その6 姫竜騎士《プリンセス・ドラゴンライダー》
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バニャイア商会の本部は驚きと戸惑いに包まれていた。
四日前、船で港を出てランピーニ聖国に向かったトレモ船長が、突然戻って来たのだ。
しかも彼の後ろには怯えた表情の少女が――商会主フランコの娘アデラが続いている。
何か悪い事でもあったのだろうか? アデラの顔は青ざめ、固い表情をしている。
一体何が起きているのか?
トレモ船長は周囲の探るような視線を無視すると、顔馴染みの事務員に尋ねた。
「フランコさんは?」
「あ、はい。奥の執務室におられます」
トレモ船長は背後の少女に振り返ると、連れだってフランコの執務室に向かったのだった。
商会本部の執務室では恰幅の良い初老の男――バニャイア商会商会主フランコが、従業員と打ち合わせをしている最中だった。
彼はこの港町アンブラにはいないはずの人物――トレモ船長が部屋に入って来たのを見て、ギョッと目を見張った。
「トレモ・・・まさか」
まさか、船が沈んでしまったのか? 船は積み荷共々沖に沈み、お前は失敗の報告をするために戻って来たのか?
最悪の予想にフランコは言葉の続きが告げられなかった。
言葉に出して、もしもトレモ船長に肯定されてしまえば、その瞬間、最悪の予想は最悪の現実になってしまう。
それが恐ろしかったのである。
「いえ。船と積み荷は無事です」
トレモ船長はフランコの不安が良く分かっていた。
彼は間髪入れずに返事を返した。
「――なに? ならどうしてここに?」
「それは・・・あの、人払いを」
トレモ船長の指摘を受けて、フランコは初めて従業員達が残っている事に気が付いた。
「そ、そうだな。お前達はもういい。下がりたまえ。話の続きは後で事務員に聞くように」
「はい」
従業員達が部屋を出ると、フランコは娘に声をかけた。
「お前も下がっていなさい。お母さんにお茶でも淹れて貰うといい」
「でも、お父様! ・・・いえ、失礼します」
アデラはしばらくためらっていたが、やがて首を垂れると大人しく部屋から出て行った。
トレモ船長は彼女の背中を心配そうに見送った。
フランコはトレモ船長と二人きりになると、単刀直入に尋ねた。
「それで一体、何があったんだ?」
トレモ船長は包み隠さず事情を説明した。
船が浸水して、聖国までもちそうになかった事。
ナカジマ領で建設途中の大きな港を見つけた事。
修理を頼みに向かったその矢先、自分のミスで当主のドラゴンを盗もうとしてしまった事。
その罪で船と積み荷が没収されてしまった事。
ただし、領主であるティトゥ・ナカジマと話を付けて、何か代わりになる物を提供すれば、船と積み荷は戻してくれる約束を取り付けた事。
自分はドラゴンに乗って、港町アンブラに戻って来た事。
「ナカジマ領のドラゴン・・・?! まさか、その領主は姫 竜 騎 士なのか?!」
フランコは驚きに思わずイスを蹴って立ち上がった。
トレモ船長は「えっ?!」と目を見開いた。
「姫 竜 騎 士? あのお芝居の?」
トレモ船長も、姫 竜 騎 士の芝居は知っている。・・・実は全く興味は無かったが、フランコの娘、アデラに誘われて一緒に劇場に見に行ったのだ。
しかし彼は、あれは完全に芝居の演目――フィクションだと思っていた。
そのため、ハヤテがドラゴンだと聞いても、芝居の竜 騎 士とは結び付かなかったのである。
「いや。ミロスラフ王国の竜 騎 士は実在する。姫 竜 騎 士は作り話ではないのだ。
勿論、芝居のドラゴンは客が喜ぶように脚色されたデタラメだろう。人間を乗せて鳥よりも早く空を飛び、一匹で敵軍を滅ぼす。そんなデタラメな生き物がこの世に存在する訳はないからな。
大体、そんな速度で飛べば、背中に乗った人間がただですむわけがない。どんなに鍛えられた屈強な騎士でも、吹き飛ばされてしまうに決まっている。ましてや女が乗りこなす事は不可能だ」
トレモ船長は、「いや、自分はそのドラゴンに乗って帰って来たんだが」と思った。
しかも、鍛えられた屈強な騎士でも吹き飛ばされてしまう? 一体何の冗談だ?
トレモ船長以外にも、領主のティトゥとメイド少女、それにドラゴンの子供二匹が乗っていたからである。
ドラゴンが手加減をして飛んでいたとは思えない。
なにせドラゴンは船で三日もかかった距離を、僅か一時(約二時間)ほどで飛んでしまったのだ。
「お前達はドラゴンを捕まえようとしたのか? 一体どうやって?」
「あ、いえ。俺達が見たのは小さなドラゴンでした。ナカジマ家のご当主様が乗る大人のドラゴン――ハヤテと言うそうですが――そいつの子供? だそうです」
「子供のドラゴンがいるのか?! あ、いや、生き物なんだから子供もいるか。なる程。子供のドラゴンだからお前達はドラゴンと気付かなかったんだな」
フランコは勝手に納得しているが、トレモ船長は「子供」の所を疑問形にしていた。ハヤテとファル子達はどう見ても同じ生き物とは思えなかったからである。
「それでお前は船の代価を別の品で払えるように交渉したんだな?
良くやった。勝手な事をした船員を、お前が押さえられなかったのは残念だが、最悪の結果だけは防いでくれたわけだ。
これはお前が、商会にとっては何が重要で、自分が何をするべきか分かっていたからこそ出来た判断だ。
何一つ問題が無く成功する仕事なら、雇ったばかりの新人に任せておいても何も問題は無い。
本当にその人間の力量が問われるのは、仕事に問題が生じた時だ。お前は私の期待に応えてくれた。お前を船長に選んで正解だったよ」
トレモ船長は胸に熱いものがこみ上げて来て言葉が出なかった。
自分は大きなミスを犯してしまった。罵倒され、罵られても当然の大失敗である。
その覚悟はしていたし、そうなるのが当たり前だと思っていた。
しかし、フランコはそうしなかった。
それどころか、自分が失敗を取り戻そうと頑張ったのを認めてくれた。努力を分かってくれた。挽回出来る所まで持ち直した事を評価してくれた。
これだからこの人の下で働ける。この人に付いて行きたいと思わせてくれる。
トレモ船長は思わず目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。
「しかし、船と積み荷に相当する額となれば、そう簡単には・・・。そういえば、ナカジマ家の当主――姫 竜 騎 士が自ら来ていると言っていたな。どこにお待たせしているんだ? 相談させて貰えば――」
「ま、待って下さい! グズッ・・・。こ、これ以上、商会に迷惑はかけられません! ここは俺に任せて下さい! それよりもフランコさんはアデラ様の話を聞いてあげてくれませんか?!」
「娘の? どういう事だ?」
そういえば先程娘は――アデラは、随分と顔色が悪かった。
てっきり、事前にトレモ船長から悪い話を聞かされたからだと思っていたが、この様子だと違うらしい。
「私も詳しい事情は知りませんが、実は――」
トレモ船長はアデラから聞かされた内容を説明した。
フランコは大きく息を吐いて、湧き上がって来た怒りを沈めた。
トレモ船長はフランコに尋ねた。
「・・・ペル・ハヴリーンとは、何者なんでしょうか? アデラ様の話からハヴリーン商会の関係者という事だけは分かりましたが」
「評議会議長ハヴリーンの孫だよ。商会主ラエ・ハヴリーンの次男だ」
「なっ?! ハヴリーン商会の商会主の?!」
漠然と予想はしていたが、よもやそこまでの大物とは思わなかった。
思わぬ大物の名が出た事で、トレモ船長はギョッと目を見開いた。
トレモ船長はおずおずと尋ねた。
「あの・・・この話を――アデラ様とペル・ハヴリーン様の婚約をお認めになるんですか?」
フランコは心底冷めた目で、ジロリとトレモ船長を睨み付けた。
「そんな訳があるか。相手はあの年齢で店の一つも任されず、こんな所をフラフラしているボンクラだぞ。お前がアイツと同じ頃は既に店を任されていた上に、今となっては大事な船まで預けているんだからな。比べ物にもならん」
トレモ船長はこんな状況でありながら、尊敬する上司から褒め言葉を聞かされて、密かに喜びと誇らしさを感じた。
評議会議長エム・ハヴリーンの孫、ペル・ハヴリーンは四日前――丁度、トレモ船長の出航と前後してこの港町アンブラに到着していた。
彼とフランコはこの町の三大商会の一つ、ロディオ商会が開いたパーティーで、初めて顔合わせをしている。
年齢は21歳。貴族に憧れでもしているのか、顔どころか手足まで白粉で白く塗りたくっていた。評議会議長の孫としてわがまま放題に育ってきたのか、他者を見下し、自己愛傾向が強い性格で、弱者に対する嗜虐嗜好もうかがわせる。
フランコのペル・ハヴリーンに対する感想は、”典型的なダメ息子”であった。
どうやらペル・ハヴリーンは、このパーティーでアデラの事を見初めたようだ。
アデラは先程、偶然町でペル・ハヴリーンに出会った時に、直接彼の口から「いずれお前をものにしてやる」「お前を俺の女にする」と告げられたらしい。
アデラは恐怖のあまり何も言い返す事が出来なかったそうだ。
「相手が勝手に言っているだけだ。誰があんなヤツに娘をやるものか。私だって今、お前に聞かされて初めて知ったんだからな。――しかし、こうなると招宴会に娘は連れて行かない方がいいな」
トレモ船長は――そして彼から話を聞かされたフランコも――ひとつ勘違いをしていた。
ペル・ハヴリーンの言葉を、アデラに対する告白――求婚だと思い込んでしまったのだ。
そう思う方が常識的であり、普通であろう。なにせペル・ハヴリーンは評議会議長の孫であり、大手商会の次男。そしてアデラは大手商会の娘なのだ。
しかし、ペル・ハヴリーンの下劣さは彼らの想像を上回っていた。
彼はまるで下町のチンピラのように、アデラの身体だけを狙っていたのである。
次回「南の島、バーバラ島」