その32 選挙当日
僕達が見守る中、傭兵達がぞろぞろと船に乗り込んでいく。
砦は完全に解放され、町の衛兵達が確認に向かっているはずである。
後は港町ヒーグルーンに飛んで、議員さん達に報告をすれば僕の役目は終了である。
明後日に行われる議長選挙で、彼らは反議長派の立候補者に票を入れてくれる約束になっている。
これで計算上は、票数は十七対十四。反議長派が勝利を収めるはずである。
思い付きで言ってみた話だったけど、思いの外上手くいってくれたようで本当に良かったよ。
時間は一日前に遡る。
トル何とかの商会当主達から相談を受けた時の話。
僕は正直、彼らの自業自得だと思ったし、あまり関わるつもりは無かった。
しかし、そんな僕の心が変わったのは、彼らが反議長派に協力してくれると言って来たからである。
『も、もし、傭兵達を追い出してくれるなら、トル・テサジークは議長選挙ではヒーグルーンに協力させて頂きます!』
『トル・トランも同じです! 反議長派としてヒーグルーンに票を入れさせて貰います!』
聖国メイドのモニカさんは、『どうでしょうか? ハヤテ様』と僕に振り返った。
『彼らもこう言っていますし、現議長の再選はミロスラフ王国にとっても好ましい事ではないと思われます。何か良いお知恵があればお授け頂けないでしょうか?』
『そうですわね。何か思い付かないんですの? ハヤテ』
う~ん、どうだろう。急に言われてもなあ。
「そうだね。使えるかどうかまでは分からないけど、僕の知っている故事で、二つの軍を仲介した話を思い出したかな。モニカさんに伝えてみてくれない?」
『りょーかい、ですわ!』
◇◇◇◇◇◇◇◇
これは三国志の逸話だ。有名な話なので、多分、知っている人も多いと思う。
三国志の主人公、劉備がまだ沛県の城に駐屯していた時の事。
ある時劉備は、紀霊の率いる三万の軍に攻め込まれていた。
そこに呂布が兵を率いてやって来たが、なぜか彼はこの戦いには参加しなかった。
それどころか彼は劉備と紀霊、双方を招いて宴席の場を設けたのである。
さて、その宴席の場での事。
呂布は「自分は争いごとが苦手で、揉め事の仲裁をするのが大好きなのだ」などと言って、陣地の門に一本の戟(※槍の根元に、戈と呼ばれる突起が組み合わさった武器)を立てさせた。
「今から矢を射る。もし、一発であの戟に命中したなら、戦闘は中止。双方剣を引いて引きあげてくれ。もし命中しなかったなら、その時は戦いを再開するがいい」
彼はそう言うとキリリと弓を引き絞った。
呂布が放った矢は狙い過たず、見事に戟を捉えた。
宴席に参加していた武将達は、まさか命中すると思っていなかったのでビックリ仰天。
呂布の顔に泥を塗ってまで「やっぱり戦います」とは言えず、戦いを止めて引き上げたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『・・・何と言うか、微妙に感想に困るお話ですわね』
『ハヤテ様は今、何のお話をされたのですか?』
モニカさんはティトゥから話を聞くと、面白そうな顔をして黙り込んだ。
どうだろう。何か参考になったのかな?
『興味深いお話ですね。これでいってみましょう』
モニカさんはそう言うと、港町トル何とかの商会主達に頼んで、何やら手紙を書いて貰い始めた。
『すみません。議長選挙までもう日にちが無いので、今から私を乗せてトル・テサジークまで飛んで頂けないでしょうか?』
『何か良い方法を思い付いたんですのね?』
『ええ。あ、そうそう。出来れば砦の傭兵達には見つかりたくないので、低空で港に降りて頂きたいのですが』
モニカさんは、最後にトル何とかの商会主に振り返った。
『ハヤテ様とナカジマ様に協力して頂くのです。傭兵達を町から追い払った後、もしも約束を違える事があれば――分かっていますよね?』
商会主達はゴクリと喉を鳴らすと、額の汗を拭きながらコクコクと頷いた。
流石に彼らも聖国を敵に回すような勇気はないようだ。
『ハヤテ様があなた方の町を焼き払いに行きますからね』
僕かよ! ていうか、そんな酷い事しないから。あなた達もギョッとした顔でこっちを振り向かなくていいから。
こうして僕達はモニカさんと作戦の打ち合わせをすると、彼女をトル何とかの町に送り届けたのだった。
というような事があってから明けて今日。
作戦は大成功。傭兵達を積み込んだ船は港を離れて行く。
ここからよもやの展開に――なんて事もないだろうし、どうやら無事に終了したようだ。
それにしても、まさか呂布の逸話が異世界でも通用するとは思わなかった。さすが武力100の猛将は伊達じゃないね。
『後は港町ヒーグルーンに報告に行くだけですわね』
ティトゥはファル子を放り投げると僕に振り返った。
ファル子は空中でバタバタと翼をはためかせると、ポトリとその場に落ちた。
「ギャウギャウ!(ハヤブサ! 今のはどう?! 飛べてた?!)」
「ギャーウー(全然)」
ベシッ
『コラ! ファルコ! 弟に乱暴しない!』
「ギャウギャウ!(ハヤブサが生意気言うから!)」
ちなみにファル子が何をしているのかと言うと、飛行訓練である。
最近ファル子はこうやって高い所から飛び降りながら、空を飛ぶ練習をするのがマイブームになっているのだ。
成果はどうだって? まあ見ての通りのお察しという事で。
「ファル子。モニカさんが戻って来たら出発するよ。途中で喉が渇いたとか言い出さないように、今のうちに水とトイレを済ませておきなさい」
「ギャーウー(はぁい)」
さて。この町で僕のやれることは全て終わった。
後は結果を待つだけである。
選挙結果は、港町アンブラで待機しているトレモ船長が教えてくれる手はずになっている。
ん? トレモ船長? そういえば何か忘れているような・・・。
誰かもう一人。何か大事な約束を――
「ああっ?! オバロ!」
『――えっ? あっ! そうですわ! バーバラ島に家具職人のオバロを迎えに行くのをすっかり忘れてましたわ!』
あちゃ~、しまった。昨日は誘拐騒ぎとか色々とあったから、島までオタク青年オバロを迎えに行く約束をすっかり忘れてしまってた。
どうしよう。この後はモニカさんをのせて港町ヒーグルーンに行かないといけないし、コノ村までモニカさんを連れて戻った時点で、もう夕方だろうし・・・
「・・・もう明日でいいんじゃないかな」
『・・・そうですわね』
ゴメン、オバロ。もう一晩だけ、島で御厄介になっててくれ。明日こそは必ず迎えに行くから。だから許してくれ。
翌日。僕達が罪悪感に胸を痛めながらバーバラ島に到着すると、当のオバロは大して気にした様子もなく、元気に手を振りながら出迎えてくれたのだった。ホントにゴメン。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは港町ルクル・スルーツ。
評議会議長エム・ハヴリーン老は、自分の屋敷の廊下を歩いていた。
彼が今から向かう先――評議会会館では、各港町を代表する議員達が集まっているはずである。
そう。本日はいよいよ議長選挙が行われる日なのだ。
この選挙次第で自身の進退が決まるとあって、さしものハヴリーン老も緊張の色を隠せなかった。
(打てる手は全て打ったが、世の中に絶対などというものはないからの)
ハヴリーン老は決して一流とは言えない策士だったが、それだけに自身の能力を過信してはいなかった。
正道邪道、何にでも手を染め、とにかく徹底的に不安要素を排除する。
出る杭は出てくる前に叩くし、一度敵と認めれば、執念深くまとわりつき、どんな汚い手を使ってでも必ず引きずりおろす。
卑しい程の上昇志向の持ち主で、自分が上に行くためには、躊躇なく人を裏切り、蹴落とし、陥れる。
その姿勢は他人から見れば病的とも偏執的とも思えるものだった。
「トル・テサジークとトル・トランは、結局、こちらになびいて来なかったか。ちと予想外だったな」
港町トル・テサジークとトル・トランが、傭兵団を締め出そうと水面下で協議を重ねていた事実は、当然ハヴリーン老の耳にも入っていた。
彼はわざと情報を歪めた形で傭兵団に流す事で、彼らが両港町と敵対するように思考を誘導した。
対応に困り果てたトル・テサジークとトル・トランが、自分を頼って来ざるを得なくなるようにし向けたのである。
しかし、結局、両港町はこちらを頼って来なかった。都市国家連合に傭兵が溢れるきっかけを作ったハヴリーン老に、力を借りるのを良しとしなかったのだ。
ハヴリーン老は、彼らが自分に対して抱いている恨みの深さを見誤っていたのである。
「またいつものようにヒーグルーンと分け合う事になったか。出来れば選挙前に彼らをこちらに引き入れ、票を全てさらいたかった所だが止むを得ん」
この時点でハヴリーン老の下には、トル・テサジークとトル・トランから傭兵が撤退したという情報はまだ上がって来ていない。
おそらくは、今日の報告書には書かれているのではないだろうか。
最も、仮に今、知らされたとしても、選挙前に手を打てるだけの時間はもう残されていなかったのだが。
屋敷の入り口には馬車が停まり、家族と使用人達がハヴリーン老の出発を見送るために並んでいた。
彼はその様子をぐるりと見まわし、欠けている者がいることに気が付いた。
「下の孫がいないようだが?」
ハヴリーン老の疑問に、孫の父親、ハヴリーン商会の商会主ラエ・ハヴリーンが答えた。
「ペルなら、父上の指示でアンブラに行って、まだ帰っておりません。アイツの事なので、大方、どこかでフラフラと遊び歩いているのでしょう」
「ああ、なる程」
ペル・ハヴリーンは絵に描いたような放蕩息子で、父親のラエはずっと頭を痛めていた。
しかし、なぜかこの息子は祖父と馬が合うらしく、エム・ハヴリーンはこの不出来な孫に何かと目を掛けていた。
「戻って来たらワシの所に来るように言っておけ。アレの口から直接話を聞きたい」
ハヴリーン老は特に気にする事も無く話を切り上げた。
ペル・ハヴリーンが盛り場に入り浸って家に帰らないのは、決して珍しい話では無かったからである。
ハヴリーン老が馬車に乗り込むと、使用人達が一斉に頭を下げた。
「「「「いってらっしゃいませ、旦那様」」」」
馬が一声いななくと、馬車はゆっくりと屋敷を離れ、評議会会館を目指して走り始めるのだった。
次回「エム・ハヴリーンの誤算」