その24 オルサークの竜軍師
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トマスの言葉は驚くべきものだった。
「ミロスラフ王国の一部になるのではなく、従属国として独立を認めさせるのです。ミロスラフ王国のピスカロヴァー地方になるのではなく、ピスカロヴァー王国として認めさせるのです」
ミロスラフ王国に吸収されるのではなく、従属国として独立、協力体制を敷くと言うのだ。
この発想にはピスカロヴァー伯爵の長男、グスタフも驚きで声が出なかった。
「そんな――そんな事が可能なのか?」
「ランピーニ聖国には、同様の従属国が存在しています。その例に倣えば良いかと」
「・・・なる程、確かに」
クリオーネ島に存在する国はランピーニ聖国だけではない。
島のほとんどは聖国の領土だが、小さいとはいえ、従属国が存在しているのだ。
なぜ聖国はそんな国を中途半端に残しているのか? 攻め滅ぼして吸収してしまえば良いのではないのか?
実は彼らは、早期に聖国に従属したために独立を守る事に成功したのである。
とは言っても、実際は聖国からの内政干渉を受け、独立とは名ばかりの属国となっているのだが。
「そんな形で生き延びても・・・」
「そうでしょうか? ゾルタの中で伯爵領として生きる事と、ミロスラフ王国の横で従属国として独立を守る事と、どちらが上でどちらが下なのでしょうか?」
「そ、それは・・・いや、しかし」
今まで彼らはゾルタ王家の臣下として、ミロスラフ王国を敵国とみなしていた。
心情的には、やはりミロスラフ王国に降伏するのは受け入れ難い。
しかし、ゾルタ王家が完全に彼らの味方だったのかと言えば、やはりそれもそうとは言えなかった。
むしろ先祖代々に渡って、王家から無体な要求を突きつけられた事や、あり得ない不義理を働かれた事など、腹に据えかねる出来事は枚挙にいとまがない。
ゾルタ王家とミロスラフ王国。感情的にどちらがより直接的に憎いかと言えば、むしろゾルタ王家に対しての方が恨みつらみが重なっているくらいである。
「――あくまでも私見ですが、ミロスラフ王国の新国王は、遠からずゾルタの平定に動くでしょう」
「!」
トマスの言葉に、伯爵の嫡男、ダンナは顔色を変えたが、これは改まってトマスに言われるまでもない話である。
伯爵の長男、グスタフはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ま、俺がミロスラフ国王でもそうするよな。大陸への入り口をふさぐような形で邪魔な紛争地域が広がっているんだ。当然、片付けたいと思うだろうさ」
伯爵は慎重論を唱えた。
「なら、その時になってから、ミロスラフに協力を持ち掛ければ――」
「それでは貸しを作れません」
「だな。ミロスラフにとっては、わざわざピスカロヴァー領を残すメリットは何もない。何だかんだと条件を付けられて、結果、ほとんどの土地を取り上げられるのがオチだろうな」
旗色を鮮明にするならば、早くなければ意味はない。
ギリギリになってから、「やっぱり味方になります」と言っても、「今更?」と思われて邪険に扱われるだけだろう。
「まあ、それでも嫡男が食うのに困らない分くらいは残してくれるんじゃないか? 相続権の無い俺なんかは絶望的だろうがな」
「グスタフ・・・」
グスタフは伯爵家の長男だが側室の子――いわゆる庶子なので相続権は無い。
いくらかの財産を与えられて追い出されるだけと思われる。
本人が飄々とした態度のせいか、不思議と悲壮感を感じさせないが、なかなかに悲惨な末路と言えた。
ピスカロヴァー伯爵は、姿勢を正すとトマスに向き合った。
「それで? 竜軍師は私にどうしろと言うのかな?」
「現在、ヘルザーム伯爵がミロスラフ王国の砦に攻め込んでいます。兵力は三千。その程度の敵であれば、ミロスラフ王国はすぐさま増援を派遣し、追い返してしまうでしょう。しかし今回に限っては、そうはいかないと思われます。――なぜなら現在、ミロスラフ王国は南からも謎の軍勢四千の侵攻を受けているからです」
「何?! それは本当か?!」
「ナカジマ様がおっしゃっていたので間違いはないかと。ハヤテ様――ドラゴンに乗って直接ご自分の目で確認されたそうです」
トマスの話に、伯爵家の嫡男ダンナが、呆れ顔になった。
「直接って・・・ナカジマ家の当主は女なんだろう? 女だてらに危険な最前線に行くなんて、そいつは何を考えているんだ?」
「ダンナ様。決してナカジマ様を侮られませんように。あの方とハヤテ様は、その――」
トマスは「普通じゃありませんから」と言いかけて、流石にそれはどうかと思い直した。
「その――大変に優秀な方達ですから」
「優秀ってお前・・・。まあ普通じゃないのは分かったよ」
トマスは顔をしかめた。どうやら彼の気遣いは空振りに終わったようである。
「それで?」
「あっ、はい。ご当主様には、ゾルタからの独立とピスカロヴァー国王になる事を宣言して頂きます。同時にミロスラフ王国に同盟を結ぶ使者を送って頂き、ヘルザーム伯爵に対する共同戦線を持ち掛けます。ミロスラフにとっても、南北の二正面戦闘は避けたい所でしょう。きっとこの話に乗って来ると思います」
「私が王位にねえ・・・。確かヘルザーム伯爵は、カメニツキー伯爵領に攻め込む際にゾルタ王家の継承を宣言していたが、まさか私までヘルザームと同じ穴の狢になろうとはな」
伯爵は何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
彼とて野心が全く無いわけではない。
しかし伯爵は、自分は内政向きの性格をしている、と知っていた。
ヘルザーム伯爵のように他領に攻め込む覇気も無ければ、王家に成り代わってゾルタを支配する野望も薄かったのである。
逆に嫡男のダンナは、マクミランの名声に嫉妬している事からも分かるように、功名心も高く、自分の才能に自信も持っている。
そのため、自分達が王家になるというトマスの提案に、既に乗り気になっていた。
「王を名乗らねばダメなのか? 伯爵家のままでも良くはないか?」
「父上!」
「父上。それだとミロスラフ王国の臣下になってしまう。我々はともかく、寄り子の男爵達が納得しないだろう」
「むっ。そ、そうかもしれんな」
長男グスタフの指摘を受けて、伯爵は難しい顔になった。
ミロスラフ王国が降伏したピスカロヴァー伯爵を伯爵家として残す保証は無い。伯爵家でそれならば、彼らの下の――男爵家の寄り子の者達が不安を覚えるのは当然だろう。
「――グスタフ様」
トマスは身を乗り出したが、グスタフによって遮られた。グスタフは、「分かっているから」という意思を込めてトマスに手を振った。
(ミロスラフ王国の力を圧力にして周辺の領地を傘下に収めて行くためには、今の伯爵家のままでは格が足りないと言うんだろ? 全く。まだ成人前の子供だってのに、なんて事を考えやがるんだコイツは)
竜軍師とは良く言ったものだ。
グスタフはトマスのおおよその狙いを理解していた。
トマスはミロスラフ王国がゾルタ遠征に動き出す前に、ミロスラフ王国の後ろ盾を生かして、周辺の領地を切り取るつもりでいるのだ。
ミロスラフ王国が南北から攻撃を受けている状況を利用し、ミロスラフ王国に恩を売りつつ、自身はミロスラフ王国の力を後ろ盾として利用して勢力を伸ばし、地盤を固める。
敵対する勢力は、いずれ遠征してくるミロスラフ王国軍と協力して排除し、戦後の処理は彼らに押し付ける。
グスタフはトマスの知略を認めると共に、湧き上がる興奮を抑えきれずにいた。
ピスカロヴァー家の――ひいては自分の今後のためにも、先ずは父上をその気にさせなければ。
グスタフはトマスの提案にすっかり夢中になっていた。
グスタフというまたとない理解者を得た事で、この後の話し合いはスムーズなものとなった。
伯爵の本日の予定は全てキャンセルされ、六人の話し合いは何時間にも渡った。
そろそろ話も出尽くしたかと思われたその時。
不意に屋敷が騒がしくなった。
伯爵が眉をひそめて立ち上がった。
「何だ騒々しい。おい! 誰かいないか?! 何を騒いでいるのか調べて来い」
その時、トマス達、オルサークの三兄弟が、ハッと顔を見合わせた。
「パトリク兄さん」
「ああ、今の音。間違いねえ」
「何でここに・・・」
彼らはこの騒ぎに心当たりがある様子だ。
「どうしたマクミラン。お前達は何か知っているのか?」
長い話し合いの結果、嫡男のダンナはすっかりマクミランに心を許していた。
元々彼の一方的な心の問題――嫉妬でしか無かったのだ。
マクミランが周囲に言われているような英雄然とした人物ではなく、ごく真面目な青年であると分かった事で、彼の中のわだかまりはほとんど解消していた。
マクミランは言い辛そうにダンナに答えた。
「ええと、おそらく。庭に出れば確証が持てると思います」
「? 分かった」
丁度この部屋は庭に面している。彼らは窓を開けると全員で庭に出た。
オルサークの三兄弟の予想通り、庭には屋敷の使用人達が集まり、空を見上げて何やら騒いでいた。
「これは・・・何をやっているんだ? おい、お前達。庭で何をしている」
「ご当主様! 空をご覧下さい! さっきから何だか良く分からないものが屋敷の上をグルグルと飛び回っているのです!」
「・・・ああ、やっぱり。なんで伯爵様のお屋敷に来てしまったんですか」
伯爵はマクミランの呟きを聞きとがめた。
「やっぱりとは何――ん? ああ、あれか。鳥のようだが、確かに何だか良く分からないものだな。お前達はあれが何か知っているのか?」
マクミランは仕方なく頷いた。
「あれはナカジマ家のドラゴン・ハヤテ様です」
「「「「「ドラゴンだって?!」」」」」
彼らの話に聞き耳を立てていた屋敷の使用人達が、一斉に驚きの声を上げた。
次回「このたらい回し感」