プロローグ 謎の港
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ミロスラフ王国の西の沿岸を、一隻の大型船が漂っていた。
古い聖国製の大型船だ。
大型船とは言ったものの、現在ではこれよりも排水量の大きな船が多数、就航している。
そのため今となっては中型船に分類されるべきなのかもしれない。
船倉から見るからにガラの悪そうな強面の船員が上がって来ると、船橋に立つ船長に声をかけた。
「ダメだ船長。水漏れが酷い。こんな状態で外洋に出るなんざ自殺行為だ。一度港で修理をしないと、とてもじゃねえが聖国までもたねえよ」
「ちっ。ツキがねえな。ミロスラフ王国の港町だとボハーチェクか。大分引き返す事になるがしゃーねーか。これ以上浸水すると積荷が台無しになっちまう」
船長はガシガシと頭を掻いた。
大型船の船長にしては随分と若いようだ。
伸ばし放題の髭のせいで分かり辛いが、日に焼けた肌はシミも皺もなく、肉体は良く引き締まっている。
おそらくはまだ二十代。三十歳には届いていないのではないだろうか。
長く伸ばした茶色のくせ毛は、作業の邪魔にならないように後ろで一つにまとめている。
船に不調が発見されたのは今朝の事。
夜の間に船倉に大量の汚水が溜まっていたのだ。
どうやら船縁の板の一部が痛み、そこから海水が侵入したらしい。
応急修理が可能かどうか試していたが、これ以上の修理は船の外から行う必要があるようだ。
帆柱の上。見張り台の船員が叫んだ。
「船長! 船だ! 船が陸地に向かってる!」
「なに?! こっちに向かっているのか?! まさか海賊船か?!」
船長の顔が緊張に引き締まった。現在、船は修理のために帆を下ろしている。
仮に今すぐに帆を張ったとしても、速度が乗るまでには時間がかかってしまう。
それではこのボロ船では逃げられない。
「いや、こっちじゃねえ、陸地の方に向かっている! それに海賊船じゃねえ、あれは大型商船だ!」
船長は見張りの言葉にホッとすると同時に怒りを覚えた。
彼は見張りを怒鳴りつけた。
「バカ野郎! そんな事をいちいち大声で報告するんじゃねえ!」
「でもよ、船長。おかしいじゃねえか。大型の外洋船だぜ? どうしてそんな船が陸地になんて向かっているんだ?」
言われてみれば確かにそうだ。
ミロスラフ王国には大型の商船が停泊出来る港はボハーチェクしかない。
そしてボハーチェクはここからずっと南に位置している。
ならば大型船は、一体何処に向かっているのだろうか?
彼はこの船の船長だが、本来は商人である。
そして商人は好奇心旺盛で鼻が利く。
彼は大型船の動きに、何か商売の匂いを感じ取った。
「よし! 帆を上げろ! その大型船の後をつけるぞ!」
「いいんですか?! 船長。浸水はまだ完全には止まっていませんぜ?!」
「なに、ちょっと見に行くだけだ。それに外海に出る訳じゃねえ。直ぐに引き返せば、今日中にボハーチェクにたどり着けるだろうぜ」
船長の命令で帆が上がると、船は静々とミロスラフ王国の沿岸を進み始めるのだった。
「港だって?! おい、コイツは一体どういうこった?!」
突き出した半島を回り込むと、そこには大きな港湾が広がっていた。
まだ作りかけの港らしく、あちこちで足場が組まれ、陸地にも建物は数える程しか建っていない。
湾内にポツポツと小舟が浮かぶ中、その先には先程の大型船が停泊しているのが見えた。
「こんな所に港を作っているなんて話、聞いた事もねえぞ。おい、ここはなんて場所だ? 誰か知っているヤツはいないのか?」
船員達は互いに顔を見合わせるだけで誰も答えない。
彼らは半島の南にある港町の住人――いわゆる都市国家連合の住人であって、ミロスラフ王国の世情には詳しくない。
この土地がペツカ湿原地帯と呼ばれている事も、ここがこの国に初めて誕生した女当主が治めるナカジマ領である事も知らなかった。
「どうします? 船長?」
「そうだな・・・陸に下りて話を聞くか。上手くいけばここで船の応急修理も出来るかもしれねえ。おい! カッターを下ろせ!」
カッターはカッターボート。短艇とも呼ばれる大型の手漕ぎボートである。
船が直接乗り入れられないような場所に、船員や物資を輸送する際に用いられる。
船長は、カッターボートで自ら港に乗り込んで、船の受け入れを申請する事にしたようである。
カッターが水面に下ろされると、次々と船員達が乗り込んだ。
一気に男達でむさくるしくなったボートに、最後に船長が乗り込んだ。
「船はこのまま待機だ。ここなら他の船の出入りの邪魔にはならねえだろう。手の空いた者は総出で船倉に溜まった汚水を掻き出――」
「せ、船長! あれ! あれを見て下さい!」
船長の言葉は船員達の大声で遮られた。
彼らは驚きの表情で海面の一点をしきりに指差している。
船長の目が訝しげに細められた。
「何だ? 別に何もねえ――って、何だありゃあ?!」
穏やかな海面が揺らめくと、小さな頭がニューッと突き出した。
大きさは中型犬くらいだろうか。見た目はトカゲ等の爬虫類っぽいが、クリリと目が大きく、愛嬌のある顔立ちをしている。
背中の鱗は薄ピンクの桜色。
謎の生き物はこちらを見ると、不思議そうに「ギュウ(なに?)」と鳴いた。
「何だあの生き物は?! 見た事がねえぞ?! おい、誰か知っているか?!」
「あんな生き物知りませんぜ! この辺じゃ見たこともねえ!」
「捕まえましょうぜ、船長! きっと高く売れますぜ!」
「あっ! おい、お前ら!」
船員達は船長の返事も待たずに、一斉にボートを漕ぎ始めた。
「いいぞいいぞ、逃がすなよ!」
「すばしっこいぞ! 先回りしろ!」
船の上の仲間達からやんややんやの大喝采が送られる。
湾内で謎の生き物とカッターボートの逃走劇が繰り広げられた。
「ギャウギャウ!(ええっ?! なんで追いかけて来るの?!)」
「オーエス! オーエス!」
「頑張れ! もう少しで捕まえられそうだ!」
謎の生き物は泳ぎ疲れたのか、次第に速度が遅くなっていった。
やがてボートが追いつき、謎の生き物に手が届きそうになったその時だった。
「「「「コラア! お前ら、ハヤテ様の子供に何をやっとるんだー!!」」」」
怒りに顔を真っ赤にした男達を乗せたボートが、続々と港から押し寄せて来た。
「えっ? 何だ?」
港から来たボートは船長達のボートを取り囲んだ。――かと思いきや、荒くれ者共がボートに乗り込んで来た。
「おいバカ、止めろ! それ以上乗るな! 沈むって! ボートが沈むって言ってるだろうが!」
「うるせえ! ファルコ様に手を出してタダで済むと思うなよ!」
「そうとも! みんな、やっちまえ!」
「「「「おおーっ!!」」」」
男達は船長の制止の声を振り切って、次々とボートに乗り移った。
船員達は訳も分からないまま、男達に組み付かれては海中に転落していく。
船長も顔と言わず体と言わず、荒くれ者共にボコボコに殴られて海中に引きずり込まれた。
「ゲホッ! ゲホゲホッ! ――バ、バカ野郎! こ、殺す気か!」
「この野郎! まだ抵抗するか!」
「やめ・・・本当に死ぬ! 参った! こ、降参だ! た、助けてくれー!」
船長は水中でも男達にのしかかられ、溺れかけながら降参した。
男達の大騒ぎをよそに、謎の生き物は――ファル子は、空になったボートにしがみつくと「キュウ・・・(疲れた・・・)」と、大きなため息をついたのだった。
次回「ナカジマ領の夏」