その9 郷愁
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トレモ船長にとって、バーバラ島への里帰りは、かなりの覚悟を必要とするものだった。
彼が家出同然に島を飛び出してから、そろそろ二十年が経つ。
最初は島に呼び戻されるのが嫌で連絡を入れなかったのだが、そのうち「商会で出世したら、堂々と両親に会いに戻ろう」という考えに変わっていった。
やがては日々の仕事に忙殺されるようになり、なんとなく連絡を入れられないまま、ズルズルと今日まで来てしまった。
子供の頃ならともかく、今では自分がいかに両親に対して不義理を働いたか分かっている。
そんな心情もあり、彼にとって実家の敷居は次第に高くなっていったのである。
それがまさか、こんなにあっさり受け入れられるなんて。
トレモ船長は覚悟を決めていただけに、肩すかしを食ったような、キツネにつままれたような、何とも言えない気分になっていた。
しかし、彼の疑問は母親の言葉であっさりと解決する事になった。
「フランコさんの手紙であなたが忙しく働いている事は知っていたけど、新年の休みの時くらいは家に戻って欲しかったわ」
「そう言うな母さん。港町アンブラからの船は年に一度しか来ない。トレモの都合で船を出す訳にはいかないんだからな」
そういう事か!
トレモ船長は、彼の雇い主フランコから渡された手紙を思い出した。
フランコは、島に船便を出す度に、トレモ船長の近況を記した手紙を両親宛てに送っていたのだ。
考えてみれば当たり前である。年に一度しか取引をしていないとはいえ、相手はそこの代表者――島長だ。
その息子を商会で雇っているのだから、当然、話題にも出すだろう。
フランコがトレモ船長に黙っていたのは、彼の事情なり心情なりを汲んでの事だと思われる。
いずれ相談を受ければ、この事を話すつもりだったのではないだろうか?
いつも「商売は人との繋がりが宝」と語っている、フランコらしい気遣いである。
結局、全部俺の空回りだったのか――
トレモ船長はホッとすると共に、足から力が抜けそうになる程の脱力感を覚えた。
そして、黙ってずっと両親との橋渡しをしてくれていたフランコに深く感謝した。
こうしてトレモ船長は二十年ぶりの故郷へ、無事に里帰りを済ませる事が出来たのだった。
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『といった訳で、今日の所は戻って来たんですわ』
『そうですか』
コノ村に戻ってきて早々、ティトゥは出迎えに来ていた代官のオットーに事のあらましをザッと説明した。
無事にバーバラ島に到着した僕達だったが、島のみんなは予想外にトレモ船長の帰宅に盛り上がった。
事情を尋ねると、約二十年ぶりの里帰りだったんだそうだ。
それはまた何とも。
船で一日の距離だと中々帰れないのも分かるけど、たまには休みを取って帰ってあげなよ。
ティトゥもこのまま話を進めるのはどうかと思ったようで、『今日の所は私達は帰るので、一日、親子でゆっくり話し合って頂戴』と切り出した。
このティトゥの提案にみんなはポカンと呆気にとられた。
『帰るって、どこにでしょうか?』
『自分の村――屋敷にですわ』
ティトゥはうっかり”村”と言いかけて、慌てて取り繕った。
君、村の生活に馴染みすぎだと思うよ。
『今から船を出すんですか? もうお昼を回ってますよ?』
『ハヤテで飛んで帰ればすぐですわ』
島民達も、僕が飛んでいたのは見ていたはずだが、なんだかピンと来ないらしい。
それはそうと、ティトゥ。帰るのなら、さっき話したアレを島の人達にお願いしてくれないかな?
その後、僕の要望でとある品を分けて貰ったり、ティトゥとトレモ船長の両親の『そんな事をいわずに休んでいって下さい』『いえいえお気遣いなく』といった押し問答がありながらも、こうして無事にコノ村まで戻って来たのだった。
おっと、そうそう思い出した。とある品の事を片付けとかないと。
『ベアータ! ハンサ・・・ハームサース!』
僕の呼びかけに、村の中から『はいはーい!』と元気の良い女の子の声が答えた。
家のドアが開くと、エプロンを付けた小柄な女の子と、こちらもエプロン姿のハンサムな青年が現れた。
女の子は実はこれでもティトゥと同い年、ナカジマ家の料理人のベアータと、彼女の弟子のハムサスである。
『ハヤテ様、アタシに何かご用ですか?!』
『カーチャ。レイノモノ』
『あ、はい。島で頂いたアレですね』
僕が胴体横の扉を開くと、メイド少女カーチャが一抱え程の袋を引っ張り出した。
その途端、興奮した子ドラゴン達が騒ぎ出した。
「ギャウー! ギャウー!(カーチャ姉! 頂戴!)」
「ギュウ! ギュウ!(僕も! 僕も!)」
『ファルコ様! ハヤブサ様! 邪魔しないで下さい!』
カーチャは足元にまとわりつくファル子達から袋を死守しつつ、ベアータ達の所に向かった。
『いやあ、凄い人気だね。一体コイツは何なんだい?』
『バーバラ島で作られていた穀物です。”お米”と言うそうです。お二人共知っていますか?』
そう。僕が島の人達に頼んで売って貰ったとある品。
それはお米――正確には脱穀前の玄米だったのである。
バーバラ島では、なんと稲が育てられていたのだ。
島の人達の話によると、なんでも稲作自体は、大昔に東方の国から伝わったんだそうだ。
ミロスラフ王国まで伝わっていないのは、単純に気候の問題だと思う。
なぜならこのお米はインディカ米。日本ではタイ米と呼ばれる細長いお米で、寒さに弱く、湿度と気温が高い土地で採れる品種だからである。
日本ではイマイチ馴染みが薄い、このインディカ米だが、世界的に見るとお米の生産量の八割を占める品種なんだそうだ。確か。
ベアータはお米の事を知らなかったようだ。彼女はハムサスに振り返った。
ハムサスは袋の中のお米を手に取って確認しながら答えた。
『――私も見覚えがありません。少なくとも、以前に働いていた王都の店では扱っていませんでした』
「ギャウー! ギャウー!(※意味のない鳴き声)」
『うわっ! ファルコ様、何を?!』
ハムサスにファル子が飛びついた。
驚いて倒れそうになるハムサス。
『いやはや、ファルコ様達がこんなに興奮するなんて。随分と気に入ったんだね』
『ハヤテ様がおっしゃるには、お米を料理したものが”おにぎり”になるんだそうです』
『ん? ああ、なるほど。どうりで』
つい先日、脱皮をして大きくなるまで、ファル子達の食事は僕が出すおにぎりだけだった。
正確には、僕が大気中のマナから作り出したおにぎりに豊富に含まれるマナが、彼女達の栄養になっていたのだ。
そういう意味では、島で作られたこのお米は、普通の穀類――小麦や豆なんかと同じ程度しかマナを含んでいない。
しかし、ファル子達にとってはおにぎりは――お米は――特別な食べ物らしく、少しだけ味見して以来、すっかりお気に入りになってしまったのだった。
『カーチャ。オニギリ』
『あ、はい。ファルコ様、ハヤブサ様。ハヤテ様がおにぎりを出してくれましたよ』
「「ギャウー! ギャウー!(※興奮)」」
カーチャがおにぎりを掲げると、リトルドラゴンズはカーチャの足元に殺到した。
体質が変わって色々と食べられるようになっても、おにぎりは別格らしい。
こんなに喜んでくれるなら、たまには出してあげるのもいいかもね。
あまりあげると御飯が食べられなくなるから、控えめにしないとだけど。
『ベアータ。オコメ。リョウリ』
『お米を料理出来るか、ですか? どうでしょう。カーチャ、アタシにもおにぎりを頂戴』
ベアータはおにぎりを割ると、半分をハムサスに渡した。
『どう思うハムサス?』
『これがおにぎりですか。しっとりとしていながら弾力がありますね。ナカジマ饅頭のようにせいろで蒸せばいいんでしょうか?』
『う~ん、どうだろう。それだとせいろの隙間からこぼれないかな。鍋で普通に煮込んでおいて、形が崩れる前に取り出せばいいんじゃない?』
ベアータ達はおにぎりを少し食べたり、指でつまんで固さを確認したりしながら、料理の段取りを相談し始めた。
何か二人に協力出来ればいいんだけど、お米って炊飯器でしか焚いた事がないんだよね。
知識としては飯盒炊飯も知っているけど、自分では使った事がないし。
そもそも、僕が食べていたのは日本のお米――ジャポニカ米だ。インディカ米も同じように料理をしていいのかも分からない。
何となく、パエリアやサフランライスで食べる印象だけど、その作り方が分からないんだよね・・・
うん。やはりうろ覚えの知識は逆に足を引っ張り兼ねない。ここは本職の料理人二人に任せておいた方が無難だろう。
しかし、東方の国か。
この世界では五百年前にマナの発生による大災害が起きた。
大陸の中央を消し飛ばし、人類の数をも激減させた大災厄。
しかし、それ以前は東方の国とも交流があったようだ。
実際に、ランピーニ聖国で作られる聖国陶器。これは東方の国から伝わった東方陶器が元になっているという。
現在では東の海の先は魔境に繋がるものとして、地図からも消されている。
しかし、もしかすれば東にも大陸が残っていて、こちらの大陸と同じように再び人類が繁栄している可能性はゼロではない。
その中にはひょっとすれば、こちらの世界の日本にあたる国だって存在するかもしれない。
もしも将来、ティトゥが僕の力を必要としなくなり、ファル子達が独り立ちして、元の世界に戻る手段が見つからなかった場合。
その時は一人で東に――日本を探す旅に出るのもいいかもしれない。
バーバラ島で田んぼの広がる懐かしい田園風景を見たからだろうか。
僕は久しぶりに感じた強い郷愁に、心に穴が開いたような寂しさを感じていた。
次回「ドラゴンの姉弟」