その5 トレモ船長の帰還
ティトゥ達を乗せてコノ村を飛び立った僕は、そのまま真っ直ぐに南下。
ミロスラフ王国を北から南に縦断して、この国と都市国家連合を隔てる山脈の上空までやって来た。
『ダメだダメだ死ぬ死ぬ絶対死ぬ人間が空を飛ぶなんて間違っているダメだダメだ絶対ダメだ・・・』
「ギャウー!(鬱陶しい!)」
胴体内補助席でガクガクと震えるトレモ船長を、ファル子は怒鳴りつけた。
ハヤブサは床で丸くなって、うるさそうに尻尾をパタパタと振っている。
まさかトレモ船長がこれほど飛行機恐怖症だったとは。
こういう時ってどうすればいいんだっけ? 温かいミルクを飲ませるとか? コーヒーは確かカフェインが神経を刺激するから良くないとか何とか。
そうだ。甘いものを食べるのはどうだろうか? 少しはリラックス出来るんじゃないかな?
「ねえティトゥ。カーチャに水あめを持ってないか聞いてくれない?」
『ハヤテはまた何か変な事を考えているみたいですわね』
僕の言葉にティトゥは呆れ顔になった。
いや、またって何だよまたって。それだとまるで僕がいつも変な事を考えているみたいじゃないか。
僕がムッとしたのを察したのだろう、メイド少女カーチャが慌ててフォローに入った。
『あの、ハヤテ様はドラゴンなので、私達人間の常識で考えると変に思えるだけだと思いますよ?』
ちょ、なんだよカーチャ! それ、全然フォローになってないんだけど! 僕はこう見えても中身は人間だからね! 君らから見れば異世界人になるけど! 今の言い方って、一周回ってバカにしてない?! それになんで最後がちょっと疑問形なわけ?! そこは言い切ろうよ、せめて!
『そんなことよりホラ、海が見えて来ましたわ』
いつの間にか山は低くなり、進行方向には青い海――水平線が広がっていた。
半島の南の海。確か南方大陸海とか言うんだっけ?
『トレモ船長! 船長! あなたいつまで震えているんですの?! 私達をバーバラ島に案内してくれるんでしょ?! ハヤテはここからどっちに向かえばいいんですの?!』
ティトゥはトレモ船長に声を掛けるが、船長はブツブツと呟くばかりで、いつまで経っても正気を取り戻さない。
『・・・どうします?』
『仕方がありませんわね。一度どこかに降りましょうか』
確かに。あてもなく海上に出ても、広い海原に浮かぶ小さな島を見つけられるとは思えない。
僕は翼を翻すと、何か目印になる場所を探し始めるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
都市国家連合を形成する五つの港町。その中でも最大の都市、ルクル・スルーツ。
その評議会会館の一室。
ハヴリーン老は背もたれに体を預けると、大きなため息をついた。
「今回は失敗を認めるしかない――か。カミルバルトを害するどころか、結果としてヤツが力を付けるきっかけを与えてしまったやもしれん。そう考えると業腹だが。
さて。ワシに繋がる証拠は残していないはずだが、しばらくは念のため大人しくしておくしかあるまい。
次の機会はカミルバルトが失策を行った時だな。その時に備えて糸だけは張り巡らせておくとしようか」
ハヴリーン老は立ち上がると部屋の奥に向かった。一杯飲んで気持ちを切り替えるために、酒を取りに向かったのである。
この時、彼は窓に背を向けていた。
だから気が付かなかった。
大きな窓の外。
このルクル・スルーツの町の遥か上空に、猛禽類のように大きな翼が悠々と飛んでいたのである。
それは四式戦闘機・疾風の姿だった。
(第十五章 四軍包囲網編 『エピローグ ハヴリーン老の誤算』より)
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕は港町の上空(※この時僕はここが港町ルクル・スルーツとは知らなかった)を通過した。
港には大型船も停泊しているし、ここがトレモ船長の商会があるという港町アンブラだろうか?
『ここがトレモ船長の港町でいいのかしら?』
『でも、都市国家連合って、五つの町、全部が港町なんですよね? 本当にここがそうなんでしょうか?』
カーチャの言う通り、ここが港町アンブラである可能性は五分の一。確率で言えば二十パーセントでしかない。
そしてティトゥ。港町アンブラは”トレモ船長の港町”じゃないからね。船長は船長であって町長じゃないから。
『そ、そんな事くらい分かってますわ!』
どうだか。まあいいや。とにかく適当な場所に下りて、トレモ船長に正気に戻ってもらおう。
僕が寂れた街道に着陸すると、ティトゥは文字通りの意味でトレモ船長を叩き起こした。
トレモ船長は、ティトゥに叩かれた両頬を押さえながら操縦席の中で立ち上がると、遠くに見える港を呆けた顔で眺めた。
『バ・・・バカな。あれは間違いなくルクル・スルーツの港。こんな短時間でもうルクル・スルーツまで到着したってのか』
いつまでも動かない船長に、ティトゥが焦れて声をかけた。
『それで、ハヤテはここからどっちに向かえばいいんですの?』
『え? あ、す、すみません! ええと・・・大体の位置なら分かるんですが』
トレモ船長は言い辛そうに返事をした。
彼の煮え切らない態度に、ティトゥが不愉快そうに眉間にしわを寄せる。
『その、申し訳ございません。てっきり船で行く事になるとばかり思っていましたので』
どうやらトレモ船長は僕が直接バーバラ島まで飛ぶとは想像もしていなかったようだ。
僕に乗って行くのは自分の港町まで。そこからは船に乗り換えると思っていたらしい。
『あっ! ホラ! ハヤテも今、”自分の港町”と言いましたわ! 港町アンブラはトレモ船長の町じゃないですわよ!』
あ、いけね。ティトゥの間違いがうつってしまった。そしてティトゥのこのドヤ顔である。そんなに喜ぶ所? まあ、可愛いからいいけどさ。
それはともかく。トレモ船長は自分の――じゃなかった、港町アンブラで船を手配して、そこから船でバーバラ島に渡るつもりだったらしい。
『バニャイア商会に戻れば海図もありますし、それがあれば正確な場所が分かるのですが』
『そう。だったら早く港町アンブラに向かいましょう』
『しかし、アンブラに向かおうにも、ハヤテ様は船は大きすぎて定期船には乗れませんが?』
不思議そうに言うトレモ船長に、不思議そうな顔になるティトゥ達。
あ、これ分かった。トレモ船長の常識では、都市国家間は船で行き来するんだな。
確かに、この辺は平地が少ないし、陸路で移動しようとしたら、峠をいくつも越えないといけない。
だったら海路の方が全然早いし楽という訳だ。どうせ目的地は港町なんだしね。
国が違えば生活も違う。分かってはいるけど、ちょっとしたカルチャーショックって感じだな。
ティトゥは不思議そうにトレモ船長に言い放った。
『船になんて用はないですわ。直接、ハヤテで向かうに決まっているじゃないですの』
『ま、また空を飛ぶんですか?!』
ギョッとするトレモ船長。相変わらず、僕と行く空の旅がお気に召さないらしい。
ティトゥは渋る船長を無理やり胴体内補助席に押し込んだ。
「ギャウー! ギャウー!(ママ手伝う! 私も手伝う!)」
『痛たたたっ! 足を齧らないで下さい! 分かりました! 大人しくしますから!』
ファル子に足を噛まれて、トレモ船長は悲鳴を上げた。
おっと、飛び立つ前にこれだけは聞いておかないと。
「ティトゥ。トレモ船長に港町アンブラの場所を聞いてくれないかな」
『そうですわね。どうせ飛び立ったら、また会話が出来なくなるでしょうし。船長、ここからアンブラにはどう行けばいいんですの?』
船長の説明によると、港町アンブラは、ここから海岸に沿って西に向かって一つ目の港町だそうだ。
『そうですの。では出発! 前離れー! ですわ』
「「キュキュー!(離れー!)」」
こうして僕はテイクオフ。都市国家連合最初に訪れた港町を離れて、港町アンブラを目指すのだった。
という訳で港町アンブラに到着。
早すぎるって? まあすぐ隣だし。
ぶっちゃけ、上昇した時点で、既に視界に入っていたから。
僕は早速、寂れた街道に着地した。
どうやら都市国家にとって、街道はあくまでも補助的な交通手段であって、日頃はあまり利用されないらしい。
嵐で海が時化て船が出せない時くらいしか、利用価値がないんだろうな。とか思っていたら、嵐の時には峠でも土砂崩れの危険があるために、街道は通行止めになるんだそうだ。
言われてみれば確かに。けど、だったらなおさら、街道の利用価値って無いんじゃないだろうか?
そんな利用者の少ない街道だが、幸い、すぐに農家のオジサンの荷馬車が通りかかった。
なんでも港町アンブラに作物を売りに向かっていた所、何だか良く分からない物が空から降りて来たので、慌てて様子を見に来たんだそうだ。
大した野次馬根性だ。
オジサンはポカンと口を開けて僕を見上げた。
『ほえ~。これはまた大きな・・・ええと、何なんですかね? コイツは?』
『ドラゴンですわ』
「どうも、ドラゴンです」
『しゃ、喋った?!』
てな事がありながらも、トレモ船長はオジサンに事情を説明して、港町アンブラまで乗せて貰える事になった。
ティトゥはトレモ船長に付いて行きたそうにしていたが、カーチャに睨まれて黙り込んだ。
一応、ここは都市国家連合の港町――ミロスラフ王国に軍勢を差し向けた相手なのだ。
いざという時に僕が駆け付けられない場所に行くのだけは勘弁して欲しい。
『商会で海図を借りたら、すぐに戻って参りますので』
こうしてトレモ船長は、オジサンの荷馬車に相乗りして港町アンブラへと向かったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは港町アンブラ。
荷馬車が門をくぐると、トレモ船長は「帰って来た」という思いに安堵のため息をついた。
勿論、まだ何も終わっていない。船と船員達はナカジマ領に残したままだし、商会で海図を入手した後は、また地獄のような空中飛行が待っている。
それにたどり着いた故郷の島で、船の代わりとなる品物が見つかるかどうかは分からない。
大体、幼い頃に飛び出したまま、実家には一度も連絡を取っていない。今更、どの面を下げて戻れるというのだろうか。
(だが、フランコさんには迷惑をかける事だけは出来ない)
バニャイア商会の商会主フランコは、行くあての無い自分を雇い、一人前に育ててくれた大恩人だ。
人間としても尊敬の出来る人物だし、トレモの商人としての目標でもある。
直々に船を任された時には、感激のあまり地に足が付かなかった程である。
そんな彼の信頼を裏切るなら、死んだ方がまだマシだ。恥を忍んで実家に頭を下げるくらいどうという事は無い。
それにナカジマ家当主のティトゥ・ナカジマは、温厚な性格に見える。
こちらが誠意を尽くして対応すれば、無理な要求はして来ないのではないだろうか。
(とはいえ、気を緩めたらダメだ。実際、ナカジマ家の家老だか執事だかの老人はかなりヤバそうだった)
家老だか執事だかの老人は、元宰相のユリウス・ノーシスである。
トレモ船長が彼を恐れるのも仕方がない。
長年に渡ってミロスラフ王国を切り盛りして来た逸材と、たかだか都市国家の商会の従業員。積み重ねて来た経験と背負って来た責任があまりに違い過ぎた。
「おっと、ここで十分だ。停めてくれ」
「へい。旦那」
農夫が荷馬車を停めると、トレモ船長はヒラリと飛び降りた。
トレモ船長は農夫にいくらかの謝礼を渡すと、大通りの一角を占める大きな商会へと足を向けた。
・・・・・・。
商会主フランコに、一体どう説明すればいいのだろうか?
それを考えると、トレモ船長は緊張と気後れで思わず足が止まってしまった。
トレモ船長は、フランコの怒りが――そして何よりも失望が怖かった。
トレモ船長は、グッと奥歯を噛みしめると、無理やり足を踏み出そうとした。
その時、見慣れた馬車が大通りをこちらに向かって来た。
御者は商会の前で立ち尽くす青年――トレモ船長を見つけると、驚きの声を上げた。
「トレモ?! お前さん戻っていたのか!」
馬車はバニャイア商会のものだった。
(商会の馬車? まさか、乗っているのはフランコさん?)
トレモ船長が緊張に思わず息を呑む中、馬車から「停めて!」と女性の声が上がった。
若い女性の声だ。トレモ船長は声の主に心当たりがあった。
御者が慌てて馬車を停めると、待ちきれないように馬車のドアが中から開かれた。
「トレモ! 戻って来てくれたのね!」
「アデラ様。一体どうされたのですか?」
馬車に乗っていたのはフランコの娘、アデラだった。
可憐な少女は青ざめた顔で、いつになく取り乱している。
トレモ船長は悪い予感が湧き上がって来るのを感じていた。
次回「姫竜騎士」