたかったですか?」
ハヤテは『いや、今のはそういう意味じゃないと思うよ』とツッコミを入れた。
「・・・じゃあちょっとだけ」
おずおずとハヤブサに手を伸ばすリーリアに、ハヤテは『だっこしたかったのかよ! ていうか、何なのこの子達。ティトゥもいい加減に止めようよ』と彼の魂の契約者に助けを求めた。
ティトゥは苦笑すると、背後を振り返った。
「挨拶はこの辺にして、あちらでお茶にしましょうか。カーチャ、トマス達を案内してあげて」
「はい。皆様こちらへどうぞ」
リーリアはハヤブサを、アネタはファル子を抱き上げると、カーチャの後に続いた。
トマスはティトゥに頭を下げた。
「リーリアと彼女の侍女が大変失礼致しました」
「気にしていませんわ。何と言うか――中々個性的な婚約者ですわね」
ハヤテは『君がそれを言う?』などと呟いてティトゥにジロリと睨まれている。
どうやら彼は先程の間の抜けたやり取りで一時的なツッコミ体質に目覚めてしまったらしく、条件反射でツッコミを入れてしまったようだ。
その時、リーリア達が去った方向から、幼い少女の声で悲鳴が上がった。
「これって聖国陶器じゃない! なんでウチの家にもないような高価な茶器が、こんな何も無いへんぴな村にあるのよ!」
何も無いへんぴな村。確かに事実ではあるが。
「リ、リーリア?! ・・・か、重ね重ね失礼致しました!」
「気にしていませんわ」
ティトゥの返事に、トマスは「穴があったら入りたい」とでも言いたそうな顔で、上げた頭をもう一度深々と下げたのであった。
次回「ナカジマ饅頭」