その17 座繰機《ざぐりき》
家具職人のオバロ達が作った試作品。シルクのハンカチの出来栄えは、聖国メイドのモニカさんのお眼鏡にも適ったようだ。
ティトゥもモニカさんから渡して貰ったハンカチの肌触りの良さに驚いている。
『これが虫の糸から作られているなんて、信じられませんわ!』
喜んでいる所に水を差すようで悪いけど、ハンカチにするならシルクよりも綿じゃないかな。多分。
肌触りはともかく、吸水率は綿の方が上だと思うし。
出来ればもっと大きな物を作って、ショールとかストールにしたい所だけど、それには大量の繭が必要だろうしね。
ティトゥは飽きることなくハンカチを撫で続けている。
モニカさんは、家具職人のオバロに向き直った。
『その座繰機というのを見せて下さい』
僕達の前に、蚕の繭から糸を引く道具――座繰機が準備された。
村の倉庫から出て来た時とは違い、キレイに掃除されている。あちこち目につく真新しい部分は、オバロが修理した箇所だろう。
オバロは用意されたイスに座ると、足元の板を交互に踏んでみせた。
『こうやって足元の板を踏む事で、この大きな輪――動輪が回り、糸巻きを回転させます。
実際に天蚕の繭から糸を取るためには、まず、鍋に熱湯を沸かして、天蚕の繭を煮ます。その後、鍋を火からおろして水を入れます』
『なぜそんな事を?』
『ええと、ハヤテ様がおっしゃるには、繭の糸はノリのようなもので接着されていて、それを溶かすために必要なんだとか。最後に水を差すのは、繭の温度が上がる事で中の空気が湯の中に抜け、最後に温度を下げる事で今度は空気が縮み、繭の中心にまで湯が染み込むんじゃないかと』
そういう事だね。いわゆるびっくり水――差し水の事だ。
とはいえ、この辺の知識はハッキリ言ってかなりうろ覚えだったので、オバロ達もさぞ試行錯誤したのではないだろうか。
『ハヤテの話だけでよく出来ましたわね』
『そうですか? 特に難しい事も無く、わりとすんなりいきましたが』
どうやら、特に苦労はなかったようだ。
ヨーロッパではシルクが高級品だったというイメージで、繭から糸を繰る作業にも高い技術が必要なんじゃないかと、勝手に思い込んでしまっていたようだ。
『次に鍋を座繰機のテーブルに乗せ、繭から糸の端を引き出します。それを数本まとめてここの輪に通して、糸巻きに巻き付けます。後は糸巻きを回転させて糸を巻き取るだけです。糸は結構丈夫なので、割と雑に回しても問題はないみたいです。それよりもお湯の温度を保つ方が大事かと。冷めると繭のノリが再び固くなるのか、途中で糸が繰れなくなって切ってしまった事がありました』
『そう聞いていると、そんなに難しくはなさそうですわね』
『実際に難しくはなかったです。色々と試しているうちについつい熱が入ってしまいましたが、大きな問題点はありませんでした。慣れれば誰にでも出来るんじゃないでしょうか』
そうなんだ。
もっと苦労したものだとばかり思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい。
思っていたよりも上手くいったので、つい面白くなってみんなであれこれ試しているうちに、天蚕の繭のストックが尽きてしまったとのことだ。
村人総出で追加の繭を探しに行ったのは、そういう理由があったんだそうだ。なんだかな。
『これって結構、簡単に作れる物だったんですわね』
ティトゥはシルクのハンカチを見ながら、少しガッカリしたような顔になった。
ようやく発見したシルクが、意外と簡単に作れた事で、貴重性が下がってしまったように思えたのだろう。
実は僕も彼女と同じ気分になっていた。
しかし、この場でそう思っていたのは僕達だけだったようだ。
モニカさんとトレモ船長達は苦笑した。
『それは違います、ご当主様。一晩で出来たのは、こうして道具を渡されて、作り方を教えてもらって、完成品がどういう物かを最初から聞かされていたからです』
『その通りです。俺は座繰機を修理しただけですから。完成品を修理するのと、そもそも何も無い所から作り出すのとでは天地の開きがあります』
『ハヤテ様が教えてくれなければ、シルクの存在自体が歴史から失われたままでいたでしょう。もし、仮に誰かが虫の繭から糸を取る事を思い付いたとしても、それには長い時間と数多くの試行錯誤の繰り返しを必要としていたのは間違いありません』
モニカさん達の言葉に僕はハッとさせられた。
そう。意外と簡単に成功したのは、僕達が最初から答えを知っていたからだ。
逆に知らない人間の場合、たどり着けるかどうかも分からない道のりを、手探りで歩いて行かなければならない。
無数の選択肢の中から正しい物だけを選んで正解というゴールまでたどり着く。
その試行錯誤には、普通の人間では心が折れてしまう程の膨大な数の失敗と時間を必要とするだろう。
簡単に思えたのは、先人達の築き上げた知識をカンニングしていたおかげだったのだ。
ティトゥも僕と同じ事に気づいたらしい。彼女は満面の笑みを浮かべた。
『つまりこの成功はハヤテの叡智の賜物だったんですわね!』
いや、何でそうなるし。
どうやらティトゥは、僕と同じ言葉を聞いて、僕とは違う答えにたどり着いてしまったようだ。
ティトゥの言葉にモニカさんが頷いた。
『その通りです』
いや、違うから。
座繰機を作ったのは僕じゃないから。
元々、誰かが開発した物がこの島に伝わっただけだから。
僕がやった事って、その使い方を説明しただけだから。
それを叡智とか、叡智という単語に失礼だから。叡智さんはそんなに安いものじゃないから。
『ならばこれはドラゴン・シルクですわね!』
『ドラゴンが伝えたシルク。シルクの貴重性が更に上がりそうですね』
早速、ティトゥは、いつものように暴走を始めている。
モニカさんは面白そうにしているだけで、止めるつもりはないようだ。
そして、トレモ船長とオバロもティトゥの間違いを正そうとはしない。
どうやらこの場に僕の味方は誰もいないようだ。なんてこったい。
ていうか、完全にツッコミのタイミングを失ってしまったんだけど。
弱ったなあ。
僕が困っている間に、モニカさんはトレモ船長に振り返った。
『あなたの船の代金ですが、いいでしょう。全てランピーニ聖国王家が引き受けます。いえ、私が責任を持って出させます。それで構いませんね?』
『えっ?』
突然の申し出に、トレモ船長はポカンと口を開けた。
大型船一隻ともなれば、かなりの金額になる。それほどの大金をメイドが、しかも聖国王家から出させると宣言したのだ。
冗談にしても意味が分からない。トレモ船長が混乱したのも無理はないだろう。
『何か問題でも?』
『あ、いえ。俺としては願っても無いというか。――あの、ナカジマ様はそれでよろしいのでしょうか?』
モニカさんは、今度はティトゥに向き直った。
『ナカジマ様も、それで問題ありませんね?』
『オットーも・・・ゴホン。こちらも代金さえ頂ければ何も問題はありませんわ』
代官のオットーも、聖国王家が払ってくれると言うのなら何も文句はないだろう。
文句が無さすぎて、『何でこうなった』と頭痛を堪える姿が目に浮かぶようだ。
モニカさんは人好きのする優しいほほ笑みを浮かべた。
『それでは、これで聖国も今回の一件の関係者になったという事でよろしいですね? 少々出遅れましたが、今後は聖国もシルクの生産と流通に一枚噛ませて頂くことに致しましょう』
◇◇◇◇◇◇◇◇
――「繊維の女王・絹」自然素材研究開発協議会HPより――
絹は新暦四百年代になって大陸で発明された、比較的新しい天然繊維です。
現在では、亜麻・綿と合わせて、三大天然繊維とも呼ばれています。
その発祥はバーバラ島。ペニソラ半島の南に浮かぶこの小さな島は、現在でも生糸の発祥の地として、養蚕業が盛んに行われています。
この島に伝わる言い伝えでは、生糸の作り方はドラゴンから教えられたとされています。
しかし、残念ですがドラゴンにそのような特殊な知識があるという例はありません。
そのため今では、ドラゴンに乗ってやって来た大陸の技術者が伝えたのではないか、と考えられています。
朴訥な島民にとって、ドラゴンの飛来はさぞ大きなインパクトを残したのでしょう。そのため、このような形で逸話が残ったのかもしれません。
では、養蚕の技術を教えた技術者はどこから来たのでしょうか?
これには諸説ありますが、当時の文化の発祥地となっていたクリオーネ島から来た、という説を唱える学者が多いようです。
後に絹が、主にランピーニ聖国から周辺国家に広まっていった点も、この説を裏付けています。
おそらく、天蚕の繭から生糸を引く技術を開発した聖国が、天蚕の繁殖に適した温かい南の地を求めて、このバーバラ島に白羽の矢を立てたのではないでしょうか。
しかし、今のお話はあくまでも学者の皆さんが唱える説となります。
もしかすると、本当に島の言い伝えに残る通り、養蚕の技術を伝えたのはドラゴンだったのかもしれません。
新暦四百年代といえば、丁度、ファーストドラゴン・ハヤテが活躍していた時期と同じです。
そう。数々の伝説を残した有名なファーストドラゴン。ドラゴンの始祖とも言われる、あのハヤテです。
彼がパートナーの乙女と一緒に、この漁業以外に何も無い小さな島に立ち寄った時、朴訥な島民に絹の作り方を伝えていた。そう考えるととても夢があると思いませんか?
美しい絹には、そんなロマン溢れる伝説の方が似合っている――そのように感じるのは、きっと私だけではないと思います。
次回「謎のメイド」