その18 謎のメイド
聖国メイドのモニカさんは、ニッコリと微笑んだ。
『それでは、これで聖国も今回の一件の関係者になったという事でよろしいですね? 少々出遅れましたが、今後は聖国もシルクの生産と流通に一枚噛ませて頂くことに致しましょう』
あれ? 何だろう。話が急に大きくなった気がするんだけど。
昔、ヨーロッパでは絹は大変高価な貴重品だったという。
僕はただ、もしもこの島の天蚕から絹が作れれば、トレモ船長の船の代金になるんじゃないだろうか? そう考えただけだったんだけど。
今この瞬間、とてもそれだけでは済まなくなった予感が・・・。
ここで島のおばさん達が子供達と一緒に村に戻って来た。
みんな手にかごを持っている。どうやら、山に追加の天蚕の繭を採りに行っていたようだ。
空に僕の姿を見かけたので、採取を切り上げたのだろう。
トレモ船長のお母さんが、キョロキョロと辺りを見回した。
『ドラゴンさん。今日は子供達を連れて来てはいないのかしら?』
人懐っこいリトルドラゴン達は、この一週間ですっかり村の子供やお母さん達と仲良しになっていた。
子供達は村の中に駆け出した。
『ファルコー! ハヤブサー! どこー?!』
『貝殻を取って来たよー! おいでー!』
ああ、うん。二人を捜している所を悪いけど、残念ながら今日は連れて来ていないんだよ。また今度、一緒に遊んであげてね。
モニカさんはおばさん達のかごを覗き込んだ。
『これは?』
知らないメイドに声を掛けられて戸惑うおばさん達。代わりにティトゥが答えた。
『それが天蚕の繭ですわ』
『ほう・・・。これが虫の作った繭。キレイなものですね』
モニカさんは、天蚕の繭の予想外に鮮やかな色彩に驚いたようだ。
『これからどのくらいの糸が取れるのでしょう?』
モニカさんは、今度は家具職人のオバロに尋ねた。
『ええと、どうでしょうか。昨日より採れた数は少ないように見えますが。
全体的に作業の要領は掴んでいるので、今度は失敗は少ないはずです。多分ですが、大体昨日と同じくらいの糸が取れると思います』
『そうですか。これであのハンカチ一枚分・・・。随分と少ない気もしますが、材料が虫の繭と考えれば、それも仕方がないのでしょうね』
まあね。割が悪いのは仕方がない。
確か一反の絹を作るのには蚕の数が三千個必要だったはずだ。
ちなみに一反というのは、大体、着物を一着作るのに必要な布の量らしい。
あくまでも目安なので、正確に縦横何センチ、重さ何グラムとかいった数値は決まっていないそうだ。
蚕の繭、一個当たりから取れる生糸の長さと、天蚕の繭、一個当たりから取れる生糸の長さが同じかどうかは分からない。
しかし、仮に全く同じだったとしても、服を一着作るのには、天蚕の繭が三千個必要な計算になる。
さすがにそんなに乱獲してしまっては、島の天蚕の数が激減してしまうだろう。
『そうですね。それに山で採れるものに頼っているだけでは、生産量が安定しません。人間の手による飼育が必要でしょう』
『む、虫を育てるんですか?! 牛や豚みたいに?!』
『そんな事って出来るんですの?!』
モニカさんの言葉にティトゥ達はギョッとした。
そんなに変な事かな?
僕が子供の頃には、オオクワガタがマニアに高値で取引されていたはずだし、蚕に限らず、虫を育てて売るなんてそれ程珍しい話じゃないと思うけど。
『ハヤテ、あなた・・・』
『まあ、ハヤテ様はドラゴンですから、人間とは違いますよね』
『クワガタムシってあの? あんなものを欲しがる大人がいるんですか?』
あれ? みんなドン引きしているんだけど。
いや、ちょっと待って。僕は養蚕家でもなければ虫ブリーダーでもないから。そういう人達がいるって、知識で知っているだけだから。そういう職業に就いていた訳でもなければマニアでもないから。せいぜい、子供の頃にカブトムシや鈴虫を飼っていたくらいだから。
『虫を研究している変わり者の学者もいたはずです。あるいはそういった趣味を持つ貴族もいたはずです。城に戻って調べさせましょう』
『そ、そうですの。そんな学者が・・・』
ティトゥは軽く引いている。
素朴な農村地帯に生まれた彼女にとって、虫の研究をしている学者がいるなど想像した事もなかったんだろう。
『その人達はどうやって生計を立てているのかしら?』
『研究だけでは無理でしょうね。元々、家が裕福な学者や、当主を退いた貴族が趣味で行っているんだと思います』
ティトゥは『信じられない』という顔をしているけど、そもそも学者って、お金になると思って研究する人達ばかりじゃないんじゃないかな?
地球でもイグノーベル賞(※ノーベル賞のパロディー。人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究に送られる賞)なんてものがあるくらいだし。
モニカさんはこの後も、島民達にどこにあるどの木で天蚕の繭が見つかるか、一日でいくつくらいの数が見つけられそうか、等々、色々な話を聞いていた。
『クヌギの木ですか。それはどのくらいの大きさの? 背丈の五倍以上ですか。大きいですね。天蚕の飼育の際は枝打ちをするか、根が伸びないように工夫するなりして、成長を抑える必要がありそうですね。そちらの専門家も必要になりますか』
『天蚕の繭からは何の虫が生まれるのでしょうか? 蛾ですか。確か蝶や蛾の標本をコレクションしていた貴族がいたはずですが・・・聖国でも同じ種が生息していないか調査すべきでしょうね』
『この島が取引している商会は? バニャイア商会? 聞いた事がありませんね。都市国家連合? 港町アンブラ? ふむ。都市国家連合は港町ヒーグルーンなら聞いた事がありますが、港町アンブラには聞き覚えがありませんね。年に一度しか船は来ない? 元々その程度の付き合いなら、問題になる事も無さそうですね』
モニカさんの中では次々と段取りが立てられているようだ。
頼もしいと言うか、有能と言うか。出来る人って違うよね。
ティトゥは早々に理解する事を放棄してしまったようだ。さっきからずっと、適当な相槌を打っている。
なぜ分かるのかって? 彼女はユリウスさんのお小言を聞いている時に、良くこんな顔をしているからだよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
トレモ船長はティトゥとモニカを島長の家――彼の実家に案内すると、二人の相手を両親に任せて外に出た。
彼はハヤテから、『二人だけで話がしたい』と言われていたのである。
トレモ船長は戸惑っていた。今日になっていきなり現れた品の良いメイド・モニカ。
まだ二十歳そこそこの若さでありながら、その所作は見た事も無い程洗練され、柔らかな物腰の奥には貴族家の家令や、下手をすれば領主にすら匹敵する凄みを感じさせた。
会話の端々から聖国王城に関係のある人物という事は分かったが、だとすれば、なぜミロスラフ王国の領主のティトゥと行動を共にしているのかが分からない。
モニカは登場と共にあっという間に話の主導権を握ってしまった。
ただのメイドではない。それは間違いない。彼女の正体は一体何者なのだろうか?
・・・実はティトゥとハヤテ、竜 騎 士の二人のファンになった押しかけメイドなのだが、さすがにそれをトレモ船長に察しろと言う方が無理であろう。
トレモ船長は足早に村の広場に向かった。
ハヤテは広場の端に巨大な翼を休めたまま、身じろぎもせずに彼が来るのを待っていた。
思えば、こうしてハヤテと一対一の差し向かいで話をするのは初めてかもしれない。このドラゴンは自分に一体何の話があるというのだろうか?
トレモ船長は、ハヤテの大きな体を前にした緊張感で体を固くした。
『――お待たせしましたハヤテ様。俺に話というのは一体何でしょうか?』
正直に言ってトレモ船長は、さっきまでの話に全く付いて行けていなかった。
モニカが聖国王城に船の代金を出させると言い出し、ティトゥがそれでいいと答えた事で、『詳しくは分からないけど、これで全ては上手くいったんだな』と思っただけである。
絹の試作品を作った時点で、自分に出来る事は終わった。
トレモ船長はそう考えて、ホッと肩の荷を下ろしたのである。
実際、その後もずっとモニカが話を続け、ティトゥも適当に相槌を打っているだけのように見えた。
『シンパイ。アル』
『心配? ですか?』
ハヤテは単刀直入に用件を切り出した。
トレモ船長も今日までの付き合いで、ハヤテが片言で人間の言葉を喋ると知っている。
ハヤテは普段は聖龍真言語という謎の言語で、彼のパートナーであるティトゥとだけ意思疎通を行うが、人間の言葉が分からない訳でもなければ、人間の言葉を喋れない訳でもないのだ。
『モニカサン。キヲユルス。ダメ』
『えっ?! ええと、先程のメイドに気を許してはダメと。ハヤテ様はそうおっしゃるのですか?』
『ソウ』
ハヤテの言葉は意外なものであった。
自分達が連れて来たメイドの事を信じるなと言うのだ。
『チガウ。シンジル。イイ。キヲユルス。ダメ』
『・・・どういう意味でしょうか?』
トレモ船長の返事は自ずと慎重な物となった。
ハヤテはたどたどしい言葉で苦労しながら、自分の考えをトレモ船長に伝えた。
『タブン。シマノ。ヒトタチ。クルシム』
『父さん達が?』
ハヤテの言葉は聞き捨てならないものであった。
このままいくと、島民は不幸な目に遭うと言うのだ。
次回「深読み」