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その33 エム・ハヴリーンの誤算

◇◇◇◇◇◇◇◇


 港町ルクル・スルーツ。

 都市国家連合でも最大の港を持つこの町の目抜き通り。

 数々の大店(おおだな)が軒を連ねるその中に、ここだけ周囲の喧騒から切り離されたかのような、静謐(せいひつ)な一角が存在している。

 敷地は高い生垣に囲まれ、外からは白い建物の屋根しか見えない。

 一見、倉庫か何かのように見えるこの建物こそ、都市国家連合の政治の中心。元老院評議会の評議会会館であった。


 本日ここでは、各港町の議員が集まり、四半期に一度の元老院評議会が開催されていた。

 中でも最も重要な議題は評議会議長選挙。

 そう。今後八年間の都市国家連合の方針が決まる、極めて重要な選挙。

 その立候補者の演説と投票が行われているのである。


 今回の立候補者は二人。

 一人は言うまでもなく、現議長のエム・ハヴリーン。

 もう一人は港町ヒーグルーンの商会主アルベルト・デラローサ。

 どこか出来る役人のような印象の中年男性である。

 デラローサは議員の中でも若手に入るが、その分体力もあるし、最近まで現場で生の情報に触れていたため、最新の周辺諸国情勢にも良く精通していた。


 事前の見立てではほぼ互角。いや。やや現議長ハヴリーン老が優勢か。


 都市国家連合の今後を決める重要な選挙とあって、欠席した議員は誰一人としていない。

 議席数はルクル・スルーツが最大となる十二席。次いでヒーグルーンが十席。後はトル・テサジーク、トル・トラン、アンブラがそれぞれ三席づつとなっている。


 例年の通りだとすれば、トル・テサジークとトル・トランは、それぞれ違う候補に票を入れるため、数としては計算に入れる意味はあまりない。

 アンブラの持つ三票。それがどちらの候補に入れられるか。

 焦点はその一点に絞られていた。


 ――かと思われた。




 会議室は重苦しい沈黙に包まれていた。

 評議会議長ハヴリーン老は、目の前の現実が受け入れられずにいた。

 これは悪い夢に違いない。こんな事があるはずがない。

 彼は投票用紙代わりの木札を握りしめたまま、ブルブルと震えていた。

 港町ヒーグルーンの初老の三会頭の一人。モレイド商会の商会主、ちょび髭の小男ポールが、全員を代表して議長に尋ねた。


「議長。投票結果はもう出たのだろう? 早く発表してくれないかね。ワシはもう、待ちきれなくて堪らないのだが」


 ハヴリーン老ははじかれたように顔を上げると、この生意気な小男を睨み付けた。

 殺意のこもった視線を受けて、なぜかポール本人ではなく、同じく三会頭の一人、太ったドルマンがビクリと体を震わせた。

 三会頭の最後の一人。痩せたのっぽのプーチが、小さくため息をついた。


「発表して貰わなくても、議長のその姿だけで結果は出ているようなものだがな。だが一応、これも決まりだ。発表の方をよろしく頼む」

「――こ、こんな投票は無効だ! 何かの間違いに決まっている!」


 ハヴリーン老は木札をテーブルに叩きつけた。

 そのまま勢い良く薙ぎ払うと、木札がバラバラと辺りに飛び散った。

 ちょび髭のポールは気取った仕草で肩をすくめた。


「おいおい、これじゃ集計が出来ないではないか。仕方がない。議長はどうしても結果に納得が出来ないようだ。ここはワシが議長に代わって集計を取ってやろう。では、皆の者挙手をお願いする。――まずは議長の再選を選んだ者」


 議員達の手がパラパラと上がった。

 その中には港町アンブラの二商会、ザルミ商会のクリントとロディオ商会のレリック老の姿もあった。


「ふむ、よろしい。それでは次に、そこにいるアルベルトを選んだ者」


 再び議員達の手が上がった。

 その中にはバニャイア商会のフランコの姿もあった。


「九対二十二。思っていたよりも差がついたの。次の議長はデラローサ商会のアルベルト。お主じゃ」

「謹んでお引き受けいたします」

「待て! ワシを差し置いて勝手に話を進めるな!」


 ハヴリーン老は立ち上がると、アルベルトを選んだルクル・スルーツの議員達を指差した。


「お前達! なぜワシを選ばない?! この裏切り者め! さてはお前達、票を金で売りおったな! この元老院評議会の面汚し共が!」


 そう。ここまで票数に大差が付いたのは、トル・テサジークとトル・トランが同時に反議長派候補に投票したからだけではない。

 ハヴリーン老の権力のお膝元、港町ルクル・スルーツの議員が五人も相手側に票を投じたためであった。

 この裏切りは当のヒーグルーンの議員にとっても、完全に予想外だったようだ。彼らは興味深そうに議長と五人の議員のやり取りを窺った。

 議員達を代表して大柄な議員が口を開いた。


「我々は裏切者ではないし、ヒーグルーンに付いたつもりもない。勿論、ヒーグルーン側から話は持ちかけられたが、そんなものは議長、あんただってやってる事だ。選挙活動の一環であって、わざわざここで問題にするような話じゃない。

 我々は金を積まれて転んだ訳ではない。都市国家連合の――愛するルクル・スルーツの未来のために、誇りを持って最善と思われる選択をしたのだ。

 ハッキリ言おう。ハヴリーン商会に融資を受けている商会主以外、あんたに票を投じた議員はただの一人もいないのだよ。我々は金で票を売った訳じゃない。金で票を買ったのはあなただ! 議長!」

「なっ・・・」


 さしものハヴリーン老も、正面から叩きつけられた正論の前には絶句せざるを得なかった。

 しかし、これで大人しく諦めるようなハヴリーン老ではなかった。

 彼はこの状況でも懸命に勝ち筋を見つけようとあがいた。

 ハヴリーン老は、今度はトル・テサジークとトル・トランの議員に向き直った。


「トル・テサジークの議員の諸君。本当にアルベルト・デラローサを選んで良かったのか? コイツはトル・トランが選んだ候補者なのだぞ?」


 勿論、トル・テサジークの三票が議長側に動いた所で、今更この大差は覆らない。しかし、ハヴリーン老はとにかく場をかき乱して、どうにかこの選挙自体をうやむやに出来ないかと考えたのである。

 だが、トル・テサジークの議員達は彼の言葉に全く動じなかった。


「何の問題も無い。誰に何と言われようとも我々の意思は変わらない」

「勿論、我々トル・トランも候補者を変えるつもりは全くない。まだ何も聞かれていないが、前もって言っておく」

「そ、そんなバカな・・・」


 トル・テサジークとトル・トランが長年いがみ合っているのは、都市国家連合では子供でも知っている事実である。

 この犬猿の仲の両港町が歩み寄るきっかけを作ったのが、当のハヴリーン老の失政だったのは皮肉と言えよう。


 事ここに至ってもハヴリーン老は気付いていなかった。

 彼はあまりにも周囲に恨みを買い過ぎた。あまりにもこの都市国家連合に混乱をもたらし過ぎた。

 人を手駒としてしか見ていない彼は、人が自分達の生活を――自分達の住む町を――どれほど愛しているか、理解出来なかったのである。

 人の心を侮っていた。

 それが評議会議長、エム・ハヴリーン老の最大の誤算であった。


 ちょび髭のポールは、ここまで来てもまだ諦める様子を見せないハヴリーン老に冷めた視線を送った。


「もう良かろう、議長よ。その席をアルベルトに譲るがいい」

「ふざけるな! ワシは認めん! この選挙は無効だ! 評議会議長の権限で無効を宣言する! な、なんだお前達。ワシに何をする?! 来るな! 近付くな! ワシは! ワシは都市国家連合の――」


 ポールの指示で、評議会会館の職員達がハヴリーン老に近付くと、彼をイスから引きずり下ろした。

 しかし、ハヴリーン老は見苦しくイスにしがみつき、その場を離れようとしなかった。

 ここで新議長アルベルトが立ち上がると職員に命じた。


「構わん。イスごと隣室に連れて行け。どうせ後は私の議長就任の挨拶だけだ。書記。ハヴリーン殿は体調を崩して途中退席した。議事録にはそう記録しておけ」

「はい」

「こんな事は認めん! 認めてたまるものか! 離せ! 離さんかああああっ!」


 ハヴリーン老の叫び声が部屋の外に消えると、新議長アルベルトは大きなため息をついた。


「議長就任後に出した初の命令が、職員に諦めの悪い老人を部屋の外に運び出させる事とは。何ともイヤな前例を作ってしまったものだ」

「そうボヤくな。これからはワシらも協力するから」

「そうじゃな。先ずは邪魔な傭兵共を追い出し、都市国家連合を健全な状態に戻さなければならん」

「トル・テサジークとトル・トランは、我々に先駆けて傭兵団と手を切ったと聞いたぞ。一体どうやったのかね?」


 元老院評議会は、新しいリーダーを中心に、前議長の失政を乗り越え、前へと進み始めた。

 都市国家連合にどんな未来が待っているかは、まだ分からない。だが、きっと昨日までよりも良い明日が待っている。それだけはこの場にいる誰もが確信していた。

 



 ハヴリーン老は馬車で屋敷に向かっていた。

 今朝までは彼の権力は盤石かと思われていた。それがまさか、ほんの数時間で覆されるとは。

 権力の頂点から一転、全てはスルリと彼の指の間をすり抜けていってしまった。


(いや、まだだ。まだワシは諦めんぞ)


 驚くべきことに、この状況に至っても、まだ彼は諦めていなかった。

 ハヴリーン老は頭の中でいくつもの陰謀を考えながら屋敷に戻って来た。

 馬車のドアが開かれると、彼の下に長男の妻が泣きはらした目で駆け寄って来た。


「義父様! あの子が! ペルが! ペルが!」

「下の孫がどうした?」


 先程、ペル・ハヴリーンの訃報が屋敷に届いたのである。

 ペル・ハヴリーンはバニャイア商会を襲撃、娘を攫って船で逃げ出した所を、追手に追いつかれ、護衛諸共命を奪われたのであった。


「死んだ・・・孫が・・・ワシの孫が死んだ」


 ハヴリーン老は自分でも意外な程ショックを受けて立ち尽くした。

 この日彼は、命の次に大事な権力の座を失うと同時に、何かと目を掛けていた孫まで失ってしまったのであった。

 



 この後、ハヴリーン老は権力の奪還と、孫の復讐に奔走する事になる。

 しかし、港町の者達は、ハヴリーン老に対して冷たかった。

 長年に渡る傭兵達の乱暴に、すっかり辟易していたためである。

 彼の復権活動は誰からの協力も得られず、暗礁に乗り上げてしまう事になる。

 また、復讐の方も、バニャイア商会の取引先に聖国王城が加わった事を知ると、おいそれとは手が出せなくなってしまった。


 それでもハヴリーン老は、持ち前の執念深さで虎視眈々とチャンスを窺っていた。

 だが、自分達が周囲から完全に孤立しているのを危惧した彼の息子、ラエ・ハヴリーンによって、ハヴリーン老は強引に現役を引退させられてしまう。

 父親の跡を継いで議員になったラエ・ハヴリーンは、協調路線に切り替え、どうにか商会の力を盛り返す事に成功するのだった。

 ラエ・ハヴリーンは息子の死を悲しみはしていたものの、明らかに殺された原因は息子にある上、いずれこのような最期を迎える予感はしていたため、父親のように復讐に囚われる事は無かったのである。

 あるいはこの、人としての情の薄さこそ、彼が父であるハヴリーン老から受け継いだ遺伝だったのかもしれない。


 こうして隠居に追い込まれたハヴリーン老だったが、彼は最後の最後まで諦める事はなかった。

 しかし、商会の経営からも切り離され、議員のイスも失っては、財力と権力――手と足をもがれたも同然である。

 ハヴリーン老は決して満たされる事のない権力欲と、思うようにいかない激しい苛立ちを抱えたまま、命の尽きる最後の日までもがき続けたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 大陸の片隅。南に伸びた半島の、その南端にまばらに点在するいくつかの港町。

 国にすら入れない僻地の小さな町が、身を寄せ合うようにして暮らしている小さな世界、都市国家連合。

 ハヴリーン老は、その小さな世界の小さな王様になる事を望んだが、二度とその座に返り咲く事はなく、この世を去ったのであった。

次回「エピローグ 秋の訪れ」

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― 新着の感想 ―
 まさか現実にエム・ハヴリーン老を思わせる人物が存在していようとは。  しかも仕事の上司に。  運が悪かったというか、大変でしたね。  正に事実は小説よりも奇なり。  世の中は広いなあ。(呆れ 返信▶…
スッキリ総会(爽快)爽やかなざまぁ展開ですね♡ 私も今働いてる会社で上司の理不尽なパワーハラスメントが酷すぎたのでパワーハラスメント現場を録音&録音日時社長に報告&同日時の防犯カメラ映像でパワーハラ…
[良い点] これでカミルは南方からの侵略を気にする事が無くなって気兼ねなく北方に向かえる訳で人知れず貢献してる竜騎士のふたり。聞いたら驚くでしょうね。ブローリーをたぶらかした情婦ゼレナーは「え! ハヴ…
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