その12 フランコの戦い
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都市国家連合の港町アンブラ。
バニャイア商会商会主フランコは、馬車で商工会議所へ向かっていた。
(今日こそは、何としてもレリックの爺さんを説き伏せて、こちらに味方をするとの確約を貰わなければ)
フランコは強い焦りを感じていた。
都市国家連合の代表機関。元老院評議会。
そのトップとなる評議会議長は、議員の投票による多数決で選出される。
その議長選挙が来週末に迫っていた。
これは現議長派――すなわち港町ルクル・スルーツと、対抗派――すなわち港町ヒーグルーンの二派による争いでもある。
現評議会議長エム・ハヴリーンが、今まで行って来た失政、愚政は枚挙にいとまがない。
しかし、その最たるものは、大量の傭兵団が流れ込むきっかけを作った事であろう。
武装した余所者の増加は、各地の治安を悪化させたのみならず、港町の財源をも圧迫した。
現在、港町ヒーグルーンでは、心ある商会主達が一丸となって、今回の選挙戦を勝ち抜こうと意気込んでいた。
都市国家連合に加盟している港町の数は五つ。
そして議席数は三十一。
現議長エム・ハヴリーンの所属する港町ルクル・スルーツが、最大数となる12席。
次いで港町ヒーグルーンが10席。
二つの港町の議席数の差は2つ。
次いでここ、港町アンブラと港町トル・テサジーク、そして港町トル・トランがそれぞれ3席づつとなっている。
最大と最小では実に四倍もの議席数の開きがあるが、概ね、この差がそれぞれの港町の力関係を表していると言っても間違いはないだろう。
ちなみに、港町トル・テサジークと港町トル・トランは隣り合った立地もあって、互いに仲が悪い。
どちらかが議長派に付けば、もう片方は対抗派に付くと思われた。実際、これまでもずっとそうなっていた。
こうなってくると問題になるのは、ここ港町アンブラの去就である。
港町アンブラの保有する議席数は3。
もし、この三席全てが対抗派――港町ヒーグルーン側に付けば、議席数は現議長派15に対して、対抗派16。
対抗派が上回る結果、現議長は任期を終えて引退。次の議長は港町ヒーグルーンから選出される事になるだろう。
逆に一席以上が現議長派――港町ルクル・スルーツ側に付いた場合、現議長派が過半数を超えて対抗派を上回ってしまう。
エム・ハヴリーンは再選を果たし、次の任期終了となる八年後まで、今に引き続き権勢をふるい続ける事になるだろう。
以上が議長選挙を前にして、ここ港町アンブラが注目を集めている理由である。
フランコのバニャイア商会は、言うまでも無く対抗派――港町ヒーグルーン側である。
残る議席は二つ。それぞれ三大商会の残りの二つ、ロディオ商会とザルミ商会が握っている。
噂では、ロディオ商会に、評議会議長の孫ペル・ハヴリーンが急接近しているという。
フランコとしてはどうにかしたい所だが、今は商会の船を失った事で自分の足元すら危うくなっている。
思うに任せない状況に、フランコは胃が痛くなる日々を送っていた。
商工会議所にロディオ商会の商会主、レリック老人は来ていなかった。
「ロディオ商会のレリック氏からは、緊急の用事があって出られないと連絡があったそうです」
事務員の説明に、フランコは肩すかしを食ったような、何とも言えない微妙な気分にさせられた。
(いや。今はいない者の事を考えていても仕方がない)
フランコは気持ちを切り替えると、もう一人の議員。ザルミ商会の商会主クリントを捜した。
「よう、フランコ。誰を捜しているんだ?」
「クリント。丁度良かった。お前さんを捜していたんだよ」
フランコに声をかけて来たのは、どこか調子の良さそうな初老の男だった。
彼、ザルミ商会商会主クリントは、フランコと同世代で、全体的に若返りつつあるアンブラ商工会の中にあって、数少ない腹を割って話せる人物となっていた。
そろそろ会合が始まる時間である。悠長に世間話をしている余裕は無かった。
フランコは単刀直入に切り出した。
「来週の議長選挙だ。お前の意志を確認しておきたい。港町ヒーグルーンに――反議長派に付くのでいいんだよな?」
「その話か。前にも言っただろう。俺の気持ちは変わりないさ」
「そうか。なら、残るはレリック爺さんだが・・・」
クリントは「なんだ、爺さんはまだどっちに付くか決めてなかったのか?」と呆れ返った。
「いや。以前はこちらに付くと言っていた。しかし最近、爺さんの所に白いフジツボがへばり付いていると話題になっているだろう?」
「白い? ああ、なるほど」
船底に付着するフジツボは、船の嫌われ者である。
フランコは白粉を塗りたくった評議会議長の孫を、厄介者のフジツボに例えたのである。
クリントは人好きのする笑みを浮かべた。
「分かった。明日、ロディオ商会と商談の約束があるから、その時ついでに爺さんに話をしておいてやるよ」
「そうか? 頼むよ」
その時、全員が席に付き始めた。どうやら会合が始まるようである。
フランコはクリントと別れて自分の席に向かった。
クリントは友人の背中に向かって、申し訳なさそうな顔で「スマンな。フジツボに張り付かれたのは俺もなんだ」と呟いていた。
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バーバラ島では今日もティトゥによる品定めが行われていた。
ティトゥがハヤテで島に訪れるようになってから今日で丁度一週間目。
毎日元気いっぱいのリトルドラゴンズ達に対して、ティトゥはすっかり飽きているように見えた。
トレモ船長は激しい焦りを感じていた。
正直言って、貴族の当主がここまで彼に付き合ってくれるとは完全に予想外だった。もっと早く見切りを付けられると思っていたのだ。
なぜティトゥが退屈しながらここまで我慢しているのか、トレモ船長には全く理解出来なかった。
とはいえ、こんな幸運がいつまでも続く訳はない。
トレモ船長は、連日、薄氷を踏んでいるような気分だった。
そんなトレモ船長の父、島長のボボロが、村の男達を率いて大きな木を引きずって来た。
どうやら村の裏の山に生えていた木を切り倒したようだ。
「どうでしょうか? 領主様。これなら船の代わりになりませんか? 山に行けばまだまだ沢山生えていますよ」
そんな事を言われてもティトゥに木の善し悪しは見分けがつかない。
ティトゥは困った顔でトレモ船長に振り返った。
トレモ船長は顔をしかめてかぶりを振った。
「父さん。これはクヌギの木といって、それほど値段の高くない木だ。こいつを船の代金にするのはあまり現実的じゃないと思う」
建材としての利用価値が高いのは、真っ直ぐに伸びるヒノキや杉である。木目も真っ直ぐなので加工もしやすい。特にヒノキは高級建材としても知られている。
クヌギの木は成長が早い事もあってか、幹が曲がったり割れたりしやすく、木材としての材質も柔らかい。
成長の早さを利用して、建材ではなく、薪を取るための木として、昔は日本の山でも良く植えられていたようだ。
「そうか。それは残念だ」
島長のボボロはそれほど残念でも無さそうに言った。飽きる程連日繰り返された光景だ。
トレモ船長は、出口の見えない閉塞感に、胃がキリキリと痛むのを感じた。
島長は村の男達に枝を払うように指示を出した。
切られた枝が広場の隅に積み上げられる。
ティトゥは作業の様子をぼんやりと眺めながら、ハヤテに声をかけた。
「ねえ、ハヤテはまだ何か気付いた事がないんですの? もう一週間ですわよ」
『う~ん。そんな事を言われてもなあ。ファル子達はお米を喜んでいるんだから、それでいい、って訳にはいかないんだよね?』
「私はともかく、オットーが文句を言いそうですわね」
『だよねー』
トレモ船長にはハヤテの話す日本語は分からない。しかし、ティトゥの言葉からタイムリミットがすぐそこまで迫っている事を感じていた。
ファル子はバサバサと積み上げられる枝に興味を惹かれたようだ。
彼女は上目づかいに村人に尋ねた。
「クウウッ(これ頂戴)」
「何だ? この木の枝が欲しいのか? どうせ乾かして薪にするヤツだからな。いいから好きなのを持って行きな」
「ギャウ!(ありがとう!)」
ファル子が適当な太さの枝を齧り始めると、ハヤブサも羨ましくなったのかキョロキョロと品定めを始めた。
ティトゥはトレモ船長の父親に尋ねた。
「ハヤブサも欲しがっているようですわね。よろしいかしら?」
「勿論、構いませんよ」
「だそうよ、ハヤブサ。好きなのを選びなさい」
ハヤブサは、あれでもない、これでもないと、しばらく悩んでいたが、やがて何かに気付くと、一本の枝を咥えてティトゥの所に持って来た。
「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ! 見てコレ!)」
「それを選んだんですの?」
「ギャウー! ギャウギャウ!(違うよ! ここ、ここ! 葉っぱの卵!)」
「葉っぱの卵?」
ハヤブサの運んで来た木の枝を見ると、緑の葉に包まるように、鮮やかな薄緑色の楕円形の塊があった。
大きさは手のひらの上に乗る程度。色といい、葉に包まれている所といい、確かに”葉っぱの卵”といった感じだ。
ティトゥとカーチャは不思議そうに、葉っぱの卵を覗き込んだ。
「本当ですわね。手触りは葉っぱというよりも、布か何かみたいですけど」
「キレイな色ですね。それに軽いです。これって何なんでしょうか?」
「ギャウギャウ!(だから葉っぱの卵なんだってば!)」
『えっ? これってまさか・・・いや、稲作が伝わっているんだから、可能性はある、のか?』
ティトゥはハッとハヤテに振り返った。
ハヤテはブツブツと呟きながら、食い入るようにカーチャの手のひらの上の葉っぱの卵を見ている。
「ハヤテ。あなたこれが何なのか知っているんですの?」
『だったら天然の――ん? あ、ゴメン。もっと近くで見てみてもいいかな?』
ティトゥはハヤテに良く見えるように葉っぱの卵を掲げた。
島民達は何事かと作業の手を止めて、二人の様子を見守っている。
ハヤテは黙って葉っぱの卵を見ていたが、やがて少しだけ自信がなさそうに『多分』と言った。
『多分、これは天然のテグスじゃないかな。――ねえ、ティトゥ。村の人達を僕のまわりに呼んでくれない? ちょっと話を聞いてみたいんだけど』
「分かりましたわ! みなさん! 集まって頂戴!」
トレモ船長は慌ててティトゥに尋ねた。
「何かあったんですか? 今、ドラゴン様は何と言ったんでしょうか?」
ティトゥは今までの退屈そうな様子から一転。堂々とした態度で自信満々に答えた。
「私にもまだ分かりませんわ。けど、ようやくハヤテが、探していた物を見つけてくれたんですわ!」
次回「テグス」