その2 港町ホマレ
僕のテントに気難しそうなお爺さんがやって来た。
ナカジマ家のご意見番、元宰相のユリウスさんである。
彼は代官のオットーに何枚かの書類を。そして死んだ魚のような目でデスクに座っているティトゥに、鞄一杯分の書類を手渡した。
『なんで私の方だけバカみたいに多いんですの!』
『オットーには昨日、同じ物を渡しているからだ』
昨日、新街道の開通式に出席したティトゥは、ストレスを解消するべく、夕食時間の前まで僕に乗ってお出かけしていたのであった。
目的地は隣国ゾルタのオルサーク家。トマスとアネタ兄妹の実家である。
ファル子達が「飛べるようになったのをアネタにも見て貰いたい!」と言い出したからだ。
ちなみにトマス達は留守だった。長男で当主のマクミランさんの話では、十日程前に家を発ってナカジマ領に向かった、との事である。
残念。僕達はすれ違ってしまったようだ。
日数的には二人はそろそろナカジマ領に入っている頃だ。すぐにコノ村で会えるだろう。
それはそれとして、ファル子達はオルサーク家のみんなの前で、飛べるようになった姿を披露。
みんなの歓声を受けて満足そうにしていた。
二人にとって褒めて貰えるなら誰だって良かった訳ね。
ティトゥは渋々書類をめくった。
『役人の紹介状? この間何人か雇ったところじゃないですの』
『彼らはポルペツカの事務員だ。こちらは全員、後々港町で働いてもらう者達となる』
『ようやく新街道も開通しましたからね。何人か紹介して貰えないかとこちらからお願いしていたんです。これからどんどん港町ホマレの開発も本格化して来ますし、人手はいくらあっても足りませんから』
ドラゴン港を擁するナカジマ領の港町。将来はこのナカジマ領の――いや、この国で最大の大都市にまで発展するであろう港町。
先日、その港町の名は”ホマレ”となる事が決まった。
名前の響きから分かると思うけど、僭越ながら命名したのは僕である。
いや、ティトゥに任せたら絶対「ドラゴンシティー」とかになる展開が読めていたからね。
国を代表する都市の名前にドラゴンとか、いくらなんでも中二が過ぎるだろう。
町が残る限り未来永劫使われる名前だよ?
僕なら自分の出身地がドラゴンシティーとか、恥ずかしくて人に言えないから。
といった訳で全力で阻止させて頂きました。
最初、ティトゥはホマレという名前がピンと来ないようだった。
『ホマレですの? それはハヤテにとってどういう意味があるんですの?』
「僕にとっての意味? そうだね。四式戦闘機に使われているエンジンがハ45誉かな」
『えんじん、というのは何なんですの?』
「う~ん、人間で言えば心臓? だと思う?」
頭文字がDだったりする漫画では、走り屋の主人公がエンジンの事を車の脳と言ってた気がするけど、仕組みとしては心臓と言った方が分かり易いんじゃないかと思う。
「エンジンの名前でもあるけど、そもそも誉という言葉は、国の誉れ、とか、同期の誉れ、とか言うように、凄く良い、誇らしいって意味で使う言葉なんだよ」
『誇らしい・・・。なる程。それは確かに私達の作る港町には相応しい言葉ですわね』
気に入って貰えたようで良かったよ。
こうして港町の名前はホマレと決まった。
今は運河の工事と道路工事――区画整理をしている所だが、既にポツポツと建物の建築も始まっている。
ちなみにオットー達は『ハヤテ様が名付けたのなら』と、あっさり受け入れてくれた。
言葉の意味とか気にならない訳? と尋ねたら、『どうせドラゴンの言葉は誰にも分かりませんし、妙な意味さえなければ大丈夫です』と言われてしまった。
信用されている、と思っていいのかな? これ。
ユリウスさんは白いあごヒゲをしごきながら唸り声を上げた。
『役人を集めるのは急務だ。後回しにしては、役人まで聖国から押し付けられかねませんからな』
『――モニカさんですのね』
ティトゥも困り顔を見せた。
聖国からの押しかけメイド、モニカさんはこの場にはいない。
彼女は最近はほぼ毎日のように港町ホマレで自ら陣頭に立って開発を進めている。
優秀な彼女が本気で開発に取り組んでくれること自体は、僕達にとっても非常にありがたい。ありがたいのだが、彼女は聖国王城の強いバックアップを受けている――つまり、彼女が本気で取り組めば取り組む程、外国の資本が流入して来る事になる。
現代地球でも、某C国がアフリカなどの途上国に支援という名の融資を行い、債務の担保としてあちこちで港を取り上げている事が問題になっている。
それに、現時点でもかなり聖国の技術者や作業員が入っている所に、今度は役人まで連れ込まれてしまっては、最悪、ホマレが王国内聖国のようになってしまう。
モニカさんの――聖国の――やる気はありがたいし、彼女達に悪意が無いのも分かっている。
でも、今の聖国がそうでも、将来に渡ってずっとそうであるとは限らない。未来のナカジマ領の人達のためにも、ここで問題の種を残すべきではないのだ。
『こちらの書類は――ああ、ようやく林業が始まったんですわね』
『ええ。今の所、概ね問題はないようです』
『オルサークから指導者を連れて来た甲斐がありましたわね』
ナカジマ領の北、隣国ゾルタとの国境線にもなっているペツカ山脈。
かつては湿地帯のせいでずっと手つかずだった山脈に、ようやく開発の手が入ったのだ。
ティトゥが言ったオルサークからの指導者。山を挟んだお隣さん。隣国ゾルタ――って、そういや、今はピスカロヴァー王国になるんだっけ? ピスカロヴァー王国のオルサーク男爵家では、ずっと前から山脈の資源を利用していた。
ティトゥはオルサーク家の元当主のオスベルトさんに、ペツカ山脈で育つ木やその育て方を知る職人――要は林業の専門家を紹介してもらい、指導者としてナカジマ領に招いていたのである。
『しかし鉱山の方は、残念ながら今の所、目ぼしい鉱床は見付かってはいないようです』
『オルサークでもそちらは盛んではないと聞いているし、ペツカ山には鉱石はあまり埋まっていないのかもしれませんわね』
鉱山と言えばこの国ではモノグル領の鉱山が有名だ。
国内最大手の鉱山領地の商人達にとっては、ペツカ山で新たな鉱床が見つかるかどうかは死活問題。
目を皿のようにしてナカジマ家の動向を探っているそうだ。
『探るだけなら構いません。しかし、ちょっかいをかけて来る商人がいるのが問題です』
『とはいえ、何か手を打とうにも今の所はまだ実害は出ておらん。静観するしかないの』
『面倒ですわね』
ティトゥはため息をついたが、領地の発展は、そのまま既得権益を持つ者達を脅かす事に繋がる。
港町ホマレが発展すれば、港町ボハーチェクを擁するオルドラーチェク領が。
湿地帯が農地に変われば、穀倉地帯であるヴラーベル領が。
ペツカ山脈に鉱床が見つかれば、最大の鉱山を持つモノグル領が。
ナカジマ領が裕福になれば、領民の移住を恐れるお隣のネライ領が。
そして力を持ったナカジマ領を恐れるミロスラフ王家が。
それぞれナカジマ領を目の敵にするようになるだろう。
面倒だからといって、見て見ぬふりをする訳にはいかないのだ。
――まあ、仮にそういう事が起きるにしても、問題となるのは今よりもずっと未来。ナカジマ領が大きく発展した後の話になるんだけど。
『鉱山の方もモニカさんに任せてしまおうかしら。あの人なら聖国中の鉱山関係者をかき集めて、ペツカ山をモノグル領のようにしてしまいそうですし』
『・・・冗談でも止めて下さい』
『あの御仁なら本気でやりかねんな』
ああ、うん。本気のモニカさんの力なら、マジで十年もしないうちにナカジマ領をこの国で一番大きな領地にしちゃうんじゃないかな。
僕のイメージの中のモニカさんは、女帝のようにふんぞり返り、高笑いをあげながら豊富な資金と軍事力で周囲の領地を併呑していた。
いや、本気でありえそうな未来でシャレにならないんだけど。
まるで直接未来を見て来たかのように、ありありとその光景が想像出来るんだけど。
・・・ティトゥに説明して預言書として残して貰おうかな。
僕がこの国の未来を憂いているうちに、いつの間にかユリウスさんはテントから姿を消していた。
何だかんだであの人は、いつもナカジマ領のために忙しく働いてくれているよね。
ティトゥにもそれは分かっているはずである。はずだよね? どうも会う度にお説教をされているせいか、「口うるさい爺や」みたいな感じで、ありがたみよりも煩わしさを感じているように見えるけど。
テントの入り口から元気なリトルドラゴンズと中学生くらいのメイド少女が入って来た。
「ギャウギャウ!(ママ! ママ!)」
『ファルコ様! ティトゥ様のお仕事の邪魔をしてはいけませんよ!』
「ギャウー(カーチャ姉、喉が渇いた)」
どうやらカーチャはファル子達を散歩に連れて行ってくれたようだ。
ティトゥはファル子の泥だらけの顔をハンカチで拭いてやっている。
『丁度いいですわ。カーチャ、お茶にして頂戴。ファル子達はパパの所に行ってらっしゃい』
『あ、はい。少々お待ち下さい』
「ギャウギャウ!(パパ! パパ!)」
「ちょ、ファル子! お前今日はどこで遊んでたんだ?! お腹が草の種だらけじゃないか! ティトゥ、僕の操縦席に二人を乗せるなら、キレイに拭いてからにしてくれないかな。操縦席の床に雑草でも生えたらどうしてくれるんだよ」
ティトゥがファル子を拭いてやっている間に、ハヤブサはパタパタと翼をはためかせると、僕の主翼の上に登った。
「ギャウギャウ!(ハヤブサずるい! 私もパパの翼に乗る!)」
『こら! ファルコ! ジッとしてなさい!』
テントの騒ぎに、代官のオットーが部下に指示を出した。
『おい、誰か調理場のベアータの所に行って、ファルコ様達用の”おこし”を貰って来てくれ』
『は、はい!』
若手の部下が慌てて立ち上がるとテントを出て行った。
”おこし”は”雷おこし”の事で、ファル子達用の物は、人間の顎では噛み砕けない程硬さに全部振りしたゲテモノとなっている。
『も、貰って来ました!』
「ギャウギャウ!(あっ! おやつ! 頂戴、頂戴!)」
「ギャウー!(僕も!)」
『うわあああああっ!』
リトルドラゴンズの襲撃に、若手使用人は尻餅をついてしまった。
ファル子達は彼の手から獲物を奪うと、一心不乱に齧り始めた。
「フウーッ、フウーッ」
「ウウウウウウ」
ガリガリ、ゴリゴリ。
ティトゥはファル子の体を拭いてやりながら、『おこしの材料が無くなる前に、一度バーバラ島にお米を買いに行った方がいいかしら』と呟いた。
確かに。もう田んぼの刈り入れも終わった頃だと思うし、今なら新米が手に入るんじゃないかな?
いいね。新米。
まあ、今の僕の体ではご飯は食べられないんだけど。
最近の僕達は、大体こんな感じの毎日が続いている。
そして日が西に傾き、今日の仕事もそろそろ終わろうとしたタイミングで、トマスとアネタ、幼い二人の兄妹を乗せた馬車がコノ村に到着したのであった。
次回「リーリアの旅」