その11 トレモ船長の焦り
僕達が半島の南の島、バーバラ島に到着してから今日で三日目。
初日こそ顔見せだけで帰ったものの、翌日からは早速、トレモ船長の船の代わりとなる品の捜索? が開始された。
『これなんかどう? 島で採れた果物よ』
『だから違うんだよ母さん。ナカジマ様が求めているのはそういう物じゃないんだ』
ここは初日に着陸した村の広場。
トレモ船長はカゴ一杯の果物を持って来た母親を押しとどめた。
『そう? 今年のは特に出来が良くてね。実が引き締まっていて甘くて美味しいのよ』
『いや、ナカジマ様が必要としているのは、そんなお隣の家に持って行くおすそ分けのようなものじゃなくてだな――』
トレモ船長から事情を説明された彼の両親は、息子のためになるなら、と快く協力を引き受けてくれた。
そのこと自体は良かった。僕達だって、誰かに恨まれたりギスギスした空気はイヤだからね。
しかし、僕達は貧しい島民の経済感覚を理解していなかったのだ。
彼らは毎日、色々な品をティトゥに提案してくれたのだが、そのどれもが”島のお土産”のレベルを出ないものだったのである。
というか、ぶっちゃけこの島には、ろくな資源もなければ目を引く特産品も無かったのだ。
連日繰り返されるピントのズレたやり取りに、トレモ船長はすっかり困り果てていた。
『おおい、トレモ!』
浅黒く日焼けした逞しい半裸の青年がやって来た。
両手にやたらと大きな長い魚――タチウオかな?――を持っている。
『見てくれ! 今年一番の大物だぜ! どうだい、立派なもんだろう! コイツでお前の船の代金にならないか?!』
『なるわけあるか!』
『そうか? コイツ一匹じゃ無理でも、少しくらいは足しになるんじゃないか?』
トレモ船長は頭を抱えた。
ティトゥも困り顔だ。
この場に漂う煮詰まった空気を感じたのだろう。ここでメイド少女カーチャが主人に提案した。
『――あの、そろそろお昼ですし、食事にしませんか?』
しかし、残念ながら彼女の提案は、現状を打開してくれるようなものではなかった。
お昼ご飯は魚のスープのようだ。石を積んで簡易なかまどが作られると、漁師の青年が持って来たタチウオがぶつ切りにされて鍋にぶち込まれた。
味付けは塩と良く分からない香草(※料理を作る人なら普通に知っているのかもしれないけど、僕は料理をしないから)。そこに野菜とお米が入れられる。
何と言うか、いかにも”島の料理”って感じだ。
ティトゥはグツグツと沸く鍋を見ながら呟いた。
『最近、毎回お米を食べている気がしますわ』
僕が島の人達から譲ってもらったお米は、ナカジマ家の料理長、ベアータによって急ピッチでメニューの開発が進められていた。
どうやらその副産物として、ティトゥの食卓には毎回お米を使った料理が上がっているようだ。
ちなみに、最初ベアータは、僕が渡したおにぎりを再現しようとしたみたいだけど、そちらは上手くいかなかったらしい。
ベアータは、『せっかくファルコ様達に喜んでもらえると思ったのに』と、残念そうにしていた。
おにぎりに使われているお米はジャポニカ米。この島で作られているお米は、タイ米ことインディカ米。そもそも種類が違うからね。
ああ、そうなるとお餅も作れないのか。お餅は外国人にも人気のメニューと聞いた事があるので、ティトゥ達にも是非食べて貰いたかったのに。残念。
ベアータの中では絶賛大ヒット中のお米だが、ティトゥにはイマイチ響かなかったようだ。
美味しくない、という訳では無くて、『なんだか普通ですわね』との事だ。
まあ、お米って主食であって、特別美味しい食材って訳ではないからね。彼女の反応は仕方がない、というか、むしろ妥当だと思うよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この島――バーバラ島で小麦よりも米が主食になったのは、気候が稲作に合っていた、という理由の他に、稲の優れた生産性も考えられる。
種籾からは、分蘖といって、数本の茎が枝別れして伸びる。
成長するとそれぞれの枝先に米が実るため、一粒の種籾から収穫できる米は大体500粒程と言われている。
勿論、それは現代の日本で育てられている米の話であり、品種改良される前の昔の米の収穫量は、今よりもずっと少ないものであった。
しかし、仮に半分だったと考えても250粒となる。
対して小麦は、一粒の種籾から収穫出来る量は、約20粒。
これは米の二十分の一以下となる。
以前、ハヤテがこの話を代官のオットーにした時に、彼は『20粒なんてとんでもない!』と驚いた。
一粒の種籾から出来るのはせいぜい5~6粒。痩せた土地ではその半分程しか収穫出来ないとの事だ。
これは品種改良されていないという点に加え、肥料の問題等もあるのだろう。
この世界の農業はまだまだ改善の必要があるのだ。
稲作の優れた所としては、他にも連作障害に強い点も挙げられる。
毎年、同じ作物を同じ場所で育てていると、土の中の特定の栄養分が不足する事になる。そうなると作物の成長は悪くなるし、その作物を好む病菌等、有害な微生物が土中に増えてしまう。
これを連作障害という。
この連作障害を防ぐためには、作物を作らずに畑を休ませる年を作るか、育てる作物を毎年変える必要があるという。
極めて厄介な連作障害だが、実は稲作は連作障害がおこらないのである。
その理由は、田んぼの作り――水を張って育てる点にある。
川から田んぼに流れ込む水には、山から運ばれて来た豊富な栄養分が含まれているし、また、田んぼの表面に水が張られる事で、土中の有害な微生物や病菌が酸欠で死滅するのだという。
つまり稲作は、少ない土地で多くの収穫が得られる、非常に効率の良い穀物なのだ。
土地が限られた小さな島で、稲作が選ばれたのは当然と言えるだろう。
そんな稲作がバーバラ島からミロスラフ王国に伝わらなかったのは、気温の違いによるものだと思われる。
バーバラ島で育てられているのは、高温多湿の地域で育つインディカ米。
春先まで雪で閉ざされてしまうような、気温の低いミロスラフ王国では、寒さに弱いインディカ米は育てられなかったのではないだろうか。
バーバラ島に伝わったのが寒さに強いジャポニカ米だったのなら、話は違っていたのだろうが・・・。
ちなみに、ハヤテが島民に聞いたところ、それらしい品種に心当たりはないとの事だった。
最初から島には伝わらなかったのか、あるいは、伝わったものの長い年月のなかで育てられなくなってしまったのか。
なんにせよ、ハヤテとティトゥにとっては残念な話である。
◇◇◇◇◇◇◇◇
見た目は大雑把な鍋料理だが、味は中々のものだったようだ。
ティトゥだけではなく、メイド少女カーチャも機嫌よく食事を口に運んでいる。
ファル子達は貝殻に乗せられた生のお米を、貝殻ごとバリバリボリボリと齧っている。
二人のお気に入りは、サザエのような貝の殻にお米を詰めたものらしい。肉厚な殻の歯ごたえがいいそうだ。
そんなものを食べてお腹を壊さないかちょっと心配だ。
そんなナカジマ様ご一行から離れた場所で、トレモ船長は食事もそこそこに家族と話し合いをしている。
僕の鋭敏な四式戦イヤーが彼らの話を拾った。
『そうは言うがなトレモ。私達はお前が何を望んでいるのか良く分からないんだよ』
『それは・・・仕方がないとは思うが。なあ、ヴォパ。お前の方には何か心当たりはないか? 若いヤツらを率いて山に入っているんだろう? そこで珍しい石や金属を見つけたとかの話は無いのか?』
『う~ん。そういうのは最初に見せたはずだぞ。どれも価値が無いと言ったのは兄貴だろう』
『いや、拾って帰った物じゃなくて、山に鉱床が――例えば崖の地肌に見慣れない模様があるのを知っている、とかそういった話がないか聞いているんだ』
『俺は知らないけど・・・分かった。後で他のヤツらに聞いてみるよ』
『頼んだ。それで父さん、村の年寄り連中の話だけど』
『島に何か変わった伝承が無いか、という話だな。お前が期待しているような話は聞けなかったな』
『そうか・・・』
ふむ。どうやら難航しているみたいだな。
僕個人的には、お米が見付かってファル子が喜んでいるだけで、お詫びとしては十分だと思うけど、さすがにそれで済ませる訳にはいかないか。
かといって、このままズルズルとトレモ船長に付き合い続ける事も当然、出来ない。
頑張ってくれている船長には悪いけど、そろそろバニャイア商会の会長さんに相談しに行かなきゃいけないのかもね。
とはいえ、彼が用意出来るような品って、ティトゥにとってそれ程魅力的じゃないんだよなあ。
僕はすっかり諦めムードになりながら、旺盛な食欲を見せるファル子達を眺めていたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
トレモ船長は激しい焦りを覚えていた。
覚悟はしていたものの、彼の故郷、バーバラ島は想像以上に何も無かったからである。
ティトゥも初日こそ、珍しい光景に興味津々だったが、小さな島に三日も通えば流石に興味も尽きたようである。
今では最初の頃のように、熱心に品を物色する事もなくなっていた。
(この様子だと、俺に残された猶予は後一日か二日か・・・)
おそらくそれくらいで、ティトゥは島に見切りをつけ、バニャイア商会の商会主フランコと直接交渉を始めるだろう。
(結局、俺はフランコさんに迷惑を掛けてしまう事になるのか)
こうして両親とわだかまりなく再会出来たのは、商会主フランコが毎年、両親にトレモ船長の事を伝えていてくれたからに他ならない。
今回もフランコは、島に迷惑をかける詫びとして、手紙と一緒に少なくない金額を包んでいる。
自分がこうして不自由なく、島で行動出来ているのは、全てフランコのおぜん立てがあっての事である。
トレモ船長は、何一つ満足に出来ない自分の無能さに苛立ちを感じていた。
(叡智が欲しい! この現状を打開して、この何も無い島に黄金の価値を生み出せるような、そんな桁外れの叡智が!)
トレモ船長は村の広場に佇む巨大なドラゴンを――ハヤテを見つめた。
特に理由があっての行動ではない。ただ、ひょっとすると、この規格外の存在に縋りたいという思いがあったのかもしれない。
あるいは、困難に陥った時に神に祈るように、己の小さな力に限界を感じた時、人はトレモ船長のように、巨大な存在に無意識に期待を寄せるのかもしれない。
ハヤテは黙ったまま動かない。
それは人間達の営みを遥かな高みから達観しているようでもあり、機が満ちるその時を、今はジッと待っているようにも見えた。
次回「フランコの戦い」