閑話15-4 本気のモニカ
この日は珍しく僕のテントにティトゥ達の姿がなかった。
今朝になって突然、ナカジマ家のご意見番、ユリウスさんが、ティトゥには貴族家当主の教育が必要だ、などと言い出したためである。
何を今更と思ったら、原因は昨日、王都からコノ村に戻って来た、聖国メイドのモニカさんにあったらしい。
どうやら彼女の口から、王都でのティトゥの様々な活躍(?)が届いてしまったようだ。
それはまた、なんというか――うん。ご愁傷様。
今頃ティトゥはユリウスさんから、厳しく貴族社会のあれこれを叩きこまれているはずである。
これで少しはティトゥの社交界嫌いと言うか、苦手意識が治ればいいんだけど・・・あれで彼女は結構頑固だし、正直言って望み薄かな。
そんな訳で僕は、ポッカリ空いてしまった時間を、ファル子とハヤブサのリトルドラゴンズと親子水入らずで過ごしていたのであった。
僕の翼の上で昼寝をしていたハヤブサがふと頭を上げた。
その直後、テントの入り口からメイド少女のカーチャが現れた。どうやらハヤブサは彼女の足音を聞きつけたようだ。
「ギャウー! ギャウー!(カーチャ姉! おやつ!)」
『ハヤブサ様、少し待って下さいね』
カーチャはポケットからスマホサイズの大きなクッキーを取り出した。
ハヤブサの声にファル子も目を覚まして騒ぎ出した。
「ギャウー! ギャウー!(おやつ! 私にもおやつ頂戴!)」
二人はカーチャからクッキーを貰うと、バリバリボリボリと齧り出した。
そのもの凄い音にカーチャは苦笑した。
『とても食べ物を食べている音とは思えませんね』
確かにね。
今の音からも分かるように、実は二人が食べているのはクッキーではない。料理人のベアータが全力で作った、とびきり固い”堅パン”である。
ちなみにティトゥは一口齧っただけで、『歯が欠けてしまいそうですわ』と言って顔をしかめていた。
味付けも何もなく、固さに全振りしたようなゲテモノ料理だが、ファル子達にとってみれば、歯ごたえがあって美味しいおやつらしい。
二人揃って、フウフウ唸り声をあげながら、一心不乱に堅パンを噛み砕いている。
つい先日。ファル子達は脱皮を済ませて、一回り大きくなった。
しかし、二人の変化は外見だけに留まらなかった。
なんと二人は体が成長した事で、自力で大気中のマナを体に取り込む事が出来るようになったのだ。
つまりは僕の出すおにぎりに頼らなくても良くなった、という訳だ。
事情を聞いたティトゥは、早速、色々な料理をファル子達に与えた。
しかし、二人はそのどれにも見向きもしなかった。
柔らかい食べ物の食感や料理の匂いがどうにもダメだったらしい。
『お肉やお魚も食べないと大きくなれませんわよ』
ティトゥはそう言って、渋るファル子達に料理を食べさせたが、その夜、二人はお腹が緩くなってしまった。
どうやらドラゴンには人間が食べるような料理は合わなかったようだ。
「ファル子達は人間じゃないんだから、無理に君と同じ物を食べさせるのは止めた方がいいと思うよ」
『――そうですわね。ねえ、ハヤテが子供の頃は何を食べていたんですの?』
僕? 僕が子供の頃は、コーンの入った甘口カレーやハンバーグ、それと回転寿司の玉子焼きなんかが好物だったけど、今はそういう話をしている訳じゃないよね。
結局、二人が気に入ったのは、生の穀類や乾燥させた豆だった。
どうやらドラゴンは、歯ごたえがあって匂いの少ない食べ物が好みのようだ。
なんだか僕の知っているドラゴン像とは、随分イメージが違うなあ。
しかし、料理人のベアータはあきらめなかった。
せっかくファル子達がおにぎり以外も食べられるようになったのなら、二人にも自分の作る料理を食べて貰いたい。
そう思った彼女は色々と工夫を凝らし、この堅パンを完成させたのである。
カーチャはしばらくの間、賑やかなおやつ風景を眺めていたが、ハッと何かを思い出して僕を見上げた。
『そうだ。ハヤテ様に用事があって来たんでした。ハヤテ様、モニカさんがどうしても大至急、お国に戻らなければならない用が出来たんだそうです。出来るならハヤテ様に送って欲しいと言っていましたが、大丈夫でしょうか?』
モニカさんが? 僕に頼み事をするなんて珍しいね。
クリオーネ島なら大した距離じゃないし、僕なら別に構わないけど?
『ヨロシクッテヨ』
「「ギャーウー(りょーかい)」」
カーチャはファル子達の飲み水の用意をすると、『それではモニカさんに知らせて来ますね』と言ってテントを出ていった。
この時、僕はモニカさんの頼み事を簡単に考えていた。何度も往復した事のあるランピーニ聖国にまた行けばいいだけ。そう考えていたのである。
しかし、僕の考えは甘かった。モニカさんの大至急の用事とは、彼女にとって正真正銘、本気の用事だったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはランピーニ聖国の聖王都。その中心にそびえ立つ白亜の城。
怒りの形相で王城の中庭に飛び出して来たのは、真っ赤な髪の三十歳前後の派手な美人――この国の宰相夫人カサンドラ・アレリャーノである。
贅を凝らして飾り立てられていた城の中庭は、今は見るも無残に荒らされている。
カサンドラは詰めかけていた近衛兵を押しのけると、この惨状を生み出した原因に直接怒鳴り込んだ。
「モニカ! あんた何でまたハヤテで王城まで乗り込んで来たのよ!」
そう。彼女の目の前で、申し訳なさそうに大きな体を小さくしているのは、ミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテである。
カサンドラの剣幕に驚いて、操縦席の中から興味深そうに周囲を見回していたリトルドラゴン達が慌てて首を引っ込めた。
当のモニカはハヤテの操縦席からヒラリと降りると、逆にカサンドラに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「それどころじゃないわカサンドラ! あなたがいながら一体何をやっていたのよ!」
「――えっ? 何って何?」
滅多にないモニカの怒りの形相に、怒鳴り込んだカサンドラの方が鼻白んでしまった。
モニカはチラリと周囲の近衛兵達を見回すと、「いいから部屋を用意して。話はそこでしましょう」と、一方的に話を打ち切った。
「・・・分かった。こっちよ」
二人は戸惑うハヤテを後に残して、王城の中に入って行ったのだった。
王城の応接室。モニカは世話役のメイドを追い出して二人きりになると、カサンドラに説明を始めた。
「サルート家に先を越されたわ」
「サルート家? チェルヌィフ王朝の帆装派のあのサルート家かしら?」
モニカはティトゥが即位式に参加する予定に合わせて、ミロスラフ王国の王都へ行っていた。
その期間は、往復にかかった日数も合わせて、大体二ヶ月。
モニカがコノ村を離れていたのはたったそれだけの間に過ぎない。
そして昨日、モニカは王都での仕事を終えてコノ村に帰って来た。そして彼女は帰還して早々、彼女がミロスラフ王国で利用していた商会主、セイコラ老人に泣き付かれてしまったのである。
「大変です、カシーヤス様!(※カシーヤスはモニカの家名) チェルヌィフ商人共が我々の利権を狙って押し寄せて来ました!」
モニカは旅装を解く間もなく、セイコラの用意した馬車に乗り込むと、コノ村の北にあるドラゴン港予定地へと向かった。
そこで彼女が見たのは信じられない光景だった。
たった二ヶ月、彼女がコノ村を離れていたその間に、ナカジマ家の港――ドラゴン港に、外洋船が停泊していたのである。
もちろん、巨大な港の施設の全てが完成していた訳ではない。それどころかほとんどの施設が現在も工事中である。
しかし、大型船用のふ頭の工事は、特に優先されていたらしく、現状でもほぼ使用に問題が無いように見えた。
実際、モニカ達の目の前では、ふ頭に錨を下ろした巨大な外洋船から次々と荷が降ろされていた。
「あ、あの外洋船は一体・・・?」
「チェルヌィフ商人のヤツらです! あの紋章は間違いなくサルート家の水運商ギルドのものです! ヤツら、ナカジマ家の商売に食い込むつもりでいるんですよ!」
モニカの顔色がサッと青ざめた。
いかにランピーニ聖国が大国とはいえ、大陸の覇者であるチェルヌィフ王朝には敵わない。
しかもチェルヌィフは商人の国である。そのチェルヌィフ商人がナカジマ領に本格的に参入するとなれば、いくら聖国の後ろ盾があるとはいえ、セイコラ商会程度では足元にも及ばない。
「しまった・・・ハヤテ様達がチェルヌィフに行っていた以上、こうなる可能性もあると考えておくべきだった」
常識的に考えれば、大陸の最大国家チェルヌィフの、しかも六大部族の帆装派の筆頭サルート家、そのお抱えの巨大ギルド水運商ギルドが、半島の僻地、小国ミロスラフ王国の、しかも弱小新興領地に直接販路を伸ばすはずはない。
地球で言えば、アメリカの石油系巨大企業複合体――いわゆる石油メジャーが、日本の寒村で沸いた石油の開発に資本を投入するようなものである。
普通に考えればあり得ない。
しかし、そのあり得ない事をやるのがハヤテ達竜 騎 士ではなかったのだろうか?
竜 騎 士は普通じゃない。
モニカはその事を良く知っていたはずである。しかし、知っていたはずの彼女の、更に斜め上を行くのが竜 騎 士の二人であった。
「ふ・・・ふふ・・・ここまで私を翻弄しますか。いいでしょう。ならば私はお二人の更に上を行ってみせましょう」
「あ、あの、カシーヤス様?」
どうやらモニカは、ショックのあまり、なんだか妙なテンションになってしまったようだ。
セイコラ老人の心配する声も右から左に抜けているのか、返事も返さない。
モニカの目は既に外洋船を映していなかった。彼女の目に浮かんでいるのは、外洋船の背後にそびえ立つ巨大な敵。
今もテントの中で、子供達から「パパはどうやって空を飛んでいるの?」と聞かれて、「う~ん、翼端渦って言って分かるかなあ。飛行機の翼は断面の形状がね――」などと、うろ覚えの知識で一生懸命説明しているハヤテの姿が浮かんでいた。
モニカの話はカサンドラにとっても寝耳に水だった。
「マズいわね・・・」
カサンドラはティトゥ達竜 騎 士の心を聖国に引き寄せるため、昨年の海賊退治の報酬の大盤振る舞いをしていた。
このままチェルヌィフ商人に好きにやらせては、それらの投資が全て無駄になってしまう。
もちろん、いっそここで諦めて損切りする、という選択肢もあるにはある。
「――いや、それだけは無いわね。国防上、竜 騎 士は絶対に味方としてつなぎ止めておかなければならないわ」
あのバカげた力が敵に回る。そんな可能性を残すのは、最大級の悪手である。
カサンドラが覚悟を決めるのは早かった。
「――やるしかないわね」
「――流石はカサンドラ様。あなたならそう言って下さると思っていました」
カサンドラはモニカに向き直った。
「責任は私が取るわ。手段はあなたに任せます。予算も好きに使ってくれて構わないわ。水運商ギルドと言えど、チェルヌィフに数ある大手ギルドのひとつに過ぎない。このランピーニ聖国の本気の支援に敵う訳はないのよ」
こうでなければ、聖国一の才女と名高いカサンドラではない。
モニカは我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。
「ならば先ずはドラゴン港の建設に食い込みましょう。幸い、都市に張り巡らされる水路の工事は、未だ手つかずの状態です。運河と倉庫街さえこちらで押さえられれば、チェルヌィフ商人も自由には出来ないはずです。商会と技術者の紹介をお願いします」
「運河って――そりゃあ、あのハヤテなら当然、運河の利用も考えるか。はあ・・・これは本腰入れないとダメなヤツね」
カサンドラは頭痛を堪えるように目頭を揉んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ミロスラフ王国の歴史を振り返る上で、最も輝かしい時代に数えられる英雄王カミルバルトの治世。
しかしそれは、聖国との関係を抜きにしては語れない。
ミロスラフ王家の歴史上初めて、聖国王家から輿入れした王妃パロマ。そして聖国の資金協力によるナカジマ領の開発。
この二点に与えた聖国の影響は計り知れない。
本気になったモニカは、これ以降、聖国王家を後ろ盾にナカジマ領の開発に積極的に関わっていくようになるのである。
これで今章の閑話は終わりとなります。
第十六章の開始をお待ち下さい。