エピローグ ハヴリーン老の誤算
今回で第十五章が終了します。
予約投稿日を間違えて本日は二話まとめて投稿してしまっています。
読み飛ばしにご注意下さい。
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ミロスラフ王国から南に向かい、山脈を挟んだ半島の最南端。
都市国家連合を形成する五つの港町。その中でも最大の都市、ルクル・スルーツ。
その評議会会館の一室。
老人は手にした報告書をグシャリと握りつぶしていた。
「バカな! どうしてこんな事に!」
老人はルクル・スルーツの評議会議長、エム・ハヴリーン。
ハヴリーン老の顔からは、いつもの人好きのする笑みは消え去り、鬼気迫る顔つきで目の前の報告書を睨み付けていた。
「メルトルナ軍がたった一戦で敗れただと・・・。これでカミルバルトに対する包囲網の最後の一角が消えてしまった。何故だ。何故こんな事になってしまったのだ」
報告書はミロスラフ王国の東の大貴族、メルトルナ家の敗北を知らせるものだった。
メルトルナ軍は領境で国王軍と対決。鎧袖一触で蹴散らされた。
メルトルナ軍は惨敗。当主のブローリーは戦いの中で討ち死にしたとの事である。
逆に国王軍側の被害は軽微。完全勝利だったそうだ。
報告書の日付は四日前となっている。
戦場となったメルトルナ領境から西、王都とネライ領を突っ切り、ボハーチェクの港から船に乗り、ここ、ルクル・スルーツに到着したと考えれば、驚異的な速さでもたらされた報告書と言ってもいいだろう。
現地の工作員は、この情報の持つ重要性を正しく理解していたようである。
だからと言って、怒り狂うハヴリーン老にとっては何の慰めにもならないのだが。
「どうして、どうしてこうなった? ワシの策は完全に上手くいっていたはずだ。十日前にはそういう報告を受けておる。それが一体何故?」
ハヴリーン老が混乱するのも無理はない。
十日前の報告では、ミロスラフ王国の王都は、北のヘルザーム伯爵軍、東のメルトルナ軍、西のネライ軍、そして南の都市国家連合軍の、合計一万三千の軍勢に囲まれていたのである。
この計略の狙いはミロスラフ王国の新国王、カミルバルトの命。
ミロスラフ王国を仮想敵国と考える都市国家連合にとっては、同国に優秀な国王が誕生するのをみすみす見過ごす訳にはいかなかったのである。
目的はカミルバルトの命。ただし、カミルバルトまで届かずとも、内乱による戦火でミロスラフ王国の国土は荒れ果てるのは間違いない。復興には莫大な資金と長い年月を要するはずである。
この策の最良の結果は、勿論、カミルバルトの死と、それに続くミロスラフ王国内の内乱である。
しかし、もし失敗でも、この戦いによってミロスラフ王国は国土に重大なダメージを受け、今後しばらくの間はその国力は大きく低下するはずだったのである。
つまり、この包囲網が完成した時点で、ミロスラフ王国にとっては勝利は無かったのだ。
カミルバルトの勝ち負けは、被害が莫大になるか大きくなるかの差でしかなく、逆に都市国家連合にとっては、相手に損害を与えられた時点で目的を達成していたのである。
しかし、実際はそうはならなかった。
包囲網完成の報告が届いてから、時間にしてほんの十日。
カミルバルトはたったの十日で、ハヴリーン老が時間と予算をつぎ込んだ包囲網を、ほとんど無傷で乗り切ってみせたのである。
「分からん! 分からん! 一体あの国で何が起こったのだ!」
ハヴリーン老は、報告書の束を机にぶちまけると、目を血走らせながらミロスラフ関連のものを古い順番により分けた。
「――最初は、これか。都市国連合軍の行軍の遅れの報告だな。崖が崩れて道が塞がったと。大きな鳥が崖を破壊して土砂崩れを起こしたと言っている者もいる、か。そういえばこんな報告もあったか」
あの時は「何をたわけた事を」と、気にもしなかったが、この後、連日土砂崩れが続いた事を考えると、何者かによる妨害工作だったのは間違いない。――大きな鳥というのは良く分からないが。
ともあれ、これで包囲網の南の軍は身動きが取れなくなってしまった。
と言ってもこの時点では許容範囲の誤算で、包囲網の一角が不完全なものになっただけの事だった。
「次は、王都で国王の即位式があったとの報告、か。そして聖国の王女との婚約発表。・・・よもやこれがそれ程までに重要だったとは」
即位式自体は、元々延期されていたものを急遽執り行ったに過ぎない。
ハヴリーン老はそう考えていたが、重要なのはそちらではなく、同時に発表されたランピーニ聖国のパロマ王女との婚約だったのだ。
都市国家連合の港町に生まれたハヴリーン老は、ミロスラフ王国の貴族にとって、聖国の王女を王妃として迎え入れるという事にどれだけの価値があるか、正しく理解していなかったのである。
「これによって、カミルバルトは国内の貴族の支持固めに成功した訳だ。いくらワシでも流石に聖国にまでは手を回せん。まんまとカミルバルトにしてやられたという事か」
ハヴリーン老はそう言って悔しそうに顔を歪めた。
だがもし、カミルバルト本人が今の言葉を聞いていたら、さぞや困った顔をしていただろう。
してやられたも何も、カミルバルトは何もしていない。パロマ王女の方から婚約を申し入れて来たのだ。彼はそれを受けただけなのである。
「次は――ネライ軍の解散の報告か。あの時は突然で良く分からなかったが・・・なる程、ネライ家当主ロマオが王都から領地に戻っていたのか。しまったな。足止めを指示しておくべきだったか」
ハヴリーン老もロマオ・ネライ――”ネライの古狐”の動きには注意していた。しかし、王都の工作員が、ネライ屋敷が宰相の手配した騎士団員に囲まれるのを見て、「これなら大丈夫か」と、見張りの人員を下げてしまったのである。
人員の数には限りがあるし、もしも屋敷を見張っている所を騎士団員に見付かってしまっては厄介だ。
工作員の判断はあながち間違いとも言えないだろう。
しかしながら、結果として彼の判断が、ロマオが王都を脱出する隙を与えてしまう事になったのだった。
「しかしロマオは、どうやって誰にも見つからずに、この短期間で素早く領地に戻れたのか。その上、領地に戻って僅か数日で三都市の分家を瞬く間に懐柔してしまうとは。まるで全てを見通していたかのようではないか。流石はネライの古狐。恐ろしい男よ」
ハヴリーン老はまたも悔しそうに顔を歪めたが、もし、ロマオ本人が今の言葉を聞いていたら、いつもの険しい顔を不本意そうに歪めただろう。
恐ろしいも何も、彼はチェルヌィフ商人のシーロに言われるまま、ハヤテに送ってもらっただけだし、その後も、たまたま屋敷に逃げ込んでいたユリウス元宰相の計略を引き継いで、分家の当主を説得しただけだったからである。
「そして、小ゾルタのヘルザーム伯爵軍の敗北の報告、か。ピスカロヴァー伯爵軍に背後を突かれ、崩れた所を砦のミロスラフ軍にやられたと。何ともお粗末な。背後の備えくらいはしておくものだろうに」
ハヴリーン老はつまらなさそうに吐き捨てたが、これはあまりに一方的な見方が過ぎるだろう。
ヘルザーム伯爵は包囲網の北の役目をきちんと果たしていた。
南の都市国家連合軍が到着出来ずに足止めを食っていた事と、ネライ軍が動き出す前にロマオに解散させられた事、ネライ軍の動きを待ってメルトルナ軍が動かなかった事が、ヘルザーム伯爵軍にとって想定外だったのだ。
もしもこれら東西と南の軍のどれかが動いていれば、最悪、砦を無視して強引に国境を突破。王都を目指す、という手段も使えたのである。
道が開いていない以上は砦に背を向ける訳にもいかず、ヘルザーム伯爵軍はやむを得ず砦の攻略をしていた。
そこをピスカロヴァー伯爵軍の裏切りを受けたのだ。
――いや、今はピスカロヴァー王国軍であったか。
「そして、今日届いた報告書。東の大貴族メルトルナ家の敗北、となるか。・・・こうして順番に見て来たがやはり分からん。普通、計画には多少のミスや見落としがあるものだ。だとしても、どうしてこれほどの短期間で同時に多方面の策が失敗する。それとも、これがカミルバルトの力なのか? ヤツは悪魔と契約でもしているのか?」
勿論、ハヴリーン老は神も悪魔も信じていない。
しかしそんな彼でも、今回の一件には、人知を超えた超越的な存在の介入を感じずにはいられなかった。
ハヴリーン老の勘は正しかった。
超越者の介入は確かにあったのだ。
南の都市国家連合軍を足止めし、最終的に撤退にまで追いやり。
ランピーニ聖国のパロマ王女の婚約を(本人の知らない事とはいえ)後押しし。
ネライ家当主を、密かに彼の領地に送り届け。
ピスカロヴァー王国とミロスラフ王国の同盟を間接的に取り持ち。
メルトルナ軍の兵士達の心をへし折り、国王軍の勝利をアシストしていたその存在。
ただし、その存在と契約しているのはカミルバルトではない。ミロスラフ王国の農業地帯に生まれた、ピンクの髪をした貴族の美少女である。
そして少女が契約しているのは悪魔ではない。
彼女が契約しているのは、まだこの世界には生まれていない未来の兵器。
四式戦闘機・疾風である。
期間にして十日間。ハヤテはミロスラフ王国を南に西にと忙しく飛び回り、良かれと思って数々の事を行った。
そして彼の取った全ての行動が、結果としてハヴリーン老の策略のことごとくを粉砕していたのである。
ハヴリーン老がいくら頭から熱が出る程悩んでも、正解にたどり着けないのは当然だ。
彼は最初からハヤテの存在を――ミロスラフ王国のドラゴンの存在を――考慮に入れていないのだから。
最も、ハヤテ本人ですらも、自分の行動が巡り巡ってどういった結果をもたらしたのか、正確には理解していなかったのだが。
ハヴリーン老は背もたれに体を預けると、大きなため息をついた。
「今回は失敗を認めるしかない――か。カミルバルトを害するどころか、結果としてヤツが力を付けるきっかけを与えてしまったやもしれん。そう考えると業腹だが。
さて。ワシに繋がる証拠は残していないはずだが、しばらくは念のため大人しくしておくしかあるまい。
次の機会はカミルバルトが失策を行った時だな。その時に備えて糸だけは張り巡らせておくとしようか」
驚くべきことに、彼はまだあきらめてはいなかった。
獲物は網の口が閉じる前にスルリと逃げてしまったが、一度は罠にかかる寸前まで追い詰めていたのだ。
次はしくじらないようにやる。彼の執念深さは異常だった。
まるで蛇のように狡猾で、カラスのようにずる賢く、サメのように残忍。
それがこの老人、ハヴリーンなのである。
ハヴリーン老は立ち上がると部屋の奥に向かった。一杯飲んで気持ちを切り替えるために、酒を取りに向かったのである。
この時、彼は窓に背を向けていた。
だから気が付かなかった。
大きな窓の外。
このルクル・スルーツの町の遥か上空に、猛禽類のように大きな翼が悠々と飛んでいたのである。
それは四式戦闘機・疾風の姿だった。
「ハヴリーン老、後ろ後ろ!」といった所で第十五章も終わりとなります(笑)。
いつもの話数で終わらせるために、後半はやや急ぎ足だったかもしれません。
そのおかげ(?)かどうかは分かりませんが、どうにか予定通りの話数で終わらせる事が出来ました。
この後は何話か閑話を挟みつつ。次の章に取り掛かるつもりです。
他作品の執筆がひと区切りつき次第戻って来ますので、それまでは気長にお待ちいただくか、私の他作品を読みながら待っていて頂ければと思います。
最後になりますが、いつもこの小説を読んで頂きありがとうございます。
まだブックマークと評価をされていない方がいましたら、今からでも遅くありませんので是非よろしくお願いします。
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