中間話4 王都の路地裏の出会い
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私はさっき見かけた銀髪の女の子を追って、王都の狭い路地裏を走っています。
何度か足元で湿った泥をはねた気がします・・・汚物じゃないですよね?
そう考えると水分を吸って湿った靴下が気持ち悪いです。
メイド服に染み付いた匂いは落ちるでしょうか?
私は恐怖と情けない気持ちで一杯になりました。
それにさっきから背中の痛みがズキズキと頭に響きます。
傷口が開いたのかもしれません。
私、何をやっているんだろう。
そんな考えが頭にこびりついて離れません。
危険と知っていながらこんな場所を走っている自分がイヤになります。
どうやら女の子は複数の男達に追われているようです。
薄汚い、いかにも浮浪者、といった人達です。
王都にはこういった人達が大勢いると聞いた事があります。
色々な理由で住んでいる場所を失って、王都に流れ着いた人達だそうです。
ここ数年の不作でそういった人が増えているとも聞きました。
中には先月の戦争の被害者の人もいるでしょう。
今は夏場ですが、冬の寒さが厳しくなると、毎日のようにこういった人達が路地裏で凍えて命を落とすといいます。
あっ! これは少し良くないかもしれません。
女の子が向かっている先にあるのは確か城壁で、そこで行き止まりになるはずです。
私は一か八か、先回りを試みることにしました。
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ランピーニ聖国・第八王女マリエッタは必死になって狭く汚い路地裏を走っていた。
幸いなことに、路地裏は木箱やゴミで仕切られ、人一人しか通れない細い迷路のようになっていた。
そうでなければ、彼女はとっくに男達に追い付かれていただろう。
だがその幸運も長くは続かなかった。マリエッタ王女の目の前に石造りの壁が立ちふさがったのだ。
王都ミロスラフの城壁である。
一度戻って他の道を行くことはできない。後ろからは彼女を追う男達の声が聞こえてくるからだ。
戻るどころか今にも追いつかれそうだ。
焦ったマリエッタ王女は他の道を探した。
右のゴミの山は頑張ればよじ登って越えられそうだ。
彼女は高価な服が汚汁で汚れるのにもかまわず、ゴミの山に手を掛けた。
全身を汚しながらゴミの山をよじ登るマリエッタ王女。
何とか上り切った彼女はゴミの山の上から先を見下ろした。
幸いなことに通路が抜けているようだ。行き止まりという事ではなかったらしい。
だが、マリエッタはそこで思わぬものを見付けて動きを止めた。
そこにいたのは、こちらを見上げて唖然とするメイド服の少女だった。
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先回りをしたつもりがそこは行き止まりでした。
目の前にはゴミが山と積まれています。
私は慌てて辺りを見渡しました。
男達の声が聞こえます。すぐにでも女の子は追い付かれそうです。
今から戻って違う道で追いかければ・・・
ダメだ、間に合わない――
最悪の予想に私の心臓は激しく鼓動を打ちました。
私にはもうどうすることもできないのでしょうか?
呼吸を荒くしながら、私はただ目の前のゴミの山を見つめていました。
するとゴミの山を乗り越えて誰かがひょっこり顔を出しました。
愛らしい整った顔立ちに、すっかり汚れてしまった高価な服。
それは私が追いかけていた銀髪の女の子でした。
私達はしばらくの間お互いに見つめ合ったまま固まっていました。
私は追いかけていた女の子が不意に現れた驚きに、女の子の方はこんな場所にメイドの娘がいることの驚きに。
私達の時間を動かしたのは、ゴミの山の向こうの男達の声でした。
その声に押されるように、女の子が慌ててゴミの山を滑り降りてきました。
私は急いで女の子のところまで駆け付け、転倒して膝を付く彼女を助け起こします。
「早く向こうに!」
そう言うと私は急いでゴミの山をよじ登りました。
女の子は驚きに目を丸くしています。
「なんだ! お前は!」
ゴミの山の向こう側で女の子を捜していた男達の一人が、ゴミの山から顔を出した私を見付けます。
その声に男達が全員私の方を見ました。
私は内心、恐怖に怯え上がりましたが、グッとお腹に力を入れると逆に睨み返してやりました。
「私はマチェイ家のメイドです! 私は仕事でここにいます! あなた方こそここで集まって何をしているんですか?!」
後で考えると、この時名乗る必要は無かった気がします。しかし、慌てていた私はそんなことには気が付きませんでした。
それに仕事で路地裏のゴミの山をよじ登ることなんてないでしょう。もっと上手い言い訳はなかったんでしょうか?
そもそも、この時の私はなんでゴミの山を登って、わざわざ男達の前に顔を出したのでしょう?
自分でももう何をやっているのか分かりません。
しかし、私の口からマチェイ家――貴族の家の名前が出たからでしょうか。男達の腰が明らかにひけました。
元々庶民の、しかも今や何も寄る辺のない彼らにとって、貴族と関わるということは身の危険以外の何物でもないのでしょう。
明らかに目を泳がせると一人また一人と路地裏の奥に消えて行きました。
私はドキドキしていた胸を押さえます。
足から力が抜けてその場に思わず膝を付きました。
メイド服が汚れてしまいましたが、この時はそんなことにも気が付きませんでした。
私は大きく息を吐くと後ろを振り返り、そこに銀髪の女の子がまだいたことに驚きました。
彼女は逃げていなかったのです。
「危ない所を助けて頂き、ありがとうございました」
女の子が綺麗な銀色の頭を下げました。
その仕草の隅々まで気品を感じます。
良い家のお嬢様なのは間違いありません。
「私はマリエッタ・ランピーニ。ランピーニ聖国の第八王女です。この国の戦勝式典に参加するため、友好使節団の代表として参りました」
良い家どころではありませんでした。
外国の王女様でした。
私達庶民にとっては雲の上のお方です。
ランピーニ聖国といえばクリオーネ島にある立派な国だと聞いています。
私は頭の中が真っ白になって返事を返すことも忘れてしまいました。
・・・今思えばなんという失礼なことをしたのでしょうか。
無礼討ちにされずに済んで良かったと思います。
マリエッタ王女殿下は、そこで、あっ! という表情をなさいました。
殿下はまだ固まっている私に対して申し訳なさそうにおっしゃいました。
「今、頭を下げたことは内緒にしておいて下さい。今の私は聖国を代表する立場なので」
たかだかメイドに頭を下げるのは、聖国代表の行為としては相応しくないとのお考えのようです。
ようやく頭が働くようになった私は、慌ててカクカクと頷きました。
「助けてもらった上に申し訳ないのだけれど、あなたの主人のところまで案内して頂けないかしら?」
私の背筋がピンと伸びます。
王女様、何か私が粗相でもいたしましたか?!
・・・色々と粗相だらけだった気もします。マズイです。もしや無礼討ちでしょうか?
冷や汗がこめかみを伝いました。
「私、ここが何処か分かりませんし、汚れた服で王城に戻るわけにもまいりませんから」
「・・・承りました」
私の首はつながったようです。
次回「中間話5 王都の大通りの出会い」