その31 良い警官・悪い警官
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明けて翌日。
都市国家連合の港町、トル・テサジークとトル・トランを繋ぐ街道で、各傭兵団の代表同士が向き合っていた。
片やトル・テサジークに雇われた傭兵達を代表する、巨人団の団長マット。
片やトル・トランに雇われた傭兵達を代表する、牙団の団長ガズである。
やがて馬車が現れると、メイド服を着た若い女性が降り立った。
ランピーニ聖国から来たというメイド。モニカ・カシーヤスである。
彼女の後ろには双方の町の商会主達が続いた。
しかし、涼しい顔のモニカとは異なり、彼らは全員、青ざめた顔に冷や汗を浮かべ、今にも逃げたそうにしていた。
「本日は私の呼びかけにお集まり頂き、ありがとうございます。まずはご紹介から――」
「挨拶なんてどうでもいい。それよりも早く用件を言え」
「そうとも。俺とそこのマットとは今は敵同士だ。こうして一緒に顔を合わせているだけで仲間の士気が下がっちまう」
傭兵達の間に押し殺した含み笑いが広がった。
両傭兵団同士、裏では密かに連絡を取り合い、馴れ合いの戦いをしているのを知らない者はここにはいない。
いつも本気で戦っているのは、末端の傭兵や、彼らと不仲な傭兵団くらいであった。
モニカは彼らの裏事情を知ってか知らずか、穏やかな笑みを浮かべたまま「それでは早速」と、用件を切り出した。
「トル・テサジークとトル・トランは、あなた方傭兵団との契約を今月いっぱいで終了させたい、とおっしゃっております」
やはりその話か。
傭兵達の間に殺気が漲り、商会主達は「ひっ」と小さく声を上げた。
「・・・その話なら断ったはずだが?」
「そうとも。今まで散々、俺達を命懸けで戦わせておいて、用事がなくなったらポイと捨てるってのは勝手が過ぎるんじゃねえか?」
「それが傭兵というものでしょう?」
「ああん?」
巨人団の団長マットはモニカを睨み付けた。しかし、そんな事で怯むようなモニカではなかった。
「勝手も何も、金を貰って戦うのが傭兵というものでしょう? それ以上のものを望むのであれば、どこかの騎士団にでも入ればいいのですよ」
「テメエ! 俺達をナメてんのか?!」
マットの怒声に、モニカの後ろの商会主達は、全員「ひっ! ひえええええ」と悲鳴を上げて後ずさった。
彼らの顔には、「何で自分達がこんな貧乏くじを」と泣き言が書いてあった。
「まあ待て、マット。最初からケンカ腰じゃ話にもならねえ」
「・・・ちっ。分かってるよ」
「カシーヤスさんだったか。あんたももう少し口の利き方には気を付けてくれ。聖国のどこの貴族様に仕えているのか知らねえが、ここはアンタの国じゃねえ。互いに面倒事は避けようじゃねえか」
(なる程。マットが脅し役。ガズが理解者役という事ですか)
モニカは今のやり取りで、二人が事前に共謀している事を確信した。
今のはいわゆる、”良い警官・悪い警官戦術”と呼ばれるオーソドックスな交渉テクニックである。
片方が故意に悪者となり、もう片方が話の分かる人物として振る舞う事で、相手が理解者役に仲間意識を感じて、妥協案に傾き易くなるのである。
(私も随分と甘く見られたものですね・・・ふふっ。しかしこれはまたなんと言うか・・・)
「ああん? テメエ何を笑ってやがる」
「おい、カシーヤスさん。今のは良くねえぜ」
殺気立つ二人に、モニカは「失礼しました」と、軽く頭を下げた。
「お二人は、今のままでは町の決定には従って頂けないと?」
「たりめえだ」
「ああ、確かに。今のままだと納得は出来ねえな」
「今のまま」という言葉に、二人はモニカが今から交渉を持ちかけて来るのだろう、と判断した。
そのための意思確認。ここから条件を提示して交渉を開始するつもりだと、そう思ったのだ。
だから、次のモニカの言葉は、二人にとって完全に予想外であった。
「ではこう致しましょう。ここは運を天に任せるのです」
「「は?」」
モニカはそう言うと、町の北にそびえ立つ小高い丘。その頂上に作られた双方の町の砦を――今も傭兵達が立てこもっている砦を――指差した。
「あそこに互いの町の旗が立っていますよね。今からこちらがあの旗を狙って攻撃します。
見事、攻撃を旗に当てる事が出来れば私達の勝ち。あなた方は大人しくこの地を去って下さい。
もし、攻撃が外れて旗に当てる事が出来なければあなた方の勝ち。私は責任を持って町の者達にあなた方の言い分を呑ませます。
これでいかがでしょうか?」
「おい、なんだそれは?! どこからそんな賭けの話が出て来る?!」
マットはモニカの提案が理解出来ずに眉をひそめたが、ガズは何かに気付いたらしく、ハッと目を見開いた。
「砦を攻撃するっていうのか?! テメエ! 俺達をここに呼び出しておいて、砦をだまし討ちする狙いだったんだな!」
「なっ! そういう事か! ふざけんな!」
「だまし討ちなんてとんでもない。ならば条件を付け加えましょう。こちらは砦には決して足を踏み入れない。これでいかがでしょうか?」
「は? 砦の外から弓で旗を狙うっていうのか?」
「いや、それは流石に無理だろう」
旗は砦の奥に立っている。弓で届く距離ではない。そもそも届くなら、戦いの度に狙われて、とっくにボロボロになっているはずである。
可能性があるとすれば投石機による攻撃だが、そんな大型兵器を丘の上まで持ち上げようとすれば、どれ程の人手と手間がかかるか分からない。
斜面をノロノロと移動している最中に見付かって、砦の上から攻撃を受けて逃げ出すのが関の山である。
「どうですか? 受けますか? 受けませんか? こちらとしては双方が納得出来る条件を提示したつもりですが?」
「それは・・・まあ。どうなんだろうな?」
(ちっ。マットのバカめ。俺の方をチラチラ見るんじゃねえ。俺達が裏でツルんでる事がバレちまうだろうが)
結局二人はモニカの提案を受け入れることにした。
どう考えても負けようのない賭けにしか思えなかったためである。
モニカは満足そうに頷くと、商会主達にも念を押した。
ガクガクと大きく首を振る彼らに、傭兵団の団長達は、何かタチの悪い冗談に付き合わされているような、妙な気分になるのだった。
「それで? 攻撃はいつから始めるんだ? まさか準備にひと月かかるから、それまで待ってくれとか言い出さねえだろうな?」
「そうですね。今から準備を始めますので、もうしばらくお待ち下さい」
モニカはそう言うと、馬車の御者に指示を出した。
御者が馬車から薪を取り出して火を起こすと、一筋の黒い煙が青い空に高々と上がった。
――やがて。
「ああ、もう来たみたいですね」
「来たって、何が・・・お、おい、あれって」
「この唸り声・・・まさかあれは・・・」
遠くからヴーンという羽音のような音が響いて来ると、青空に翼を広げた猛禽のような影が姿を現した。
その瞬間、傭兵達の間に動揺が広がった。
彼らの大半は、つい先日のミロスラフ王国攻めの軍に参加している。
そこで彼らは、たった一匹で一軍を翻弄する空飛ぶ化け物を見たのである。
轟音と共に山を崩し、峠道と人間を生き埋めにする魔物。
死を運ぶ翼。
空を舞う厄災。
「ミ、ミロスラフ王国のドラゴン・・・」
「じょ、冗談じゃねえぞ! なんでここにあんな化け物が――うわあああああっ!」
ハヤテは彼らの頭上、遥か上空を飛び越えると、そのままトル・テサジーク側の砦へと襲い掛かった。
「ば、バカ! よ、よせ!」
「おい、まさか攻撃って?!」
そのまさかだった。
ハヤテの体から伸びた赤い弾道が、パパッと砦の旗に集中した。
バッ!
旗は一瞬のうちにズタズタにされて消し飛んだ。
ハヤテの襲撃に気付いた砦からは、傭兵達の大きな悲鳴が上がっている。
ハヤテはヒラリと翼を翻すと、今度はトル・トラン側の砦へと襲い掛かった。
今度はトル・トラン側の砦から大きな悲鳴が上がると共に、やはり呆気なく旗は消し飛んだ。
時間にしてほんの一分程の出来事だった。
モニカはそれらを見届けると、満足そうに頷いた。
「見ての通り、攻撃は旗に当たりましたね。では賭けはこちらの勝ちという事で。あなた方には砦を放棄して、町を出て行って貰います」
「はあっ?! こ、こんなバカな話があるか! 攻撃は弓に決まってるだろう! あんな化け物を持ち出すなんて反則だ!」
「あっ! そ、そうだ! 反則だ! 砦の中には入らないという条件だったじゃねえか! あの化け物は砦の上を飛んでいたぞ! 条件を破っている!」
動揺しながらも必死になって抗議する団長達に、モニカはあっさりと言い放った。
「攻撃の方法も誰が攻撃するかも、別に決めてはいませんでしたよね? それに私は、砦には足を踏み入れない、と言ったんです。ハヤテ様は空中を通過しただけ。足は一歩も踏み入れていませんよ」
「「そんなの屁理屈だ!!」」
その時、ハヤテが高度を下げながら彼らの真上を通過した。
「ひっ! ひいいいいいいっ!」
荒くれ者揃いの傭兵達が、一斉に悲鳴を上げた。
彼らは恐怖に駆られて散り散りに逃げ出した。
崖を崩し、仲間達を生き埋めにした、あの恐ろしい攻撃を思い出したのである。
ちなみに今日のハヤテは爆装していない――爆弾を懸架していない――ので、爆撃は出来ないのだが、彼らはそんな事は知らなかった。
「お、おい、待て! お前ら、待たねえか!」
「戻れ! 戻って来い――チクショウ! なんてこった!」
「では、約束の履行、よろしくお願いしますね。もし、約束を違えるような事があれば、私ではドラゴンの怒りを抑えきれませんのでお忘れなく」
「「ひいいいいっ!」」
マットとガズは、慌てて部下を追って走り出した。
モニカは苦笑を浮かべながら二人の背中を見送った。
二人が”良い警官・悪い警官戦術”を取っている、と気付いた時、彼女はらしくもなくうっかり失笑を漏らしてしまった。それは、相手が自分達と全く同じ方法――悪い警官役ハヤテ・良い警官役モニカ――で挑んで来た、と気が付いてしまったからであった。
(まあ、同じ脅し役でも、ハヤテ様とあなた達とでは天と地の差。役者が違い過ぎましたね。お気の毒様)
モニカは小さくクスリと笑った。
ハヤテの怒りを恐れた傭兵達はすぐに砦を放棄した。
それぞれの港町の商会主達は、彼らのために快く船便を用意。彼らはその船に乗って都市国家連合を後にしたのだった。
次回「選挙当日」