その13 テグス
僕はティトゥに頼んで島民達を呼んで貰った。
彼らは戸惑いながらも、ティトゥの呼びかけに応えて集まってくれた。
「ティトゥ。ハヤブサが見つけて来たそれの事を、みんなに聞いて貰っていいかな」
『分かりましたわ』
ハヤブサが見つけた謎の物体、”葉っぱの卵”。
楕円形で大きさは鶏の卵くらい。色は鮮やかでキレイな薄緑色。質感はフェルト生地とかそういった感じ。クヌギの葉っぱに包まるようにくっついている。
僕はこの存在にひとつだけ心当たりがあった。
ティトゥは村のみんなに”葉っぱの卵”を見せて回った。
『これが何か知っている人はいるかしら?』
みんなは”葉っぱの卵”をしげしげと眺めた後、互いに顔を見合わせた。
『見た事はあるけど、そう言えば何かは知らないな』
『時々葉っぱにくっついているわよね。子供の頃に見た事があるわ』
『ああ。山でたまに見かけるな。今まで疑問に感じた事もなかったが』
『ボクも知ってる! 葉っぱにくっついてるヤツだ!』
『えー、私知らなーい』
なる程。見かけた事はあっても、みんなこれが何かは知らないと。
その時、村でも一番年長のお婆ちゃんが頷いた。
『これは”てんさん”ね。てんさんの繭よ』
『『『『てんさん?』』』』
聞き覚えがない単語なのか、みんなは不思議そうにしている。
「てんさん?! これが?! やっぱりそうだったのか!」
『ハヤテはこれが何か知っているんですのね? さっきは”てぐす”とか言ってたんじゃなかったかしら?』
ティトゥが僕の言葉を聞きとがめた。テグスなんて良く覚えてたね。
いやまあ、僕も実際に見たのは初めてなんだけど。
釣り糸として使われる”テグス”は、漢字で書けば”天蚕糸”。
天蚕糸は、てぐすいと、又は、てんさんし、とも呼ばれるそうだ。
そう。さっきお婆ちゃんの言った”てんさん”。コチラは漢字で書けば”天蚕”。天蚕糸とは天蚕の糸なのだ。
そして漢字を見れば分かってもらえると思うが、”天蚕”の”蚕”は”かいこ”。
”葉っぱの卵”の正体は、蚕の繭だったのである。
昔は日本でも盛んに養蚕――蚕の飼育が行われていたそうだ。
地図記号に桑畑の専用の記号(※蚕は桑の葉しか食べない)がある事からも、いかに全国各地で養蚕が盛んだったかが分かるだろう。
知っての通り、蚕の繭からは生糸が作られ、生糸からは絹が織られる。
日本には弥生時代に中国から伝わり、明治時代に最盛期を迎えたが、現在ではすっかり衰退してしまったそうだ。なんとなく残念だね。
ちなみに、養蚕に使われる蚕は、家畜化されて生み出された特殊な品種で、飼育のために動き回らないように――つまり、飼育箱から逃げ出さないように改良された品種となる。
そのため、餌が無くなっても自分では探しに行かずに餓死するという。
また、成長して蛾になっても、飛ぶために必要な筋肉が退化しているため、ほとんど飛ぶ事が出来ないそうだ。
蚕とは、野生では生きられない――人間の世話がないと生きていけない――特殊な生き物なのである。
そんな感じで、昔は日本でも盛んに行われていた養蚕だが、その本家本元といえばやはり古代中国である。
中国で生産された絹は、はるばるヨーロッパまで輸出され、その美しさとしなやかな肌触りで富裕層を魅了したという。
かのエジプトの女王、クレオパトラもシルクのドレスを愛用していたんだそうだ。
といった説明を僕から聞かされて、ティトゥはイヤそうに顔をしかめた。
散々自分が掴んでいた葉っぱの卵が、虫の繭だったと知ってしまったからだろう。
ティトゥは天蚕の繭をそっとカーチャに差し出した。
カーチャは渋々受け取った。
『けど、これが芋虫の繭なんて信じられませんわね』
『――そうですね。色もキレイだし、手触りも悪くないですからね』
だろうね。
蚕の――天蚕の糸は動物由来の天然繊維。
その主成分はタンパク質繊維。人間の肌に近い成分のため、肌触りが優しいと言われているのだ。
『カイコとテンサンは違うんですの?』
「天然の蚕が天蚕――と言うよりも、天蚕を飼育しやすいように改良したのが蚕かな。蚕は特別な天蚕、って感じ」
僕がなぜ、天蚕の事を知っていたかというと、学生時代に釣り好きの知り合いがいたからだ。
たまたまそいつと山歩きをしていた時だった。そいつが「おっ、天蚕じゃん」と、大きな芋虫を手掴みで捕まえたのだ。
僕がドン引きしていると、そいつは嬉々としてテグスの由来と、どうやって天蚕の幼虫からテグスを取り出すかを語ってくれた。
「それでな、幼虫の腹を割くと寄生虫みたいな細いのがいるんだよ。絹糸腺って言ってな、それが釣り糸のテグスになるんだ。その細いのをこう取り出して酢酸に浸して――」
「もういいって! 具体的に説明するなよ、気持ち悪い!」
僕が釣りを避けるようになったのは、絶対にアイツのせいに違いない。
それはさておき。その時見た光景とそいつの話は、僕に強いインパクトを与えた。
後日、僕はつい、怖いもの見たさで天蚕について調べてしまった。
そのついでに、蚕や絹についての色々な雑学も覚えたのである。
「大昔、この島に稲作が伝わった時、その船の荷物か何かに天蚕の卵がくっついて来たんだと思う。あるいは元々この島にいたか。
ひょっとしたら蚕も伝わった可能性があるかもだけど、今の村に残っていない所を見ると、どこかで途絶えちゃったんだろうね」
ティトゥは少しガッカリしたようだ。
僕の説明に出て来た絹という物を見てみたかったんだろう。
まあまあ。この島に蚕はいなくても、ここに天蚕がいるじゃないか。
「お婆さんは天蚕の繭の事を知っていたんだよね。村で天蚕糸を作ってないか聞いてみようよ」
『そうですわね! お婆さん、さっき言っていたテンサンの事で――』
男達によって、村の倉庫から埃まみれのボロボロの大きな道具が引っ張り出された。
『ゴホッゴホッ――婆さん、これの事かい?』
『そうそう。ありがとうね。ああ、懐かしいわ』
お婆さんは嬉しそうに目を細めた。
『子供の頃に家にあったけど、邪魔なのでお爺さんが片付けてしまったのよ。私のお婆さんが、昔、天蚕の繭から糸を取るのに使っていた、って言ってたけど。壊れていて誰も使っていなかったの』
ティトゥが僕に振り返った。
『ハヤテはこれをどう使うか分かりますの?』
いや、どうだろう。
思っていたよりも本格的な道具が出て来た事に僕は面食らっていた。
お婆ちゃんが天蚕の名前も知ってたし、これは本当に島に養蚕が伝わっていた可能性も、ワンチャンあるんじゃないだろうか。
さっきも言ったけど、蚕は人が世話をしないと死んでしまう。病気にも弱かったと思うので、どこかのタイミングで全滅してしまったんじゃないだろうか。
村の女性達は、残った道具を使って、天然の蚕――天蚕から細々と天蚕糸を作り続けていた。
しかし、長い年月の間に次第に道具は壊れていった。直す者もいない間に技術の伝承の途絶が起こり、遂には誰も知る者がいなくなってしまったのかもしれない。
「多分、真ん中の窪みにはお湯を入れた鍋が入るんだと思う。上の棒には巻き取り用の芯を掛けるんじゃないかな。ああ、だったら足元の板は大きな輪を回転させるためのペダルなのか。見当たらないけど、本当はペダルと輪を繋ぐベルトか何かがあるんじゃないかな。それと――」
『あの。とりあえずキレイにしてから考えませんか?』
『そうですわね。みなさん、手伝って頂戴』
ティトゥの掛け声で、村人達がボロボロの巻き取り機の掃除に取り掛かった。
『おい! 壊してんじゃないぞ!』
『いや、木が腐ってたんだよ。コイツを使えるように直すのは無理なんじゃないか?』
『誰か倉庫に行ってこいよ。欠けた部品が転がっているかもしれないぞ』
『また壊してるぞ! お前、加減をしろよ!』
一向にはかどらない作業に、ティトゥは焦れて眉間にしわを寄せた。
「ねえティトゥ。こういうのは専門家に任せた方がいいんじゃない? 例えば、家具職人のオレクとか、ドワーフ親方――じゃなくて、ブロックバスター親方とか」
『確かにそうですわね。みなさん、そのまま作業を続けて頂戴。私はハヤテとひとっ飛びして専門家を呼んで来ますわ。カーチャ、あなたはファル子達と一緒にみんなの作業を監督していて頂戴』
『分かりました』
「「ギャーウー!(りょうかーい!)」」
そうと決まれば善は急げ。コノ村までなるはやで。
「ティトゥ。時間がもったいないから、いつもより高度を上げて速度を稼ぐよ。冷えるから厚着をしておいて」
『分かりましたわ。トレモ船長。上着が欲しいので、どなたかから借りて来てくれません?』
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥはハヤテと相談しながら、テキパキと指示を出していく。
トレモ船長は、話の流れに全く付いて行けずに戸惑っていた。
無理もない。この場で理解しているのは、ハヤテとハヤテの言葉が分かるティトゥの二人――竜 騎 士の二人だけなのである。
子ドラゴンが見つけた虫の繭。その小さな発見をきっかけに、この一週間、ずっと止まったままでいた時間が突然動き始めた。
停滞から流れに。ローギアーからトップギアに。竜 騎 士の二人は周囲を巻き込んで走り出した。
(ナカジマ様はこれを待っていたのか・・・)
しかし、トレモ船長はまだ分かっていなかった。
これはまだ始まりに過ぎない。到達点は彼の想像の先にある。
ドラゴンライダーは普通じゃない。
トレモ船長はそれを思い知る事になるのである。
次回「オタクの青年」