その8 トレモ船長の里帰り
バーバラ島までは船で大体一日の距離だという。
帆船は風や海流に航海がかなり左右されるから、一日とか言われても目安にしかならないが・・・ザックリ考えて100キロメートルから200キロメートルといった所じゃないだろうか。
といった訳で、僕は一時間も飛ばないうちに、それらしい島の上空に到着したのだった。
四式戦闘機の巡航速度は時速380キロメートル。場所さえ分かっていれば、まあ余裕ですよ。
・・・いや、うそうそ。海図を元にして飛んだ事なんて一度もないからね。実はかなり手探りのフライトだった。
洋上のド真ん中で、一度で小さな島を発見出来たのは奇跡的だったんじゃないだろうか?
羅針盤と飛行時計の数値を読み上げて、ティトゥにメモをして貰っておく。
こんな時、この機体がアビオニクスを搭載した現行機だったらどれだけ楽な事か。
ぶっちゃけ、この数値無しでもう一度飛べと言われたら、絶対に迷う自信があるからね。
『そんな自信はどうなんでしょうか?』
『それより、トレモ船長。あれが目的地の島で間違いないんですの? ――ああ、相変わらずですわね』
『空の上怖い空の上怖い・・・ブツブツ・・・』
「グウ・・・」
トレモ船長はティトゥの声も耳に入っていないようだ。青白い顔で何やらブツブツ呟いている。
ちなみにファル子達はお昼寝中だ。二人揃って床で丸くなっている。朝から随分とテンションが高めだったから、疲れたんだろう。
『どうかしら? ハヤテ』
「う~ん。あそこに港も見えるし、トレモ船長から聞いていた島の特徴と一致はしているかな。港町アンブラからの距離も大体合っているし、多分、バーバラ島だと思うよ」
我ながら頼りない返事だけど仕方がない。ていうか、そもそも四式戦闘機は陸軍機だから。洋上飛行は専門外だから。
ティトゥはあっさりと決断した。
『なら降りてみましょう』
まあそれしかないか。家も畑も見えるし、人が住んでいるのは間違いない。
仮にここがバーバラ島でなくても、バーバラ島の場所を聞く事くらいは出来るだろう。
「了解。安全バンドを締めてね」
『りょーかい、ですわ』
僕は翼を翻すと、バーバラ島(仮)へと高度を下げた。
半島から見て南の海上にある島なので、今まで何となく南の島と言っていたが、別にこの辺りが熱帯に位置するという訳では無いようだ。
ヤシの木やソテツの木が生えている訳でもないし、草木の植生も半島とそれ程違いはないように見える。
緯度で言えば、せいぜい九州くらいの位置なのかもしれない。(九州には行った事がないので、あくまでもイメージなんだけど)
僕は村の上を通過。島民達がこちらを見上げて騒いでいるのが見える。
ん?
僕は村の風景に不思議な既視感を覚えた。
全く知らない場所のはずなのに、昔、何故かで見た事があるような。
何だか妙に馴染むのが、逆に違和感になってしまっているような。
なんだろうこの感じ? 思い出せそうで思い出せない、喉に小骨が引っかかっているような、このもどかしさは。
メイド少女カーチャが不思議そうに呟いた。
『ここが南の島だからでしょうか? 畑の小麦がまだ青々としているんですが』
『そうですわね。とっくに刈り取りは終わって、今は牧草を育てているのかもしれませんわね』
カーチャは元々、ミロスラフ王国の穀倉地帯、マチェイの農家の出身だ。
村の畑の状態に違和感を感じたのだろう。
その瞬間。僕の頭の中で何かがカチリとはまった気がした。
「そう、それだ!!」
僕の大声にティトゥ達がビクリと体をすくめた。
驚かせてゴメン。この時の僕はそれどころじゃなかったもんで。
小麦の収穫時期は夏。ナカジマ領でも、少し前に刈り取りは終わっている。
というよりも、この時期に小麦がまだ青いはずはない。とっくに穂が実って茶色になってなければいけないのだ。
つまり、この畑に生い茂っているのは小麦じゃない。
夏に成長して秋に実りを付けるイネ科の植物。
日本なら全国どこに行っても見られるこの光景。そう、ここは畑じゃなかったんだ。
「田んぼだ! ここは田んぼなんだよ! この島では稲を――お米を作っているんだ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
トレモ船長は、逃げ出したい気持ちを堪えながらハヤテから降りた。
空を飛んだ恐怖心はまだ残っている。しかし、これで二度目の飛行――しかも、ナカジマ領からの飛行に比べると半分以下の時間だったせいもあり、そちらは思っていた程残ってはいなかった。
問題は別の点。
約二十年ぶりに戻って来た故郷。そして両親に会わなければならない。
その事実が彼の足を重くしていた。
久しぶりに嗅いだ島の空気。暑さにジワリと汗が吹き出し、シャツが肌に張り付いた。
懐かしさと共に、緊張で吐き気がこみ上げてくる。覚悟はしていても、想像以上の居たたまれなさだ。
いっそこのまま、何もかも放り出して逃げてしまいたい。
トレモ船長はグッと歯を食いしばって、そんな衝動を堪えた。
ここで逃げてどうする。
俺の肩には船と積み荷が――バニャイア商会の将来がかかっているんだ。
トレモ船長は、すっかり血の気の引いた顔でゴクリと喉を鳴らした。
村の光景は昔とすっかり変わっていた。
いや、ここの景色は何も変わらない。変わってしまったのは彼自身の目線だ。
トレモ船長が子供の頃、村はもっともっと広く、石を積み上げた塀は見上げる程高く、家は大きかった。
しかし、成長して大人になった彼の目には、村は小さく、家々はみすぼらしく感じられた。
ここは村の広場。お祭りや集会が行われる場所である。
村人達は突然降り立った巨大な生物(?)を警戒して、遠巻きにこちらを見ている。
幸い、トレモ船長の顔を覚えている者はいないようだ。
それも当然だ。トレモ船長が島を出たのはまだ七歳の頃。大人になった顔を見て、子供だったトレモを思い出す者は流石にいないのだろう。
トレモ船長は一瞬、「自分だと気付かれていないのなら、このまま正体を告げずにいるのはどうだろうか?」と考えた。
それは非常に魅力的な思い付きだった。
(いや、ダメだ。父さんには船と積み荷に匹敵する物を出して貰わなければならない。俺が頭を下げて詫びを入れなければ流石に無理だ)
バニャイア商会にとってバーバラ島は、それ程付き合いのある相手ではない。
しかし、だからといって、不義理を働いて恨みを買っていいはずもない。
島民達にとっては、自分は港町アンブラの大手商会、バニャイア商会を代表する立場なのだ。
気まずいから、という理由だけで、そんな身勝手をするのは許されない。
村人の列が割れると、奥から中年の男女が現れた。
日に焼けた顔。島の伝統的な服装に、島長である事を示す装飾品。
時の流れで生え際が後退し、顔に皺こそ増えているが、トレモ船長はひと目で分かった。見間違えるはずもない。
(父さん・・・母さん・・・)
ランピーニ聖国で、貴族の家令の前に出た時でも、これほどの緊張はしなかっただろう。
トレモ船長は頭の芯がカッと熱くなり、足元は綿を踏んでいるようにフワフワとおぼつかなくなった。
何か言わなければ。何を? そ、そうだ、紹介しなければ。誰を? ここにいる、ええと、貴族の当主を――あれ? 何だっけ? マズイ、名前が出て来ない。ついさっきまで口にしていたのに、何で思い出せないんだ。ええと、姫 竜 騎 士の・・・何だったか。ええと・・・最初の一文字は確か・・・。ああっ! くそっ! ダメだ、全然、思い浮かばない!
焦れば焦る程、頭が真っ白になって言葉が出て来ない。
トレモ船長が凍り付いたように動きを止める中、島長の男が――トレモ船長の父親が――息子の顔を見た。
「お前、トレモか?」
「なっ?!」
島長の言葉に村人達が戸惑いの表情を浮かべた。
「トレモ? 誰だ?」
「島長の所の長男だよ。ホラ、港町の大きな商会で働いているっていう」
「ああ。あのトレモかい。島に帰って来たんだね」
えっ? みんな俺の事を覚えている?
覚えている、というだけならまだいい。なにせこんな小さな島だ。島民ほぼ全員が顔見知りと言ってもいい。
ましてやトレモ船長は島長の――島民達のリーダーの息子なのだ。未だに彼の名前を覚えている者がいても不思議ではなかった。
しかし、彼の現状を――港町の商会で働いている事を――知っているのはなぜだろうか?
トレモ船長はこの二十年、一度も島に戻っていなければ両親にも連絡を取っていない。
むしろ、どこかで死んでいると思われていてもおかしくはないはずである。
母親は嬉しそうにトレモ船長を――息子の姿を上から下まで眺めた。
「随分と大きくなったわね。二十年も経つのだから当たり前かしら」
「ああ。良く鍛えられているようだ。商人をやっていると聞いていたから、運動不足なんじゃないかと思っていたぞ」
「あ・・・い、いや。俺の仕事は外回りが主だから・・・店は部下に任せているんだ」
「ほう。人を雇えるようになっているのか。フランコ殿は良くしてくれているんだな」
「結婚はしているの? ヴォパは去年二人目の子供が生まれたのよ」
トレモ船長は両親の言葉に答えながら、キツネにつままれたような気持ちになっていた。
彼は両親との再会はもっと険悪な空気で、それこそ何発か殴られるか、あるいは、一言も口を利かずに門前払いにされてもおかしくないと思っていた。その覚悟も当然、決めていた。
まさか、こんなふうに穏やかな再会になるとは、全くの予想外だったのである。
父親はティトゥの方へ振り向いた。
「それで、そちらの方は? 随分と見慣れない服装をしているが」
「あっ! こ、こちらはナカジマ様! ミロスラフ王国のナカジマ領のご領主様です!」
「ティトゥ・ナカジマですわ」
さっきはどんなに思い出そうとしても思い出せなかった”ナカジマ”という名前が、無意識のうちに口を突いて出た。
領主という単語に、周囲の村人達にざわめきが広がった。
生まれてこの方、この島から出た事も無い彼らにとって、貴族だの領主だのという存在は、話にしか聞いた事の無い雲上人だったからである。
村人達は驚いて顔を見合わせた。
「へえ、ご領主様だったのかい? まだ若い女の子じゃないか」
「おい、よせよ母ちゃん。相手は貴族様だぞ。女の子呼ばわりはないだろう」
「素敵な髪だわ。流石は貴族様ね」
貴族の当主を前に、本人の噂話をするのはどうだろうか?
しかし、ティトゥは気にした様子もなく、背後を振り返った。
「そしてこちらはドラゴンのハヤテですわ」
『どうも、ハヤテです』
「「「「「しゃ、喋った!」」」」」
村に今日一番の大きなどよめきが上がった。
次回「郷愁」